元RCCアナウンサーの煙石 博さんが、銀行の記帳台に忘れられた封筒の中から66600円を盗んだとして逮捕起訴された事件です。
先日放送されていた『私は無実です ~防犯カメラで真実は見えるか?~』の録画を見て思うことがあり記事を書くことにしました。今後取り入れるべき対策も書いてみたいと思います。テレビでは防犯カメラの画質を上げること、検察も防犯カメラを証拠とするには慎重に取り扱うことが示されていましたが、私は別の対策を考えています。
事件の概要
本来であれば起訴されるはずのない事件でした。
何故なら素人の私が考えても犯人だと推定できる証拠はないからです。
記帳台に置き忘れられた封筒の中に入った66600円がなくなったということ。防犯カメラの映像から煙石さんしか記帳台に近付いていないため、煙石さん以外の犯人が考えられないとのこと。封筒は記帳台の上で見つかっているため、煙石さんが封筒から現金を抜き取り封筒を戻したのだろうと言われたこと。封筒から現金を抜き取る場面も、わざわざ封筒を戻す場面も防犯カメラには映っていないということ。
防犯カメラにより封筒に近づくことができたのが煙石さんだけなので、煙石さんが犯人以外あり得ないという理屈のようです。これを裁判所が認めたこと自体が驚きです。
問題点
- 記帳台の上に66600円入りの封筒を置き忘れたが、現金が入っていた証拠はないため、最初から入っていなかったかもしれないこと。つまり窃盗事件そのものの存在が確かかどうかわからないということ
- 煙石さんがお金を盗った(封筒からお金を抜き取った)という決定的な映像はないこと
- 封筒に指紋も残っていないこと
- 封筒を記帳台に戻した映像もないこと(検察は封筒を持ち去って抜き取り、戻したと主張している)
裁判の原則は推定無罪のはずです。はっきりとした証拠がなければ、有罪にしないという理屈です。そうしなければ冤罪を量産してしまうからです。
今回の事件は封筒に入った現金が無くなっている。他の人が盗る機会がないため、煙石さん以外あり得ない。だから犯人という乱暴な理屈でしかありません。
この理屈を認めてしまえば安心して生活することはできません。何故なら推定有罪だからです。わざと有罪にみえるように仕組んでしまえば誰でも犯罪者に仕立て上げることができます。
別の問題点
乱暴な論理で検察が起訴したことが問題なのですが、別の問題点が浮上します。
それは検察・警察がこの問題の責任をとらないことです。冤罪を生み出しても御免なさいすら言わないのです。本来であれば冤罪を生み出してすいませんでしたと関係者一同が顔を揃えて記者会見すべきです。無実の人の人生を狂わせたのですから。煙石さんは数百万の費用を使って、無実を勝ち取ったそうです。それよりもこの何年もの不快な時間は取り返せないはずです。
警察は取り調べの際に、窃盗は大した事件ではないため早く認めるように促したそうです。しかもテレビで放映された内容が事実であれば強要するような口調だったそうです。警察は犯人だと決めつけて取り調べをしているような印象です。もしかしたら目的は真犯人であろうと冤罪であろうと、犯人として捕まえるだけなのかもしれません。つまり冤罪であっても認めさせれば仕事が終わると考えているかもしれないのです。その根底に間違って逮捕しても責任を取る仕組みがないことです。
公務員が市民・国民に与えた損害は国が償うことになっています。そういう意味でも自分たちで責任を取る概念がないので無邪気に冤罪を生み出すのではないでしょうか?。
対策
防犯カメラの性能アップ、検察が防犯カメラに対する認識を変えることが番組でも紹介されていました。
私は警察・検察ともに責任を取る仕組みがないことだと思います。
もし冤罪を生み出したら、金銭的な負担(減給何か月等)や被害者のように自由を拘束される(禁固あるいは停職何か月等)のペナルティーがあっても同じような行動がとれたでしょうか?私は間違いをおかした際に自ら責任を取らなければならない仕組みがあれば、今回のような乱暴な論理での起訴には至らなかったと考えます。間違っても謝ることすらしなくて済む仕組みに問題があると思います。
責任を取らなければいけないとなると委縮するという人たちがいるかもしれませんが、世間一般では自分の行動に責任を取るのは当たり前です。責任を取らなければいけないから委縮するのであれば、本来やってはいけない行動をとっているに過ぎません。
責任を取る仕組みを作るだけで全ての冤罪がなくなる訳ではありませんが、少なくとも冤罪の数は減るはずです。人が人を裁くのですから、間違えばその責任を取る仕組みがないことの方がおかしいのではないのでしょうか?
取り調べた警察官や起訴した検察官個人に対して損害賠償請求を出来る仕組みでもあればかなりの抑止力になることが考えられます。
間違いに対して責任の取り方は議論の余地があるかもしれませんが、仕組みそのものの導入はすべきだと思います。
人は自分の行動の責任を取らなければいけないから、いい加減な行動をとらないように気を付けるのです。責任を取る姿が想像できないから、いい加減な行動がとれるのです。
実は警察・検察だけでなく、地方自治体や国の役人も責任を取る仕組みがないことが問題です。競争がないことも行政の問題の一つですが、そろそろ行政の仕組みそのものを根本から変えるべきでしょう。その話は別の機会に。
最後に
今回の事件は状況証拠を吟味すれば無実であることは容易に判断できそうでした。
しかし世間一般では検察が起訴すれば、起訴に足るだけの証拠が吟味されていると推定してしまいます。いい加減な判断が世の中にははびこっているようです。何事も自分の頭で判断する必要がありそうです。警察官や検察官にすらいい加減な判断をする人たちがいるようです。一審・二審の裁判官はいい加減とは言わないまでも、物事を論理的に考える思考力の乏しい人だったのでしょう。
他人の判断が正しいとは限りません。権威のある人たちが正しいとも限らないのです。意図的に事実を捻じ曲げて自分たちの都合の良いように解釈する人達が、いることを知っておきましょう。
自分の身を守るためにも論理的思考力を身につけるしかないのかもしれません。
煙石さんが番組の最後で言われていました。同じような思いをする人が出ないように私は戦ったのだと。煙石さんが戦うことを選択しなければ、一人の犯罪者が生まれただけで話題にすらならなかったことでしょう。煙石さんのおかげで警察・検察の異常な側面を浮き彫りになりました。いつも警察・検察がおかしい訳ではないとは思いますが、今回のことに問題があったことは確かです。警察・検察の方たちの日頃の仕事のおかげで日頃犯罪に巻き込まれることがないのだと考えています。それだけに問題の根本原因と再発防止策を検討し、そのことを反省として公表する自浄作用を身につけてほしいと願います。