無意識に親の思いを汲み取る子供の心理

無意識に親の思いを汲み取る子供の心理を考えてみます。文字にすると特殊な状況のように感じますが、良くあることです。無意識のうちに子供は親の思いを汲み取ることで、親の期待していることを叶えようとします。そしてこのような心理を知らなければ、子供を追い詰めてしまうことにも繋がります。

親の思いを汲み取るとは、例えば親同士が中学受験をして欲しい内容の会話をしていると、子供はその思いを汲み取ることで中学受験をしたいと言い出すことです。子供に聞こえないようにしておかないと、親の思いを子供が汲み取ってしまうのです。親の方も子供の前でわざわざ中学受験を話題にすることで中学受験して欲しいことを無意識のうちに伝えているのです。親がズルいのは中学受験して欲しいと直接子供に伝えていないことです。無意識のうちに子供が自分で中学受験を選んだように仕向けているのです。本当に子供の意思を尊重するのであれば、子供の前で中学受験の話をしてはいけません。子供の前で中学受験の話を一度もしたことがなければ、本当に子供の意思かもしれませんが、一度でも話を聞いていれば親の思いを汲み取ったのか見極める必要があります。

悲劇

悲劇とは親の思いを汲み取ることで中学受験を決めた子供が、中学受験にむいていない場合です。いくら優秀でも、まだ物事の考え方がわからないうちに詰め込む中学受験にむいていないこともあり得ます。本当の悲劇とは子供が追い詰められてしまうことです。親の思いを汲み取っただけなんですが、形の上では自分で中学受験を決めたことになっていることです。案に親の誘導されたのですが、自分から受験したいと言い出したと思い込んでいる子供は、中学受験をやめたいと自分からは言い出せないのです。嫌々受験してもうまくいくはずもありません。失敗したというトラウマだけが残ってしまいます。中学受験という余分な時間とお金をかけてトラウマを残すのは勿体無いと思います。

悲劇を避けるために

悲劇を避けるためには、助け船を出してあげることです。本当に中学受験したいの?と優しく声をかけてあげると良いと思います。間違っても、私としては中学受験して欲しいけどと前置きをしてから聞かないことです。その前置きを受けて親の期待を裏切りたくない心理に陥るからです。子供は自分一人では生きてはいけません。だから親に見捨てられないために精一杯無理をしようとしてしまうのです。本当は嫌だけどお父さん、お母さんが喜ぶなら頑張ろうとするのです。

これまでの行動が親の期待や親の思いを汲み取って頑張っていたのであれば、そのことを褒めてあげましょう。そして無理しなくて良いことを伝えてあげましょう。

今回は中学受験を例えに出しましたが、習い事や高校受験、大学受験などでも同じです。場合によっては就職活動でも親の思いを汲み取って行動しているのかもしれません。是非助け船を出してあげてみて下さい。お子さんの違う一面を垣間見ることが出来るかもしれません。

寝ている赤ちゃんを置くと泣き出す理由

抱っこして寝ている赤ちゃんを置くと泣き出すことは良くあります。

以前書いたのはお母さんのお腹の中で10ヶ月過ごしたので揺れている状態に慣れているからだという理屈です。揺れているのが普通で抱っこされていると落ち着くのだと思います。揺れている状態に慣れていると揺れていないと、地面が揺れている錯覚に陥るのだと思います。小さいボートに乗ったことのある方は経験されたことがあると思いますが、ボートで揺れている状態が普通になると陸に上がると地面が揺れていると錯覚するのです。地面が揺れていると感じるのでおかしな感覚で泣き出すのだと思います。

今回は別の角度から考えてみます。人類はお猿さんから進化したようですが、お猿さんは親猿から離れてしまうと小猿は死んできまうので必死でしがみつきます。人間はお猿さんより未熟な状態で生まれてきます。人間の子供は自分でお母さんにしがみつくことが出来ないので、お母さんに置いていかれることを恐れて泣くのではないでしょうか?

