万引き防止 テレビの報道の仕方

万引き防止について考えてみます。
万引きの現行犯逮捕のドキュメント番組を見ていると視聴者に誤解を与えると思います。もしかしたらドキュメント番組の制作者も誤解しているのかもしれません。何故なら万引きは商品を占有した時点で成立します。つまり商品をポケットに隠した時点で成立するのです。しかし捕まえる際にレジで支払いをするつもりだったと言い訳をされると面倒なので言い訳出来ない状況、お店を出るまで待っているに過ぎません。万引き犯は犯罪者に過ぎませんが、あくまでもお客さんという立場を尊重し店を出るまで待っているだけです。

万引きのドキュメント番組を見ているとお店を出なければ犯罪が成立していない印象を受けてしまいます。万引き犯への警告を込めて商品を隠した時点で万引きが成立することをテレビで報道するべきでしょう。捕まえる基準をお店を出た時点とするのは各店舗がトラブルを避けるための判断に過ぎないことを伝えるだけで、万引きの抑止効果が多少は期待出来ると思います。

私が調べた情報によると、かなり古い判例ですが商品を隠した時点でお店を出ていなくても立件された実例があるようです。

例えばドキュメント番組で商品を隠した時点で、犯罪成立と宣言してテロップで万引きは商品を隠した時点で成立しますと流すことです。お店を出るまでは捕まらないとタカをくくっている万引きする人を動揺させる効果が期待出来るのではないかと思います。

何故このような報道の仕方をしないのか不思議です。犯罪抑止につながるので、万引きされるお店はもちろん、万引きする人も減るので、みんなの役にも立つと思うので是非このような報道をして欲しいものです。

私がテレビ局の社外取締役ならすぐにでもこのような視点でのドキュメント番組の制作を進言します。

人気チケットはオークション販売しては?

日本は資本主義の国です。様々な物事をお金に変換して取り引きを行います。資本主義は競争により発展してきました。
クライマックスシリーズや日本シリーズ・プロ野球をはじめコンサート・イベントの人気チケットなどは興行主によるオークション販売が適切だと私は思います。定価という頭打ちの金額設定の方が一見良心的に思えますが、本来の資本主義の原理からすれば需要と供給の兼ね合いにより金額が決まるはずです。様々な要因により需要と供給のバランスから乖離した金額設定されることにより、購入希望者が殺到して混乱してしまいます。

お金を持っている人が有利でずるいという人もいるかもしれませんが、多くの事柄は需要と供給のバランスから金額が設定されています。どんな金額になっても良いからどうしても欲しい人がいるからダフ屋という商売が成り立つのです。ダフ屋対策にもオークションは有効です。

全てオークションにすると管理が大変だと思いますので、一部の席を興行主がオークションで募集すると私は良いと思います。経済の流れに沿った仕組みだと思います。

オークションの売り上げの一部を優秀選手にプレゼントするのも面白い企画だと思います。

私自身はお金を出してまで見ようとは思いませんので関係ない話ですが、ファンにとってはお金で済むなら何万円でも出したい人も多いことでしょう。

新しい仕組みが出来ると面白いですね。

回転寿司が回転寿司ではなくなる日

回転寿司はお皿にのせたお寿司を回転レーンに流して、好きなお寿司をお客さんがとって食べるというビジネスモデルです。元々は回転寿司のチェーン店でしたが、最近では回転しないお寿司屋さんが出てきました。無駄なことは削ぎ落とされていますが、回転レーンが無駄だったことに気付いたチェーン店が出てきたようです。
以前は高い食べ物の代名詞の一つだったお寿司を、注文の前に作るという工夫により誰でも食べることの出来る食べ物に変えた仕組みでした。

注文される前に作るという仕組みが、値段を下げることに役立ちましたが、回転していないお寿司を注文するスタイルが広まりました。そうなってくると回転レーンで干からびたお寿司を食べてくれるお客さんは次第に減ってしまいます。最初から回転レーンを見ないお客さんも多くなります。

回転寿司が生まれた当時は注文する前にお寿司が出来ているのは画期的でした。これ以上ないファーストフードです。安くて早くて美味いのですから、これまで時価で得体の知れない食べ物だったお寿司のイメージを一新しました。多くの回らないお寿司屋さんを閉店に追い込みました。回らないお寿司屋さんの味がいくら良くても、回転寿司の早くて安いお寿司と勝負にはならなかったのです。

