子供を怒る『意味』

結論を一言で言えば、子供を怒る『意味』はありません。怒ることに『意味』がないことと、怒らない方法を説明していきます。

子供が出来ていないかやってはいけないことをしたから、子供の落ち度を怒るのは仕方がないと親は考えがちです。子供のことを考えて、子供を怒るのはいわば常識だと思われています。しかし子供を怒ることでどんな『意味』が伝わるのでしょうか?

子供にはやってはいけないことだということは伝わると思います。今度同じことをすれば怒られることがわかります。ただそれだけです。そして子供は嫌な思いをしたという事実だけが残ります。

そのやってはいけないことを子供がやってしまうのは何故でしょうか?そしてつい怒ってしまうのは何故でしょうか?

子供がやってはいけないことをしてしまう理由

そもそも子供はやってはいけないことを理解していないのです。以前似たようなことで怒られたからやってはいけないことは、もしかしたら知ってはいるかも知れません。いずれにしても良く理解できていないのです。

特に大人にとって当たり前・常識で子供も知っていると思い込んでいる場合があります。大人が説明しなくても子供も理由を理解していると思い込んでいるのです。

大人はやってはいけないと知っているはずのことをやるので怒るのです。子供はやってはいけないことは知らないだけなのに怒られるのですからたまったものではありません。

この時子供は怒られるとは全く思っていないので、怒られると驚きの表情を浮かべます。

全く知らずにやって怒られるだけではなく、怒られることを覚悟してやる場合もあります。以前怒られたことを少し変えてみて怒られるかどうか試す場合(怒られる境界線を探すようなイメージです)と、怒られることが目的でやる場合です。以前とは少し変えてやってみるのは、どうすれば怒られるのか境界がわからないので興味本位でやってみるというものです。怒られることが目的というのは寂しいなどの感情をうまく表現できないため、構って欲しくて怒られることをするという心理です。

この二つに共通せるのは怒られた時に、怒られること自体に驚きはなく、ある程度納得しているということです。

怒らず、叱らず、諭す

怒ることは感情をぶつけること、叱ることは責めることです。子供に罪はないので、諭すが正解だと私は思います

子供の知らないことを教えてあげるのです。何故やってはいけないのか?その意味と目的を伝えることで、似たようなこともやってはいけないと理解させたあげるのです。意味と目的を伝えることで、やってよいこととやってはいけないことの境界線を興味本位で試すようなことはなくなります。

明らかにやってはいけないことだとわかっていて、怒られる目的でしたことが疑われたら、どうしたの?寂しかったの?と声をかけてあげましょう。怒ることを期待しているので、驚くと思います。そしてどうしたいのか相談していくとよいと思います。

子供が長く寝る理由 眠る意味は?

子供が長く寝る理由を考えてみました。

成長と共に寝る時間が短くなります。大人になると子供の頃は好きなだけ寝ることが出来たのが嘘のように、眠れなくなってしまいます。

何故か考えてみました。

眠る意味は?

  • エネルギーの節約
  • 身体の休息
  • 脳の休息

夜間は昼間のように見る事が出来ないため、無駄なエネルギーを節約するために寝ることが進化したようです。しかし夜行性の生き物達も昼間には寝ていることから、必ず必要なもののようです。

ちなみに泳ぎ続けるイルカは脳の半分ずつ寝ることが出来るそうです。

身体の休息と脳の休息

エネルギー節約の次に考えられるのは身体の休息と脳の休息です。

両方の意味があるとは思いますが赤ちゃんの方が寝る時間が長いことから、身体の休息よりも脳の休息の意味合いが大きいのでは無いかと思います。

起きている間に受けた刺激を寝ている間に処理しているのではないでしょうか?起きている間に受けた刺激が大きくなり過ぎると、刺激が強すぎて起きている間の処理が出来なくなるため、脳が新たな刺激をシャットダウンするために眠くなるのではないかという仮説を考えました。