そのため熟睡していれば泣くことはありませんが、眠りが浅いと置いていかれることを恐れて泣いてしまうのかもしれません。赤ちゃんに聞いても答えてくれないので、本当のことは永遠にわからないのですが、赤ちゃんに関する一つの仮説として考えてみてください。

ミスを怒っても意味がない

人間ですから誰でもミスをしてしまいます。
そのミスを怒っても意味がありません。たまたま今回は自分ではなく相手がミスをしただけのことです。
ただしそれが重大な結果を招くミスだったとしたら問題です。何が問題かというと、怒る立場の人がそのミスを事前に予測して防げなかった準備不足でもあるからです。
重大な結果を招く前の途中段階で順調かどうかを確認するのです。例えば途中で声をかけたのに『大丈夫』と言ったからと責める人もいます。しかしその言葉を信じた自分に問題があるのです。どのように大丈夫なのかを確認するという手間を怠った自分の落ち度です。だから怒っても意味がないのです。ミスがあれば重大な結果を招くのであれば、怒る前に自分で防ぐことのできることを考えもせず相手を怒っても意味がないのです。怒るくらいなら怒らなくてすむように自分で知恵を働かせれば良いのです。それにも関わらず手間をかけずに怒るのは、深層心理で怒ることが目的で、ミスする隙を与える罠を仕掛けているのではないかと怪しんでしまいます。怒ることが目的でないと言い切るのであれば、ミスをする隙をなくすために途中でミスがないか、ミスする隙もないかを逐一チェックすれば良いのです。その手間が惜しいのであれば、自分でやりましょう。

ミスを怒っても意味がないもう一つの理由は、過去には戻れないからです。
怒ったところで過去の事実を書き換えることはできません。怒ること自体が破壊的で次に生かすような建設的ではないのです。
過去には戻れないのですから、ミスを未来にどのように生かすかを考えることです。
ミスの原因を考えることも一理ある場合もありますが、責任追及の目的の原因探索に意味はありません。これも責任を逃れるために嘘で塗り固められるからです。次のミスをなくすために原因を考えるのであれば大きな意味があります。

例えば忘れ物というミスがあった。
このミスを怒ることに意味はありません。
ミスをしないように前もって持ち物チェックをして、足らないものがあれば困る前に準備するようにするのです。
この困る場面よりも前にチェックするのが親であり上司の役割だと思います。
それでもミスがあれば、怒るのではなく一緒にミスをなくす方法を笑いながら探せば良いのです。命に関わりかねないミスの恐れがあれば、飛行機の操縦や運行のように何重にも前もってチェックする以外に方法はないと思います。

いずれにしてもミスは誰にでも起こりえるものです。
だからこそ賢い人(上司や親)が、ミスができないようにする仕組みを考えてあげるべきです。

ミスを怒る人は自分が防ぐ余地があったのに、防ごうとしなかったのです。
つまり自分のせいでもあるミスを怒ることに意味はありません。
自分のせいでもあることを知らないという勘違いがミスを怒ることに繋がります。

誉められないようにしようね?

怒らない子育てや誉めて育てる子育てがもてはやされています。
私はただ怒らないだけではなく、怒る必要のない子育てを子育てを提案しています。
私は基本的には誉めることは良いことだと思います。しかしアドラーの心理学によると誉めることに否定的です。何故なら誉めるというのは深層心理で相手が出来ないことが前提だからです。(出来ないと思っていることが)出来たから凄いねというようになるのです。出来て当たり前だと思っていれば誉めたりはしないのです。

このことから何でも誉めれば良いということが間違いだとわかります。
相手の心理としていつも誉められていると、誉めてもらうために行動するようになります。逆に誉めてもらえないと行動しなくなったり、誉めてもらえないことを攻撃するようになるのです。

誉めて育てると誉めることに依存してしまい、誉められないと何もしない子供になってしまいます。
以上のことを考えますと、相手が出来ないと思っていたことや、これまでは出来なかったことが初めて出来るようになった際には誉めてあげると良いですが、何でも誉めるのは弊害も大きいようです。何しろ出来ないと思っているのが前提ですから、何でも誉めるのは出来るはずがないとしてバカにしているようなものだからです。

誉められないようにしようね

相手が自分のことを出来ないと思っているから誉めてくれるのです。
出来ると思っていることは誉めてはくれません。
つまり誉められないようにしようねとは、相手にとって自分は出来て当たり前だと思ってもらえるようにしようねという意味です。
出来ないはずだなんて思わせないぞという心意気を表すための、誉められないようにしようねです。

