非常識な人に非常識だと非難しても通じない

そもそも常識とは皆んなが仲良く暮らす為に備わった人類の知恵です。例えば街中を裸で歩かない、人の物は盗らない、列に並んで順番を守るなど当たり前といえば当たり前の行動です。しかしながらその当たり前のことを身につけていない人達が稀にいます。非常識といわれる人達です。

たまに裸で歩き回る人や人の物を盗る人達がいることで、法律として禁止しています。列に並ぶのは法律にしなくても守るのが当たり前なので今のところ法律にはなっていないようですが、列に並ばない人達が増えれば法律で明文化されるかもしれません。

非常識な人は常識という皆んなが仲良く暮らす為の概念がありません。非常識な人は自分が中心で人に合わせるという感覚もありません。自分のことしか考えることが出来ないため、他人は関係ありません。他人がどのように思うか、他人にどのように思われるかを気にする概念もありません。

常識ある人であれば他人から「あなたは非常識だ!」と言われれば自分のどこが非常識なのだろうと、少なからずショックを受けます。それは皆んなと仲良くする常識を持ち合わせていないと言われていることと同義だからです。僅かでも常識を持ち合わせている人は非常識と言われるとダメージを受けるのです。

常識ある人は非常識だと言われるとダメージを受けることを知っているからこそ非常識な行いをした人を責め立てるために「非常識だ!」と非難するのです。

非常識な人に非常識だと非難しても通じない

しかし非常識だと言って相手を非難することに意味があるのは常識を持ち合わせている人同士の場合です。本当に非常識な人は常識という概念そのものがないため、非常識だと言われても理解できません。増してや非難されていることなど理解出来るはずがありません。そもそも常識がないために非常識という言葉・概念そのものが理解出来ないのです。

相手を非常識という言葉で非難したつもりでも、本当に非常識な相手は非常識という概念そのものがないため意味がないのです。

非常識という言葉・概念が通じないのです。

非常識な人の対策

非常識な人は常識の異なる違う宗教を信じている異教徒人だと思うことです。常識という普通の人にとっては当たり前のお互いの共通認識がないため会話が成立しないのです。違う宗教を信じている異教徒だと思えば、腹も立ちませんし、説得しようとも思わないはずです。自分自身が違う宗教に改宗することが容易ではないように、他人の信じている宗教を改宗させることは非常に困難だからです。

非常識な人とは極力接触を避けることが無難ですが、止むを得ず関わる必要があれば相手を最大限尊重しつつ相手が理解出来る落とし所を探すしかないと思います。

物事に反対する理由を聞いても意味がない

物事に反対する理由をよく聞きます。何故反対するのか?と。私は理由を聞くことは意味がないと思います。何故なら多くの場合それらしい言い訳を聞かされるだけだからです。確かに本当の理由であれば意味がありますが、わざわざ本当の理由か言い訳かを見極めなければいけません。その手間が時間の無駄なのです。

反対する理由ではなく目的を聞く

自分自身が意識しているか意識していないかは別にして、人の行動には必ず目的があります(目的論)。何かのために行動するのです。物事に反対するのも必ず目的があるのです。何かの目的があって反対しているのです。

理由は言い訳を聞かされると書きましたが、目的であれば余程頭の回転が速くない限りすり替えることは困難です。少なくとも私には目的のすり替えは無理です。もし天才的な頭脳により目的のすり替えが出来たとしても、本当の目的を突き詰めると論理が破綻すると思います。何故なら言い訳に過ぎないからです。

目的を話し合えば解決策も見つかると思いますが、言い訳に対して議論しても意味がありません。何故なら言い訳を論破しても次の言い訳が出てくるだけだからです。反対が先にあり、理由を探すの、つまり反対の言い訳を探しているだけです。

例え話

立ち退き問題

損得主義で書きましたが、土地の立ち退き問題も目的論で考えると理解しやすくなります。立ち退き問題で拗れることが多いのですが、立ち退きに抵抗すればする程金銭的に得をするのです。抵抗すればする程金銭的に得をするのですから、様々な言い訳を考えて立ち退きに抵抗するのです。立ち退きを拒否する理由は土地の愛着や思い入れであったり、引っ越しへの不安ですが、本当の理由と言い訳の区別がつきません。