回転寿司は非常に競争の激しい業種です。競争が激しいだけに無駄なことをしていては淘汰されてしまいます。今回は回転レーンが無駄だと気付いたのです。恐らく多くの飲食店でこの形に行き着くでしょう。タッチパネルで注文して機械に配膳してもらうか、自分で取りにいくセルフ式かです。

一回の注文で終了し追加注文がなければ、自分で席まで運ぶのが合理的です。牛丼屋さんなどはタッチパネルで注文しお金を支払い、品物を持って自分で席に運ぶのが無駄のないスタイルでしょう。

お寿司のように次々追加注文する場合には、機械に配膳してもらう方が合理的です。ファミリーレストランもいずれは機械によって配膳されるお店が出てくるでしょう。少なくともファミリーレストランでもタッチパネルで注文するようになるでしょう。

無駄を省くことが合理的です。何故なら無駄とは本来なら不要なものだからです。無駄に気付かなかっただけか、技術的に改善策が見出せなかったため無駄ではあっても仕方なかったのです。

少し前までは無駄を省くことが、有利に商売を進める知恵でした。無駄を省くと有利だったのです。これからは違います。無駄を省くのは当たり前で、如何に素早く無駄を省くことが出来るかが問われます。

回転寿司が回転寿司ではなくなる日

回転寿司から回転レーンが無くなると、何寿司と呼ぶようになるのか楽しみです。最初に呼び方を考える寿司チェーンが、飲食店の未来を切り開くかもしれませんね。

生き残るか淘汰されるかは比較によります。回らないお寿司屋さんと比較すると回転寿司は圧勝でした。回転レーンのある回転寿司と回転レーンを無くしたお寿司屋さんがあれば、廃棄ロスの生じる回転レーンは無駄でしかありません。廃棄ロスの分割高な物を食べることになるのです。金額は変わらなくても質の劣るものを食べることになるのです。

無駄の排除

競合が無ければすぐに淘汰されることはないかもしれません。しかし無駄のない他のチェーンにいくことでがっかりしてしまいます。比較することで違いが浮き彫りになるのです。

今は回転寿司チェーン毎に無駄な物が散在しています。削り落としているところもあれば、無駄が残っているところもあります。どのチェーンが何を削り落としているか観察してみてください。全ての無駄を一番に無くしたチェーンが勝者です。

思いつく回転寿司の無駄は

  • 回転レーン(注文品が回転レーンで届くのは論外)
  • 注文を聞く店員(タッチパネルで不要)
  • 配膳する店員(飲み物もセルフ・自動配膳で対応)
  • 下げ膳する店員(専用レーンに流し入れるだけで洗浄する)
  • 待ち時間(予約システムで改善)
  • 座席(ネットオーダーで持ち帰り対応。お店で食べることが無駄という考え方。待ち時間短縮に繋がる)
  • シャリ(糖質が不要だという糖質回避の考え方です。このことについては改めて書きます)

私の知る限り全てを突き詰め兼ね備えたチェーン店はないようです。これらの無駄を全て削ぎ落とした企業が他を圧倒すると思います。どの企業が一番乗りするのか楽しみです。回転寿司から新しい名前を生み出す企業に注目です。

借金してまで生活する『意味』

借金して生活する『意味』を考えてみます。

本来なら借金は突発的に収入が減ることや突発的な支出に対して行うものです。日常の生活費が足らないために借金することは、いずれ破綻してしまいます。生活費が足らなくなるのは、収入に対して生活レベルが高過ぎるのです。お金を借りることが出来た時点で、お金が増えたと錯覚してしまうのです。利息を支払う分、明らかに負担が増えるのですが返済が長期に渡ると月々の返済が少なくなるので得した錯覚に陥ります。

