質問に答えられない人の対処法

人と話をしていて質問に答えられない人に出会うことがあります。
はぐらかしている訳ではなくて、質問に答えられないのです。

質問するとすぐに話し始めたとしても、的はずれのことを話します。質問の意味がわからないのであれば、どのように答えれば良いか確認すると良いのですが、質問の意味がわからないことを理解していない場合があります。つまり質問の意味がわからないことを理解出来ずに質問をやり過ごそうとするので、そのまま質問を続けても時間の無駄です。

意図・目的を明確にする

質問した相手が質問に答えられない人であれば、質問の仕方を変えるようにしましょう。特に有効なのが質問の意図・目的を伝えて、改めて質問することです。何を目的にして質問しているのかを明確にするのです。

物事を考えることが出来る人で答え方に困っていたのであれば、意図や目的を明確にすることで答えてくれれと思います。

意図・目的を明確にしても答えてもらえない場合

意図や目的を明確にしても答えられない場合、物事を考えるのが苦手な人なのかもしれません。物事を区別して考えるのが苦手なことが考えられます。この場合あらかじめ選択肢を用意して選んでもらうと良いと思います。

いくつかの選択肢を用意しても選んでもらえない場合には、yesかnoの二択にして選んでもらうしかないのかもしれません。二択でも選べないのは、政治家の答弁などでよくみられるように実は答えたくないのかもしれません。

二択で詰め寄っても答えてもらえなければ、二択を補強するように言葉を足して選びやすくしてあげるしかありません。二択を答えてもらえなければ、深くものを考えていない可能性もあるので、答えを期待しない方がよいのかもしれません。答えてもらえなくても何とかなる方法をこちらが考える方が現実的かもしれません。

言い換える能力

これからの時代に求められる能力は、言い換える能力だと私は思います。言い換えるとは言葉を変えて説明することです。知っている言葉を並べるだけでは上手く伝わりません。

言い換えるためには、相手が理解出来る言葉を選ぶことが必要となります。相手が理解出来ない言葉に言い換えても、相手を混乱させるだけで『意味』がありません。相手の理解を促す言葉に言い換えなければいけないのです。

上手く言い換えることが出来ない人の中には、怒り出す人もいます。上手く説明出来ないことを隠す目的で、怒り出すのです。

相手に理解してもらえる言葉に言い換えることの出来る人は、説明が上手です。相手に合わせて言い換えることが出来るので、人に説明する職業で重宝されると思います。相手の質問に対して的確に答える仕事は当分の間機械に置き換わることはないと私は思います。

簡単な受け答えは今にでも機械に置き換わりそうです。言い換える能力を磨くことをお勧めします。言い換える能力のトレーニングには、子供の考え方のトレーニングのやり方が役立つかもしれません。その場合、子供ではなく自分の頭の中を整理するのです。様々なことを思い出し、キーワードを見つけてインデックス化していくのです。そうすることで頭の中の言葉が整理され、言い換えることが出来るようになると思います。もし良かったらお試しください。

人が言葉を話す『意味』

人は当たり前に言葉を話しますが、言葉を使う『意味』を考えてみます。

人が言葉を話す目的は情報交換です。必要な情報をやり取りするために人間は言葉を話すようになりました。

人類と共通の祖先であるお猿さんを見てみると言葉の歴史を垣間見ることが出来ます。お猿さんは敵が来たら逃げるように合図を送ります。警戒信号とでも言うべき声を上げながら逃げるのです。敵に気付いた自分だけではなく、仲間も助けるために合図を送るのです。この合図が複雑化し言葉になりました。ちなみに進化したお猿さんは嘘をつくことが出来ます。しかしその嘘を見破ることはできません。

人類の歴史において複雑な言葉を話すようになった過程において、獲物を捕らえる狩りが重要だとされています。大きな動物を捕らえるためには大勢が一斉に襲いかかる必要がありました。最初は襲いかかる開始だけ合図すれば事足りましたが、相手が大物だとなかなか上手くはいきません。そこで狩りの手順を話し合うために言葉が発達したと言われています。

