本屋さんは既に茹でられている

本屋さんは既に茹でられていると思います。

茹でらるとは茹でカエルのカエルの例えのように気付かずに逃げ出さないことを表現するものです。実際にはカエルは水の温度が上がると逃げ出そうとするので、疑似科学と言われているようです。考え方としてはわかりやすのでこのように表現してみます。

本屋さんの環境が変わっているのは、電気屋さんと同じです。具体的な商品の陳列を見てネットで購入する人が増えることです。

何故なら紙の本にない魅力が電子書籍には用意されているからです。

電子書籍のメリット

  • スマホでいつでも何処でも読める
  • わざわざ持ち運ぶ必要がない
  • 保管場所がいらない
  • 読み終わった本の始末に困らない
  • マーキングにペンが不必要
  • 安い(古本屋に売れない分値引きされるイメージ?)

電子書籍のデメリット

  • 人にプレゼントすることが出来ない
  • 所有している実感がない
  • 機械が壊れると読むことが出来ない

これからの本屋さん

実際に本を手にとって見ることの出来る魅力はありますが、値段が安い電子書籍には太刀打ち出来ない面があります。まだ本屋さんで買う人が多いため、茹でられている実感はないのかもしれません。茹でられている実感のある本屋さんは、コミックのレンタルなど新しい事業展開をはじめています。これもAmazonが定額サービスをはじめてしまうとレンタルというメリットが一瞬で消えてしまいます。少なくとも電子書籍の期間限定で格安販売が始まればレンタルサービスと競合します。

そろそろ本の定価販売を見直す時期なのかもしれません。もしなしたら電子書籍化されていない本ばかり集めた本屋さんが流行るかもしれません。

他にも既に茹でられている業界はあるかもしれません。時代が大きく変わりつつあります。

説得マンを送り出す説得会社

ある営業マンの人と話をしていて驚いたことがあります。会社の方針でとにかく営業をかけろという指令が出ているそうです。営業成績が悪いと営業の仕方が悪いとして上司から責められるそうです。かと言って具体的には営業の仕方は教えてもらえないそうです。営業成績は上げなさい。その方法は自分で考えなさいという方針のようです。上司の方は本来なら営業の仕方を具体的に教えてあげることが仕事ではないかと私は思います。責め立てただけで営業成績が上がるのであれば苦労はしません。責め立てられた営業マンは説得マンになって会社から送り出されます。相手を説得して商品を購入してもらおうとします。一度や二度なら説得に応じてくれる人もいるかもしませんが、長続きする訳がありません。

その会社の方針で驚いたのが、とにかく新規に営業をかけるように説得マンを送り出すそうです。相手が求めていようと求めていなくてもとにかく営業するように言われるそうです。正に説得して営業成績をあげる説得マンの行動です。

相手が求めていなければ新規で商品を買ってくれる可能性はありません。相手が興味を持ってくれて初めて営業する意味があるはずです。商品の良さを知ってもらえれば買ってくれるはずというのは売る側の勝手な思い込みです。商品の良さを知ってもらうことと、説得することを混同して売り込む営業マンもいます。買う可能性が全くない相手に営業をかけるのはお互いに時間の無駄です。

魚がいないのに網を下す漁師

相手が求めていないものを面会して売り歩くのは、まるで魚がいない漁場で網を下している漁師のようなものです。

営業マンは新規に営業しなければ売れないから、相手が興味がなくても仕方ないと考えているのかもしれません。誰に売り込むべきか先に考えるべき(どこに魚がいるか)ですが、とにかく営業をかける(とにかく網を下す)という効率の悪い方法をとっているのです。下手をすれば海の魚を捕ろうしているのに湖に網を下す的はずれなことをしているかもしれないのです。そこまで極端ではなくても、瀬戸内海でいるはずもないマグロを追いかけているのかもしれません。同じ海だからいるはずだとしてとにか網を下しているのかもしれません。魚を捕ろうと考えるならば、まず一番にすることは捕ろうとする魚の生態を知り、どこで網を下すのが一番かを考えるべきです。

