二つの最善 ~自称最善と絶対最善~

実は最善には2つあるのですが御存知ですか?
言葉で区別するとすれば自分なりの最善である自称最善と、誰が見ても最善である絶対最善です。

自称最善

自称最善はいわば自分なりの最善ということです。主観的最善と言い換えることができます。自称最善は競争相手がいなければ大きな問題にはなりません。自分も納得し、周囲もそれを受け入れます。
しかし競争相手がいれば自称最善はただの自己満足でしかありません。自分なりに最善だと思っていたことが、他の人にとっては努力してない状態とあまり変わらない可能性すらあります。競争のスタートラインにすら立てていないこともあり得ます。

しかし人と比べなければ問題ないのも自称最善の特徴です。他社と比較しなければ自称最善で社内は納得していることもあるようです。

行政・自治体がなかなか動かない・変わっていかないように見えるのも、自称最善だからなのかも知れません。他と比較する発想がないので自分なりの最善を尽くしているので、これ以上どうしようもないと行政側は考えているのかも知れません。

身近な例で考えると、腕立てや腹筋などの筋トレです。自分だけだとどうしても最善を尽くしたつもりでも、少ない回数で挫折してしまいます。これが自称最善です。(そもそも人との比較や競争が無ければ、筋トレをわざわざしないように思います)

絶対最善

絶対最善は誰から見ても最善です。客観的最善と言い換えることができます。もしくは考えつく限りの最善を尽くすのが絶対最善です。考えつく最善があっても、出来ない言い訳をして自分なりの最善で納得出来るのが、自称最善です。
一方誰がみても最善が絶対最善です。

スポーツやコンクールなど人と優劣を競うのは、自称最善の自己満足だけではなく、人と比べることで自分の考え得る絶対最善を引き出す手助けをするためです。

絶対最善、誰が見てもベストを尽くす努力をしたのであれば、勝ち負けや順位は飾りでしかありません。

筋トレの例えであれば、数人で競ってトレーニングしていることを想像してみてください。もしくは目標回数を設定され声をかけられている場面を想像してみてください。筋肉の限界目一杯、もう動かないまで頑張るのが絶対最善です。

競争する『意味』

勝ち負けや順位は絶対最善・誰から見ても最善を引き出すための手段であって、目的ではないのですから。勝ち負けや順位だけに拘るのは、手段と目的を取り違えている人達です。

競争をしなくてもみんなが絶対最善を尽くすのであれば、競争は必要なくなります。

しかし国の方針として競争を排除した国々は、経済的に立ち行かなくなり、淘汰されつつあることが競争の大切さを証明しています。

教育の現場では順位をつけることを躊躇う声が聞こえてきます。競争の『意味』を知らない人が、手段と目的を取り違えた上で、競争自体を排除しようとしているのです。

競うことに疑問を持ってしまったら、絶対最善を尽くすために競争する『意味』を、今一度確認されることをお勧めします。勝つことに『意味』があるのではありません。競うことにこそ大きな『意味』があるのですから。

絶対最善を実践する企業

おまけですが、ある突き抜けた企業は恐らく他社との競争は余り考えていません。考えつく限りのお客さんの最善を絶えず自ら追求しているだけで、他社と比較する必要がない程突き詰めて絶対最善を実践しています。理念・方針が突き抜けているので、他社は競争相手になれないのです。現実に利益は企業の為ならずの私の考えた諺を実践している企業があるのです。(実際にはある企業の経営方針に感銘を受け、この諺を作り出しました。) 私は付け入る隙の無い理想の企業だと思います。

絶対最善企業は改善できる点は、まだ問題が起こっていなくても改善します。何故なら改善策を思い付けば、問題に至る前に対策を取ることが最善だからです。そもそも価値基準・志が自称最善企業とは全く異なります。

出来ない言い訳を考えるか、出来る言い訳・改善点を考えるかの違いかも知れませんね。

絶対最善企業はどれでしょう?

アップルとソニー、トヨタとマツダ、Googleとヤフー、Amazonと楽天