農耕が始まると狩りのために言葉を使う必要がなくなりました。次に農耕のために言葉が使われるようになりました。言葉が画期的なのは抽象的な概念を扱うことが出来るようになったことです。この抽象的な概念こそが人間が様々なことをやり遂げるのに役立っています。

人が言葉を話す『意味』

人が言葉を話す『意味』・目的は情報交換です。必要な情報は興味が湧きますし知りたいと思うのです。

情報交換ですから出来るだけ手短に終える必要方がお得です。一言で伝えることの出来る情報を伝達するために1時間もの時間を要するのは時間の無駄です。逆に膨大な情報を伝達するためにはそれなりの時間が必要です。

説明が上手な人は相手に伝わるように情報を整理し、圧縮した状態で伝えることが出来ます。話をまとめるという作業です。とにかく短時間で情報を伝える必要に迫られた人は、自然と会話の無駄な部分を削ぎ落として情報を伝えることが出来るようになります。後で振り返ってみると整理し圧縮しているとわかるのです。

回りくどい話し方をする人は、急いで情報交換した経験が少ないのかもしれません。話すこと自体を楽しんでいる側面すらあるのかもしれません。時間に追われて情報交換をした経験が乏しいのかもしれません。あたかも永遠の命を手に入れた人の振る舞いのようです。永遠の命を手に入れた人は急ぐことはありません。死なないので時間は無限にあるのです。早く行動してしまうと、次にすることをわざわざ考える必要があるのでゆっくり行動するはずです。時間を短縮する発想に乏しいのかもしれません。

人の持つ時間には限りがあります。だから時間を短縮することに意味があるのです。同じ情報交換をするのであれば、出来るだけ短い時間で行う方がお得なのです。そのためには話し手が情報を整理し、相手が受け取れるように的確に情報を伝えることが重要です。

回りくどい話し方をすると、話す方も聞く方もお互い時間が勿体無いのです。

出来るだけ手短に必要な情報を交換するために、どんな情報のやり取りするのか事前に考えて、整理し相手に伝わるように話すことが重要です。

ちなみに私は人が言葉を話すのは、魔法のようなものだと思います。他の動物から見たら言葉は魔法以外の何物でもありません。もしかしたら人間は魔法を使う神に近付いているのかもしれません。言葉が争いを終わらせることが出来、戦争をなくすことが出来る世の中になれば面白いですね。

話が回りくどいと言われた時の対処法

人から話が回りくどいと言われても、どのように対処すれば良いのかわからず途方に暮れることがありま。その対処法を考えてみます。

はっきりと物を言わない人の心理に書きましたが、大きくわけて2つ理由があります。1つのは理解出来ていないのではっきり出来ないのです。もう1つははっきり説明すると都合が悪いので、はっきりさせないのです。はっきりさせない人の対処法は上記リンクに書きましたので、今回ははっきり出来ない人について書いてみます。

話が回りくどい理由

話す内容を理解し、客観視出来ないことが原因です。物事の核心をつかんでいないため、物事の周辺を回りくどく説明し、相手に本質を読み取ってもらおうとするのです。

物事の本質を理解出来る程深く物事を考えたくない怠慢か、その能力の欠落かは人によって異なります。

話が回りくどい理由の一つに、話を物語りにしてしまう人がいます。そして話している最中に何を話しているのか忘れてしまうのです。何を話すか余り考えないまま話し始め、何を話しているのかわからなくなるのです。恐らくこれまで人と意味のある情報の交換を言葉で行ってこなかったのでしょう。会話は時間を埋めるもので、情報をやり取りするものではなかったのかもしれません。