普通の漁は

漁師さんからすれば網を下さなければ決して魚が獲れることはないと考えることに似ています。しかし魚がいないところに何度網を下しても、決して魚が獲れることはありません。何故なら魚がいないのですから当たり前です。そこで漁師さん達は海鳥などをヒントに経験と勘を頼りにして魚のいるところに網を下すのです。当然魚のいるところに網を下すのですが、外れることもありますので最近では魚群探知機を使って確実に効率良く網を下して魚を捕まえます。

漁師さんは魚がいる可能性が低いとわかっていてわざわざ網を下すことはしないはずです。何故なら網を下すお金と時間が惜しいからです。少しでも魚がいる可能性の高いところで網を下すはずです。

しかし説得マンを送り出す説得会社は、闇雲に網を下すように誰彼構わず説得します。聞かされる方は元から興味がないのに…と思いながら聞きますし、説得する方はこれだけ説得しているのに良さがわからないんだと考えるのです。客観的に第三者の視点から見るとお互いが時間を無駄にしていることがわかります。

効率的な営業

私の考える効率的な営業は、漁師さん達が海鳥や魚群探知機を使って魚がいる可能性の高いところを探すような営業です。

つまり自社商品を買ってくれそうな人を探すのです。決して手当たり次第に説得したりはしません。

例えば車の営業マンの場合、2人乗りのスポーツカーを得ることを想定してみてください。どこに買ってくれそうな人がいるかを考えるのが、魚がいそうな漁場を探すことになります。2人乗りのスポーツカーを家族連れに売り込もうとしても時間の無駄でしょう。会社がセカンドカーとしての市場を想定していたとしても、現実に2人乗りのスポーツカーを買ってくれる可能性があるのは独身の人でしょう。もしくは子育ての終わった中高年の方かもしれません。家族連れを狙って説得しても徒労に終わるでしょう。逆にミニバンを売るのであれば、家族連れに売り込むのが効果的です。

営業マンは営業するのであれば、闇雲に営業(説得)するのではなく、前もって誰に得るのかが一番重要だと思います。

そして会社がまず誰に得るのが一番効率的かを絞り込むべきです。会社としてどこに網を下すのが効果的かを考えて、社員を指導するのが本来の上司の役目だと私は思います。

説得会社の行く末

説得マンを送り出す説得会社が成り立つのは、まだまだ説得するという無駄なことをする余裕がある会社なのだと思います。これだけ情報が行き渡り始めると説得会社の存続は近い将来危うくなると私は思います。

21世紀に未だ説得マンを平気で送り出す説得会社があるのに驚いたため書いてみました。実は業績の芳しくない企業は営業と称して説得して回っているから、業績が上がらないのかもしれません。

最低賃金が時給1500円になるとおこること

最低賃金を上げることを目指して行動している人達がいるようです。

企業に対して賃上げ要求をするのならわかりますが、最低賃金を上げることを要求するのが私には理解出来ません。何故なら時給1500円分働いていると考えているのであれば、雇用者に要求すべきことです。雇用者に要求しないのは、要求しても認められないことがわかっているからでしょう。ただ最低賃金を時給1500円にして欲しいと主張することは自由です。自由ではありますが、まるでお金の仕組みを知らない子供がお小遣いを上げてくれと駄々をこねているようです。他の子はお小遣い1500円もらっているから僕も1500円にしてと主張しているようです(外国の例をあげて日本での時給1500円を主張)。しかもお小遣いを出す親ではなく学校に最低お小遣いを上げるように主張しているように受け取れます。(現実には学校で最低お小遣いなどという決まりはないのでただの例え話ですが…)

要求通り最低賃金が時給1500円になるとおこることを考えてみます。最低賃金を上げても売り上げが上がる訳ではありません。アルバイトの給料を払うために値上げは出来ませんから、同じ売り上げを維持するためには労働生産性を1.5倍に引き上げる必要があります。つまり働く能力・能率を引き上げる必要があります。具体的には機械化が一気に進むでしょう。

