性善説の観点で制度設計するのはただの怠慢

問題が起こった際に性善説で制度設計をしているから仕方ないという話を聞くことがあります。そもそも性善説と性悪説という考え方に無理があります。善悪自体が相対的なものだからです。
そしてただ単に制度の隙に思い至らなかっただけのことで、性善説の立場だから仕方ないと言い訳しているのです。制度の隙をつこうとする人がいるという想像力が欠落しているか、ただ単に想像力を働かせる手間を惜しんだだけのことです。
性善説の観点で作っているのではありません。制度設計の隙を探すという手間を省くという手抜きをしているだけのことです。
性善説の立場でしか考えられない人は制度設計をしてはいけないのです。つまりあらゆる角度から物事を考える知恵のない人間は、悪意を持って制度の隙をつこうとする人がいることを想像出来ないことを性善説という言い訳しているだけです。

例えば盗むような人がいるとは思わなかったから、鍵をかけずに外出するようなものです。盗まれるかもしれないという想像力が足らないだけです。性善説に立って行動している訳ではないはずです。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。