大人は誉められても無邪気に喜んではいけない

大人は誉められても無邪気に喜んではいけません。
何故なら、相手は出来ないと思ったことが意外にも出来たから誉めてくれたのです。
自分でも出来ないと思っていたことが予想外に出来たのであれば、誉めてもらって喜ぶのは当たり前ですが、自分は出来ると思っていることを誉められた場合には相手は出来ないと思っていたのだということを心にとめておくべきです。

人を誉める場合に気をつけること

相手が喜ぶから誉めるのは間違った行為で、相手の行動心理を歪めてしまいます。
相手は誉められることに依存し、誉められないと行動しなくなるからです。
誉められるから行動するようにしないために、誉めすぎないようにしましょう。
そして相手が当たり前に出来ると思っていることを誉めるのは、誉める心理を知っている人から見ると相手を馬鹿にしているのと同じです。
人を誉める前に、相手を喜ばせるために誉めようとしていないか自分自身の深層心理を見つめ直すべきです。

誉める場合には相手が出来ないと思っていたことが出来た時だけ誉めるようにしましょう。

赤ちゃんも言葉を話している?

赤ちゃんも言葉を話しています。
ただし声ではありません。
しかも一方通行で赤ちゃんが話をしているだけです。
それを受け取ることが出来るか出来ないかは周囲の人の力量によります。

赤ちゃんの言葉とはボディランゲージ、つまり仕草です。赤ちゃんはその時その時で様々な仕草をします。本能的な行動なのか、ただ単に身体が自然に動くのかはわかりません。特定の条件を満たすと、同じような行動をとることがあるようです。

例えば排便や排尿をしようとして気張ることです。うーん、うーん。と声をあげながら気張ると、それは排便や排尿のしようとする合図です。明らかな声をあげなくても、気張ることに気づくことが出来ればオマルに座らせてあげることが出来ます。

別の場面では拳を口に入れようとしたり、一本だけ指を口に入れたりします。偶然だと思って見ていると何もわかりませんが、赤ちゃんのボディランゲージだと考えてみると何か意味があるはずです。拳を口に入れようとする時はお腹が空いたのボディランゲージで、指を一本だけ口に入れるのは喉が渇いた合図だったりします。

他にも泣き方が場面場面で異なるので、赤ちゃんなりの主張があるようです。抱っこして欲しい泣き方もあれば、おっぱいが飲みたいという泣き方もあるようです。

大人の使う言葉は日本語なら日本語で共通ですが、赤ちゃんの使う言葉は赤ちゃんによってそれぞれ異なります。その言葉(ボディランゲージ)は注意して見ないと偶然なのか、意識しているのかわかりません。何しろまだ話すことが出来ないので、確認出来ないのです。何度か同じ仕草をした際に、赤ちゃんが何を求めているのか想像し共通することから類推するしかありません。

ただ赤ちゃんも赤ちゃんなりに意思の疎通:コミュニケーションを取ろうとしています。周りの大人が赤ちゃんのメッセージを受け取ることを期待しているので、想像力を働かせて赤ちゃんのメッセージを受け取りましょう。

話せるようになる前に、少しでも赤ちゃんのメッセージを受け取ることが出来るようになるとお互い楽しくなると思います。

良かったら赤ちゃんは何かを訴えかけているという視点で接してみてあげてください。

我慢できない子供の心理

我慢できない子供を見かけることがあります。
病気が原因の場合もありますが、特に病気がなくでも我慢ができない子供さんもみかけます。公園で遊んでいて待つことなくいきなり「代わって」と声をかけたり、要求を押し通すためにショッピングモールで泣き叫んだりします。

我慢できない子供の心理を考えてみます。
簡単に言えば、我慢できない子供に親が育てた結果なのです。

我慢できない子供の親は他人事のように、悪びれもせず『この子は我慢ができない』と言ったりします。
自分がそのように育てたなどと夢にも思っていないのです。

我慢できない子供の心理から考えてみます。
これまでの経験で我慢せず駄々をこねていれば、親が仕方がないとして自分の要求を受け入れてくれたのです。どれだけ怒られても駄々をこねて泣き叫んでいれば、最終的に自分の要求を受け入れてくれるのですから、自分の要求を取り下げる気は全くありません。我慢できない子供は我満しないことが得する手段だと知っているから、得するように行動しているだけのことです。