例えばファーストフードでは注文はタッチパネルになり支払いまで自動清算になるのではないかと思います。商品の製造も自動化する機械化が進むでしょう。現実に競争の激しい回転寿司ではタッチパネルが当たり前でシャリを作るロボットも当たり前になっています。タッチパネルを導入出来ない回転寿司は淘汰されつつあります。居酒屋でもタッチパネルが導入されつつあります。注文を受けることに人手を費やすのは非常に効率が悪いからです。お客さんが商品を選ぶ間お客さんの前でただ立って選ぶのを待つのは時間の無駄です。しかも店員が端末のボタンを押すだけであれば、お客さんにタッチパネルとして押してもらうだけのことです。まだタッチパネルが導入されていない業種は、経営陣がその意味を理解していないのか、まだそこまでしなくても良いだけの経営に余裕があるのです。

最低賃金が時給1500円になった時点でタッチパネル化が一気に進みます。今は3人でしている仕事を2人か場合によっては1人でこなさなければなりません。そして時給1500円支払う価値のある気の利く人だけが残ることが出来るでしょう。ファミリーレストランでも同じことが起こります。まだ店員が端末を操作して注文を受けていますが、タッチパネルが導入されるのは時間の問題です。効率化すればタッチパネルで注文し料理が出来た時点で席に案内される時代が来るかもしれません。

時給1500円になることで無駄が省かれて効率化されるので、消費者にとっては便利になるので良いことです。一方アルバイトする人にとっては自らの首を絞めるような要求のように思います。

ちなみに外国で時給1500円で成り立つのは、そもそも物価が高い国か、チップの廃止の代わりに高い時給にしているからです。物価に対して妥当だから成り立つのです。物価が変動し、経営陣が時給1500円が高いと考えれば、タッチパネルなど機械化されていくでしょう。その過渡期だから成り立っているだけのことです。

利益を目的にすると判断を誤る

経営不振に悩む企業が見受けられます。
私は利益を目的にしているから、判断を誤るのではないかと思います。企業が利益を求めるのはいわば常識ですが、最近では利益を目的としない企業が出始めました。利益ではなく理念を目的としています。それらの企業でも利益は得ていますが、利益は目的ではなく手段として得ています。会社を維持するための運転資金として利益を考えているのです。

利益は企業の為ならず

という諺を新たに考えました。利益を求めると企業のためにならないという考え方です。

経営不振に陥っている企業がはまっているのが、利益を追い求めているからではないかと思います。企業の利益と顧客の利益は相反します。企業の利益を求めると顧客は不利益となります。そのさじ加減が難しく、高くても売れると思うと利益のために高く売り、売れないとわかれば利益を削って安く売ります。つまり(自分達の利益のために)高くても売れる価格で売ろうとするのです。利益を最大化する売り方を模索し、顧客のニーズとズレることで経営不振に悩むのです。

利益を目的としない企業は、原価に適正な利益を加えた価格で売ります。元々利益を目的としていないので、利益を目的とする企業よりも安く売ることが出来ます。利益を求めていないことを顧客に理解してもらえると、好循環を生み急速に事業が拡大していきます。急拡大している理由は、利益を求めていないからです。適正な利益のつもりで売り出しても、予想外に利益が出れば、次の適正な利益を少なくするように調整するのです。

利益を追い求めている企業はそろそろ別の目的を探すべきではないかと思います。

良い物を作れば売れるという勘違い

先日テレビを見ているとある企業のエンジニアの人が出ていました。納得の出来る良い物を作れば売れるはずだと言っていました。

良い物を作れば売れるという考え方には2つの勘違いがあります。1つは誰にとっての良い物かという視点、もう1つは良い物は売れた物だという考え方です。

エンジニア達が作っている物は残念ながら私には売れるとは思えませんでした。何故なら使う人がイメージ出来ない商品だったからです。良い物を作ればの良い物とは、作り手にとって良い物という意味のようです。テレビを見ている限り買い手にとって良い物という視点ではありませんでした。人々が求めているのが価格なら性能は二の次のはずですし、人々が求めている物が性能であればデザインはオマケでしか無いように思います。人々が求めている物が何かを探ることなく、自分達の技術で作ることの出来る物を探している印象でした。テレビに出ていたのは社長はデザインにこだわり、エンジニアは性能にこだわっていましたが、どんな人に使ってもらうのかという一番大切な視点は抜け落ちていました。実際には目新しさで海外では売れるのかもしれませんが、目新しさという曖昧な指標に賭けるのは勇気のある企業だと私は思いました。

