ガラケー遣い
日本独特の進化を遂げた携帯電話のことを、ダーウィンの進化論の舞台になったガラパゴス諸島になぞらえてガラパゴス携帯、通称ガラケーと言われます。電話とメール機能、iモードなど限られたインターネット機能に特化した携帯電話です。ガラケーを使っている人のことをガラケー遣いと表現してみます。
スマホ遣い
スマホとはスマートフォンの略称です。スマートフォンは元々は賢い電話という意味で名付けられたものて、高性能な電話でいわば手の中のパソコンです。その賢い電話を使う人のことをスマホ遣いと表現してみます。
ガラケーとスマホの違い
ガラケーは限られた機能に特化した電話です。ソフトという概念がほとんどない携帯電話で、電卓やワープロ専用機のような一つのことだけ行う機械です。機能が特化されているのであれこれ悩む必要がありません。情報の取り扱いも電話での会話とメール程度に限られるので情報が多過ぎて混乱することがありません。利用料金が安いのも特徴です。
スマホはいわばパソコンのようなものです。インターネットに容易に接続出来るため、欲しい情報を手に入れることが出来ます。アプリがなければ何も出来ませんが、アプリさえあれば可能性は無限に広がります。使い方次第で何でもこなすことが出来るのが特徴です。
一言でまとめるとガラケーは悩ます扱うことが出来、スマホは使う人が何をするか考える必要があるようです。
ガラケー遣いとスマホ遣いの違い
ガラケー遣いは電話、メールしかしません。他のスマホの持つ機能を必要としないことが特徴です。このことからガラケー遣いとスマホ遣いの違いを考えてみます。一言で言えば情報の取り扱いの違いです。
ガラケー遣いの人は情報を持て余しているのです。もしくは情報を得ることを余り重要だとは考えていません。携帯電話から得られる情報を必要としないのでガラケーで十分なのです。
一方スマホ遣いの人は情報を使いこなしています。何をするにもまずスマホで情報を得ることが優先されます。何故ならスマホで得られる情報は手に入れておく方がお得だからです。例えば行きたい場所の検索をしてみると、割引券があったら、空いている時間を教えてくれたりします。スマホに打ち込んで検索をかけるというほんの少しの手間だけで、簡単に情報が手に入るのです。たまたま検索せずに後でお得な情報があったことを知ると非常に損した気分になります。その経験が次の検索につながるので、益々検索するようになるのです。
一度スマホの便利さを手に入れると、手放すことは困難になります。ガラケー遣いの人の考え方がスマホ遣いの人にとって理解出来ないのは、情報の価値を知らないことが想像出来ないからです。
ガラケー遣いの人とスマホ遣いの人の違いは、情報の価値の感受性の違いです。
スマホ遣いの人からみると検索出来ないガラケーを持つことは不安に感じますが、ガラケー遣いの人は検索するつもりがないので不便でもなんでもないのです。
とはいえスマホ遣いと言ってもゲームしかしていない人も多いのかもしれません。高いスマホを使ってゲームをしているのであれば、安い料金でガラケーを使う方がお得かもしれません。少なくともガラケーはゲームによってガラケー遣いの時間を奪ったりしないからです。