話が回りくどい理由の一つに頭の中で理解出来ておらず、整理されていないため伝えるべき必要な情報と伝える必要のない情報が区別出来ていないのです。

対処法

頭の中を整理することが一番です。頭の整理の仕方の一つの方法として、話す内容を一言にまとめることです。少なくとも一行にまとめるのです。イメージとしてはメールのタイトルをつける要領です。話す内容を一言で伝えるのです。相手もこれから話す内容がイメージ出来るので、情報伝達がスムーズになります。一言にまとめるためには、物事の本質を理解するしかありません。

話す内容のタイトルを意識するだけで回りくどい話し方は、少しずつ改善していくと思います。

例えば『○○に関する質問です』、『○○に関する報告です』、『○○に関する相談です』などとタイトルを先に伝えるのです。

質問に対する答えであれば、『その答は○○です。何故なら〜〜〜です』のように答えます。まず一言で答えるのです。

恐らく考えをまとめる前に話し始める癖があるのだと思います。深く考える前に話し始める目的は、話を誤魔化したいのか、深く考えたくないのかどちらかだと思います。深く考えるようにしない限り、回りくどい話し方は改善出来ないと思います。

良かったら試してみてください。

見て覚えろとは説明出来ないだけ

職人の世界など見て覚えろと言われるそうです。医者の世界でも見て覚えろと言われることがあります。武道でいう見取り稽古のような状態です。以前見て覚えろとはケチなのか説明出来ないと書きました。改めて考えてみますと、説明出来ないだけだと思い至りました。

説明出来ない

説明出来ない理由は二つ考えられます。一つは苦労して手に入れた技術を人に教えたくないという心理的に説明出来ないこと、もう一つは上手く相手に伝わるように説明出来ないことです。その二つが重なって見て覚えろに繋がるのだと思います。

上手く説明出来ない理由

実は職人など技術者は無意識のうちに状況に応じた細かな微調整をしています。その細かな微調整を行う場合分けを上手く相手に説明出来ないのです。上手く説明出来ないことを隠すために、見て覚えろと言うのです。ただの面倒くさがりかもしれませんが、上手く言葉に変換出来ないコミュニケーション障害があるのかもしれません。

見分け方

見て覚えろという理由の見分け方を考えてみます。教えたくないのか、教えることが出来ないのかを見分けるのです。

具体的に細かな作業についてコツを聞いてみることです。教えたくないのであれば、具体的に聞いても答えてはくれません。説明の仕方がわからないのであれば、聞かれることが絞られた段階で説明出来るようになるため、教えてくれるようになります。

目的を伝えるとわかりやすい

職人の世界でも目的を伝えるようにするとわかりやすく伝えることが出来ます。見て覚えろという前に、見るべきポイントを目的として前もって教えるようにするのです。この指示が上手く出来ないので、職人の世界の機械化が遅れています。人にも目的を伝えることが出来るようになれば、機械にも仕上がりという目的設定することで、指示が出せるようになります。一気に職人の世界が機械化されることでしょう。見て覚えろとして、自分達の技能を秘密化して守ることの出来た時代は終わりが近づいてきています。

そろそろ見て覚えろという逃げはきかない時代です。説明スキルを磨きましょう。もし見て覚えろと言われたら、あらかじめ仕上がりで気をつけることや目的を聞きましょう。

成功する人と失敗する人の違い

どんな分野においても成功する人と失敗する人には明確な違いがあります。偶然成功する人もいますが、偶然は意図的に繰り返すことは出来ません。その後何らかの失敗をしてしまいます。

失敗する人は変化に対応出来ない

成功する人とは成功する仕組みを見つけるあるいは作り出すことが出来る人です。失敗する人とはその仕組みを探さないあるいは作り出すことをしようとしない人です。偶然成功する仕組みに辿り着いたとしても、偶然なので次の成功を引き寄せることが出来ません。一度成功したことを同じように繰り返すことは出来ても、どうして成功したのかわからないので環境の変化に対応出来ません。偶然一度は成功の仕組みを見つけたとしても、宝くじに当たるのと同じで、当たりを繰り返すことが出来ません。

