子供を怒る『意味』

結論を一言で言えば、子供を怒る『意味』はありません。怒ることに『意味』がないことと、怒らない方法を説明していきます。

子供が出来ていないかやってはいけないことをしたから、子供の落ち度を怒るのは仕方がないと親は考えがちです。子供のことを考えて、子供を怒るのはいわば常識だと思われています。しかし子供を怒ることでどんな『意味』が伝わるのでしょうか?

子供にはやってはいけないことだということは伝わると思います。今度同じことをすれば怒られることがわかります。ただそれだけです。そして子供は嫌な思いをしたという事実だけが残ります。

そのやってはいけないことを子供がやってしまうのは何故でしょうか?そしてつい怒ってしまうのは何故でしょうか?

子供がやってはいけないことをしてしまう理由

そもそも子供はやってはいけないことを理解していないのです。以前似たようなことで怒られたからやってはいけないことは、もしかしたら知ってはいるかも知れません。いずれにしても良く理解できていないのです。

特に大人にとって当たり前・常識で子供も知っていると思い込んでいる場合があります。大人が説明しなくても子供も理由を理解していると思い込んでいるのです。

大人はやってはいけないと知っているはずのことをやるので怒るのです。子供はやってはいけないことは知らないだけなのに怒られるのですからたまったものではありません。

この時子供は怒られるとは全く思っていないので、怒られると驚きの表情を浮かべます。

全く知らずにやって怒られるだけではなく、怒られることを覚悟してやる場合もあります。以前怒られたことを少し変えてみて怒られるかどうか試す場合(怒られる境界線を探すようなイメージです)と、怒られることが目的でやる場合です。以前とは少し変えてやってみるのは、どうすれば怒られるのか境界がわからないので興味本位でやってみるというものです。怒られることが目的というのは寂しいなどの感情をうまく表現できないため、構って欲しくて怒られることをするという心理です。

この二つに共通せるのは怒られた時に、怒られること自体に驚きはなく、ある程度納得しているということです。

怒らず、叱らず、諭す

怒ることは感情をぶつけること、叱ることは責めることです。子供に罪はないので、諭すが正解だと私は思います

子供の知らないことを教えてあげるのです。何故やってはいけないのか?その意味と目的を伝えることで、似たようなこともやってはいけないと理解させたあげるのです。意味と目的を伝えることで、やってよいこととやってはいけないことの境界線を興味本位で試すようなことはなくなります。

明らかにやってはいけないことだとわかっていて、怒られる目的でしたことが疑われたら、どうしたの?寂しかったの?と声をかけてあげましょう。怒ることを期待しているので、驚くと思います。そしてどうしたいのか相談していくとよいと思います。

怒る必要のない子育て 片付けをしない場合

怒る必要のない子育てです。

子供が片付けをしない

良く聞くのが子供に何度言っても片付けをしないという意見です。

何故何度言っても片付けをしないのでしょうか?何度も言っていれば片付けをするということ自体は理解しているかもしれません。

意味・目的がわからない

片付けしないのは片付ける意味・目的がわからないのです。何のために片付けするのかよくわからないのです。『あなたのために片付けるのよ』と言われてもその意味を理解できないのです。意味・目的がわからなければなかなか行動にはうつさないものです。意味・目的がわかれば片付ける動機付けに繋がります。

片付けるのは怒られないため?

なかなか片付けをしないと言われる場合、片付ける動機付けが怒られるから片付けるになってはいないでしょうか?怒られないために片付けるという動機付けだと、子供は怒られるタイミングを見計らうようになります。親の顔色を伺って、怒られそうになると片付ける。まだ大丈夫だと思うと片付けません。本気で怒られたら仕方なく片付けるのです。

片付ける意味・目的

片付ける意味・目的は次に使う時に素早く取り出して使うことが出来るようにすることです。片付けていないとどこにあるのかわからず、探す手間がかかります。片付けると探す手間がいらないのでお得なのです。このことを子供に教えてあげると良いと思います。

散らかっているから親が片付けて、探し物を言われてすぐに出てくるので子供は片付ける意味・目的を理解できません。親に言えば出てくるものをわざわざ自分で探さないので、その元になる片付けをしないのです。