立ち退きに反対する目的の多くは金銭的に得をすることで、思い入れは言い訳に過ぎません。確かに思い入れがあるため立ち退きしたくない人もいるかも知れませんが、金銭が目的の人達と区別することが出来ません。損得主義の視点からは、立ち退きに抵抗すると損をする仕組みを作るのです。そうすることで目的を区別することが出来ます。例えば期限までに立ち退きしてもらえたら、時間的なメリットが得られるので金銭を余分に支払うのです。逆に期限をこえて立ち退きをしなければ、時間的な損害を生じるので減額していくのです。この損得主義に基づく考え方をすれば、本当に思い入れがある人は金銭的な損失を被ってででも立ち退きに抵抗するでしょう。逆に金銭的な目的で抵抗する人はいなくなるでしょう。何故なら抵抗しても金銭的に損をする仕組みだからです。この仕組みを導入することで目的を区別することが出来ます。居座ることが目的であれば、金銭的な損失をしてでも居座ります。お金が目的であればすぐに立退くでしょう。

目的論の視点から、議論する際に早く立ち退きをしてくれれば割増料金を払いますが、遅くなると遅延損害金として立ち退き料を減額しますがどうしますか?と質問するのです。目的はお金ですか?居座ることですか?と。

OTC医薬品の認可に関して

OTC医薬品とは、医師の診断をもとにした処方箋に基づく薬である処方薬に対して、処方箋なしで薬局で買うことの出来る薬のことです。その認可に対して反対する人達がいます。医者であったり薬剤師であったりです。理由を聞いても色々なことが述べられていますが、それが本当の理由かどうかはわかりません。特に医者は患者さんの不利益ななるなどもっともらしいことを述べますが、患者さんの減ることを避けることが目的でしょう。患者さんの利益を第一に考える医者は、反対する理由などないはずです。万が一OTC医薬品で不利益があったとしても患者さんの自己責任であり、医者が勝手に心配すべきことではありません(他人の問題に口出しをしない問題論)。その患者さん達がOTC化を望んでいるのであれば認可するべきだと思います。

以前は医学知識は医者だけの特権でした。何故なら現在のような検索システムが無かったため人間の頭脳に任せるしか無かったからです。今は手軽にスマホで情報を手に入れることが出来ます。検索した結果が自分に当てはまるかどうかの保証はありませんが、ある程度の知識が手に入ります。その知識に合わせてOTC医薬品を選ぶと実質医者は要らなくなってしまいます。だから自分達のために反対するのです。

そもそも自分達の利益を失う事柄に対して賛成する訳がありません。失う利益が大きければ大きいほど必死で反対するでしょう。誰の利益を優先するかということが問題です。

反対する目的を聞けば、正直に答える人であれば仕事が減るからと答えるでしょう。

薬剤師さんがOTC医薬品に反対するとすれば、OTC医薬品を選んで販売する責任が自分にのし掛かることが嫌なのでしょう。現在であれば処方箋に基づいて処方していれば、通常薬剤師さんが責任を問われることはないからです。

上記の内容は私が思いついただけで他にも目的はあるかもしれません。現時点では私には思いつきませんのでご容赦ください。

まとめ

周囲で反対している人がいれば、反対する目的を聞いてみて下さい。目的を聞いても返事がなければ、何のため・誰のために反対していますか?と質問の仕方を変えてみて下さい。

他人のためと言い出せば恐らく言い訳です。何らかの別の目的(恐らく自分の利益)があって反対しているはずです。

理由を言い始めれば言い訳を聞かされるだけなので遮り、改めて目的を聞きましょう。理由で議論しても意味がありません。目的で議論しましょう。(参考:原因論は過去にとらわれ、目的論は未来を切り開く)

人が歳をとると丸くなる理由

頑固な人やよく怒っている人も歳をとると丸くなることがあります。丸くなるとは人の意見を聞くようになったり、怒らなくなることです。
一言で言えば歳をとるとともに相手の立場を理解するようになるからです。逆に言えば若い頃は相手の立場を踏まえて思考することが出来ないため、自分の意見をゴリ押ししたり怒ったりするのです。

丸くなるとは?

