人間には利き手が存在する理由

利き手とは左右の手で細かな作業のできる方の手のことです。
一般的には字を書く方の手であり、箸を持つ方の手のことです。
小さいうちに矯正された場合などは、左右同じように使うことが出来る方がおられ両利きと言われます。

右利きと左利き 利き手の矯正という記事を書いていましたが、改めて利き手のある理由を考えてみます。

類人猿には利き手がありますが、実はカンガルーにも利き手がありほとんどが左利きだそうです(参考:ナショナルジオグラフィック)。全ての足を同じように使う四足歩行をする動物には利き手は認められないそうです。二足歩行をすることで手が細かな作業をする余裕が生まれたたことから、利き手があるようです。

人間に利き手がある理由を一言で言えば脳の能力と熟練の時間を節約のためです。脳は基本的に面倒なことを嫌がります。両手を同じように使う理由がないから片手を主に使うだかです。両手を同じように両手を熟練させるためには利き手を作るよりも約2倍の時間を要するはずです。その分だけ脳の回路も余計に必要になります。試しに右利きの人が左手で同じように綺麗に字を書こうとすれば、非常に時間がかかります。片手で出来る作業ではいつも同じ手だけを使うことで、手を使う慣れを両手に分散するよりも片手に集中する方が効率よく手を動かすことが出来るようになるのです。

単純に考えても右手でも左手でも上手に字を書けるように練習するよりも、片手に集中させた方が効率的です。利き手に怪我をしたり失ってしまわない限りは、わざわざ利き手と反対の手で字を書く必要がないからです。

生まれたばかりの赤ちゃんに利き手はありません。生まれたばかりの赤ちゃんにとっては自分の手という感覚がないため利き手という感覚は無いと思います。何故なら成長とともに自分の手を認識するとじっと自分の手を見つめる時期があるからです。成長とともに自分の手の存在を発見するくらいですから、生まれつき利き手が決まっているということはないと私は考えています。成長してからであっても利き手の矯正が出来ることも生まれつき決まってはいないということを示唆します。

一歳くらいになり、物をつかんだり受け取ったりするようになりますが、手の使い始めに左右差は無さそうです。このことも生まれつき利き手が決まっていないことを示唆します。赤ちゃんが使っているうちに右手を使うか左手を使うか使いやすい方の手を優先して使うようになることで利き手が決まるようです。ということは一歳の頃から右手に手渡すようにしていれば脳の発達の段階で自然と右利きに仕向けることが出来そうです。

幼稚園児や小学生になって脳が利き手を決めてから利き手を矯正しようとすると、利き手とそうではない手の使い方に非常に差がついているため負担が大きくなってしまいます。もしお子さんが左利きになった場合、右利きに矯正しようと考えておられるのであれば一歳か二歳の頃から右手に物を渡すようにしましょう。

高血圧と塩分と糖質の関係

高血圧の犯人、主犯は塩分だと思います。共犯が糖質です。その理屈を説明していきます。

以前糖質を控えると高血圧が改善する実例から、糖質を控えることで糖質依存塩分依存の共依存が解消され、結果として塩分の摂取量が減ることで高血圧が改善すると説明しました(参考:糖質制限で高血圧が治る理屈)。

糖質を控えることで糖質依存と塩分依存が解消される仕組みが働き塩分摂取量が減ることで高血圧が治る人がいるのは間違いありませんが、今回は別の視点から書いてみます。

糖質が高血圧を招く

糖質を摂ると消化されブドウ糖として身体に吸収されることで血糖値(血中ブドウ糖濃度のこと)が上昇します。血糖値が上昇すると身体にとって有害なブドウ糖と身体のタンパク質が結合する糖化という反応が生じます。身体にとっては不都合なのでインスリンにより血糖値を下げようとしますが、様々な理由によりインスリンがうまく働かなくなるのが糖尿病です。このインスリンのおかげで血糖値が抑えられるのですが、血液中のインスリンが腎臓に働きかけると一旦尿として排泄したナトリウムを再吸収する仕組みが働いてしまいます。糖質を摂ることで血糖値が上がり、インスリンが働き、腎臓からナトリウムを捨てさせる働きを妨げる。つまり糖質を摂るとナトリウムが体内に貯留する仕組みが働いてしまうのです。糖質を食べなければインスリンが過度に分泌されることがなくなるため、体内にナトリウムが貯留されなくなって高血圧が改善するという道筋です。

肥満の方が高血圧になりやすいのはこの仕組みが働くからではないかと思います。肥満の多くは糖質依存による糖質の摂り過ぎで発症します。糖質を多く摂っているということは糖尿病になっていなくても、それだけインスリンが働いていることが考えられます。その分余分な塩分が身体に貯えられた結果、塩分濃度を薄めるために水分も溜め込むため高血圧になるという理屈です。

