議論紛糾 老後2000万円問題に思う

今カフェインの害について書いているところですが、色々書きたいことが整理出来ないため、なかなか筆が進まず(携帯で打ち込んでいるので、実際に書いてはいませんが…)日々すぎています。ふと思い立って時事ネタを書いてみることにしました。カフェインの話はもう少しお待ちください。一言で説明すればカフェインはやめましょうです。

テレビをつけると老後2000万円必要という試算が金融庁から出されたことで賑わっているようです。

私は3つ思うことがあります。1つ目は野党があげ足を取るようなことをしても意味がないこと。2つ目はそもそも収入以上の支出を前提にしていること。最後の1つは何の目的で2000万円必要というデータを出したかです。

あげ足について(追及の目的)

2000万円必要という試算に対して私があげ足だと思うのは、あくまでも試算であり2000万円不足する人もいるというモデルケースを提案したに過ぎないからです。

収入は◯円で、支出が◯円プラス5万円の生活をしたければ、2000万円不足しますよというだけのことです。

それを鬼の首を取ったような反応をするのは時間の無駄です。

何故なら騒いでいる人達の目的は、2000万円不足するということ自体が問題ではなく、相手を攻撃して貶めることで自分達が優位に立ちたいというマウンティングをしているに過ぎないからです。

かつて野党の追及の仕方に意味があった試しがないように思います。どちらが優位に立つかの攻防をして、結局優劣を決める決め手には欠けるからです。一言で言えば騒いで終わり、時間ばかり浪費して得るものがないと思います。(追及している自分に酔っている節はありますが…)

収入以上の支出

収入を超える生活をする前提あるいは現役時代と同じような生活水準を維持することが前提なことに違和感を感じます。

例えば月20万円の収入しかなければ、20万円の生活をすることを前提にすべきではないでしょうか?それを25万円の生活をすればお金が足りませんとは、滅茶苦茶な理屈です。現役時代の水準を維持するならという仮定そのものに無理があるように思います。

生活水準を維持したい人は2000万円の準備が必要ですと提案するべきだと思います。

また歳を取ると旅行などに行けなくてお金を使う機会も減ると思います。(その分介護費用がかかる場合もありますが…)退職後の元気な老後を90歳こえても続けることにも無理があるように思います。

一言で言えば引退後の生活は各個人が考えるべき問題であって、他人からお金が足らないと詰め寄られる筋合いのものではないように思います。それこそ老後を楽しみたい人は2000万円では到底足らないでしょうし、慎ましく生活する方はお金が減らない、年金が貯まって仕方がないという人もいるでしょう。

金融庁の目的

人は必ず目的を持って行動しています。個人個人だけでなく、組織としても目的を持って行動するはずです。しかしその目的(多くが自分の利益を求めているだけ)を隠して、受け入れてもらえそうな言い訳にすり替えています。

今回であれば老後2000万円足らないけど大丈夫?という親切心を装って不安を煽っていることです。

金融庁の目的(金融庁が得するであろうこと)は金融資産を増やしてもらうことでしょう。2000万円足らないから貯金しましょう。投資をしましょう。ということのようです。

目的で議論すべきでは?

人の行動には必ず目的があるというアドラーの心理学に基づいて、様々な議論は目的を元に議論すべきだと私は思います。一般的な議論では理由を聞かれることが多いと思いますが、理由は言い訳に過ぎず二次的あるいは三次的なこじつけでしかありません。目的はすり替えることは難しいため、議論に意味があると思います。

例えば、「金融庁が老後2000万円足らないと発表した目的は何ですか?」

野党に対しては、「老後2000万円足らない人もいると思いますが個人それぞれのお金の遣い方次第だと思います。あえて追及する目的は何ですか?」

といった具合です。自分達の利益が目的なのに、その目的をすり替えた建前で議論しても無意味です。

テレビでも有意義な議論を見ることが出来るようになるのはいつの日になるのでしょうか…

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。