使う人が極一部の人でも、ピンポイントで心をつかめば物は売れます。しかし誰が使ってくれるのか曖昧なまま商品を作れば、結局誰も使わないまま終わってしまいます。

間違いなく売れる物が良い物です。良い物が売れるとは限りません。作り手にとって良い物が、買い手にとって良い物とは限らないからです。多くの商品が作り手の都合によって作られています。技術の限界だからここまでしか小さく出来ないとか、それらの性能を全て搭載すると価格が高くなりすぎるなど作り手の都合で折り合いのつくところで妥協した商品が多いのが現状です。しかしこれまで妥協せず買い手の欲しい商品を突き詰めて作り込んだ人間がいました。スティーブジョブズ氏です。社長でありながら妥協を許してくれない最高の消費者だったのです。欲しい商品を突き詰めて、エンジニアが答えを出すまで許さなかったそうです。買い手にとっての良い物を突き詰めて作り込んだ結果爆発的に売れたのだと思います。

通常の企業が良い物を作る目的は利益です。良い物を作ると売れるからです。利益を目的として追い求めると、企業の利益と消費者の利益は相反します。相反することの調整で多くの企業の方針がブレるのです。しかし視点を少し変えるだけで売れる物を作ることが出来るようになります。それは「利益は企業の為ならず」という私の考えた諺を実践するのです。利益を追い求めるのではなく、企業が消費者の幸せを実現することを目的とし、利益はその運営資金という考え方です。絶えず消費者のためになるように企業が行動するのです。その中で運営資金としての適切な利益を得る方法を考えるのです。このように考えるとブレることがありません。

先に消費者の欲しい物をリサーチし、出来る物をお客さんの欲しい物に出来るだけ近づけるのです。技術の限界を集めて出来る物を売り出すのでは、当たり外れが大き過ぎます。その結果日本の家電は技術はあるのに(技術があるから?)苦戦することになりました。

流行る回転寿司と倒産する回転寿司の違い

安くて美味しく気軽に食べることの出来るお寿司を提供してくれる回転寿司ですが最近流れが変わりつつあります。

回転寿司はお寿司という高級な食べ物を、様々な工夫により庶民の食べ物としてくれました。庶民にとっては滅多に食べられない高級な食べ物がちょっとした贅沢にしてくれました。仕入れの工夫や手間を省くことなど様々な知恵と工夫により美味しいお寿司を安く提供するのが回転寿司の特徴です。

しかし最近では回転寿司が倒産することもあるようです。倒産する回転寿司と行列の出来る回転寿司の違いを考えてみます。

その違いは一言で言えば工夫しているかどうかです。流行る回転寿司は工夫をしていますが、潰れる回転寿司は工夫が足らないのです。工夫といってもメニューや価格などの小手先のものではありません。それは程度の差が多少あるだけで、どの回転寿司も工夫しています。ここでいう工夫とはシステムの工夫です。メニューや価格の工夫すら出来ない回転寿司はかなり早い段階で淘汰されています。現時点で残っている回転寿司はメニューや価格の工夫はされているものの、他の工夫が足らないのです。

回転寿司が広まった理由

回転寿司が広まった理由は元々高いお寿司を安く素早く提供したことでした。当初は安かろ悪かろうの一面もありましたが、魚の仕入れ方や流通を工夫することで驚く程の低価格を実現しました。安くてその上美味しかったので急速に広まりました。ライバルは回っていないお寿司屋さんでした。比べるのがお寿司屋さんだったので圧倒的に有利でした。

機械化も行うことで機械で作ったシャリの上にネタをのせるだけになり、元々の職人さんが握るお寿司とは少し違う食べ物になりました。しかし回転していないお寿司との価格差から考えると、問題になる程の差と考える人はほとんどいません。ほとんどというのは差があると考える人は回らないお寿司屋さんに行くだけのことです。回転寿司のお寿司に物足らなさを感じる人は、そもそも回転寿司のお客さんにならないのです。

回転寿司が画期的だったのは価格と手軽さでした。回らないお寿司屋さんの時価という得体の知れない価格体系を取り払ったことでした。お寿司を回らせることでその場で握る必要がなくなり、回らないお寿司屋さんよりも食材の廃棄も減らすことが出来たのも価格を抑えることに役立ちました。

