今回は議論の仕方を考えてみます。多くの議論はその理由を話し合います。理由は言い訳や建て前が紛れ込むため、一つの理由を論破しても次の理由が出てくるだけです。議論が論理的に行われるのであれば理由を話し合うことに意味があります。しかし多くの議論が、論理的に行われるのではありません。先に賛成や反対の結論を決め、その結論に至る言い訳を探すのです。判断の根拠としての理由であれば議論の意味がありますが、賛成や反対を引き寄せるための言い訳を聞いても時間の無駄です。何故なら本音を隠すための言い訳に過ぎないからです。理由は判断の根拠なのか、言い訳なのかを吟味する必要があります。巧妙に言い訳されると判断の根拠と錯覚させられてしまうこともあります。吟味そのものが時間の無駄です。
理由は後ろ向きなので、幾らでも出すことができます。言い訳の中から賛同の得られそうなものから理由としているに過ぎません。言い訳を議論する程無駄なことはありません。何故なら判断の根拠ではないからです。
理由が言い訳なのか判断の根拠なのか見分けるのは実は簡単です。その理由がクリアされれば判断が変わるかどうかです。クリアされることで判断が変わるのであれば判断の根拠です。クリアされても次の理由を出してくるならただの言い訳に過ぎません。
理由を話し合うことの無意味な点は、状況が変われば理由そのものが無くなる可能性があることです。理由を話し合うと、状況が変わる度に話し合う必要があります。
目的を議論する
人の言動には必ず目的があります(目的論)。その目的を話し合うのです。
目的を議論するようにすると、理由のように言い訳が出来なくなります。何故なら目的はこれからのことを指し示すからです。到達点である目的を先に決めてしまうのです。目的を議論し目的を定め、その目的に基づいて結論を出すのです。
目的を定めてしまえば、私利私欲の影響する余地が無くなります。後は目的に沿っているかどうか合理的な判断をするだけですみます。
まず目的を議論しましょう。更に目的に沿っているかどうかを議論していきましょう。理由をいくら話し合っても時間だけが過ぎ、議論は前には進みません。