いじめを学校が隠蔽しようとすることが散見されます。その理由を考えてみます。いじめはあってはならないものなので、いじめが発覚すると学校が責められることが原因のようです。人の行動には必ず目的があります(目的論)。いじめを隠蔽する目的は責められることを避けるためです。決していじめを無くす目的で隠蔽する訳ではありません。ましてやいじめられた子供を守るために隠蔽する訳でもありません。学校側の自己保身を目的に隠蔽するのです。
今のままでは隠蔽しようとするのは仕方ありません。何故ならいじめがあったことを責められるからです。人間の心理として責められたくないので隠すのです。隠そうとする嘘つきの嘘を暴く必要に迫られるため、その分無駄な労力を費やします。
いじめの隠蔽を無くすために
野生動物でもいじめをするのですから、動物の一種でもある人間が放っておくといじめをしてしまうのは、ある意味では仕方がないことです。人間がいじめをする野生動物と違うのは、人を思いやる心を持っていることです。人を思いやることをまだ知らない人間がいじめをしてしまうのです。人のことを尊重することをまだ知らない人間がいじめをしてしまうのです。人を思いやること・人を尊重することをまだ知らない人がいることを認め、いじめを無くす知恵を絞るべきだと私は思います。
いじめを無くすためには、いじめが起こり得ることを受け入れ、その上で対策を取るべきです。いじめはあってはならないものという考え方から、いじめがあるのは当たり前だから大事に至る前に対策するという考え方を変えるのです。
このような考え方に変われば、いじめを見つけ対応したことを誇りに思うようになるでしょう。いじめを無くすのが理想ですが、無くす前の段階として早く見つけ対応するのです。いじめがあったことを責めるのではなく、大事に至らなかったことを評価するのです。そうすることでいじめを成果として積極的に公表するようになるでしょう。
いじめを隠しても問題を先送りするだけです。隠さず再発しないための知恵をみんなで絞るのです。人間には他の動物が持たない言葉という魔法を使うことが出来るのですから、最終的にいじめをなくすことくらい出来るはずです。