人間は動物であり、食べ物を食べない限り生き続けることは出来ません。生命を維持するために必ず何かを食べて生きています。
必ず行う行為である食べるという行為ですが、どうせ食べるなら美味しい物を食べるというのは大きな落とし穴があります。
食は生命を維持するために必要ですが、美味しさという快楽は必ずしも必要ではありません。美味しさを追求するということは快楽を追求することに繋がり、溺れてしまうことがあるのです。
美味しさに溺れる一例が糖依存です。糖質という美味しさに溺れてしまい、人類の進化の歴史とともに精製することで糖質の純度をあげていきました。小麦は全粒粉から小麦粉に、米は玄米から白米に純度をあげて美味しさを追求しました。益々快楽の虜になってしまったのです。
生活が豊かになったおかげで、生きるための食と快楽のための食が曖昧になってきました。その結果お金に余裕があれば美味しい物を食べようするようになりました。実は美味しさという快楽に依存してしまい、美味依存とでもいうべき、お金に余裕が無くてもとにかく美味しい物を食べようとする人までいるのです。
どうせ食べるなら美味しい物を食べようと考えることで、糖質依存や美味依存という罠に陥るかもしれません。糖質依存や美味依存に陥ると、肥満や2型糖尿病や各種アレルギーなど病気になるかもしれませんし、必要以上に食費がかかるのでお金にも困ることになります。これらの弊害全て合わせて罠にはまるようなものです。罠に陥ることのないように食べる『意味』を考えるようにしましょう。栄養補給の食なのか、快楽のための食なのかです。いつも快楽を追求すると罠に陥るので気をつけるようにしましょう。