日頃の生活費が足らない時点で、生活レベルを見直すべきです。貯蓄には無駄を省くより生活レベルを見直すことと同じ発想です。予想外のことが起こった際の借金は仕方ないかもしれませんが、借金をしなければ生活費が足らないのは生活レベルの設定ミスです。先日は高額所得者が経済的に困窮か破産する話を書きましたが、誰でも生活レベルの設定ミスにより経済的に破綻する可能性があるのです。「衝動買いの心理」により錯覚を起こし、どうしても欲しくなるのです。「衝動買いの心理」を我慢しなくて済む仕組みの一つが借金という仕組みです。通常人は手元にお金が無くなった時点でお金を使うことが出来なくなります。使うことの出来るお金に制限があるので、「衝動買いの心理」に打ち勝ち買い過ぎないように気をつけます。その当たり前の仕組みを借金がすり抜けてしまうのです。手持ちのお金という制限を取り払ってしまうので、歯止めがきかなくなり使い続けてしまうのです。生活レベルを見直さない限り、借金出来なくなるまで使い続けてしまうのです。

いわば借金への依存した状態に陥っています。客観的に見れば生活レベルの設定ミスが明らかですが、本人は借金が異常な状態だと気付くことが出来ないのです。気付いたとしても生活レベルを見直すという発想には思い至らないので破綻が避けられなくなってしまいます。

対策は少しでも早く生活レベルを見直すことです。現時点で贅沢している訳ではないので、1人で見直すことは無理です。そもそも当たり前だと考えている生活レベルの設定ミスだからです。誰かに生活レベルの設定方法を改めて相談するしかありません。

大きな借金

大きな借金が今回の本題です。大きな借金とは国の借金です。上記の借金の主を国に置き換えてみてください。毎年国債により借金し予算を組んでいる状態です。客観的にみれば生活レベルが高過ぎるのです。借金の分無理をしている状態です。先程の話同様自ら正すことは出来ません。借金で生活するのが当たり前で、贅沢している自覚がないからです。

このままでは借金出来なくなるまで使い続けてしまうでしょう。税収が増え借金をかえすことが出来る奇跡が起こるか、大混乱しない程度の国の破綻の仕方を祈るばかりです。それとも財政を立て直すことの出来る魔法のような知恵を持つ政治家が現れ、生活レベルの見直しをしてくれることを祈ります。

残業代が長時間労働を生む

残業代が長時間労働を生むきっかけになっているという話です。

残業代が長時間労働を生み出す

残業代は割り増しになるので、労働者にとってお得です。残業代目当てにわざとゆっくり仕事をする労働者も大勢いることでしょう。今の所上司が仕事振りを見極めるしかありません。上司の目が節穴なら残業代は貰い放題でしょう。残業代目当てにわざとゆっくり仕事をすることに対して悪気はありません。わざとゆっくり仕事をしている自覚すらない人も大勢います。他人から見ると今する必要のないことをわざわざして仕事をしている振りをしています。人は無意識のうちに損得で動いているという損得主義の考え方からすれば、ゆっくり仕事をすればする程残業代が増えるのですから、労働者が得をするための当たり前の行動です。

仕事の能率に関わらず残業代が支払われる仕組みに問題があります。

サービス残業が更に長時間労働を生み出す

もっと長時間労働を生み出すのは、サービス残業です。いくら仕事をさせてもコストが増えないのですから、労働者にどの仕事をさせるかさせないかの吟味がないまま全ての仕事をさせるようになります。この仕組みが労働生産性を引き下げ、長時間労働を強いることにつながります。

労働者の仕事の量がどれだけ増えても経営者が困らない仕組みに問題があります。

長時間労働の対策

まず大前提として、仕事を無尽蔵に増やさないために残業代は支払うべきです。残業代を支払わない時点で、仕事を取捨選択する動機がなくなるからです。不必要でもコストがかからなければ、念のためやっておくことになるからです。不必要な無駄なことを念のためにすることを避けるために、適切な残業代を支払い仕事をするべきです。

しかしいくら取捨選択して仕事を吟味しても、無尽蔵に残業代を支払うのではわざとゆっくり仕事をする輩を排除出来ません。そこで一つの対策は定時の時点で仕事の終わった人に、定時で仕事が終わっていない人の仕事を割り振るのです。そもそも定時に仕事が終わらない人は能率が悪い可能性があるので、能率の悪い人に割り増しの残業代を支払うのは経済的ではないからです。ゆっくりしても定時で人に引き継ぐことになるため、自分は得にはなりません。