一発屋と言われる人達は偶然売れただけなので、次の成功を探せないのです。

成功する人は絶えず考えている

成功する人はうまくいかなくなった時点で、状況に応じた軌道修正をすることが出来ます。絶えず状況毎の対策を考えているのです。失敗する人は上手くいかなくても、どうして良いかわからず軌道修正することが出来ません。成功する人は上手くいかなくても失敗だとは思いません。次の成功のための途中経過としか考えず、成功するまで考え続けるのです。

見分け方

成功するか失敗するかは質問してみるとすぐにわかります。質問は「予定通りにいかないとどうするんですか?」と聞くだけです。成功する人は予定通りにいかないことをあらかじめ想定しています。万が一想定していなくても、聞かれてからでもすぐに対策を考えつきます。質問する人は予定通りにいかないことを全く考えていないため、そのような質問をされると返事に困り固まってしまいます。

驚いてもすぐに対策を答え、その答えが合理的であれば成功します。驚いたまま固まってしまうと、恐らく失敗します。恐らくというのは偶然成功することが稀にありえるからです。ご参考まで。

上手な説明の仕方 言葉の曖昧さを使い分ける

日頃私が気をつけている、説明の仕方を書いてみます。
言葉は様々な意味合い・幅を持つため、使い方によって曖昧になります。
私は言葉が揺らぐと表現しています。人々はどの『意味』で話しているのか言葉のもつ『意味』の曖昧さ・揺らぎの中からを頭の中で無意識のうちに、特定の『意味』を確定させながら話しています。話し方により『意味』の特定が難しいとよくわからない説明になります。あまりに無意識にその作業を行っているため、話し手も聞き手も言葉の曖昧さを意識していない場合すらあります。言葉の持つ曖昧さ・揺らぎを意識していないと、知っている言葉を聞いているだけなのに『意味』がわからないということがありえるのです。

例えば言葉の曖昧さ・揺らぎの一例を説明してみます。
『お酒を飲んではいけません』と言ったとします。『わかりました』と答えたとします。『お酒』には言葉の曖昧さがあります。アルコールという『意味』と日本酒という『意味』です。
話し手も聞き手もどちらの『意味』で『お酒』と言っているか確認していないので、本当の『意味』の組み合わせは4通りあるのです。話し手が『アルコール』と『日本酒』、聞き手が『アルコール』と『日本酒』の組み合わせが4通りです。話し手と聞き手の『意味』が『アルコール』同士や『日本酒』同士揃っていれば、どちらの『意味』でも問題ありません。片や『アルコール』の『意味』で使っているのに『日本酒』の『意味』で聞いていると、話している内容がズレてしまうのです。

『お酒を飲んではいけません』には、日本酒は飲んではいけませんかもしれませんし、アルコール全て飲んではいけませんかもしれないのです。人々は前後の文脈からどちらの『意味』か聞き分けているのです。聴きわける知恵のある人にしか『意味』がキチンと伝わらない可能性があるのです。この話し方では聞き手の『意味』を聴きわける能力によって『意味』が伝わるか伝わらないかが決まるのです。

