主観的競技に思う

冬季オリンピックが開催され話題となっています。スピードを競う競技は議論の余地はなく、ハイスピードカメラで多方面から確認すれば勝敗がはっきりします。いわば客観的競技です。審査員の得点で競う競技は審査員の主観に頼ることになると思います。審査員の主観に頼る競技を主観的競技とし、その主観的競技について考えてみたいと思います。

主観的競技について

審査員による得点評価はどうしても審査員個人の主観によって変わってしまいます。審査員個人の主観なので得点の理由や根拠を明確にすることが出来ません。場合によっては審査員の好みによって決まってしまいます。

勿論審査員の方は公平にみることが出来る方が選ばれているはずですが、審査員も良くも悪くも生身の人間です。自分の好みや同じ属性の方を良い点にしてしまう可能性があることは避けきれません。

私は特定の人の好みで勝敗が決まる競技に魅力を感じません。何故なら審査員の好みが正しいとは限らないからです。その点客観的競技では歴然とした誰にでも検証出来る差が生まれます。

これまでは他に選択肢がなかったため、審査員の主観に頼るしか仕方がありませんでした。そこで審査員の好みの問題を出来るだけ排除するために、審査員の出身国や人種を分散させ、数人で審査を行うようにしています。出来るだけ公平な視点で審査されるように配慮されたとしても、残念ながら生身の人間が審査を行う限り主観を完全に切り離すことはできません。

主観的競技の将来

将来を予測してみると、今現在は主観的競技とされる競技が30年後にも生身の人間が審査員として審査しているとは思えません。何故ならAIに審査を任せてしまえば、減点、加点を後で検証することが出来るからです。

現在の技術でさえ、既にAIでの審査をすることが出来るのではないかと思います。次のオリンピックは無理だとしても、少なくとも次の次のオリンピックでは人工知能による審査をするべきだと思います。何故なら好き嫌いという人間の好みとは切り離した審査をすることが出来るからです。主観的競技を客観的競技に至らしめる機械での客観的評価が出来るにも関わらず、あえてIOCが機械を導入しないのであれば、ただの怠慢か何らかの利権を守るためでしょう。

機械での採点は味気ないという人達もいるでしょうが、私は味気ないと感じても誰もが同じ基準で採点される意味は大きいと思います。味気ないと感じるのは導入してしばらくのことで、機械での採点に慣れてしまうと、生身の人間が採点していたことを思い返せば不条理に感じることでしょう。

少なくとも機械での採点が30年以内にはじまることは間違いないでしょう。30年では機械採点にならないと思っている人達も、例えば100年オリンピックが続いたとして、100年間人間が採点し続けていると考えるでしょうか。

機械採点になるかならないかではなく、いつかは機械採点になるはずです。であれば機械採点がいつかという問題だけです。私はあと3回、つまり12年以内には機械採点になって欲しいと考えています。

もし万が一、人工知能が人間の知恵をこえるシンギュラリティ(特異点)をこえても生身の人間がオリンピックの審査員をしているとすれば、残念ながら欲が捨てきれない人達が多いことがわかります。誰の欲が多いのか考えてみてください。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。