このことは4つのことから導き出しました。

  • 赤ちゃんが長時間眠り、次第に眠る時間が短くなること。
  • 子供が全く新しい体験をすると良く眠ること。
  • 私がそれまで知らなかった新しい情報に大量に触れると眠くなり、10時間〜11時間も寝てしまうこと。
  • 歳をとると眠る時間が短くなる

赤ちゃんが長時間眠ること

生まれたての赤ちゃんが20時間も眠るのは、見るもの聞くもの触れるもの全てが知らないもので、刺激が強すぎて処理し切れないためではないでしょうか?頭の整理がつくか、お腹が空くと目覚めて、処理し切れなくなると眠くなるのではないかと思います。

刺激をシャットダウンするために寝たいのに、シャットダウンできないと、グズグズして泣いてしまうのかも知れません。

子供が全く新しい体験をするとよく眠ること

子供がこれまで経験したことのない全く新しい体験をすると、短時間の経験でもよく眠ることがあります。
赤ちゃんがよく眠るのと同じことで、初めての経験は刺激が強く頭に様々な情報が入り込むため処理しきれなくて眠くなるのではないでしょうか?

子供が成長と共に眠る時間が減ってくるのは、様々な経験を記憶することにより全く新しい体験が減るため処理が簡単にできるようになるため長時間眠る必要がなくなるのかもしれません。

大人でも新しい知識を大量に吸収すると長時間眠ることがある

私の経験ですが、本やビデオ映像など全く新しい知識を大量に仕入れると処理しきれなくなるのか強い眠気に襲われるようになることがあります。逆に目新しい情報がない日には8時間以上は眠ることができません。目が覚めてしまいます。
一つの仮説ですが、全く知らない情報が大量に頭に流れ込むと赤ちゃんと一緒で眠くなるのだと思います。

歳をとると眠る時間が短くなる

子供が次第に眠る時間が短くなるように、大人も年齢とともに少しずつ眠る時間が短くなるようです。これも様々な経験をしている大人は新しい情報に触れる機会は少なく、脳の休憩である情報を処理するための睡眠がほとんど必要なくなるのかもしれません。身体を休めるための休息としての睡眠の意味だけが残るのかもしれません。

赤ちゃんが眠る時間が非常に長く、成長と共に次第に眠る時間が短くなることを一つの理屈で説明できる仮説です。
もしかしたら不眠症で悩んでいる人は自分が知りたいと思う新しい情報を積極的に取り入れることで、脳が休息を求めるようになり眠れるようになるのかもしれません。
良かったらお試しください。

泣かさない子育て

怒る必要のない子育てを提唱していますが、赤ちゃんの頃から出来ることを考えてみました。

そこで考えついたのが、泣かさない子育てです。

赤ちゃんは泣くのが仕事って本当?という記事を書きましたが、どうやら赤ちゃんは泣く必要は無さそうです。

実は紙おむつが主流になりつつある頃に、お尻に不快感がないがために赤ちゃんが泣かなくてすむことに疑問がありました。泣かなくて大丈夫だろうか?と。成長に問題が生じるのではないかと心配していたことを思い出します。

当時紙おむつで育った人達が現在大人になっていますが、特に問題は無さそうです。

赤ちゃんや子供が泣く理由

赤ちゃんや子供が泣く理由は自分達の主張をわかってもらえないからです。赤ちゃんは言葉が話せないので、親を操るには泣くしかありません。子供は言葉が話せはしますが、どうして欲しいのか上手く言葉に出来ないので泣くことで感じ取ってもらおうとします。

わかってもらえれば、わざわざ無駄に泣く必要は無いはずです。

そして赤ちゃんにとっても子供にとっても泣くことは親や周囲の大人を操ることが目的です。思い通り操ることが出来れば成功体験として同じ行為を繰り返しエスカレートしていきます。

話が出来るようになった子供が泣いている場合、泣くのをやめるように言っても無駄です。目的が親を操ることだからです。泣くことで親が動揺していると、操りやすくなるため子供は更に輪をかけて泣き叫びます。子供の術中にはまっているのです。ちなみにその場合の対策は衝動買いの際の心理と同じで10分間気をそらすことです。まずは子供の作戦にはまらないために、動揺しないことです。

泣かさない子育てとは?

