賢さは言葉の選び方でわかる

人の賢さは言葉の選び方に現れると私は思います。
受験における偏差値の値が頭の良さを表していると誤解している人がいますが、間違っています。偏差値が頭の良さを表すとは限らないのは、偏差値は記憶力とその使い方をテストしているに過ぎない、テストを解くテクニックにより上下すること、すべての人が最大限努力した訳ではないなどです。これらのことにより必ずしも偏差値が頭の良さを表すとは限りません。世間一般で偏差値が頭の良さを表す指標とされているのは、他に数値化できるような適切な物差しがないため次善の策として代用しているに過ぎません。仕方なく代用していることを知らない人は、偏差値が高い人こそが頭が良いという錯覚に陥っています。

賢さは言葉の選び方わかる

私は人の賢さは言葉の選び方でわかると思います。
その場その場に応じた言葉を選ぶことで相手に納得してもらったり、相手に気付きを与えたりすることができます。時に笑いを誘うことができるのです。
逆に失言する人は相手がどのように受け取る可能性があるのかという想像力が足らないのです。言い換えると賢さが足らないのだと思います。失言した人は後で仕方なく言い訳をしますが、そもそも思慮が足らないことが多いので何故人に指摘されるのか理解できないことも多々あります。

説明の上手な人

説明の上手な人は言葉の選び方が適切で賢いと私は思います。相手の元々持っている知識を推し量り、相手にわかる言葉を選んで相手のわかるように説明することができます。相手の理解できる言葉を選ぶことができるのです。賢い言葉の選び方の一つに曖昧な言葉を明確に区別して使い分けることがあります。例えばご飯という言葉一つとっても、お米を炊いたものという意味もあれば、食事という意味合いもあります。『ご飯を食べないように』という一言でも、『お米を食べないように』と『食事をしないように』と明確に区別するです。思慮が足らない人は、一つの意味で思い込んでいるので『ご飯を食べないように』と伝えれば、『食事をしないように』という訳がないからお米のことだとわかるはずだと思い込んでいるので『ご飯を食べないように』という言い方をします。つまり考えればわかるでしょと高をくくっているのです。賢い人はそもそも誤解されると損なので、相手が考えないといけないような言葉を選びません。相手が考えなければ伝わらない言い方は伝達に時間がかかり、受け取り方が人によってことなることが時間の無駄だと知っているのです。賢い人は相手が誤解する隙をなくすような説明の仕方をします。誤解する余地のない言葉を選ぶことができるのです。

言葉の凝縮について

説明の上手な人の賢い言葉の選び方の一つは、言葉を凝縮して伝えることです。人は多くのことを話すと論点が曖昧になり物事が伝わらなくなります。そこで説明の上手な人は相手に伝わるように言葉を凝縮して伝えようとします。物事が伝わるように言葉を凝縮出来ることこそが言葉の選び方の最たるものだと私は思います。相手に驚かれるく程の凝縮した一言を伝えることができるかどうかで、賢さがわかると思います。大袈裟に話すとか嘘をつくなど物事の本質からずれた驚きを与えるのは論外ですが、本質をつく一言に凝縮できる人は賢いと思います。更にそれを前もって時間を考えて凝縮するのではなく、瞬時に言葉の凝縮を行える人はかなり賢いと私は思います。
言葉の凝縮とは、言いたいことを考え抜いた一言で伝えるのです。
ちょうど選挙公約やマニュフェストのようなものです(これらは嘘・偽りや努力目標のような意味合いがありますが・・・)。

言葉の凝縮の利点は伝えたいことが、瞬時に伝わることです。
多くの言葉を使って話をする間に、多くの言葉を使えば使うほど言いたいことが曖昧に薄れていくのと対照的に、言葉を凝縮すると瞬時に伝えることができます。
逆に瞬時に伝えることのできる言葉の選び方ができる人こそが賢いと私は思います。
ちなみにテレビでは回りくどい言い方をすることが多いのは、伝えることが目的ではなく長く見てもらうことが目的のためCMまでの場つなぎをしなければならないからです。
言葉を選んで短くまとめてしまうとCMまでの間がもたないため、時間稼ぎをするような話し方になってしまうようです。時間に応じて話し方を変えることのできる人は、言葉の凝縮ができる人よりも更に賢いと私は思います。

お笑い芸人の場合

例えば何もないところから笑いを生み出す、お笑い芸人は瞬間的な言葉の選び方により笑いを作り出すことができます。何もないところからみんなの笑いを誘う一言を瞬時に選び出すことができるのです。コンテストで優勝した漫才師やお笑い芸人が一発屋で終わるか、総合司会(MC)を出来るようになるかはこの言葉の選び方ができるかどうかです。一発屋で終わる人は何か月もかけてネタを練り上げて、言葉を選び・凝縮することには長けていますが、瞬間的な笑いを誘う言葉の選び方が出来ないのです。ちなみに今ではよく使われる天然とは、狙って笑いを誘うことに対して、何も考えず素の状態で笑いを誘うことから天然と言われるようになったそうです。言い換えれば天然とは笑わせているのではなく、笑われているだけということです。

言葉の選び方で賢さがわかってしまう

幸い今のところ偏差値のように言葉の選び方で賢さが数値化されることはありません。しかし言葉の選び方の上手・下手で賢さは相手にわかってしまいます。数値化はされないものの誰と誰を比べればこちらの方の言葉の選び方の方が適切という相対評価はできてしまいます。つまり偏差値のような絶対評価(全員が偏差値試験を受けていないなど各種理由により正確には絶対評価ではありませんが、数値化できる点で疑似絶対評価とみなすことができるという意味合いです)は今のところできないものの、相対評価はできるのです。
原稿を読むのでは賢さはわかりません(そもそもその人が書いたかどうかもわからないため)が、原稿のないフリートークをすれば言葉の選び方で賢さは比べることができるようです。

音声認識の精度が上がり人工知能が発達すれば、言葉の選び方から賢さをはかることのできる時代がやってくると思います。言葉の選び方から賢さを数値化できる時代がくると思います。恐らく100年はかからないと思いますので、言葉の選び方を磨くことをお勧めします。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。