ここで厄介なのは『お酒』という言葉は日本酒に決まっていると思い込んでいる人もいれば、『お酒』という言葉はアルコールを指すに決まっていると思い込んでいる人が混在していることです。どちらも常識として『お酒』を『日本酒』あるいは『アルコール』と考えています。つまり共通認識である常識だと思い込んでいるので、わざわざ『お酒』という言葉の『意味』を確認したり使い分けたりしません。『お酒』という言葉が持つ言葉の曖昧さを知らない人は、相手が話を理解出来なく混乱していても、相手が理解出来ない『意味』自体がわからないのです。何故なら自分の言葉が曖昧だとは思いもせず、言葉を使い分けていると思い込んでいるからです。2つの違いを知らないので、知らないことを明確に使い分けることが出来ません。だから聞き手は話の『意味』が曖昧でモヤっとした印象を持ちます。
『お酒』というありふれた言葉でさえ、これだけ曖昧さを持っています。ましてや言葉は数多あり、その『意味』の組み合わせは無数にあると言っても過言ではありません。逆に無数の『意味』から文脈に沿って無意識のうちに『意味』を拾うことが出来るので、人々は自然に会話が出来るのです。今回はお酒という言葉を例にしましたが、同音異義語などは前後の文脈から1つの『意味』に特定されていきます。多少ズレて聞こえたり、聴き漏らしたりしても前後の文脈から類推しているのです。この前後の文脈からの判断が出来ないので、機械による音声認識が苦労するのです(最近では前後の文脈も把握しているみたいですが)。外国語がなかなか理解出来ないのは、日本語のように日頃使い慣れた文脈だけでなく対応する外国語の音が頭にないので補うことが出来ないからです。言葉を聞いてその音から頭の中で文字に起こす作業に手間取るのです。

いくつもの『意味』を持つ言葉は、明確に使い分けることが相手の頭を使わせない上手な説明だと思います。『お酒』という言葉を話の中で使って、相手が怪訝そうな顔をしていれば『日本酒』という『意味』か、『アルコール』という『意味』か混乱しているのです。相手の顔を見て、混乱をかき消してあげるように、『日本酒』とか『アルコール』と言い換えてあげることで、言葉の曖昧さをかき消し言葉の揺らぎを止めることが出来ます。次からは最初から『お酒』という言葉を使わず、『日本酒』、『アルコール』と使い分けることが相手の負担を軽減する上手な説明の仕方だと私は思います。

実際には曖昧さを避ける話し方は、上手な話し方の訳ではなく、思いやりのある説明だと思います。何故ならこちらが誤解を招きにくい話し方をすることで、相手が素早く理解する手助けを出来るからです。実際には私は思いやりでも何でもなく、自分のために言葉の曖昧さ・揺らぎは極力避けて話すようにしています。最初から言葉の曖昧さ・揺らぎを排除して話している方が、相手の理解を得やすいので時間を短縮出来る分自分も得なのです。

言い換えると言葉の曖昧さを避ける話し方は、相手の理解する能力に頼らない説明の仕方だと言えるかもしれません。相手によって受け取る『意味』が異なる説明は、説明になっていないとすら私は思います。言葉の曖昧さを理解して、誤解を招きにくい話し方を心がけましょう。

わかりやすい解説書とわかりにくい解説書の違い

解説書にはわかりやすいものとわかりにくいものがあります。その違いは視点です。視点が専門家か素人かです。内容を元々わかっている人が書いているか、元々は知らない人が書いているかで大きな違いが出ます。

元々わかっている専門家が解説する解説書はわかりにくく、元々わからない素人がわかるようになった過程を解説している解説書はわかりやすいものになります。何故なら専門家は全て知っているのでわからない、あるいはわかりにくい場所自体がわからないのです。言い換えると専門家は知らないふりをして解説書を書くことができないからです。その点何も知らない素人は違います。全く何も知らない状態から物事を知っていくので、その過程でわかりにくいこと、紛らわしいことが容易に理解できるのです。そのわかりにくいところを明確に区別して解説を書くので、わかりやすい解説書になります。

解説書は説明の上手下手と同じです。言葉で伝えるのか文章で伝えるのかの違いです。
解説書では言葉での説明と異なり、図解することもできますが、そもそも相手の知りたいことを理解していなければ図解することもできません。
わかりやすい解説書とわかりにくい解説書の違いは、解説する人が何も知らない状態を想定できるかどうかです。何も知らない状態を想定できれば、理解しにくいところもわかるはずです。

解説書を見ていて明らかに言葉足らずでわかりにくいものだったので、何故こんなわかりにくい解説書があるのかを考えてみました。解説書を作った人が専門家で、知らないことを想定せずに作った結果だと思い至りました。解説書は素人が作るべきだと私は思います。少なくとも素人が理解できるように素人への説明し、その際に出た疑問を解説書に落とし込むとわかりやすい解説書になります。恐らくそういう視点が欠落した解説書を目にしてしまったのでしょう。