赤ちゃんや子供を見ていると泣く寸前に泣く前振り、泣こうか泣くまいか悩んでいる表情をすることが多いようです。その前振りを捉え泣く前に対応するようにするのです。

特に赤ちゃんの場合、やりたいことや希望・主張は限られています。

  • お腹が空いた
  • お尻が気持ち悪い
  • 寂しい
  • 抱っこして欲しい
  • 痛い・苦しい
  • 暑い、寒い
  • 眠い

といったところでしょう。表情が変われば抱き方を変えるなど変化をつけて、表情が和らげば正解、変わらなければ不正解。他の原因・対策を探します。泣くまでに見つけることが出来れば親の勝ちです。泣かれたら、今回は負けですが、表情との関連を考えて次にいかすのです。

泣かさない子育てのメリット

泣かれないので親のストレスはないし、子供も泣く必要がないのでストレスがない。親子共に幸せな仕組みです。

泣くことで親を操ることを知らずに育つため、自分の主張を通すのに、泣くことに頼らない子に育つ可能性がある。

親が子供の思いを前以て感じ取って泣く必要が無い環境を作り上げることが大切です。泣くことを封じるあるいは泣くことを許さない状況を作り出す子育てをすると、子供が思いを消化出来ず歪んだ育ち方をするので注意が必要です。

泣かさない子育ては、怒る必要のない子育てに通じる画期的な考え方だと思います。

赤ちゃんや子供は泣く前に表情や仕草など無言のメッセージを出しています。それを読み取り対応することで、泣かさない子育てが出来ると思います。

実際には全く泣かさないなんて不可能です。ただ泣かれないように気をつけていることで赤ちゃんや子供に、親が見守ってくれているという安心感が生まれると思います。

子供は泣くのが当たり前・常識から、子供を泣かさないように親のできることを前もってやってみるという常識革命をしてみると子育てが変わるかもしれませんね。

ご賛同頂けたら実践してみてください。

赤ちゃんは泣くのが仕事って本当?

赤ちゃんは泣くのが仕事といわれますが本当でしょうか?少し考えてみます。

赤ちゃんは泣く理由

赤ちゃんは何か主張・お願いがあって泣きます。例えばお腹が空いたとかウンチ出て気持ち悪いとか寂しいとか抱っこして欲しいとかです。赤ちゃんは言葉も話せませんから泣くしか表現ができません。そのため色々なお願いをしたくて泣くのです。

別に泣きたくて泣いている訳ではありません。仕方なく泣いているのです。

もし赤ちゃんが言葉を話すことが出来たら、『泣く前に気付いて欲しいな』と話すかもしれません。

赤ちゃんが泣くのは仕方ない?

赤ちゃんが泣くのは仕方ないと思い込んでいませんでしょうか?実は赤ちゃんを良く見ていると泣く前に、表情が変わることが多いようです。

目を閉じ顔に力が入ります。声を出さずに泣いているような顔つきです。泣く前振りというか、気付いて欲しいメッセージを送っているような印象です。その表情を見つけてすぐに抱っこしたり抱き方を変えたりすると穏やかな表情に戻ります。赤ちゃんのして欲しいことと違っていれば、そのまま泣いてしまいます。

お母さんが泣かさないのが勝ち?

