学校で勉強するのは何のため?目的は?

学校で勉強するのは何のためか考えてみました。
私も子供の頃は勉強していました。
楽しいとは思わなかったので嫌いでしたが、何となく周りの人たちが勉強するので仕方なくしていました。
何故勉強しなければいけないかと聞かれると一言で説明することがこれまではできませんでした。

最近ふと学校で勉強するのは何のためか改めて考えてみました。
それは一言でいえば、頭の使い方を習得するためだと思います。
人は食べるや寝るといった必要最低限の行動は本能的にできますが、頭の使い方はわからないまま生まれてきます。
その頭の使い方を習得するのが勉強です。
人が他の動物と大きく異なるのは言語というコミュニケーションツールを通して、他人と考えていることを伝え合うことができるからです。その言語能力を養うのが国語や英語の言語の授業です。更に人間は文字を扱うことができることで、時間と空間を超えてコミュニケーションすることができるようになりました。そのコミュニケーション能力を養うために国語や英語を学ぶのです。

では算数や数学、社会や理科を学ぶのは何のためでしょうか?
一つは計算や日常現象の理解に役立つのですが、一番の目的は頭の使い方を学ぶことです。もしかしたら教えている学校の先生もこのことを理解していないのかもしれませんが、物事の考え方を知るために学校で勉強するのです。
学校の勉強を理解するということが頭の使い方を習得していることにつながります。
そして頭の使い方の習得度合いを測るのがテストであり、人と比べ評価するのが偏差値です。頭の使い方が上手な人は偏差値が高い傾向があるため、偏差値が高いことが頭の良さと錯覚されています。注意するべきことは学校での勉強というのは頭の使い方のごく一部しか活用していないことです。頭の使い方の習得度の確認手段であるテストで確認しているのは、一つは暗記力であり、一つはテストという暗記したもので作ったパズルのような問題を解く能力です。

現在学校の勉強の目的はテストで良い点を取ることだと誤解されていますが、頭の使い方を習得することを目的としていると考えると物事の理解が異なります。
具体的には社会生活において、自分の頭で物事を考えるようになることです。
例えば原油価格が下がるとどうなるか?新聞やテレビ、インターネットを見ればどうなるのか解説は数多くあると思いますが、自分の頭で考えるようにするのです。原油価格が下がることで原油輸入国の日本は得をすることになるでしょう。身近な例でいえばガソリンを精製して作っているガソリン価格が下がることが考えられます。原油を高コストで掘り出しているアメリカは困るのかもしれません。何故原油価格が下がっているのかを考えることも頭の使い方を鍛えることには役立ちます。学校の勉強をしっかり習得していれば、このようなことを考えていく素養が育つのです。

頭の使い方を学ぶ

学校で勉強する目的は頭の使い方を学ぶため。
頭の使い方の習得度の一つの目安が偏差値であるということです。
ちなみに競争する意味は、能力を最大限引き出すことを目的とします。
競うことで最大限努力するのです。努力させるために点数をつけて、周囲との序列を確認するために偏差値を活用しているのです。
偏差値を取ることを目的にすることに意味はありません。本来の目的は頭の使い方を習得することなのですから。
偏差値が高いことで自分が頭が良いと錯覚している人も多いのは事実ですが、人より少し暗記力が優れていて、人より少し試験問題というパズルを解く能力が高いだけのことです。
社会に出て役に立つかどうかは全く別問題です。(実際には偏差値が高い人は他の能力が高いことも多いので、ある程度の相関はあります)

頭の使い方とは、記憶力や論理的思考能力などが問われていました。
これからは記憶力ということはあまり意味がなくなります。何故なら機械が物事を正確に記録するのに適していますし、検索も容易になったからです。
これからの人間に求められる能力は論理的思考能力です。
先ほどの原油価格が下がればどうなるかを考察できるような能力が求められるのです。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。