勉強は自己トレーニング法を見つけるための手段

以前学校で勉強する目的は何のためと書きましたが改めて考えてみたいと思います。学校で学ぶ勉強は本来一般常識を身につけるためのものです。基本的な学力を身につけることで、更に様々なことを学ぶ基礎となるのです。

その勉強が社会に出て役立つことはほとんどありません。では何のために勉強などするのでしょうか?勉強は知らないことを知るための手段の習得が目的です。より効率的な知識の吸収の仕方、自己トレーニング方法を探すために勉強するのです。上手な習得方法を見つけることが出来れば、その後の知識の吸収は格段に効率的になります。

つまり学校での勉強は必要な知識を吸収するための効率的な習得方法を身につけるために行うのです。一般的に勉強で必要な知識は学校の教科書として事前に準備されています。事前に準備された内容を理解し知識として吸収することが求められます。ルールは教科書とし準備してもらってあるのです。教科書というルールの中で作られた試験問題というパズルを解く能力を競うのがテストです。習得度合いを教科書の理解度としてテストするのです。いかに効率的な習得の仕方を身につけるかが競わされているのです。

学校の勉強では教科書というルールがあるので、そのルール内で理解出来ていないところを探して理解していくことが求められます。自分に足らない知識を探し出し、そのことを習得するようにするのです。この自己トレーニング方法を身につけるために勉強をするのです。勉強そのものに大した意味はありません。自己トレーニングの手段なのですから。筋力トレーニングの手段であるバーベルやダンベルが日常生活で役立つことが無いように、勉強の手段である教科書に大した意味は無いのです(教科書の中には日常生活に役立つこともありますが)。バーベルやダンベルは効率的な筋力トレーニングの方法を身につけるための手段でしかないのです。バーベルやダンベルはどのようにすれば効率的な筋力アップが出来るか試すための手段なのです。学校の勉強もどのようにすれば、自分の頭の使い方が効率的な考え方が身につくか探すための手段なのです。

例えば三角比など知らなくても日常生活は出来ますし、逆に今の日常生活で三角比を使う場面は思いつかないでしょう。しかし頭の使い方を学ぶために勉強するのです。そんな視点で勉強について考えてみましょう。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。