泣く前振りを見分けることが出来るようになれば、もしかしたら声をあげて泣く前に対応出来るようになるかも知れません。

赤ちゃんは泣くのが仕事ではなく、お母さんが泣かさないのが仕事?という考え方も出来るのかも知れません。

実際には泣かれることも多々あるとは思いますが、泣く寸前の前振りをどれだけ気付いてあげることが出来るかどうかで赤ちゃんに泣かれるストレスを減らすことが出来ます。

更に一歩進んで、泣いたら赤ちゃんの勝ち、泣く前振りでお母さんが気付いて泣かれなければお母さんの勝ちという一種の勝負感覚を取り入れてみてはいかがでしょうか?

泣いて赤ちゃんが勝つか、泣かせないでお母さんが勝つかの勝負です。

赤ちゃんの表情を読み取るのに慣れていると、話せるようになる頃には更に赤ちゃんのして欲しいことがわかるようになると思います。

これが怒る必要のない子育てに繋がると思います。

そんな余裕は無いと思われれば無理にされる必要は無いと思います。糖質回避教と同じで、信じる者だけ救われるのかも知れません。

赤ちゃんが泣かなくていいの?

泣くのが仕事と言われている赤ちゃんが泣かなくて良いのでしょうか?

元々赤ちゃんが泣く理由を考えてみると、仕方なく泣いていることがわかります。泣くのが目的ではなく、泣くのは欲求を満たすための手段です。手段をわざわざ無理に引き出す必要は無いと思います。更に日頃泣かなくても欲求が親に伝わる関係になれば、欲求が通らない場合に泣くという行為が研ぎ澄まされるように思います。(根拠はありませんが、いつも泣いているとよくわからないけど泣いておこうという赤ちゃんの心理もあるのでは無いかと思います。泣き癖とでも言うのでしょうか?)

大人でもお店に入ってわざわざ言わ無いと水も出てこない、注文も取りに来ないと不満に思います。一方水が出てきてご注文は?とこちらからわざわざ言わなくても聞いてくれるお店はどちらが良いでしょうか?

もっと別の例えをすると、文句を言わないと何もやってくれないお店と何も言わなくても至れり尽くせりのお店、文句を言わないとやってくれないお店の方がいいですか?

赤ちゃんも文句という訳ではありませんが、泣くことでわざわざ主張しているとしたら考え方を変えても良いのかも知れません。

抱き癖という嘘

抱き癖がつくから抱っこばかりしては駄目という話があります。

抱き癖という言葉・概念を提唱した人や受け入れる人はプチ育児放棄なのではないかと思います。抱っこしたくないという目的が先にあり、抱き癖という言い訳を見つけただけのことです。

太古の昔人類がまだ木の上で生活していた頃を想像してみてください。正に今のお猿さんの赤ちゃんの生活です。基本はお母さんにしがみついています。お母さんにくっついているのが基本です。お母さんと赤ちゃんが離れる方が珍しい話です。人間は外敵に襲われる心配もありませんし、知恵が備わったため赤ちゃんと離れることが出来るようになりましたが、抱っこするのが基本です。抱き癖がつくのではなく本来人類がお猿さんに近かった頃から抱き癖はあるのです。それを受け入れて抱っこするか、抱き癖を言い訳に抱っこしないかだけだと思います。

抱っこ出来るのは限られた期間しかありません。抱っこ出来る限られた期間に抱き癖を言い訳に抱っこしないのはもったいないと思います。

赤ちゃんは泣くのが仕事ではなく、赤ちゃんは抱かれるのが仕事だと思います。

怒る必要のない子育て 片付けをしない場合

怒る必要のない子育てです。

子供が片付けをしない

良く聞くのが子供に何度言っても片付けをしないという意見です。

何故何度言っても片付けをしないのでしょうか?何度も言っていれば片付けをするということ自体は理解しているかもしれません。

意味・目的がわからない

片付けしないのは片付ける意味・目的がわからないのです。何のために片付けするのかよくわからないのです。『あなたのために片付けるのよ』と言われてもその意味を理解できないのです。意味・目的がわからなければなかなか行動にはうつさないものです。意味・目的がわかれば片付ける動機付けに繋がります。

片付けるのは怒られないため?

