営業マンを信用して買っていた時代

かつては営業マンを信用して買っていた時代がありました。少し大袈裟に言えば昭和の営業と言えるのかも知れません。
当時は情報が乏しかったので、判断を信頼できる営業マンに任せていたのです。そして営業マンに求められていたのは、如何に売り上げを上げるかです。信用してもらうことが出来れば買ってもらえるので、営業マンの仕事は信用してもらうことでした。営業マンには話が上手な人が多かったのはこのような理由からでした。

情報を得ることが苦手な人は今でも営業マンに頼るかも知れませんが、簡単に必要な情報が手に入るようになればなるほど営業マンの存在する価値は下がります。例えば薬の営業マンであるMRさんは、インターネットにとって代わられつつあります。何故なら医者が欲しい情報は好きな時間にインターネットで探すことが出来るからです。更にインターネットだと薬を使って下さいという説得マンとしての煩わしい営業トークを聞かされることがありません。MRさんは自分達の都合で訪れますが、インターネットは医者の都合でアクセスできます。どっちが医者にとって都合が良いかは明らかです。

他の例えであれば、車の営業マンの話を考えてみましょう。車の性能や乗り心地・価格など様々な違いがあるため比較・検討するのが素人には難しい一面がありました。しかし現在ではインターネットで車の性能を比較することは容易です。少なくともカタログにある内容は家にいながら確認することが出来ます。以前のようにカタログをもらうために販売店を訪れ営業マンと話す必要がなくなりました。

自分で情報を整理して理解出来る人にとっては、わざわざ判断を迷わせるあるいは説得されるかもしれない営業マンと話す必要が無くなったのです。しかも最近では情報を整理してくれるサイトまであるので、理解が容易になりつつあります。

情報を整理して理解することの出来ない人は、今でも営業マンに自分の必要な情報を整理してもらう必要があります。しかしスマホのおかげで既に整理された情報を手軽に手に入れることが出来るようになってきています。スマホが広まれば広まる程営業マンの需要が減っていると私は思います。

今五十代の営業マンは自分を信用して買ってもらっていた昭和の営業全盛だったと思います。会社によっては定年で逃げ切れるかも知れませんが、会社によってはインターネットにとって代わられてリストラにあうかも知れません。営業マンにとって大変な時代ですね。しかしまだ過渡期なので、これから変化がドンドン加速すると思います。

少なくとも相手の代わりに考えてあげることの出来る人以外は生き残ることは難しいでしょう。この言葉の意味がわかる人は生き残ることが出来るかも知れませんが、この言葉の意味が理解出来ないようであれば生き残ることは難しいかも知れません。相手の代わりに考えてあげるという意味を考えてみて下さい。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。