結果として残業代を受け取る人は仕事の能率が良いことがわかりますし、定時で帰る人は能率が悪いことがわかります。

万が一リストラとなった場合、客観的にみて定時に仕事が終わらず他人に後始末してもらうことが続く人が一番の候補になるでしょう。異動の際も他の部署でなら効率良く働くことが出来るかもしれないので、早目に候補に上がるでしょう。

わざとゆっくり仕事をする人と、目一杯仕事をする人との区別出来る効果的な方法だと私は思います。

定時の時点で残りの仕事を引き継ぐことが出来ないと言い出す人がいますが、終わった仕事と残りの仕事を明確に区別出来ないだけです。

このような仕組みにすると面倒なことは他人に任せようとする人も出てきますが、そのような人は仕事に向いていないのでいずれ職場から消える運命でしょう。残業出来る人と、人に残業させる人という具合に仕事振りが区別出来るようになるのがわかりやすい会社だと私は思います。

もし万が一みんなの仕事が定時に終わらないのであれば、そもそも労働者の数き対して仕事の量が多過ぎるのではないかと思います。本当に必要な仕事かどうか、念のための無駄な仕事が含まれていないか考えるべきだと私は思います。

マンションに児童相談所を作る問題について

ある都市でマンションに児童相談所が入ることが計画され問題になっているようです。構造上は同じ建物ではあるが、入り口は別なので別の施設という言い訳をしているようです。

住人の方は不安を口にされていますが、不安は反対するための言い訳に過ぎません。ただマンションに児童相談所が入るのは初めてのことなので何が起こり得るのか予測出来ないので不安に感じるのも仕方ないことです。不安を理由にしても行政側は相手にしてはくれないでしょう。

そこで私が住人ならどうするかを考えてみました。前もって起こり得ることを住人側が最悪のことも含めて想定し話し合うことです。行政側がそんなことは起こり得ないといえば、万が一起こった場合に備えて公正証書を作成してもらうのです。最悪の場合は我慢出来ず転居せざるを得ないことでしょう。そうなればマンションの購入費用、転居費用、慰謝料を前もって試算し公正証書にしておくのです。行政側が本当に起こり得ないと考えていれば高額な慰謝料をあらかじめ設定してくれるでしょうし、実は起こるかもしれないと考えていれば出来るだけ慰謝料は少なめに設定しようとするはずです。その時点でどのように想定しているかが透けて見えてきます。

行政側の良くいう問題ないから大丈夫に対抗して、問題ないなら口だけではなく公正証書で前もって保障を確定しておいてください。と切り返すのです。このままでは計画を止めることは困難でしょう。もし賠償額が最悪の場合何億円にもなるとわかれば、議員達も立ち止まって考えるでしょう。

最悪の場合はこのように保障させていただきますので、見守ってくださいといずれにしても損得のない状態にするしか円満な解決策はないと私は思います。

私は児童相談所は必要だと思いますし、大変なお仕事をされていると思います。しかし街中のマンションにわざわざ入所する合理的な理由があるとはそれ程思えません。更に移転を決めてから、移転するために理屈を後付けしているようにしか思えません。その証拠に既に予算がついているそうです。

空いているから手っ取り早く使ってしまおう。万が一後で問題になれば、誰か他の人間が後始末するだろうという思惑が透けて見えてきます。その後で問題になる前に、今公正証書で保障してもらうのが一案だと私は思いますがいかがでしょうか?

誰にも未来は予測出来ないのですが、人間の知恵によりどのようになっても困らないように前もって保障の仕組みを作るのが公平な考え方だと私は思います。

扶養控除の廃止で家族観が変わる

どうやら2017年に扶養控除(配偶者控除)が廃止されるようです。
扶養控除といえば、既に2012年から16歳未満の子供に対する扶養控除が廃止されています。子供手当が導入された代わりに扶養控除が廃止されたそうですが、子供手当がもらえない家庭では実質の増税でしかありません。将来の納税者である子供達にもかかわらず、親が身銭を切って育てることを促す仕組みのようです。将来より多く納税してもらうための投資と考えれば、子供達に国がお金を使う方が合理的だと私は思いますが国はそうは考えてはいないようです。

