中国地方のある県ではパーキングエリアで他県ナンバーの車の方の検温を行うと発表し、来てしまったことを後悔してもらえるとよいなと思うと知事さんが発言してしまいました。
片や別の中国地方のある県では、「会いたいからこそ、今は会わないでおきましょう」というメッセージを発信しました。
(参考:ヤフーニュース、時間が経つとリンクが切れているかもしれません。)
言っていることは同じです。その県には来ないでください。移動しないでくださいです。
北風と太陽みたい
同じことを主張しているのに明暗を分けたのは何でしょうか?
私はこのニュースを見て寓話「北風と太陽」みたいだなと思いました。(参考:ウィキペディア「北風と太陽」)
服を脱がせるという話で、強硬に風を吹き付け無理やり脱がそうとした北風と、ジリジリと照り付けることで自分で脱がせるように仕向けた太陽との話です。
人に無理やり強要しようとすると反発(北風の場合は寒いから必死で服をはぎ取られないように抵抗してしまいます)が、人が自分から脱ぐように仕向ける(暑ければ自然と服を脱ぐということ)という仕組みです。
今回の話では、自分の県に来たら後悔させてやる。だから来るな!という北風です。そんなこと言われても嫌だと反発してしまいます。北風のように強要しようとしているからではないでしょうか?
その点他の県では「会いたいからこそ、今は会わないようにしましょう」というように、自分の判断を尊重し今は会わないようにしてもらえませんか?と主張しています。それは感染が落ち着けばいつでも会えるようになるから今は我慢しましょうというメッセージが心に響いたようです。
あくまでも私の想像ですが、来るなと主張した知事さんはこの寓話を知らず(もしくは物事を深く考えるほど余裕を失っているのかもしれません)、今は控えてと主張した知事さんはこの寓話を知っていたのかもしれません。人は強要されると反発するけど、そのように仕向けられると自然と行動するようになるということを。
共感を得られるかどうかの違い
誰のため、誰の視点での「来ないで」だったかだと私は思います。
「後悔」というキーワードを使ってしまった知事さんの視点は、自分であり職員の視点だったように思います。
自分たちが管理上困るから「来ないで」というメッセージに見えてしまいます。だから(自分たちのために)「後悔させる」という強いメッセージに見えてしまいます。
自分たちの都合しか考えていないように見えるので、その県にはいきたくないという発想に繋がり、コロナ後の観光に影響が出ることを心配する声が上がるようです。
その点、「今は来ないで」というメッセージを発信した知事さんの視点は県民であり、来る人です。つまり今来てもらうと感染が広がり、かえって会えない期間が延びてしまいます。だから「今は来ないで」くださいというメッセージです。つまり訪れようとする人たち、そしてその訪れた人と会った県民が困らないようにするために「今は来ないで」くださいというメッセージを発信できたことが素晴らしいと思います。
「急がば回れ」ということわざのイメージを思いつきましたが、「早く会いたいからこそ今は会わない」というメッセージを発信することができているように思います。つまり県民、そして県に訪れてくれる人のために「今は会わない」というメッセージを発信できていることが共感されるのではないかと思います。
自分のための行動は反感を買いやすく、他人のための行動は共感を得やすい
自分のための行動をとっている人の言葉は響きません。何故なら自己都合だからです。勝手にすればと思ってしまいます。ましてや知事や公務員だと極論するとそれが仕事でしょと考えてしまい、楽をしたいから要請しているように受け取られてしまう可能性があるのです(勿論私はそのようには考えてはいませんが、心理的にそのように考えられてしまう恐れがあるという問題定義をしたいということです)。
一方で人のための行動をとっている人の言葉は響きます。何故なら他人への配慮なので、自分も他人への配慮を一緒にしたいと思えるからです。つまり共感できるということです。(あなたとあなたの大切な人のために「今は来ないでください」という言葉)
反感を買うことが多いのは自分のための言動で、共感を得ることが多いのは他人のための言動ではないかと私は思います。
目的を考えてみる。
今回のそれぞれの知事さんの言動が、誰のため・何のための要請だったかと考えてみる。自分のための行動は反感を買いやすく、他人のための行動は共感を得やすい・・・。覚えておいてもよさそうです。
そんな視点で物事を見るようになると、少なくともあまり反感を買わないようにできるのではないか
新型コロナウイルスの対応でみんなが疲れてきているのでしょう。余裕がなくなってしまって自分のことばかり考えるようになる人が増えてくると思います。
非常事態にこそ人の本質が問われると思います。どんな時にでも人への配慮ができるような人間になりたいですね。日々努力はしていますがなかなか難しいです。これからもそうなれるように努力していきたいと思います。