角が立つという言い方がありますが、意見が衝突する場合などに使います。角が立たなくなるので丸くなると表現されるのでしょう。

相手の意見に合わせることが出来るようになった場合にも衝突がなくなるため、丸くなったと認識されるでしょう。

歳をとると丸くなる理由

怒るのは幼稚な証拠なのと同様に、角が立つ言い方をするのは物事を知らないのです。相手の立場や物事の道理を知らないため、角が立つ言い方を出来るのです。歳とともに相手の立場や物事の道理を知る機会が増えるため、角の立つ言い方が恥ずかしいことを知り、角の立つ言い方をしなくなるのです。

歳をとっても角の立つ言い方を続ける人は、相手の立場や物事の道理を知ろうとしないか何歳になっても気付けない人なのでしょう。物事を客観視出来ない人なのかもしれません。

歳とともに些細なことでは怒らなくなることが多いのは、幼稚ではなくなるかもしれません。幼稚ではなくなるとは、世の中の道理を知り、怒っても仕方がないことを学ぶからです。歳を経るごとに怒っても仕方がないことを学ぶ機会が増えることも、歳とともに丸くなる理由の1つです。

人の立場を考えることが出来ない人も角の立つ言い方をすることが多いのですが、生きているうちに様々立場を経験することで人それぞれの立場があることを知るのです。その経験が角の立つ言い方を避けるようになる知恵となり、丸くなるのです。

若い頃から丸い人

若い頃から角の立つ言い方をしない元から丸い人もいます。若い頃から丸い人は、若い頃から相手の立場を考えることが出来るのです。物事の道理を早い段階で知っているのです。わきまえることが出来ると言い換えても良いのかもしれません。

丸くなるには

角の立つ言い方をしてしまう自覚のある人は少ないのかもしれませんが、一言で言えば色々な経験をすることです。多くの物事を知ることで相手の立場や考え方を受け入れることが出来るようになりますし、怒っても仕方がないことに気付くことが出来るのです。

ステロイドが恐れられる理由

患者さんの中にはステロイドに対して恐れを抱いておられるかたがおられます。中にはステロイド恐怖症とその対策に書いたようなステロイドに対して極端な恐怖心を抱いておられる方もおられます。極端に恐れる方は一種の心身症のようなものだと思います。
ステロイド恐怖症と言うほどではないとしても、何となく怖いという不安感を抱いておられる方もおられます。その理由を考えてみたいと思います。

多くの方はステロイドのことを良く知らないから怖いと感じてしまうのだと思います。

ステロイドを怖いものだと印象付けたのは、ある報道番組です。ステロイド外用剤とステロイドの内服や注射の副作用をゴッチャにして不安を煽ったのです。更に自分達の品物を売りたい人達が、ステロイドを悪者にして不安を煽り、自分達の商品を売り込んだのです。外用剤と内服や注射という違いはあるものの、ステロイドの副作用であることは間違いないため一般の方には区別がつかず混乱してしまったのです。

ステロイドが恐れられる根拠

ステロイドが恐れられるのは副作用です。ステロイド剤は確かに副作用があります。具体的には肺炎などの感染症にかかりやすくなります。他にも血糖値を押し上げることから糖尿病になりやすく、場合によっては大腿骨頭壊死など重篤な副作用を生じることがあります。ただし副作用を起こす量が問題です。少量であれば副作用が起こる可能性はほとんどありません。副作用が起こる確率が低いにも関わらず、ステロイドの不安をあおって自分達の商品を売ろうと考えた人達がいたのです。不安をあおる際にステロイドの点滴や内服を大量に使用した際の副作用を大袈裟に広めたのです。

