新幹線のインシデントのワイドショーでの報道を見ていると責め立てる口調のため、ふと思ったことを書いてみます。起こってしまったことを責め立てても意味がありません。もちろん現場の方々はわかっておられると思いますが、意味があるとすれば失敗を次にいかすことです。そのことを書いてみたいと思います。
『原因論』より『目的論』
こういう事案の際にも人間関係の場合同様『原因論』より『目的論』が有効です。何故このようなインシデントが起こったかを追求する『原因論』では解決が見出せません。何故なら人は出来れば責められなくはないため、責められるような内容は隠そうとしてしまいます。故意にしたミスであれば責め立てられて当然ですが、故意で無ければ何らかのミスの起こる仕組みがあったと考えるべきです。『原因論』では責任の所在を特定し、責任を取らせるという考え方です。誰しも責任を取らされたくはないため、情報を隠そうととしたり場合によっては嘘をつくことをあるでしょう。『原因論』では情報の隠蔽や虚偽を見抜くという無駄な作業を強いられます。その無駄な作業の分解決しにくくなります。
『目的論』では再発防止を主眼に、そのためにはどうすべきかを考えます。誰の責任かは二の次にするのです。
例えば今回のインシデントでは、異臭がしたが運行した。誰が運行を許可したのかを責め立てるのが『原因論』です。どうすればこのインシデントを避けることが出来たかを考えるのが『目的論』です。恐らく異臭がすれば停車駅で運行を停止し、少なくとも目視での異常を確認をするということです。
今回のインシデントの二つの学ぶべき点が
今回のインシデントでは、正常バイアスという思い込みと念のための確認の大切さの二つを学ぶべきだと思います。
正常バイアス
人は決定的なことがなければ大丈夫だと思い込む性質があります。時として決定的なことさえも大丈夫だと錯覚してしまうことがあります。例えば部屋に煙が流入しても周りの人が慌てていなければ、大丈夫だと錯覚して確認しようとしないそうです。
今回は異臭という決定的なことがあっても、事故は起こらないはずという思い込みが運行の継続を決めてしまったようです。
例えば航空機で異臭があれば間違いなく最寄りの空港に着陸するはずです。飛行機は何かあれば墜落するので、
念のため確認する
大丈夫だろうと思い込むと確認を怠りがちです。今回のインシデントでも台座に亀裂が入るなどとは想像してはいなかったでしょう。大丈夫だろうと思い込むことで、確認することなくそのまま運行することを選択してしまったのです。
今回わかったことは念のために名古屋駅で確認したことで、最悪の事態を避けることが出来ました。もし名古屋駅でも念のため確認することを怠っていれば、最悪の事態、台座の破断・脱線になっていたことでしょう。
私は横断歩道を渡る際に後ろを見ることを提案していますが、この後ろを見るのも念のため確認する行為です。
もう一つの確認は非破壊検査での確認です。もちろん目視での確認は毎日行っていたはずですが、破壊せずに検査する検査の仕方や間隔を検討することになるでしょう。具体的には目視だけでなく赤外線や紫外線での確認は毎日されるようになるかもしれません。手間のかかる磁力線による非破壊検査(金属に電流を流すと目に見えないような微小な亀裂があれば磁気が乱れることを検出する検査)も頻繁に行うことになるのかもしれません。
大丈夫であっても確認する。
確認は一時のことですが、万が一問題があって放置すれば取り返しのつかない結果を招くことがあるからです。少しの手間を惜しむことで結果として多大な労力を費やしてしまう。
大丈夫だろうと思っても確認する。このことを理解していなければ、これまで経験していない未知のアクシデントには対処出来ないと思います。
今回名古屋駅で確認された方々は何人もの命を救ったのではないかと思います。
新幹線のインシデントの報道から、私は大丈夫だろうと思っても確認する大切さを学びました。