親がこれまでに我慢できないように育てたのです。
子供が駄々をこねれば、子供の言いなりになっていただけのことです。言っても聞かないから仕方がないと考えているのです。
親の立場ではそんなつもりはなくても、子供が駄々をこねて我慢しようとしないのがその証拠です。子供は駄々をこね続ければどうなるかわかっているのです。自分の思い通りになると。

我満できない子供を我慢できるようにするのは簡単です。
我満させなければ良いのです。禅問答みたいですが、全く別の選択肢を用意して提案するのです。ここで大切なことは子供がいくら駄々をこねても、子供の要求は認めないことです。そして議論の余地が全くないことを伝えるのです。
○○をしたいといっても、それは駄目だけでなく、○○はしない。でも△△ならいいよ。というように全く別の選択肢を提案するのです。時と場合によっては○○はしないだけでもいいですが、押し問答になってしまうため△△という選択肢を出す方が早く解決します。
いずれにしてもいくら駄々をこねても実現しないことを宣言してしまうのです。子供の思い通りにはしないと宣言しても、結局かわいそうに思って一度でも実現させてしまえば、子供は成功体験として記憶してしまうので決してしてはいけません。

具体的にはお菓子がほしいとして泣いている子供がいるとします。
お菓子は泣いても買いませんと宣言します。
買うか買わないかで議論をしないのです。
でも本ならいいよ。という選択肢を提案するのです。
お菓子が良いと言えば。
会話は打ち切りです。
じゃあ帰ろう。

一度でも駄々をこねることで思い通りになった子供だけが、成功体験として人前で泣き叫ぶことを繰り返しているだけです。決して初めて泣き叫んでいるわけではないはずです。これまで成功した回数が多ければ多いほど買ってもらえる確信をもって、大きな声で泣き叫んでいるのです。

人前で泣き叫んでいるお子さんを見かけたらこんなことを考えながら見守ってあげてください。

理にかなった離乳食スプーン

赤ちゃんに離乳食をあげるスプーンはいくつか種類がありますが、このスプーンが非常に理にかなっています。
何故ならスプーンに食べ物が半分しか乗らない構造で、離乳食を赤ちゃんの口の中に置きにいくようなイメージで食べさせてあげることができるからです。

離乳食セットとして飲み口のついたものが以下のセットです。

セットでなくても、スプーンだけでもあると便利です。
ちょっとした違いですが、普通のスプーンと比べるとかなり便利です。

赤ちゃんや子供が天才と言われる理由

赤ちゃんや子供が天才という考え方があります。私もその通りだと思います。みんな天才として生まれ普通の大人になっていくのです。天才で生まれた子供は周りの大人から天才の芽を摘み取られ普通のヒトに育つのです。

ごく稀に存在する飛び抜けた本当の天才は、周りの大人の言うことに耳を傾けることなく独自の育ち方をします。周りの大人が天才の芽を摘み取ることなく天才ぶりを引き延ばすことが出来ると、天才のまま大人になることが出来、比類なき才能を発揮出来るのです。例えばエジソンは小学校に馴染めませんでしたが、理解ある母親が天才の芽を摘み取ることなく育て、比類なき才能を開花させました。

赤ちゃんや子供の天才ぶりを大人が理解出来ない理由の一つに、赤ちゃんや子供に何も出来る訳がないという思い込みがあります。
例えば赤ちゃんもトレーニングすればオマルで排尿・排便出来るようになりますし、赤ちゃんのうちから嘘を上手につくのです。出来る訳がないと思い込んでいると試したり疑ったりすることがないのです。トイレトレーニングなんて出来る訳がないと思い込んでいるので、赤ちゃんの仕草を見逃してしまうのです。赤ちゃんが嘘をつくなんて想像すら出来ないので、赤ちゃんの嘘に振り回されるのです。
赤ちゃんや子供は大人のように言葉で意思を伝えることが出来ないだけで、大人と同じように考えています。むしろ常識にとらわれない(まだ常識を身につけていないだけです)自由な発想なので、大人よりも素直で直感的、場合によっては理にかなった合理的な考え方をします。大人は何事も常識という目に見えないフィルターを通して見てしまうので、物事の本質をつかめないことが良くあります。例えば糖質の害は明らかですが、大人は長年主食として食べていた常識にとらわれて受け入れられない人が大勢います。しかしこれまで生きている期間が短い分、常識に染まっている時間が短いので、子供だと案外簡単に糖質の害を受け入れることが出来るかもしれません。(頭での理解という意味で理屈に従って糖質がやめられるかどうかは別問題ですが)。