ステロイドは身体に不可欠なホルモン

実際にはステロイドが人間の身体の副腎(尿を作る腎臓の近くにある器官です)で作られていることを多くの方が知りません。そしてステロイドが不足すると死に至ることがあることも知らない人が多いと思います。つまり人間の身体においてステロイドは不可欠なホルモンなのです。実際に脱ステロイド療法という一種の宗教のような根拠に乏しい治療を行い、ステロイド不足による急性副腎不全で死にかけることもある程です。一定期間ステロイドを使用している人が突然ステロイドを中止するだけであれば、リバウンドと呼ばれる状態に陥るだけで済みます。偶然感染症を併発してしまうとステロイド不足に陥り、急性副腎不全に陥るのです。感染症にかからなければ脱ステロイド療法も上手くことがありますが、感染症を併発してしまうと悲惨な状態に陥ります。

多くの人は命懸けで脱ステロイドをしている自覚に乏しく、下手をすると脱ステロイド療法をしている医者も命懸けという自覚のないまま脱ステロイドをしているかもしれません。何故なら脱ステロイドで死にかけているので、別の病院多くは救急病院を受診するからです。脱ステロイド療法の後始末が救急病院で行われていることは、余り知られてはいません。もしかしたら脱ステロイド療法をしている医者も知らないのかもしれません。

ステロイドは使い方次第

ステロイドは元々身体にある副腎で作られるホルモンです。確かに使い方次第では必ず副作用を生じますが、過度に恐れる必要はないと思います。何故なら長年使われた経験により副作用になりにくい使い方があるからです。

副作用を恐れるなら正確な情報を知った上で恐れるようにしましょう。ステロイドを使う場合、どの様な副作用が起こり得るのかを聞いてみましょう。噂を信じて起こりもしない副作用をただ闇雲に恐れるのは勿体無いと思います。何故なら噂を流した人達は自分達の品物を売り込みたい私利私欲で広めているだけだからです。

例えばステロイド外用剤で起こる副作用は短期間では、毛嚢炎(ニキビのようなもの)くらいです。長期間では皮膚が薄くなったり多毛や血管拡張などがあります。短期間のステロイド外用剤を恐れるのは、知らないうちにニキビを恐れているようなものです。正確な情報を集めてから恐れましょう。

スポーツは勝たないと意味がない?

スポーツは勝たないと意味がないと主張する人がいます。スポーツを商売と考えている人にとっては1つの真理かもしれません。勝った側だけが利益を得ることが出来るからです。お金を得ることが目的の商売としてスポーツをするのであれば、確かに勝たないと意味はないでしょう。

しかし本来のスポーツの目的はお金ではなく、最善を尽くすことです。1人で鍛えても限界があるため競うことが始まったのです。競う際に楽しむ要素を盛り込んでルールを整えたのがスポーツです。だから本来の目的の最善を尽くすことが出来れば、勝ち負けは関係ないはずなのです。

本来のスポーツの目的は最善を尽くすことですが、勝ち負けにこだわるようになるのは勝たないと何も得られないと誤解しているからです。勝つために最善を尽くすことで貴重な経験が得られるのです。その貴重な経験の価値を理解出来ない人が、勝たないと意味がないと考えてしまうのです。そして本来のスポーツの目的は最善を尽くすことだと知らないのです。

スポーツをするのであれば勝つにこしたことはありませんが、負けたからといって意味がない訳ではありません。何故なら勝てなかったという経験が得られたからです。勝つためには何が足らなかったか知るきっかけを与えてくれたからです。勝ち負けは最善を尽くすための手段だということを知るようにしましょう。

中学受験の意味

お子さんに中学受験をしてほしいと考える人もいれば、中学受験など必要ないと考える人もおられると思います。
私なりに現時点での結論らしきものを見つけたので、今回は中学受験の意味を考えてみたいと思います。

中学受験の目的

受験勉強の時期を早める

人によって中学受験する目的は色々あると思います。多くの人たちが考えるのは中学受験に成功し中高一貫校に入学することができると高校受験をしなくてもするというメリットがあります。中学受験をするか高校受験をするかの選択肢の中から中学受験を選択するということです。受験勉強を中学でするか高校でするかの違いと考え、義務教育である中学を終了した高校進学希望者全員が受ける高校受験よりも、中高一貫校への進学を希望する比較的数少ない人数での競争の方が楽だと考えて受験する場合も多いようです。受験とは相対評価、他人よりも優れていると成功するので、競争相手が少ない中学受験を選択するという考え方です。