なかなか片付けをしないと言われる場合、片付ける動機付けが怒られるから片付けるになってはいないでしょうか?怒られないために片付けるという動機付けだと、子供は怒られるタイミングを見計らうようになります。親の顔色を伺って、怒られそうになると片付ける。まだ大丈夫だと思うと片付けません。本気で怒られたら仕方なく片付けるのです。

片付ける意味・目的

片付ける意味・目的は次に使う時に素早く取り出して使うことが出来るようにすることです。片付けていないとどこにあるのかわからず、探す手間がかかります。片付けると探す手間がいらないのでお得なのです。このことを子供に教えてあげると良いと思います。

散らかっているから親が片付けて、探し物を言われてすぐに出てくるので子供は片付ける意味・目的を理解できません。親に言えば出てくるものをわざわざ自分で探さないので、その元になる片付けをしないのです。

片付けをしたら探し物が早く見つかること。片付けをしないとなかなか探し物が見つからないこと。探し物を探す時間はもったいないことを伝えるのです。

それでも片付けない場合

片付けの意味・目的を言葉で伝えても片付けない場合は、本当の意味が分かっていないのだと思います。

ここで親が困ると子供は成長しません。困る人の問題なので子供が困る仕組みを作り出します。(問題論)

片付けしていないものを放置しても構いませんが、親の精神衛生上良くないので対策を考えます。片付けしていないものを全て大きな箱に放り込むのです。子供が探し物をしても子供に探させます。探すのが大変なことを実感させ、片付けをした方がお得だと分からせるのです。最初は探し物の手伝いをしても二度目三度目はしばらく子供だけで探させるようにして、子供が困るように仕向けるのです。

身を以て片付けがお得だと分かると自然と片付けるようになると思います。

少なくとも大きな箱にまとめていると、親はイライラする必要はないと思います。

片付けしなさいではなく、片付けの意味・目的を伝えてあげてみて下さい。

怒らない子育てと怒る必要の無い子育て

怒らない子育てと怒る必要の無い子育て

全く概念が異なります。

怒らない子育ては育児放棄一歩手前の可能性すらあります。怒る必要がない子育ては子育てをきちんとした上で、怒る必要がないのです。見分け方は怒らないだけできちんと子供を正しい方向に導くか、放置するかです。きちんと子供を正しい方向に導くのは非常に立派な子育て方法です。放置するのは育児放棄をしているだけです。子供のことは子供に任せているとして、半育児放棄をしていながら怒らない方針だからと自分を正当化しているのです。

怒らないのは誰のため?

誰のためか怒らない目的を考えると更に良くわかります。怒らないだけできちんと子供を正しい方向に導くのは、子供のために怒らずに必要なことを伝えることが目的です。子供のためです。

一方ただ怒らない子育ては、子供には善悪の区別や常識がなかなか身に付かず、子供自身は苦労することになります。親が怒らない代わりに何も教えてくれないことが多いのです。自己責任として自分で考えることを促されるようです。では目的は何でしょうか?目的は親が責任逃れして楽をすることではないでしょうか?つまり親のために怒らないのです。

子供のために怒らない工夫を

子供のために怒らない工夫をすることです。決して怒る必要はありませんが、良い方向に導くことは必要です。怒る、叱るではなく諭すのが一番です。

良かったら『諭す』を考えてみて下さい。

怒ると叱る、諭すの違い

怒る・叱る・諭すという言葉があります。それらの違いを考えてみます。

怒るより叱る方が良いと思っていましたが、それよりも諭すのがベストだと私は思います。

怒る

怒るは感情を相手にぶつけているだけのことです。相手に伝わるのは怒っている・不快な思いをしているということだけです。怒る場合感情に任せて怒るので、相手に何故怒っているのか伝わりません。

怒っている人は、当たり前だと思っていることが相手に抜け落ちているので、怒っているだけのことが多くあります。しかし相手に当たり前という感覚が無いので、怒っても全く伝わりません。怒られても意味がわからないのです。