倒産する回転寿司の陥った罠

私の考える理由であって全てに当てはまる訳ではないと思います。倒産する回転寿司の理由の一つの考え方だとお考えください。

まだ生き残っている他の業種でも同じ現象が起こると思います。何らかの理由にのりまだ競争がないだけのことです。思いつく人がいないだけなのか、参入しても大した市場が期待出来ないだけなのかはわかりません。回転寿司が一足先に競争に陥っただけのことです。

倒産する回転寿司が陥った罠はシステムの問題だと思い至らなかったことではないでしょうか?倒産する前にお客さんは減るはずです。経営陣はメニューや価格を見直します。しかしお客さんは他店のシステムを経験し、お寿司が回っているだけでは満足しなくなっているとメニューや価格では呼び戻すことは出来ません。

過去の成功体験という罠により新しいことを取り入れることを怠ったからだと思います。この罠はどの業種にも当てはまります。経営が行き詰まった日本の家電メーカーにも当てはまりますし、様々な業種で見受けられます。しかし本人達は気付くことが出来ず、メニューと価格の中からありもしない答えを探そうとして迷走してしまいます。

具体的な差

流行る回転寿司と倒産する回転寿司の差の一つはタッチパネルです。タッチパネルを導入していない回転寿司はかなりのハンディキャップを背負っています。確かに設備投資は必要ですが、導入するか導入しないかではないはずです。いつ導入するかだと思います。このことを理解出来ない回転寿司は淘汰されてしまうことでしょう。

何故ならタッチパネルは店員何人分もの働きをするからです。しかも間違いがありませんし、後で間違いがないかを確認することが出来ます。店員が注文を聞く何倍ものメリットがあります。それを導入出来ないと淘汰されてしまいます。まだタッチパネルを導入していない回転寿司はこれから苦戦すると思います。近くにタッチパネルの回転寿司が出来た時点で倒産の危機に陥ります。

もう一つの差は専用レーンです。専用レーンがあることで他の人が間違ってとってしまうという注文ミスが無くなることが一番のメリットです。席まで注文を届ける専用レーンが無くても、今の所倒産する程の差にはならないとは思います。しかし最終的には回転寿司はタッチパネルで注文し、専用レーンで運ばれるスタイルに落ち着くと私は思います。回転寿司から回転レーンが無くなる可能性があるのです。回転レーンを残したまま専用レーン併設か回転レーンのみかです。専用レーン無しの回転寿司は時間と共に淘汰されるように思います。何故なら専用レーンが無いことでお客さんが得することが無いからです。その分安い価格なら得をするのかも知れませんが、価格が同じにら専用レーンのある回転寿司に人は流れるように思います。その過渡期なので混雑していると私は思います。

他の業種において

回転寿司の競争から他の業種に目を向けるとわかることがあります。あるハンバーガーチェーンも旧態然とした販売方法です。競争相手がいないことでシステムの見直しをしていないのです。回転寿司では早くからタッチパネルが導入されました。注文を受けるのに店員に任せるのは経済的ではないからです。それにも関わらずハンバーガーチェーンでは店員が注文を聞くのはまだそこまで合理化が進んでいないからです。詳しくはこちら。回転寿司で倒産するのは、メニューや価格の中に答えがあると考えて手探りでメニューや価格を工夫するだけだからでした。システムの見直しをしていないから経営が苦しくなったことに気付かないのです。某ハンバーガーチェーンもメニューや価格を工夫していますが、答えはシステムの見直しだと思います。倒産までに気付くのか倒産してしまうのか興味深いところです。

とてつもないスピードで世の中が変わっているのですが、過去の成功体験にとらわれて変わることを拒む人達がいます。取り残されると淘汰されてしまうことにそろそろ気付く方がお得だと私は思います。

人とは違う行動はお得

人とは違う行動はお得だという話です。
人と同じような行動をとることは余り深く考えなくて良いので楽ではあります。人と同じ行動がお得かどうかはわかりません。むしろ損をしていることの方が多いのではないかと思います。ただし損と言っても金銭的な損だけでなく、時間や満足感という意味を含めての損だという考え方です。