有名大学進学率を高める

有名大学への進学は中高一貫校の方が有利です。中学受験に成功すると有名大学へ進学できる確率を高めることができるため、大学進学を見据えて中学受験をすることもよくあることのようです。中学受験に成功すれば必ず有名大学に進学できるわけではありませんが、確率が変わるという考え方です。

似たような能力・価値観の友達ができる

あまり意識されることが少ないかもしれませんが、似たような能力・価値観の友達ができることが最大のメリットかもしれません。例えば大学に進学するのは当たり前と考える人たちが集まるという意味です。
公立中学では済んでいる地域だけで同級生が決まるため、様々な考え方の人たちを同級生になります。勉強は嫌いだから中学を卒業すればすぐに働くという人も同級生にはいるでしょう。そういう意味で考え方の多様性を身につけるために私は良い経験になると思いますが、能力・価値観が異なることもあるため進学に対する考え方一つとっても話がかみ合わないこともあります。
中学受験を経て中高一貫校に入学すると、考え方・前提条件が似たような人達が集まることで前提条件の確認をすることを省くことができるなど楽に話ができるようです。その分考え方の多様性が失われてしまうことに気付けなくなってしまいます。

勉強を上手に教える先生が多い

私立中学は生徒を集める競争をしているため、勉強を上手に教える先生をそろえる傾向にあります。生徒を集めるという発想に乏しい公立中学よりも塾に近い発想です。せっかく受験を乗り切り入学しても授業に魅力がなければ、その噂は広まり受験生が減ってしまいます。そういう意味で努力している先生が私立中学の方が多い傾向にあると思います。
しかし近年状況が変わってきました。
勉強に関してだけ考えれば、わかりやすい授業の動画がネット上にあるからです。直接授業を受けたいと望むのであれば以前と同様中学受験を乗り切るしかありませんが、面白い授業そのものがインターネット上には存在するようです。魅力的な授業を受たいという意味では必ずしも私立中学に進学しなければならない時代ではなくなったのかもしれません。(私立中学の魅力がなくなったと言いたいわけではありません。環境が変化したということです)

中学受験の問題点

私が考える一番の問題点は算数だと考えています。何故なら中学の範囲になれば方程式で簡単に解くことができるようになる問題を、わざわざ方程式なしで解く方法を考えなければいけないからです。頭の使い方をトレーニングするという意味合いでは多少の意味があるのかもしれませんが、方程式という近道が用意されているのに、方程式なしでわざわざ遠回りをさせているように思えるからです。他の教科は考え方のベースになる可能性があるため意味があると思いますが、算数に関しては全く意味がないと思います。

中学受験をする方が適切な子供

一般的には高校受験をしたくないという子供が中学受験を目指すようです。中学の3年間で受験勉強をしなければならないためクラブ活動などに本腰を入れることが出来ないかもしれません。
良い大学に進学したい人も中学受験をすることが多いようです。
しかし学力の経済学によると、一卵性の双子による研究結果で進学した大学の学歴による年収の差はないそうです。つまり難しい大学に進学出来る能力があれば、大学に進学しなくても年収は変わらないそうです。
将来の年収を上げるために中学受験する意味はあまりないのかもしれないと私は考えるようになりました。

私が考える中学受験をする方が適切な子供は、小学校で友達が出来ないような子供です。周りの子供達と価値観が異なり、会話が成り立たないような子供は中学受験をする方が適切だと思います。もしかしたら思考レベルが違い過ぎて会話が成立しないかもしれないのです。
公立の小学校・中学校では様々な価値観の人たちがいます。勉強を全くする気のない人たちも一定数いるはずです。そういう価値観の異なる人と話をすることがつらいと考える子供達は中学受験をする方が適切かもしれません。
中学受験に成功すると似たような価値観・能力の人たちの集まりとなるため会話が成り立ちやすくなります。