子供に対する扶養控除が廃止された時点で、納税後の可処分所得から子供を育てることを意味します。扶養控除が認められていたのは子供達の生きていく上での必要な費用の基礎控除のようなものだと思います。子供達は直接納税しない(将来は長年に渡り納税するのですが)ので子供達の生活費は必要経費とは認められないという考え方なのでしょう。子供達には選挙権も無いので、政治家達は遠慮なく子供達の扶養控除を無くしたのでしょう。

子育てはお金には代え難い喜びも有りますが、子供達の扶養控除を無くすことは経済的に親世代を追い詰めてしまいます。子供手当があるとはいえ、子供を育てない方向に向かわせてしまうでしょう。

次は配偶者控除が廃止されるようです。専業主婦家庭の負担が増えることになります。働いている主婦の方は経済的に恵まれるかもしれません。結婚して専業主婦になるつもりだった女性は結婚を躊躇うようになるでしょう。現在専業主婦の方は働く方向にに傾くかもしれません。

専業主婦の方の労働力を掘り起こすという目的であれば、配偶者控除を廃止するのは理にかなっているのかもしれません。

私が政治を行うのであれば結婚や子育てすると税制上お得な仕組みを作ります。何故なら子育てする子供たちは将来納税してくれる国の宝だからです。結婚は子供を生む元となる行動だからです。

回転寿司の価格が下がったからデフレ再燃?

ある大手回転寿司が一皿100円を一皿90円に値下げしたそうです。このことからデフレ再燃と言われているようですが、私は違うように思います。回転寿司が値下げしたからデフレに気付いただけのことです。デフレは以前から現在に至るまで、現在進行形で続いていると思います。

例えば100円ショップに行けば100円とは思えないような商品が多数あります。逆に何か簡単な物を買おうと思えば、まず100円ショップから探すべきだと思います。つまり似たような物が100円に値下がりしているのです。

技術の進歩により似たような物を安く作る知恵者が、価格を押し下げているのです。

バブル崩壊後リーマンショックでデフレに突入したように言われていますが、経済の仕組みがデフレに向かっているようです。

以前は技術の進歩により高機能の物が新たに売り出され世の中を変えることで経済が回っていました。今は技術の進歩により同じ物や似たような物を安く作ることが出来るようになりつつあります。丁度革新的な新製品は高くても、しばらくすると次第に値段の安い製品が出てくるのと同じようなことが様々な分野で起こっています。この仕組みがデフレを長引かせているのです。

デフレにより賃金が上がらなくても、以前より少ない費用で同じような生活をすることが出来るのです。

先程技術の進歩により物の値段が下がると書きましたが、適切な情報により無駄が省かれつつあることもお金を使わない方向に向かわせています。例えば一昔前までは病気のことを知りたければ医者に聞くしかありませんでした。今ではインターネットを検索すると詳しく説明されているサイトを見つけることが出来ます。どのサイトを信じるかの問題はありますが、以前のように医者に聞くしか病気のことを知ることが出来なかったことを考えると格段の進歩です。病気の正確な診断には今でも受診が必要ですが、病気のことを聞くだけであれば受診する必要がなくなりつつあるのです。

情報により無駄が省かれている例としては、電気製品の購入でも行われています。買いたい電気製品が決まっている場合には、わざわざ電気店に行く必要がなくなっています。しかもインターネットで買う方が安く買うことが出来るのです。買いたい電気製品が決まっているのに、店員の説明を聞くという無駄が省かれるから店員の人件費分安く買うことが出来るのです。しかもインターネットで検索することで、より安く買うことが出来るサイトを簡単に比較サイトにより探すことが出来るのです。

電気製品はインターネットで安く買うことが出来るという情報を持っている人は、営業トークを聞く無駄を省くことが出来るのです。

企業努力により安く提供されている物に様々な食べ放題があります。以前は店が利益を出すために、出来るだけ安価な食材をそれなりの価格で提供していました。しかし最近では食べ放題のお店の比較が容易で、費用対効果に乏しいお店はネット上で酷評され淘汰されてしまいます。生き残るためには利益だけを追い求める姿勢を改め、お客さんが得だと思える物を適切な価格で提供する知恵が求められます。今食べ放題で生き残っている企業は知恵を出すことが出来た企業です。

