人間の行動には必ず目的があります。
人々の多くは理由により行動を左右していると考えているため、理由を追求しますが私は無意味だと思います。何故なら理由は後付けの言い訳と区別がつかなくなるからです。理由を訊ねられた場合自分に都合の良い理由を口にするからです。つまり言い訳と理由を区別する必要があるため時間の無駄です。
余り知られていませんが、自覚しているか自覚していないかの違いはあるものの通常人は目的によって行動が左右されています。
例えば車で移動するのか歩くのかを決める際、人に理由を聞かれれば早く移動するために車で移動すると答えるかもしれません。実際にはただ単に身体が楽をするという目的で車で移動するに過ぎません。逆にわざわざ歩くことを選択するのであれば、人に聞かれると健康のためと答えるかもしれません。しかし実際には早く行きたくないからゆっくり行きたいという目的を達成するためにゆっくり移動するために歩いているに過ぎません。つまり目的はゆっくり到着することなのです。人に尋ねられても行きたくないからとは言えないからそれらしい言い訳、健康のためと答えるのです。
話が少し逸れましたが、目的論が国を動かしたことが私が知る限り2回あります。
一つは薩長同盟、一つは日中国交正常化です。
今では日本国内の薩摩と長州ですが、かつてはそれぞれ国として仲たがいしていました。その二つの国が手を取り合って同盟を結んだことで国が動きました。このとき坂本龍馬氏が間を取り持ったとされています。喧嘩している相手を結びつけるには同じ目的達成するために手を取り合ったのです。
日中国交正常化は田中角栄氏が間を取り持ちました。日本と中国が国交を正常化するという目的の元で話し合い合意を得たのです。恐らく田中角栄氏は目的を前面に出し、交渉にあたったはずです。中国からすれば過去攻め入った国との交渉ですから簡単には許すことの出来ない相手です。しかし過去は変えられません。その解釈を議論しても無意味だと田中角栄氏は悟っておられたのでしょう。
私は坂本龍馬氏、田中角栄氏は誰から教えてもらうことなく人間の考え方の真理、目的論にたどり着いていたのではないかと考えています。
しかもアドラーの心理学でいう共同体感覚に似た感覚にもたどり着いていたのだと思います。坂本龍馬氏は日本全体で考える。田中角栄氏は日本と中国全体で考えるという物事の大きな考え方ができたのだと思います。
常識の枠の外でも答えを探す天才でしたが、残念なことに二人とも天才過ぎて周囲の人達は理解しきれなかったようです。
目的論が世の中を変えることが出来ると私は考えています。
目的を話し合う世の中になってくれることを心から望みます。