ちなみに高校時代の同級生と仲良くなることが多いのは、住んでいる地域だけによって集まった中学の時と異なり、高校では受験というフィルターを通ることで似たような価値観・能力の人たちが集まるからだと思います。

小学校の間に中学や大人になっても付き合っていけそうな友達のできた人は中学受験をする必要はないように思います。
小学校で友達が出来ないのはもしかしたら優秀すぎるかもしれないのです。そういう子供は中学受験をしてみると良いと私は思います。生涯の友達を作る目的で中学受験をするのが良いと私は考えています。

2020年度新テスト導入で中学受験の意味が変わる

2020年度に新テストが導入されるそうです。
その新テストは方針が全く変わるため、中学受験の意味が変わります。
大学への進学を考えるとこれまで以上に中高一貫校が圧倒的に有利になります。
これまでは中学受験をする意味は上記のように友達を作るためだったものが、新テストにより変わるかもしれません。
そのことに関しては改めて書きたいと思います。

スポーツのために炭水化物を食べる勿体無さ

患者さんと炭水化物の話をしていると、スポーツをしているから炭水化物を食べるのは仕方ないと言われる方がおられます。私は勿体無いと思います。何故なら炭水化物は重りにしかならないからです。そのことを解説していきます。

身体を作るとは?

スポーツをするためにわざわざ炭水化物を食べるのは、身体を作るためだそうです。身体を作るとはトレーニングにより身体を動かすために必要な筋肉を作ることです。筋肉はタンパク質でできており、その材料はアミノ酸です。アミノ酸は食べ物として食べたタンパク質が消化され吸収されることで供給されます。

肉や魚などのタンパク質を大量に食べることで、身体に蓄えますが、脂肪のように必要以上に蓄えることはしないようです。もしかしたらタンパク質の貯蔵は脂肪の貯蔵より効率が悪いのかもしれません。蓄える必要がなければ無理に蓄えずエネルギーとして使ってしまいます。そのため筋肉を蓄えるために筋肉を鍛える必要があるのです。

筋肉は許容範囲をこえた負荷がかかると切れてしまいます。切れた筋肉を治す際に、次の負荷でも切れないように備えるために筋肉が切れる前の状態よりも太くなります。切れた筋肉を修復する過程で痛みを伴うのが筋肉痛です。

これらのことから身体を作るためには、タンパク質を摂ることと筋肉を鍛えることが必要であることがわかります。

炭水化物を食べる意味

炭水化物は糖質と食物繊維を合わせたもののことで、食物繊維は人間の身体では消化できないので実質炭水化物イコール糖質です。糖質は消化されブドウ糖として吸収されることで血糖値を押し上げます。血糖値は下がると脳の活動を妨げますが、上がることで良いことはなさそうです。人によってはアレルギーを発症しますし、場合によっては2型糖尿病を発症します。

血糖値が上がることで良いことはなさそうですが、ブドウ糖が余るのであれば脂肪として蓄えます。つまり炭水化物を食べることで脂肪がつくのです。身体を動かす際に脂肪は重りとして働きます。牛肉の霜降り肉のように筋肉の間に脂肪がたまることがあれば、重りとしてだけではなく、筋肉の動きを直接邪魔してしまいます。

炭水化物を多量に食べることで脂肪がつく訳です。スポーツをするのにわざわざ重りをつけてするのと同じだと私は思います。トレーニング目的に重りをつけて行動するのは理にかなっていますが、試合にも重りをつけて臨むのは私には理解出来ません。

