最近でも元首相が「たった2500億円くらい」という失言をして話題になっています。批判する人もいますが、批判してもあまり意味がありません。その理由を解説していきます。
失言する人には自覚がない
人が失言するのは何故でしょうか?それは本人には失言だとわからないからです。自分で言った言葉が違う受け取られ方をされるこのことが想像出来ないのです。この話は失言の本質を既に知っている人には当たり前の話ですし、まだ知らない人にとっては意味不明だと思います。あれだけのことを言っておきながら、失言した本人が失言だとわからないことが理解できないことでしょう。失言した本人にとっては、失言でも何でもないのです。本気で思っているのですから。そして意図していない受け取られ方をするのは、想像すらしていない話で、失言は誤解だと思っているのです。
失言した本人は、失言だと追求されても失言とされる理由がわからず、頭の中はハテナマークばかりで混乱しています。変わったことを言ったつもりはなく、失言とされたこと自体が、失言した人にとっての常識の枠の外の話なので、全く理解できません。どうして失言と言われるのか、世間一般の受け取り方とのズレについて懇切丁寧に誰かに解説してもらわない限り理解できないのです。
失言の原因は話し手と聞き手の感覚の違い
元首相の『たった2500億円』発言の問題点は、庶民にとっては巨額なお金・税金を『たった』と表現していることです。言葉の裏には税金の何十兆円もの使い道を決めているうちの『たった』2500億円というつもりだったのでしょう。
ただ庶民にはそんな感覚は当然ありませんから、人々の払った税金を『たった』と言われたことに怒りを覚えるのです。世間一般の受け取り方の観点が欠落しているのはもちろんですが、自分の言葉が人にどのように受け取られるかを考えて説明する感覚が欠落しているのだと思います。それなら『たったとおっしゃるその度量感服いたします。ということは元首相個人で出してもらえるんですね?』と記者が詰め寄れば元首相も固まったと思います。
税金は自分達が使い道を考えてやっているくらいの錯覚に陥っているのでしょう。
税金何十兆円のうちの『たった2500億円』という感覚と、庶民の生活費が年間数百万円でその一万年分もの金額という感覚とのズレ・ギャップが原因です。元首相の発言をテレビを通して聞く人は庶民なのですから、当然聞く人の感覚で話すことが求められると聞く側の人は思います。失言を繰り返す人には聞く人の感覚が欠落していますので、このことに気付くか口を閉じない限り何度でも失言を繰り返すのです。
失言を繰り返す人
失言を繰り返す人はそんなつもりで言ったわけではなかったから誤解だと言い訳をします(言い訳人間)。言い訳をする人は絶対に成長出来ないので、生暖かい目(諦めて、また失言するのが前提ということ)で見守ってあげて下さい。
失言する人の特徴の一つに自分が正しいと思い込んでいる節があります。正しいと思い込んでいるので、自分の言ったことが正しく、自分の意図と違う解釈をした人が悪いと思っているのです。そのため謝罪会見をしたとしても釈明会見、むしろ言い訳会見となりすっきりしません。自分は悪くないのに誤解されたから仕方なく会見を開いている。自分は悪くないから、悪くないことを少しでもわかってもらうために説明するのです。それが言い訳と受け取られるので逆効果だと理解する客観性も欠落しているようです。謝罪会見で言い訳をしているのを見ると、憐れにすら感じてしまいます。
誰かが教えてあげない限り、次の失言をすると思いますから、生暖かい目で見守ってあげましょう。
失言しない対策
政治家ほど大事にならないとしても失言はだれにでもあり得ます。意図していない受け取られ方をして戸惑うような場面です。友達同士なら笑い話かも知れませんが、ビジネスの場面やそれ程親しくない人との会話で失言と受け取られると取り返しがつかないかも知れません。
そんなことにならないように、日頃から気をつけておくことが大切です。
一番は聞き手の方々の感覚を身につけることです。話す前に客観的にどのように受け取られるかを想定することが出来れば、その想定自体が的はずれでは無い限り致命的な失言は避けることが出来ます。
聞き手の感覚と客観性を身につけるということは、似たようなことですがこれら二つに気をつけることが大切です。
失言を繰り返す人達に誰かこのことを伝えてあげて下さい。
もしよかったら失言から日頃考えていることがわかる、大臣の失言・辞任に思うもご参照ください