ここでいう人と同じような行動とは、新しいお店がオープンすれば並んででも駆けつけることや、並んででもテーマパークのアトラクションを楽しむことなどです。そして休日にはショッピングモールに行って食事や買い物を楽しむということです。これらのことを否定する訳ではありません。楽しいと思います。楽しいとは思いますが、みんなが似たような時間に集中するので待ち時間が長くなってしまいます。

人とは違う行動をとるのは二つの意味があります。一つは人の多い所にはいかない。もう一つは人の多い所には行くとしても、人の多い時間を避けるのです。

行列に並ぶこと程時間の無駄はありません。何も生み出さないからです。唯一並んででも楽しむという自己満足を除いて得るものはありません。人と同じような行動をとらない目的は行列を避けることです。人が多い場所も時間も極力避けるようにするのです。

人とは違う行動をとるとお得です。まず行列に並ぶことがないので、時間を無駄にしません。もし行列に並ぶ時間、並ぶ代わりに働いている時給を考えてみると面白いと思います。その時給分得をするとも考えることが出来るのです。

人と違う行動に食事の時間があります。多くの飲食店では11時から13時に混雑します。人とは違う行動をするために混雑する時間を避け、11時までに食べてしまうか14時以後に食べるように前もって朝食を調整するのです。時間をずらすだけで同じ飲食店でも快適に食事を楽しむことが出来るのです。ただし14時以後でも昼間の混雑が激し過ぎるとまだ行列が残っている可能性があるので、11時までに食事することがお勧めです。

他の例えではテーマパークによっては冬は寒いため人が少なく、前売り券として入場料が安く買うことができます。これも人とは違う寒い季節に行動することで得をする例です。

他の例えでは、いつも行列の出来るお店に行きたいと思った場合、平日に行くことの出来るチャンスを探すのです。例えば子供たちの代休や夏休み・春休みに有給が取れないかなどです。休日は行列でも平日昼間は意外に空いているためランチサービスなどがある場合もあります。一緒に行きたい人と平日に行くことの出来るチャンスを探すのです。これが人とは違う行動はお得です。

ビジネスの場面では特に人とは違う行動がお得です。というやりもビジネスの世界では人と同じような行動を取っても意味がありません。誰かの真似でしかないので、利益を真似をした人の間で分けることになるだけだからです。そして結局は価格競争に巻き込まれ得は出来ないのです。人とは違う行動にお得が隠れているのです。ちなみに人とは違う行動と言っても、全く逆の間違った行動だとお得どころか大損するので注意が必要です。

どのように人と違う行動をするとお得になるか考えてみて下さい。

近い将来医者が余る3つ目の理由

ある程度成績が良いと医学部に進学するという風潮があるようです。何故なら医学部に進学した時点でその多くが医者になれるからです。そして一度医者になれば生涯安泰だと考えられています。だからこそ親は安心な資格として医師免許をとるように促します。

丁度30年程前に歯科医が人気だったことが思い出されます。医学部程は難しく無く、当時は収入も多かったからです。今では歯科医が増えてしまった上に、虫歯の数自体が減っているので経営は大変です。需要と供給のバランスで勤務している歯科医の待遇は悪くなる一方のようです。資格があっても待遇が悪くなっているのは弁護士や公認会計士も同じようです。弁護士や公認会計士もやはりコンピュータに仕事が奪われつつあります。

資格があるから安心というのは過去の幻想のようです。

前回近い将来医者が余る2つの理由と題して記事を書きました。1つは糖質回避により病気そのものが減ること。2つ目は人工知能により医者が生身の人間である必要がなくなるということです。そしてふと3つ目の理由を見つけました。今回はそのことに関して書こうと思います。3つ目の理由に関しては現在進行形で既に始まっています。インターネットの情報により受診する必要が減ることです。

インターネットが出てくる以前は、何か身体に不調があると病院を受診していました。少し気の回る人は家庭の医学などで調べて、必要があれば病院を受診していましたが大半の方はすぐに病院を受診していました。今では違います。困ったことがあればまずインターネットで検索します。間違った情報もありますが、大まかな知識を得ることが出来るようになっています。以前はその大まかな知識すら医者に聞くしか知ることが出来ませんでした。本による正確な知識を得ようと思えば、医学書を読むしか無かったからです。