炭水化物を食べる『意味』があるスポーツは、体重そのものが必要な相撲やラグビーなど限られていると私は思います。

相手に脂肪という重りのハンデをあげるつもりで炭水化物を食べるのであれば問題ありません。しかし身体を作るために炭水化物を食べるのは勿体無い勘違いだと私は思います。

あくまでも筋肉をつけるのであればタンパク質、脂肪をつけるのであれば炭水化物を食べることだと思います。

一度食べた物が身体の中でどのように変化するのか冷静に考えてみても良いのではないかと思います。

病気が怖い理由

人が物事を恐れるには訳があります。一言で言えばわからないことを恐れるのです。人は理解・予測出来ないことを恐れるのです。

人が事故を恐れるのはいつ起こるかわからないからです。事故が起こることが事前に予測出来るのであれば、事故を恐れることはありません。当然予測出来るのであれば対策をとると思います。結果として予測出来る事故は起こらないことになります。つまり予測出来る事故は未然に防ぐので、予測不能なものだけが事故として顕在化するのです。故意に起こさない限り、事故をあらかじめ予測出来ないことが人を恐れさせるのです。

人が事故を恐れるもう一つの理由はどれだけの被害があるかわからないからです。昨日まで元気だった人が、突然命を落としてしまうことまであるので怖いのです。事故も擦り傷程度にしかならないとあらかじめわかっていれば怖くはないのです。

病気も同じです。いつ病気になるのか、病気が命に関わるのかどうかわからないから怖いのです。病気が予測出来れば恐れる必要はありません。ましてや意図的に避けることが出来れば、そもそも病気にならなくて済むのです。予測出来ないから怖いと言われるかもしれませんが、いくつかの病気は恐れる必要はなくなひました。例えば2型糖尿病です。2型糖尿病は糖質を食べ続けることで上がった血糖値が下がらなくなる病気です。そもそも糖質を食べなければ、血糖値は上がりませんから2型糖尿病にはなれません。逆に血糖値が上がっているのに同じように糖質を食べ続けていれば、更に血糖値が上がるのは予測出来る自然な成り行きです。アトピー性皮膚炎やニキビも糖質を食べるとすぐに悪化します。同じ調子で糖質を食べ続ければ、薬で一時改善しても再燃するのは当たり前のことなのです。逆に糖質を控えることで再燃を避けることが出来るので、恐れる必要はありません。糖質を食べて悪化するのも、水が高い所から低い所へ流れるがごとく自然な流れです。

いつこの事実を受け入れるかです。

糖質が原因の病気は多々あります。因果関係が明らかなものから糖質を控えることをお勧めします。糖質を控えることで改善する病気を恐れる必要はありません。何故なら理解出来るからです。

人々は少し前まで自然の仕組みを全く知りませんでした。物が腐る仕組みすらわからなかったのです。もう少し前までは星々が地球の周りをグルグル回っていると思っていたのです。皆既日食が起きた時にはこの世の終わりだとさぞ怖かったことでしょう。仕組みが理解出来れば怖くなくなるのです。少なくとも糖質が原因の病気は恐れる必要はなくなります。そんな時代がすぐそこまでやってきています。早く広まるといいですね。

今時わざわざ消毒する医者のブラックな目的

少し前まで傷口の消毒は常識でした。消毒の痛みを我慢することで早く治ると信じられていたのです。当時の私も信じて疑うことはありませんでした。しかし今となっては消毒は百害あって一利なしは多くの人達が知るところとなりました。消毒の害を発見された夏井先生の啓蒙活動のおかげだと思います(参考:さらば消毒とガーゼ 「うるおい治療」が傷を治す)。消毒するか消毒しないかを比較してみれば一目瞭然です。消毒をすればなかなか治らず、消毒をしなければ速やかに治ります。私の印象では約2倍早く治るイメージです。

消毒しない方が傷が早く治るのですから、消毒する理由などありません。その上消毒は痛いのですからわざわざ患者さんに痛い思いをさせてまで治りを遅くするのは誠実ではありません。

ただ単に消毒しない方が傷口の治りが早いことを知らないだけかもしれませんが、不勉強としか言いようがありません。

消毒のブラックな目的とは、儲けのためにわざと消毒しているのです。目的は治りを遅らせることです。わざわざ傷口の消毒を行う方が治りが悪いことを知った上で消毒しているのではないかということです。何故なら治りが悪い方が通院回数が多くなるため病院としては儲かるからです。水道水で洗い流すだけなら何度も通院する必要はないので、儲からないのです。消毒の害を知らなければ仕方がありませんが、害を知っていても自分の儲けのために消毒している医者がいるのではないかと思います。勤務医は収入に関係ないのでただの不勉強だと思いますが、開業医で消毒していれば儲けのためだと思います。