叱る

辞書によると目下のものの良くない点を指摘して強く咎めることのようです。

相手を責め立てるニュアンスが含まれています。感情に任せて怒るよりはましですが、相手が悪いことが前提なのが私には抵抗があります。ただ知らないだけのことを責めるのは可哀想にも思います。もしかしたら自分が教えるべきことなのて、そのことを知らないとして叱ってはいないでしょうか?教えるべき人が教えていないことを叱るのはルール違反だと私は思います。

諭す

辞書によると目下のものにわかるように説明して、納得するように教え導くことだそうです。

諭すには責め立てる意味合いは込められていませんので、相手が知らないだけのことを教えてあげるのですから私は最適な言葉だと思います。相手が知らないことは仕方のないこととして受け入れ、知らないことを責めずただ教えてあげる、諭すという言葉。無駄な争いを無くす魔法の言葉だと思います。

怒る、叱る、諭すの違いのまとめ

怒るは感情で責め立て、叱るは感情はないものの責め立て、諭すは責めず教え導く。

怒るよりも叱るよりも諭すを心掛けてみませんか?

相手が知らないだけなのに怒っていませんか?

何事においても相手が知らないことは良くあることです。ただ知らないだけなのに怒っていませんか?

日常大人同士でも良くありますが、子育てにおいても良くあることです。

相手が知らないだけなのに、烈火のごとく怒ってしまうことです。相手が知らないことを責めても何も生み出しません。

知らないことを怒られても怒られた方としては、知らなかっただけじゃないかと反発するだけです。

知らないことで最悪どれだけのことが起こるかを説明することです。そして何故本来は知っておくべきだったのかを理解させるべきです。知らないことを責めても仕方がありません。怒る側も、事前に知らないことを確認する作業を怠った落ち度があるのです。

怒る側は落ち度なんてない、全て相手の責任だと思い込んで怒ることが出来るのです。しかし相手が知っているかどうか知っている側から確認するという視点で考えると確認を怠ったという落ち度ともいえると思います。

子供が知らないのは誰のせい?

子供が知らないのは誰のせいかを考えれば、間違いなく親の責任です。親の責任を棚に上げて子供を怒るのは二重の意味で子供が可哀想です。教えてもらえない上に怒られる。

知らないことで怒っても仕方が無いです。知る目的、知らないとどのような不都合なことが起こるかを教えてあげましょう。

右利きと左利き 利き手矯正

人には利き手があります。腕の動かし方に左右で得意不得意があります。

右利きと左利きです。何故か多くの人が右利きのようです。まれに両利きと言われる両方のてを同じように使うことのできる人もいます。そのことを考えてみます。

調べた訳ではないのでわかりませんが、脳の使い方と関連があるのかも知れません。右脳の使い方と左脳の使い方の違いからくるのかもしれません。

人類の進化の歴史の中で無駄なことは排除されたはずです。利き手として左右の手の扱い方が違う、利き手がある方が何かが有利あるいは得だったはずです。

私の想像の域を出ませんが、左右共に同じように手を扱うよりも、右利きなら右手、左利きなら左手を重点的に扱うことで左右同じように使うよりも、手の扱い方に脳が早く慣れることが出来るのが利き手がある理由だと思います。片方の手に重点的に手の扱い方を配分しなくても、自由に扱えるのが両利きなのだと思います。生まれつき左右の区別なく両利きかもしれませんが、もしかしたら両利きの方は、元々利き手はあったけれども、途中で親や周囲に矯正された結果両利きになるのかもしれません。

右利きと左利きで左利きの方の方が少ないからという理由で矯正されることもあります。

日本語を上手に書くなら右利き

日本語は長年にわたり右利きの人が綺麗に書けるように研ぎ澄まされているので、書き方を習う場合は右利きに矯正させられることとあるそうです。英語も文章を左から右に書くのは、右利きの人が書いた文字の上を手で擦らないようにするためと考えられます。西洋では一枚の紙に書いたため手で文字を擦らないために文章が左から右に研ぎ澄まされました。日本ではかつて筆で字を書いていたので、紙に手を触れずに字を書いていました。巻紙に書いたので右から左に書く方が、楽に書けたのだと思います。

