非常識な人に非常識だと言っても通じない

非常識な人に非常識だと指摘しても通じません。何故ならそのことに関して常識という概念を持ち合わせていないか、確信犯だからです。

常識という概念がない

説明しても概念がないのですから話が通じません。雪を見たことのない熱帯地方の人に言葉で雪を説明するのが困難なのと同じです。

そもそも常識と非常識の概念がないのですから非常識だと非難しても、意味が理解出来ません。

非常識だと指摘した際のの反応は何が非常識?と戸惑います。意味がわからないのでどう反応したらよいのかわからず、困ってしまいます。指摘して困っていれば悪気は無くて、常識を知る機会が無かっただけなのがしれません。知らないことを怒っても意味がないので、常識を概念から丁寧に教えてあげましょう。

非常識の確信犯

非常識だと理解した上であえて非常識な行動をしている確信犯なので非常識だと指摘しても話は通じません。指摘された場合、多くの人は無視するでしょう。あえて怒り出す人もいるでしょう。自分の欠点を隠す目的で怒り出すのです。言葉尻をつかまえて揚げ足をとることもあります。

非常識を指摘して無視したり、惚けたり、怒ったりした場合には確信犯です。相手にするのはやめましょう。時間の無駄です。指摘されてやめるくらいなら最初からやりません。自分が嫌な思いをしないために、関わらなくてすむ方法を探しましょう。どうしても関わる必要があれば、法律や規則、ルールを突きつけて従わざるを得ない手段を探すしかありません。そのような手段が取れなければ、諦めるしか無いのかもしれません。極力距離をとりましょう

非常識な人への対策 (誰の問題論の延長)

非常識な人というのはどこにでもいるものです。
常識を知らないのか、そもそも人に迷惑をかけない(それ自体が常識)という発想がないのかわかりませんが、非常識な人に嫌な思いをさせられるのはよくあることです。

何故わかっていてもわざと非常識なことをするか?
それは非常識な人が困らないからです。
むしろ非常識な人が得をする仕組みだから、人になんて思われようと関係ないと開き直った人が非常識なことをしてしまう隙があるのです。

非常識な人への対策

非常識なことをする人が困る対策をすることです。
他国から訪れた人は日本の常識を知らないのも無理はないことです。(郷に入っては郷に従えという諺があるので、常識を勉強してから来てほしいとも思いますが)
日本の常識に従わなければ、金銭的・時間的ペナルティーを被る仕組みを作るのです。

外国の人に限らず、非常識なことをしても他人が困るだけで、自分は困らない
突き詰めると他人の問題なのです。
非常識なことをする人の問題にしてしまえばよいのです。(誰の問題論
誰の問題かを考え、その人の問題・その人が困る問題になるように仕組みを作り替えるのです。

常識に従わなければ損をして、常識に従えば得をする

そんな発想で世の中のルールを作るようにすれば世の中が少しは変わるのではないかと私は思います。

そもそも常識は明文化されません。
何故ならみんなが当たり前に知っている常識だから。
その常識を知らない人たちがいれば、ルールとして明文化するしかなくなります。
そのルールを非常識な人が損する仕組みにしてしまうのです。

今のルールは非常識な人が見つかると罰を受けるという仕組みです。
それでは見つからないことを目指してしまうだけです。
見つからないことが目的だからです。

常識に従うことを目的にさせるため、常識に従わなければ損をする仕組みづくり。
こんな考え方はいかがでしょうか?

そもそも常識とは何かを考えているのはこちらです。