知らずに消毒しているだけなのか、わざわざ治さないために消毒しているのかはわかりません。問い質したところで白状しないでしょう。今時消毒する医者は、不勉強か儲け主義かのいずれかなのですから、近寄らないことをお勧めします。

治さない医者の方が儲かる仕組みに問題がありますが、患者さんが知恵をつけて儲け主義の医者を避けるしかありません。

暗記力・検索能力に大した意味がなくなる理由

少し前まで暗記力や検索能力はある程度頭の良さを示す大切な能力でした。出題範囲を決め、覚えているかどうか?その覚えている内容を短時間で取り出せるかどうか。そして頭の中から取り出した情報を使って考えることが出来るかどうか答えさせるのが入試問題です。

暗記力・検索能力がもてはやされた理由

かつて人間の頭脳しか効率的な検索方法がありませんでした。だから医学書やこれまでの治療例を覚えさせて頭の中を検索するように医者を育て、六法全書や判例を覚えさせて頭の中で検索するように弁護士を育てたのです。

人間の頭脳しか効率的な検索能力が無かったので、人間の頭脳を活用するのは仕方ありませんでした。だから暗記力と検索能力に長けた人間が重宝されていたのです。だから暗記力と検索能力が良い人間が頭が良いとされていたのです。

その人間の検索能力の良し悪しをはかる目安として入試問題が活用されていたのです。教科書で出題範囲を決めて暗記力を試し、応用問題で検索能力を試すのです。

暗記力や検索能力の意味が変わった理由

その暗記力や検索能力に大した意味が無くなりました。以前は他に方法が無かったので、人間の頭脳を活用するのは仕方ありませんでした。

暗記力・検索能力に全く意味が無くなった訳ではありませんが、細かいことを全て暗記する意味は無くなりました。何故ならコンピュータ、タブレット、スマートフォンが変わりに覚えてくれるからです。そしてその中に覚えていなくても、インターネットにアクセスすることで情報を得ることが出来るからです。これまでの頭に詰め込む暗記する時間が必要無くなりました。既に手の中にあるからです。しかも人間の頭脳よりはるかに効率的に莫大な情報の中から検索することが出来るのです。暗記という入力の時間が必要なくなり、欲しい情報を手軽に取り出すことが出来るのです。

適切な情報を取り出すことは情報機器の発達により、生身の人間の頭脳を活用する必要が無くなりました。むしろ人間の頭脳では間違いも起こり得ますし、暗記にかかる時間も情報を取り出すのも非効率的なため望ましくありません。

暗記力・検索能力を人間に頼らなくなった実例

例えば病気の情報を得るのは以前であれば医者に聞くしかありませんでした。もしくは図書館にでも行って本を調べるしかなかったのです。どの本を調べると良いのか、そこから検索する必要があり莫大な時間を要したのです。今では手の中にあるスマートフォンに何文字か打ち込むだけで、ある程度の情報が手に入ります。わざわざ医者に行って聞く必要がなくなりつつあるのです。

弁護士の世界でも同じです。以前は法律に関する疑問を解決するには弁護士に相談するか自分で本を調べるしかありませんでした。今ではネット検索してみることで似たような情報を見つけることが出来るようになりました。今のところ全てが網羅されている訳ではありませんが、ある程度の情報を前もって得ることが出来ます。最低限の知識を得てから相談するので、相談するとしても短い時間で済んでしまいます。

弁護士の世界では過去の判例を探す必要がありますが、既に人工知能により検索するようになっています。この意味においても検索能力の意味が変わってきています。

今後の展望

暗記力と検索能力を買われて資格を与えられている医者や弁護士でさえ、上記のように機械化されつつあります。今後暗記力・検索能力を生かす仕事はほとんど無くなると思います。暗記力・検索能力が良ければ仕事が出来た時代は早晩過去のものになりそうです。

これからは抽象的な思考、あるいはより論理的な思考が求められる時代になると私は思います。