片付けをしたら探し物が早く見つかること。片付けをしないとなかなか探し物が見つからないこと。探し物を探す時間はもったいないことを伝えるのです。

それでも片付けない場合

片付けの意味・目的を言葉で伝えても片付けない場合は、本当の意味が分かっていないのだと思います。

ここで親が困ると子供は成長しません。困る人の問題なので子供が困る仕組みを作り出します。(問題論)

片付けしていないものを放置しても構いませんが、親の精神衛生上良くないので対策を考えます。片付けしていないものを全て大きな箱に放り込むのです。子供が探し物をしても子供に探させます。探すのが大変なことを実感させ、片付けをした方がお得だと分からせるのです。最初は探し物の手伝いをしても二度目三度目はしばらく子供だけで探させるようにして、子供が困るように仕向けるのです。

身を以て片付けがお得だと分かると自然と片付けるようになると思います。

少なくとも大きな箱にまとめていると、親はイライラする必要はないと思います。

片付けしなさいではなく、片付けの意味・目的を伝えてあげてみて下さい。

怒ると叱る、諭すの違い

怒る・叱る・諭すという言葉があります。それらの違いを考えてみます。

怒るより叱る方が良いと思っていましたが、それよりも諭すのがベストだと私は思います。

怒る

怒るは感情を相手にぶつけているだけのことです。相手に伝わるのは怒っている・不快な思いをしているということだけです。怒る場合感情に任せて怒るので、相手に何故怒っているのか伝わりません。

怒っている人は、当たり前だと思っていることが相手に抜け落ちているので、怒っているだけのことが多くあります。しかし相手に当たり前という感覚が無いので、怒っても全く伝わりません。怒られても意味がわからないのです。

叱る

辞書によると目下のものの良くない点を指摘して強く咎めることのようです。

相手を責め立てるニュアンスが含まれています。感情に任せて怒るよりはましですが、相手が悪いことが前提なのが私には抵抗があります。ただ知らないだけのことを責めるのは可哀想にも思います。もしかしたら自分が教えるべきことなのて、そのことを知らないとして叱ってはいないでしょうか?教えるべき人が教えていないことを叱るのはルール違反だと私は思います。

諭す

辞書によると目下のものにわかるように説明して、納得するように教え導くことだそうです。

諭すには責め立てる意味合いは込められていませんので、相手が知らないだけのことを教えてあげるのですから私は最適な言葉だと思います。相手が知らないことは仕方のないこととして受け入れ、知らないことを責めずただ教えてあげる、諭すという言葉。無駄な争いを無くす魔法の言葉だと思います。

怒る、叱る、諭すの違いのまとめ

怒るは感情で責め立て、叱るは感情はないものの責め立て、諭すは責めず教え導く。

怒るよりも叱るよりも諭すを心掛けてみませんか?

子育ては親を育てる・親も育つ

子育ての意味を考えてみます。

子育ては文字通り子供を育てることです。
しかし実は親を育てる一面もあり、親も育つのです。

どういう意味か考えていきます。
子供が大人になっても困らないように常識を身につけさせてあげることが、一番の目的だと私は思います。

子育てでついつい怒ってしまうということをよく聞きます。
全ての元は親御さんの勘違いです。

大人の常識は子供の非常識だから

大人は子供が知っていると思い込んで、子供が知らないことを怒るのです。
本来子供が知らないことを親が知ることで、大人が当たり前に思っていたことを子供は知らないのだと再認識できるのです。
大人にとっては疑いもしない常識が欠落している子供の考え方を知ることで、いつの間にか当たり前で不思議にも思っていなかった常識の意味を再認識できるのです。この常識の意味の再認識こそが親を育てることにつながり、親が育つのです。

子供の知らないことを知ることで親が育つ

子供を怒る必要はありません。
何故なら子供は知らないだけなのです。
親が知っているから子供も言わなくてもわかるだろうというのは、親の勝手な思い込みです。親は自分が育つ際に誰かに教えてもらったのです。自然に身に着けたつもりですが、誰かに教えてもらったのです。
子供にとってその誰かとは、怒っている親以外あり得ません。
本来は知らないことを教えてくれるべき親が知らないことを責めるのですから、子供にとってはたまりません。
かといって一人では生きていけないので我慢しているのです。