今では医者だけでなく患者さん自ら情報発信する時代です。情報発信する視点は様々ですが、自分の病気を公表し治療法や経過が掲載されているものもあります。結局は健康食品の宣伝とか、広告収入目当てで大袈裟に書いてあるページも散見されるのはご愛嬌です。同じ病気で悩んでいる人の助けになることを目的とした患者さん自らの情報発信もあります。それらの情報はこれまでにない効果をもたらします。医者でも知らないような情報も含まれているのです。つまりこれまでは偶然知り合いに同じ病気の人がいなければ知りえなかったことをインターネットを通じて、知ることが出来るのです。

そもそも病気の治療を医者が独占していたのは、安全性を担保しながら医療を提供するには効率が良かったからです。膨大な病気に関する情報の中から病気を検索し、診断することが人間の頭脳を使うしか無かったのです。その状況が一変したのはインターネットとそよ検索システムです。人間の頭脳にしか出来なかった情報の中から必要な情報を取り出すことをいとも簡単に出来るようになったのです。今の所インターネットの情報は玉石混交で、正しい情報を取り出すにはそれなりの知識やテクニックを要します。しかし医者にかかる以外他に選択肢の無かった時代から考えると天と地ほどの差があります。自分で病気の情報を探す人が増えつつあるのです。このことが医者が余る世の中を加速していきます。

安全性が担保されながらもっと効率が良い方法があれば、そちらにシフトするのは当然の流れです。

現在起こりつつあることは、今の所診断をつけてもらうのは医者であっても、診断の根拠を自ら検証し治療法(治る方法)を探す時代になりつつあります。現在のところインターネットには体系立てて診断する仕組みが無いため、患者さん自身の診断は誤りが多いのですがインターネットで体系立てて診断する仕組みさえ出来てしまえば、診断のために受診しなくて済む時代が来るかも知れません。

しかも医者を受診すると病気を治る方法ではなく、治さない方法を教えられる可能性まであるのですから、本当のことを知った人から順に益々医者離れが加速するでしょう。例えば2型糖尿病アトピー性皮膚炎ニキビなどは糖質回避により簡単に治るにも関わらず治らない方法しか医者が知らないのですから厄介です。そして治ることを知っても自分の利益を守るために、患者さんに教えようとしない医者もいることでしょう。治る方法を教えてくれない医者は淘汰される時代がやって来るでしょう。

医療業界は激動の時代に突入します。この話を信じるか信じないかは貴方次第です。

機械に負けないために問題を見つける視点を持つ

機械がどんどん進化しています。
工場では機械化が当たり前のように進んでいます。
今工場で機械化されていないのは、機械化が困難か機械化の方がコストがかかるからです。
かつて産業革命により機械に仕事を奪われることを恐れた手工業者、労働者による機械を破壊するラッダイト運動という運動が起りました。
当時は機械が大型で数が少なかったことに加え、1台で数百人・数千人分もの仕事を奪ったため標的とされました。

しかし今では機械がどんな仕事を奪っているのかさえわからないくらい、様々な分野に機械が進出しています。かつては手作業の代わりを機械が行うようになっていました。今では頭を使うことでさえも次々機械化されつつあります。つまりブルーカラーの仕事が機械に奪われる時代から、ホワイトカラーの仕事が機械に奪われる時代になりつつあります。コンピュータの性能がきわめて向上し、人工知能という優秀な機械が生まれつつあります。既に検索機能においては人間をしのぐ能力を発揮しているようです。機械は単純作業が非常に得意です。文句も言わず繰り返し、基本的にミスもありません。万が一ミスがあったとしても確認しなおすことを得意としています。ホワイトカラーの仕事の本質を抽出することで、単純作業として機械がこなしてしまうのです。

例えば伝票の整理などは人間にしか出来ない作業だとされていましたが、仕分けの仕方さえ単純化して機械に教えてしまえば簡単にこなしてしまいます。このような点から会社の経理という仕事は将来なくなると考えられます。少なくとも今の経理に必要な人数がこの先も必要だと考える人は少ないと思います。
他にもコンピュータが代わりに仕事をしてしまいます。営業マンも激減してしまうと思います。何故なら本当に必要なものはネットで簡単に手に入る時代です。わざわざ会社が営業マンの人件費をかけてまで売りたい物が、欲しい人はそれほど多くはないと思います。同じ物がネットで安く手に入るからです。ネットでは売っていない良い物を売り出したとしても、必ず他の業者がネットで営業マンの人件費を差し引いた値段で売り出してくると思います。つまり営業マンから説明を受けても買うのはネットという時代が近いうちにやってきます。