糖質によりナトリウムが貯留するのですからいくら塩分を控えたとしても、高血圧が改善しない可能性があります。

糖質依存と塩分依存の共依存

ましてや糖質依存と塩分依存の共依存に陥っていれば、依存から抜け出す知識なしに魅力溢れる両方抜け出すことは非常に困難です。おにぎりに塩をするのもパンにバターを付けるのも糖質という甘みを打ち消すために塩分が求められ、糖質依存だけでなく塩分依存にも陥ってしまいます。高血圧の患者さんに対して減塩が叫ばれる中、なかなか減塩出来ないのは塩分依存だからです。少し塩分を摂ると止まらなくなって結果として塩分を多く摂ってしまいます。減塩醤油などを使っても上手くいかないのはそのせいです。減塩した料理を美味しく感じることが出来ないのは塩分依存により塩気の感じ方が狂わされているからです。

まとめ

当初は糖質を控えることで高血圧が治るのは、糖質依存が解消され共依存状態の塩分依存も解消されることで塩分摂取量が減り、高血圧が改善されると考えていました。

腎臓でのナトリウムの排泄に関して、インスリンが関わることからインスリンが多く分泌される状態では、ナトリウムを体内に溜め込んでしまう可能性が考えられます。インスリンが働くのは糖質を食べた場合です。糖質を食べることでインスリンを介して高血圧に陥る可能性が考えられます。

上記の理由により高血圧に対して塩分を控えることだけ行っても大して意味はなく、糖質を控えることをしなければ改善しにくいと思います。

副鼻腔の存在する理由

私が学生時代、副鼻腔は様々な憶測はあっても存在する理由が分からないと言われていました。自然淘汰の理屈から副鼻腔が存在しなければ子孫が残せない理屈を考えてみると、存在理由がわかりました。副鼻腔が無ければ命に関わるあるいは子孫が残せない状況を想像してみれば良いのです。副鼻腔が無くても命に関わらないあるいは子孫が残せるのであれば、副鼻腔の存在する合理的理由とはなりません。

これまで考えられていた副鼻腔の存在意義です。

  1. 頭蓋骨の軽量化
  2. 声を共鳴させて音量を増幅
  3. 加温・加湿に関して鼻腔の補助
  4. 顔面への衝撃から脳を守る緩衝エリア

生物の進化の歴史から考えて、生き残る際に無駄な物は無くなっていきます。逆に生き残る上で必要だったからこそ残ったはずです。現在必要かはともかく、人類の進化の歴史においては副鼻腔があることが生き残る上で重要な役割があったはずです。これらのことを踏まえ自然淘汰の理屈から、生存に有利なものを検証してみます。

1.頭蓋骨を軽くするためという理由が言われていましたが、決め手に欠ける理由でした。何故なら軽くするだけであれば無駄な副鼻腔を削り落とし、その分顔が凹むことで副鼻腔が無くなるはずだからです。副鼻腔がある方が生存に有利なことが考えられます。

2.声を共鳴させて声を遠くまで飛ばすことを考えてみます。遠くまで声を届けることが出来ても生存に有利になる理由はありません。敵がいることを伝えるとしても、大きな声で伝えることで生き残るのは他の人です。更に付け加えるなら聞く人の耳が良ければ大きな声で伝えるよりも有利です。生き残るためには聴力が優れている必要がありますが、声が大きくても自身の生存には有利にはなりません。よって副鼻腔の存在理由にはなり得ません。ただし声が大きいと配偶者を見つけやすいという理由は考えられます。これは声が大きいと、本来の副鼻腔の存在理由が優れていること(副鼻腔が発達していること)が他人にもわかるため配偶者が声が大きい人を選ぶのです。あくまでも副鼻腔の発達が生き残りに有利だから、副鼻腔が発達している人が選ばれるだけで、声が大きいことは副鼻腔の発達している人を選ぶ手段でしかありません。

3.加温・加湿において鼻腔の補助をする。補助が無ければ生き残ることが出来ない程過酷な環境であれば鼻腔その物が発達するはずです。わざわざ副鼻腔が存在する理由にはなりません。副鼻腔が別の理由で存在するので、加温・加湿に利用しているのと考えるのが妥当です。

副鼻腔の存在理由

今の私にははっきりと存在する理由が分かります。先入観にとらわれることなく物事を考える「0から思考」で考えると簡単でした。副鼻腔があるのが頭の前面というのも大きなヒントです。軽くするのが目的なら頭の周囲に満遍なく存在しなければ理屈が成り立ちません。何故前面だけに副鼻腔という空間があるか?それは4.脳を守るための衝撃を吸収するための衝撃吸収エリア、つまり頭部を衝撃から守るバンパーのようなものだったのです。今の平和な世の中では想像がつきませんが、他の動物や他の人間との争いにより怪我をするのが当たり前だった遥か昔、脳を守ることが最重要課題でした。怪我をすることが前提で脳にまでダメージを受けないことが重要です。木の棒や拳で殴られても副鼻腔があることで衝撃を吸収することが出来ます。副鼻腔が車のバンパーのように働くのです。ちょうどバンパーが物にぶつかることを想定して作られているように、人の頭も進化の歴史の中では、頭に衝撃を受けることを前提で脳を守るように進化した可能性が高いと思います。他の動物や他の種族との戦いにおいて顔面に強い衝撃を受けた場合、副鼻腔が無ければ脳に直接衝撃が加わります。脳が身体の動きの司令塔ですから副鼻腔の小さな者は直接衝撃を脳に受け、動けなくなって殺されてしまいます。衝撃の際事故時のバンパーのように副鼻腔が潰れることで脳に直接衝撃が加わることを抑えることが出来ます。結果として脳に損傷がないためすぐに動くことが出来、命を守ることが出来るのです。

