以前他の食べ物は飽きるのに、ご飯は飽きない理由と題して書きました。今回は日本人が白米に飽きない理由と題して別の視点から書いてみます。
人が物事に飽きるのは進化の歴史で培った合理的な理由があります。食べ物の対して飽きるのは一つの食べ物に執着することなく様々な栄養素を摂取するためであり、物事に対して飽きるのは一つのことに固執することなく様々な経験をするためだと思います。
この人間に備わった物事に飽きる仕組みからするとお米に対しても飽きるはずです。人が白米に飽きないのは依存の心理という人が物事に飽きる仕組みよりも、強力な仕組みが働くからです。元々依存の仕組みが備わったのは人が太る仕組みを身につけたことに由来すると私は考えています。四季のある地域に住んでいると収穫の時期には大量に食べる物があるにもかかわらず、季節が変わると食べる物が無いことがあり得ます。収穫の時期に出来るだけ大量に食べて太ることが出来た者だけが、食料の無い冬の時期を生き延びることが出来たのです。出来るだけ大量に食べることが出来るのは、依存状態に陥るからです。
糖質依存
白米を飽きない理由は一言で言えば糖質依存に陥っているからです。病的に執着してしまう状態なのですから、依存対象に対して飽きることはあり得ません。
自覚している人が少ないだけで多くの日本人が糖質依存に陥っています。私は大きな落とし穴に落ちていると表現しています。糖質依存は強い空腹感という禁断症状(正確には離脱症状)まである明らかな依存です。激しくお腹が空くのは糖質依存の証拠である禁断症状です。つまりお昼前にお腹が空いたと口にする人は糖質依存の可能性が極めて高いと思います。その証拠に、強い空腹感を我慢しているとピークをこえる不思議な感覚を経験します。禁断症状では無いとすれば、何か食べるまでお腹が空いているはずです。
ここでは白米の中心に書きましたが、糖質に飽きないのは糖質依存だからです。パンに飽きることがないのも糖質依存だからです。ラーメンやうどんに飽きることがないのも糖質依存だからです。ラーメンやうどんに飽きないのは糖質依存だけではなく、塩分依存も重なる共依存なのかもしれません。
飽きないのは…
本来なら飽きるはずの仕組みが働かないのは白米のように、何らかの依存の心理が働いているのかもしれません。もしかしたら白米に限らず食べ物や物事に飽きないのは、何らかの依存性があるからなのかもしれません。
例えばギャンブルなども飽きる人はすぐに飽きてしまいますが、飽きない人は自分で制御出来ない程の依存に陥ってしまうからでしょう。ゲームなども同様です。ゲームは飽きないように仕組まれてはいますが、多くの人は飽きてしまいます。一部の人は飽きることなくやり続けてしまいます。やめられなくなること自体が依存のようです。
変わったところでは多くの人が嫌々する勉強に対して依存性がある人もいるようです。その結果飽きずに勉強し続けることが出来る人もいるようです。
そう考えると人間関係も飽きてもおかしくはありません。その人と一緒にいても新しい経験が出来ないと思うと飽きるのです。一緒にいても新しい刺激がないため楽しいとは思えなくなってしまうのです。仲の良かった友達と疎遠になってしまったり、離婚する夫婦は飽きてしまうからなのかもしれません。逆に長年上手く付き合っている夫婦はどちらか一方あるいはお互いが依存性があるのかもしれません。
当初のタイトルからは少し話が逸れましたが、飽きない物事には依存性があるかもしれないという視点で周囲を見回してみてください。もしかしたら面白いことに気づくことが出来るかもしれません。