子供は何事を考えるにも全く先入観にとらわれることがないので、発想が無限に広がるから子供はみんな天才と言われるのです。
ヒトは常識という知恵と引き換えに、少しずつ天才としての才能を封印していくのかもしれません。

特に発明の分野では、常識にとらわれない子供の自由な発想が天才ぶりを発揮出来るかもしれません。何か困ったことがあると、子供の自由な発想をヒントに発明すると思いがけない物を作ることが出来るかもしれません。

子供の頃のように自由な発想を出来るように、常識にとらわれることから抜け出す方法は、常識革命の起こし方をご覧ください。

赤ちゃんも嘘をつく?

おサルさんも嘘をつくことを知っていますか?
ある種のおサルさんは敵が来たという鳴き声を上げて仲間を逃げさせて、その間にエサを独り占めしてしまうそうです。つまり嘘の鳴き声で仲間を騙してエサを独り占めするのです。しばらくして戻ってきた仲間は独り占めしたおサルさんを責めることはないそうです。(参考文献:現実を生きるサル、空想を語るヒトより)
つまりおサルさんも嘘はつけますが、嘘を見破る知恵があるのは人間だけということのようです。

そして赤ちゃんの嘘ですが、赤ちゃんは嘘泣きをします。
本当は泣くほどではなくても試しに泣いたふりをしてみるのです。
少し鳴き声を上げるというのが嘘泣きで、涙が出ないことが多いで空泣きとも言い換えることができるかもしれません。
赤ちゃんが嘘泣きする目的は抱っこしてほしい、相手をしてほしいなど寂しい思いをしている際に抱っこや相手をしてもらうために嘘泣きをすることが多いようです。嘘泣きで相手をしてもらえれば満足しますが、嘘泣きで相手をしてもらえなければ本気泣きになってしまいます。

おサルさんでさえ嘘をつくのですから、赤ちゃんが嘘泣きをしても不思議でもなんでもありません。

赤ちゃんや子供の嘘に罪はありません。
嘘があって当たり前として、大人が更に人間としての知恵をつければ良いだけのことです。

赤ちゃんが嘘をついてまで相手をして欲しがるなんて可愛いではありませんか。
ただ寂しい思いをさせてしまっていることを考えて、赤ちゃんの相手の仕方を変えてあげるとよいかもしれませんね。

子育ての常識革命 首が座ったらストローを

子育ての常識革命を提案しています。
以前は首が座ったらトイレトレーニングを提案しました。実現するとオムツやお尻拭きの消費量が格段に減るので、オムツ代やお尻拭き代が節約できます。お母さんも頑張りがいがある子育ての常識革命です。

今回提案するのは首が座ったらストローを試してみることです。
トイレトレーニングほどの常識革命ではありませんが、ちょっとした違いになります。ストローで吸うことができるようになれば、外出が非常に楽になります。
生後6か月から使えるストローがこちらです。

普通のストローで試しても良いのですが、ストローを吸ってもなかなか吸えないのが現状です。
そのため赤ちゃんがストローを吸ったことと、中身が吸えることの因果関係がわからないためトレーニングしにくいのです。

この商品が画期的なのはボタンを押すことでストローの口元まで中身が満たしていることです。吸うアシストができるのです。ちょっとでも吸うと中身が出るので因果関係がわかりやすく、トレーニングにうってつけです。非常に理にかなった商品だと思います。
商品説明には生後6か月からとありますが、ダメ元で首が座ったら試してみるとよいと思います。
自分で吸うことを覚えてくると、ボタンを押してアシストしなくても自分で吸うようになります。
自分で吸うことができるようになると普通のストローを吸うことができるようになります。

おでかけにはこのマグがおすすめです。

 

このセットなどは出産祝いにも最適なのではないかと思います。

今回の子育ての常識革命は月齢にとらわれないお試しをしてみると良いという話です。