世の中は右利きの人向きに設計されている

また右利きの方が多いため、様々な物が右利き用に設計されています。左利きだと咄嗟の際に物の扱い方に戸惑う可能性を考えます。

右利きへの矯正の勧め

世の中が右利きの人中心に設計されているため、右利きに矯正できるなら右手に矯正する方が不便が少ないようです。

矯正はいつでも出来ますが、利き手のメカニズムから考えると矯正は早い程有利です。何故なら利き手の存在するのが、扱い方の習得を片方の手に集中することで、より早く片方の手の扱い方に慣れてしまうことが目的だからです。左手の扱い方に脳が慣れてしまう前に、早ければ早い程扱い方の変更は有利です。折角なら慣れてしまう前に右手に切り替えてあげるのがお勧めだと思います。利き手は1歳か2歳でスプーンを持ち始めるころにはわかります。差し出したスプーンを無意識のうちに左手で持とうとすれば、左利きだと思います。手で持ち始めた際に右手に持つように仕向けるだけで、子供も大きなストレスなく簡単に受け入れてくれます。何故ならまだ利き手というほど手の扱い方に慣れてはいないからです。

成長してから矯正するのが困難な理由

成長して利き手がはっきりしてくると、脳にとって手の扱い方に差が生まれます。身体の動かし方の回路が出来るイメージです。ちなみに子供が身体を動かして遊ぶのが好きなのは、身体を動かせば動かす程、身体の動かし方が少しずつわかるので楽しくて仕方がないようです。

利き手の矯正はこの回路の作り変えを意味しますから、慣れていれば慣れている程矯正が大変になります。

利き手の矯正をするなら1・2歳から

1・2歳なら右手と左手の扱い方に全く慣れておらず、左右で扱い方に大した差が無いので、矯正が容易です。この頃はどつちでも扱い方は変わらないけど、何となく左手という程度です、その何となくが積み重なることで利き手になっていきます。

身体の動かし方に慣れてから矯正しようとすると、動かしにくい右手を使うことになるので嫌がります。折角脳内に作った回路が無駄になるので嫌がるのかもしれません。

左右の扱い方に差が生まれる前の矯正をお試し下さい。

自分の姿の確認手段は鏡 心の確認手段は?

自分の姿の確認手段は鏡です。

鏡が発明されるまでは水面に映った自分の姿を確認するしか方法がありませんでした。鏡が発明されたことで自分の姿形を確認することが容易となりました。

今でもわざわざ自分の背中を鏡に映してまで見た人まで少ないのではないかと思います。

自分の心はどうやって確認すれば良いのでしょうか?

機械などで客観的に調べることのできる時代が将来来るかも知れませんが、今のところ機械で心をうつすのは困難です。

自分の心をうつすことが出来る鏡の役割をしてくれるのは、無垢な子供だと思います。優しく接すれば優しい子供になり、意地悪に接すれば意地悪な子供になります。

子供がワガママだと感じれば自分がワガママなのでは無いでしょうか?

子供は自分の心をうつす鏡。そんな心構えになれば子供を怒るのは自分を怒るのと同じです。怒る必要はありません。自分の心をうつしているだけなのですから。怒らず自分の心の中の改めるところを探すのです。

もしくは何かを子供に伝え忘れているのです。自分では当たり前過ぎて、子供も知っているはずだとして伝え忘れたことを気付かせてくれる自分の心の鏡だと思うと、腹も立たないはずです。

何しろ鏡の中の自分に怒っても意味がないですよね。自分の心をうつしている子供を怒るのも同じです。

子供を怒るのは自分自身を怒るのと同じです。