「説明した」と「説明したつもり」の違い

説明したのに期待した結果にならず腹が立ったり、イラついたりすることはありませんか?
もしかしたら、「説明した」のではなく「説明したつもり」になっているのかもしれません。
その違いを考えてみます。簡単に分ければ確認して初めて双方向の「説明した」のであって、確認していなければ一方通行の「説明したつもり」です。

説明した

物事を正しく意図通りに伝えることが出来た時点で、説明したと言えます。よく誤解されているのが、一方的に話しをするだけでは説明したとは言えません。相手が情報を正しく受け取った時点でようやく説明したと言えるのです。つまり説明には相手が必要であり、相手が情報を正しく受け取ることでようやく「説明した」と言えるのです。「説明した」と断言出来るのは、相手に伝わったことを確認した後です。しかも「わかった?」という言葉では「確認した」にはなりません。「わかった?」だけでは「確認したつもり」に過ぎないのです。言葉を変えて「確認」して初めて「説明した」ことが完了するのです。例えば「何がわかった?」とハイ・イイエでは答えられない質問で確認するのです。返答が怪しければ追加で質問すると理解出来ているか確認することが出来ます。

あくまでも説明したといえるのは、相手が理解した結果です。何時間説明しようとも、どれだけ丁寧に説明しようとも相手が理解していなければ、説明したとは言えないのです。

説明したつもり

一方的に伝えるだけではなかなか伝わらないことも多々あります。何故なら人はそれぞれ持っている知識や経験が異なるため、同じ言葉であっても人によって受け取り方は様々です。危険なのは一方的な説明で相手が理解したつもりになることです。

説明したと説明したつもりの勘違い

良くあるのが怒る側は説明した、怒られる側は聞いていないというものです。説明した側は説明したつもりになっているのです。怒られる側は説明を聞いていない(少なくとも理解していない)ので、怒られる意味がわからないのです。説明したつもりになっているだけで、相手が理解したかどうか確認していないのです。

他にも良くあるのが説明したのに理解していないとして、理解していないことを怒るのです。誰に問題があるのでしょう?説明する側です。説明される側は全く聞いたことがないのだからどうしようもありません。説明する側が知恵を働かせて理解させるしかないのです。

説明したのに理解していないと怒る前に、理解できたかどうか確認してみるべきです。理解できたかどうか確認を怠ったのであれば、怒る側の怠慢でしかありません。説明したつもりになって、説明したと怒られても言いがかりにしか聞こえません。

一番困るのは

一番困るのは「説明した」と「説明したつもり」の区別が出来ない人です。「説明したつもり」でしかないのに、「説明した」と思い込んでいるので、理解していない相手が悪いと責め立てるのです。

説明する側に理解させる責任があります。確かに理解する側にも努力は必要ですが、説明する側が知恵を働かせて理解出来るように説明するべきです。何故なら説明する側は情報を持っており、説明される側は情報が不足しているのです。だから説明しお互いの知識が同じになるように情報のやり取りをするのです。説明する側が説明される側よりも多くの情報を持つため、説明する側が情報を噛み砕いて相手が理解出来るように処理して伝えるしかありません。説明される側は情報そのものが足らないので、そもそも何を聞いたら良いのか見当がつかないのです。このことを知らない人が一方的に話したことを説明したつもりになって、理解していないことを責め立てるのです。

理解させるのは説明する側の責任

説明するなら相手が理解できるように説明しましょう。決して説明したつもりになってはいけません。そして理解しているか確認しましょう。

相手が知らないだけで怒ってはいけません。ましてや自分自身が説明したのに理解していないことを責め立ててはいけません。何故なら理解出来るように説明できなかった自分の落ち度だからです。そんな視点で物事を考えてみて下さい。世の中の見え方・景色が変わると思いますよ。

下手な説明 説明のピントがズレている

説明の下手な人の話し方には特徴があります。その一つは説明のピントがズレているのです。
説明のピントがズレているとは、物事を正確に表さず曖昧な言葉を使っているのです。以前にも書きましたが、

説明のピントがずれているとは?