車のバンパーは前後にありますが人間の頭部には副鼻腔は前面にしかありません。この理由を考えてみます。自然界では後ろから衝撃を受けることはほとんどありません。車は一方向に並んで進むという自然界では考えられないような特殊な状況で、後ろから追突されることに備えたものです。人間が頭の後ろから衝撃を受ける場合には、副鼻腔のようなものがあったとしても守りきれないので後頭部にはバンパーは存在しないようです。その代わり後頭部の頭蓋骨の厚みが厚く作られています。

これまでわからなかった理由

何故このような簡単なことがわからなかったかと考えてみました。副鼻腔の使い方を考えてしまったようです。研究者達が常識にとらわれてしまい「0から思考」が出来なかったことに起因します。何故なら木や拳での殴り合いの時代が何万年・何十万年も続いたことが抜け落ちているのです。剣や銃など武器が発達してしまった今となっては、研究者には副鼻腔があることで生存に有利だとは想像出来なかったのだと思います。剣や銃では副鼻腔を簡単に突き抜けてしまうからです。木の棒や拳であれば副鼻腔が衝撃吸収のバンパーの役割を果たしてくれるのです。

簡単な思考実験でも容易に理解出来ることですから、恐らく今ならコンピュータシミュレーションで上記のことを計算すれば簡単に証明できると思います。

「0から思考」は文字通り0から物事を考えます。0から考えてみると、如何に日常的に常識にとらわれて思考しているかが良くわかります。

人が物事に飽きる仕組み

人には同じ物事を繰り返していると、飽きる仕組みが備わっています。

何故人は飽きるのでしょうか?

飽きることで別の物に興味を持たせるため

飽きるというのは様々な状況で障害になります。例えば勉強に飽きてしまえば、他の物事に興味をうつしたいのに、状況が許しません。勉強に飽きているのに勉強しなければならない状況は苦行とも言える我慢の時と化します。同じことの繰り返しの仕事に飽きてしまえば、それはお金と引き換えの作業でしかありません。

本来人間は知らないことやわからないことに対して興味を持つようです。興味を抱いた物事を知ることで脳の報酬系(脳に対するご褒美みたいなものです)が活性化されます。この脳の報酬系は記憶とも連携しており、記憶の分報酬が差し引かれるように設計されているようです。初めて知ることや経験に対しては過大な喜びが得られますが、記憶にあることは記憶の分差し引かれて報酬が与えられます。だから同じことを二度体験しても感動が少ないのです。何度も経験するうちに十分記憶した時点で、報酬系が報酬を与えなくなります。いわゆる飽きたという状態になります。

これは同じことに執着することで、他の物事を経験する機会を逃さないようにする仕組みだと思います。様々な物事を経験しておく方が、一つのことに執着しているより環境の変化に適応できる可能性が高く、生き残りに有利だからです。

飽きない仕組みの獲得

飽きない仕組みの獲得とは二つの意味があります。自分で獲得したもの。意図的に仕組みを作ったものです。

自分で飽きない仕組みを獲得してしまうのは、依存のメカニズムです。脳の報酬系が錯覚を起こし、飽きるのとは逆の反応でやり過ぎてしまうのです。

飽きない仕組みとは様々なゲームです。本来は同じことを何度も経験していると飽きるはずですからゲームのやり過ぎは起こりません。しかしゲームメーカーは飽きない仕組みの作り方を経験的に知っているため、ゲームから逃さない仕組みを作り上げてしまうのです。ゲームの問題はこの飽きない仕組みを意図的に作り出してしまったことだと思います。本来人間のもつ飽きる仕組みを回避するのですから、ズルいとも言えるかも知れません。

人間の遊び本来の意味から逸脱しているので、将来的にはある程度規制が必要になるのかも知れません。

一度飽きてもまたやりたくなる理由

一度飽きても再びやりたくなるには理由があります。一言で言えば覚えているかどうかです。もう一度やるかどうか考えた際に記憶が薄れていれば、再度報酬系が活性化されることが期待できますから魅力的に思えます。記憶が鮮明なら報酬系は活性化されませんから魅力的に思えません。

子供が一旦飽きた遊びを再び何度もやりたがるのは、以前の記憶が報酬系を差し引けなくなっているからです。

勉強・仕事などで飽きるのを防止するには?

同じことの繰り返しだと飽きやすいので、時間毎に区切って勉強や仕事をする。毎回新しい発見を探すようにする。例えば覚え方の工夫をし、覚えやすい覚え方を楽しみながら試す等。仕事であれば同じ作業なら時間短縮するための工夫をして何時もとは少しずつ変えていく。

何らかの工夫などを考えることで少しでも改善することを見つけ出す。世の中に完璧なことなどあり得ないので、探せば何かしらの改善点を見つけることが出来るはずである。