子供は何かをただ知らないだけなのです。

怒る必要なんてありません。

怒ることの意味 ~怒ることに意味はない?~

怒ることの意味を考えてみました。

あまり知られていませんが、怒ることで相手は怒られたことを反省すると考えがちですが、大きな勘違いです。

そもそも何故怒られているか理解していません。

何故なら多くの場合怒られるとわかっていて怒られるような行動をしているわけではないのです。怒られると知らないからこそやってしまったのです。
そして怒ることで伝わるのは怒っているという事実だけです。何か怒らせることをしたんだろうなという漠然としたことだけが伝わります。何故なら感情的に任せて怒っているだけで、怒っている理由を相手にわかるようには説明していないからです。
ありがちなのが怒っている際にガミガミ言った後で
『わかった?』と聞くことがあります。
ここで『わからない』などと言おうものなら振り出しに戻るので、怒られている人は実際には全くわからないと思っていても口が裂けても言えません。結果として『わかりました』という答えが返ってきます。
怒られる理由がわからないので、同じことを繰り返して余計怒るという無限ループに陥るのです。

そもそも何故怒られているか理解しないまま怒られているのですから、わかったと言われても本来はわかるわけがないのです。でも余計怒られるから言えない、結果再び怒られる、の繰り返しです。

怒るという行為は、わかりやすくいうと犬が吠えているような状態です。
怒っていることはわかるけど何を怒っているのかわからない。怒っている理由を聞きたいけど聞けない、その意味で犬が吠えるのと同じなのです。
怒られた側としては、エサを取られると勘違いしたのかな?と類推するしかないのです。

人間同士なのに吠えるだけなのは勿体無いですよね。何故なら人間には怒る理由を説明出来る言葉があるからです。

怒られている人にとっては犬が吠えているのと同じ

怒っている人も同じです。怒っている理由は怒っている人にとっては許しがたい当たり前のことですから、わざわざ口に出すのも憚られるほどの内容です。
怒っている人にとっては当たり前ということがポイントです。
怒られている人にとっては初耳です。当たり前でもなんでもなく、全く知らないこともよくあるのです。それこそ想像すらしていないことを怒られているかもしれないのです。想像すらできないことを言葉で言われても全く理解できないので、それこそ本当に犬に吠えられているのと変わらないのです。それを一方的に怒られるのですから、どうしたらよいのかわからないのです。

怒ることに意味はありません。

このことは三つの理由があります。

  • 怒る元はお互いの認識の齟齬(勘違い)だから。
  • 怒ったところで伝わるのは怒っているという事実だけだから
  • 怒ることで相手より優位だと示すことが目的だから(目的論

怒らない対策は?

いくら腹が立っても相手が知らずにやったことを責めても仕方がありません。同じことを繰り返さない目的で、知らないことは教えてあげればよいだけのことです。本来相手の立場であれば知っているべきことで、知らないこと自体が落ち度なのであれば、相手が理解できるようにその落ち度を伝えてあげればよいだけのことです。知らないのですから。
知らないことで、どれだけの損害を与えるのか、どれだけ不快な思いを相手にさせるかを説明すればよいのです。そもそも相手にわかるようにその落ち度を説明しても、理解することができないレベルの相手に怒っても時間の無駄です。(気分は少しだけ晴れるかもしれませんが)

実は怒る場面を振り返ってみると、多くの場合怒っている側にも落ち度があるのです。
それは前もってこちらの意向を相手が理解しているか確認していないことです。認識がずれていないかを前もって確認していなければ、怒る資格はほとんどないと言えます。
当たり前に相手は知っているはずと思い込んで、確認しないことが原因ということもよくあります。自分が確認を怠ったことを棚に上げて怒るのは私はフェアではないと思います。
怒る前に自分が確認を怠った落ち度がないか振り返ってみてください。通常怒る側が優位な立場です。優位な立場から確認をするようにすれば怒る場面は激減するはずです。
親子間でも同じことが言えます。その話は改めて。

アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉

私の考え方の元になっている参考文献です。

アルフレッド・アドラーは1937年に亡くなった心理学者です。
人間の心理を言葉で理解しやすく分解していることが特徴です。
特に秀逸なのが、目的論と感情を利用する考え方です。
怒りっぽい人はいない、人をコントロールする目的で怒りを利用しがちな人がいるだけだ
などです。
彼は子供のころに怒るのをやめたそうです。
私は怒るのを卒業するのに42年もかかりました。

私はこの本を読んで、頭の中の整理が一気に進みました。
そして他人の考えていることが少し理解できるようになりました。
人生に革命が起きるというのは、私にとって大袈裟な表現ではなかったです。
良かったらご覧ください。