かつては利益を確保するために企業が高く売るのは仕方ないと考えられていました。その結果物価が上昇していたのです。資本主義の原理で知恵と情報で無駄を省き安く提供する企業が現れると、旧態然とした利益至上主義の企業が淘汰されつつあるのです。このことがデフレを誘発しています。景気が良くならないと嘆いている人もいますが、実は以前に比べて豊かになっているのです。同じお金で得られる物が豊かになっているのです。利益だけを追い求める企業が淘汰されつつあることも豊かになっている理由の一つです。

回転寿司が90円になったからデフレが再燃する訳ではありません。回転寿司が100円という節目の価格を下回ったことでデフレを再度実感しただけのことです。別の視点で考えると、節目の価格である100円を切るということは、それだけ他の飲食店と熾烈な競争を強いられているということです。消費者の立場からすると喜ばしいことではありますが、これからの経済全体を考えると大変な流れだと思います。新しいアイデアが出せる人しか生き残ることは出来ない時代がやってくるでしょう。

ダフ屋対策なら興行主がオークションすれば?

ダフ屋対策で転売を認めないように様々な対策が取られているようです。例えば本人確認を徹底することで転売しにくくなっているようです。

私はそもそも人気イベントは興行主が一部の座席をオークションをして利益を確保することが一番の対策だと思います。どれだけお金を出してでも見たい熱狂的なファンから、熱狂度に応じて青天井でお金を払ってもらうのです。飛行機でいうファーストクラスやホテルでいうスイートルームのように経営に利用するのです。ダフ屋の経営が成り立つのは、興行主の売り出す価格と実勢価格の乖離によるものです。それなら興行主がこの乖離を埋める仕組みを作ることです。興行主のオークションに余分に払うお金がイベントの相手に渡るので、ファンとしても合理的な仕組みだと思います。

高いお金を出してでも見たい人もいるのに、興行主の決めた額しかお金をもらわないのは経済原理から考えて勿体無いと私は思います。

現時点でそのような仕組みがないのは何らかの法規制があるのかもしれませんが、法規制があるなら政治家に働きかけて興行主に都合の良い法規制に変更してもらえば良いのです。

人気コンサートの正式なオークションなんていくらになるのか個人的には興味があります。特に年末に解散するアイドルがコンサートを正式なオークションで募集したらいくらのお金が動くのか、これも個人的に興味があります。

オークションが公平だと思うのは、コネなどの影響を排除して、お金という尺度で見たいという願望を叶えてくれるからです。需要と供給のバランスをオークションという形で調整するだけのことです。みんなが得する仕組みなのに何故導入しないのか不思議です。

何故興行主がオークションする仕組みが無いのか不思議なのですが、これから出てくるかもしれません。

刑罰の『意味』がなくなりつつある

世間一般では法律を守るのは当たり前です。世間一般というよりは法治国家で生活する以上法律を守るのは常識でしょう。人によっては刑罰を受けないために仕方なく法律を守る人もいるかもしれませんが、法律を守らせる目的で刑罰が設定されています。

法律を守らないことに対する刑罰は一定程度の『意味』はあるでしょう。刑罰をなくしましょうと言いたい訳ではありません。刑罰があっても、法律を守らない人は守らないので『意味』がなくなりつつあるのです。正確に表現すると刑罰が一部の人達にとって『意味』がなくなりつつあるのです。

刑罰の『意味』がなくなりつつあることは、以前記載した損得主義の考え方で読み解くと簡単に理解出来ます。必ず捕まる訳ではないし、万が一刑罰を受けてでも法律を守らない方が得だと考えているのです。更に損得主義で読み解くと、ワザと捕まる輩までいるのです。刑務所に入れば衣食住の心配が無くなるので、捕まる方が得だと考える人がいるのです。他にも刑罰の『意味』がなくなりつつある人達は、万引き常習犯です。刑罰が万引き常習犯にとっては軽いため、繰り返すのです。人によっては万引きで捕まることで人に相手をしてもらえるので、あえて捕まる人までいるでしょう。

以前にも損得主義で書いた脱税などは最たるものでしょう。万が一捕まったとしても、得だから脱税が後をたたないのです。犯罪を刑罰で避けるのではなく、犯罪を犯すと損をする仕組みにするのが一番だと私は思います。

法律を守らない人は、法律を守らない方が得だと考えているのです。特に繰り返す人達は繰り返す方が得だと考えるのです。そろそろ仕組みを作り直さなければならない時期だと私は思います。