今のところ将来にわたって安泰な企業や仕事が何かはわかりません。
そしてどのような知識を身につけると生きていけるのかもわかりません。
機械がこれほど進歩した時代を人類が経験したことがないのですから当たり前といえば当たり前です。誰にもわからないのです。
そのような中で機械に代わりが出来そうにない能力がタイトルに書いた『問題を見つける視点』を持つことです。問題を解決する能力は恐らく人工知能の方が優秀だと思います。今はまだ問題を解決する能力に関しては人間の方が優秀だと思いますが、近いうちに人工知能の方が広い視野で考えることが出来るようになるので人工知能に負けてしまう時代がくるのではないかと思います。だからこそ人間にしか出来ない『問題を見つける視点』を身につけることです。問題を見つけないと解決策も見つけることができません。問題を解決することが仕事になっていくのだと思います。人が見つけた問題は機械が解決してしまいます。自分で『問題を見つける視点』を持つことだけが、人工知能の性能が上がっても機械に仕事を奪われず生き抜くことが出来る方法だと私は思います。

問題を見つける視点

見つける問題は何でも構いません。
それこそ不満でも良いのです。
ただし不満を抱くだけで終わらせては知恵は養えません。
抱いた不満から問題の本質を見つけた上でどのようにすればその問題が解決出来るかを考えるのです。絶えず思考実験を行うようなイメージです。
すぐに答えは見つからないと思います。かといって考えることが無駄になる訳ではありません。答えがない問題の解決策を考えることが知性です。
自分だけで解決出来るのであれば、不満を解消すれば良いのです。

例えば地方ではテレビ局が少ないという不満を抱いたとします。
解決策はいくつかあります。
テレビ局の多い都会に引っ越すのも一つでしょう。
BSやCS放送を受信出来るようにするのも一つでしょう。
それぞれの費用を考えて、費用を払ってでもテレビを見るかどうか解決策を考えるようにするのです。

本当に何でも構いません。
問題を見つけ、解決策を探す思考実験をすることが一番の目的です。
思考実験を繰り返すうちに新たな問題に気づくことが出来るようになります。
見つけた問題について、人に意見を聞くのも自分の身になります。

機械に負けないために『問題を見つける視点』を持つようにしましょう。

無から有を生み出すことの出来る人だけが生き残る

これからは無から有を生み出すことの出来る人だけが生き残ることの出来る時代がやってきます。既に有るものを工夫するだけなら、恐らくすぐにでも人工知能でも出来るようになるでしょう。今の所無から何かを生み出すことは人間にしか出来ません。もしかしたら機械が無から何かを生み出す時代がやってくるかもしれません。逆に言えば、無から有を生み出す以外は何でも機械がするようになる時代がやってくるのです。人間のする仕事がなくなることを防ぐために、わざわざ機械化せずに人間に仕事を残すかどうか議論される時代がやってくるのではないでしょうか?

過渡期においては機械にドンドン仕事を奪われ、収入を失った人達が路頭に迷う時代がやってくるかもしれません。

少なくとも考える必要のない作業はいつでも機械に仕事を奪われる可能性があります。無から有を生み出す仕事だけが最後まで人間の仕事として残りそうです。

今のうちから無から有を生み出す仕事を考えてみて下さい。

ちなみに作曲家ですら人工知能にとって代わられそうです。既に人工知能による作曲がはじまっていますし、別の人工知能によりヒットする可能性があらかじめ予測できます。組み合わせることで、作曲した中でヒットする可能性の高い物だけを選ぶことは簡単なことのはずです。作曲は限られた記号の組み合わせに過ぎないから、現時点で実現出来たのだと思います。

発明家や起業家、様々なプランナーなど無から有を生み出すことを考えてみて下さい。少なくとも今の子供たちには無から有を生み出すことを伝えてあげましょう。