「御飯を食べなければ多くの病気が治ります」と言った場合、少なくとも2つの意味を含みます。1つは御飯がお米を意味するのか、食事を意味するのかという意味です。更に付け加えると全く食べてはいけないのか、減らせば良いのかもこれらの言葉からははっきりとはわかりません。説明する側はわかっていて説明しますが、聞く側には初めて聞く話であればどの意味かわからないのです。いくつかの意味を持ち合わせ、特定出来ない言い方を説明のピントがズレていると表現します。

写真のピントがずれていると写真がぼやけるのと同じように、説明のピントがずれていると説明している内容がぼやけてしまうのです。聞き手の知識や経験によって受け取り方がいくつかわかれてしまうのです。聞き手が上手であれば曖昧な言葉の意味を聞き出すことでピントを合わせながら聞くことができます。

説明のピントがずれていると、言葉が曖昧なため聞き手に負担がかかります。聞き手の負担とはどの意味で言っているか考えながら聞く必要があるのです。相手と会話しているであればどういう意味か聞き返すことができますが、授業や多人数での会議であれば直接確認することが難しい場合もあります。その都度の確認が難しいと説明のピントがずれているまま、聞き手がどの意味か考えながら聞いて、どの意味合いか特定する必要があるのです。そこまで努力して聞いてくれる聞き手であれば良いですが、聞き手によっては説明のピントがずれていると聞いてもらえなくなってしまうのです。

説明のピントがずれている人は、自分のわかっていることと相手のわかっていることが理解できていないのかもしれません。相手もわかるはずだと思い込んでいるので、自分の説明のピントがずれている自覚のない人も多くいます。説明して相手が混乱している様子を見せる場合には、説明のピントがずれているかもしれないと考えてみるべきかもしれません。説明の中に説明のピントがずれている内容が含まれていると疑ってみることです。

説明する人自身の頭の中で、違いが明確に理解できていないこともあります。その場合にはわざと説明のピントをずらして説明しているのです。わざと説明のピントをずらして話をしている場合、聞き手が説明のピントを合わそうと質問しても、質問に答えてくれません。何故なら明確に区別して説明できないからです。もしかしたら頭の中のピントがずれていると表現するのが適切なのかもしれません。

説明のピントの合わせ方

説明の上手な人は曖昧で聞く側が労力を要する無駄を省くために、最初からピントのあった言い方をします。
「食事をしてはいけない訳ではなく、御飯・お米を食べなければ多くの病気が治ります」と説明します。聞いた側の混乱を減らすことが出来るのです。言葉が曖昧にならないように説明のピントを合わせるようにするのです。

説明の上手な人は、曖昧さを含む説明が気持ち悪く感じるようです。説明した内容が伝わるかどうか相手次第ということが気持ち悪く感じるのです。
そこで曖昧さを失くすために、いくつもの意味が含まれている言葉は一つの意味になるように言い定めるのです。一つの意味になるように言い定めることが困難であれば、別の言葉に置き換えて説明するのです。
「御飯」という言葉は、食事という意味、お米を炊いたものという意味があります。その二つの意味のどちらの意味かを特定する作業を、説明のピントを合わせると表現しているのです。

最初から説明のピントを合わせていると、相手が混乱せずに聞き取ることができるのでより短い時間で説明することができます。伝達効率が上昇するのです。
説明する側が知恵を働かせる必要があるので大変ですが、その知恵と労力のおかげで伝達効率が上昇するのです。

説明のピントを合わせて説明する癖をつけると、何事においても伝達効率が上昇するのでお得です。よかったらお試しください。