センター試験 ムーミン問題は良問

センター試験でムーミンが出題され議論が巻き起こっているようです。しかし問題を見てみるとセンター試験らしい考えさせる問題であり良問だと思います。(著作権の問題がクリアできるかどうかわらないため、画像はのせていませんが興味のある方はこちらをご参照ください。)

私も受験生の時に陥ったちょっとした落とし穴に落ちた人が、出題に問題があるとしているようです。落とし穴とは問題の設定を疑うことです。私が落とし穴によく落ちていたのは国語ですが、大前提として問題の設定に疑問を持ってはいけません。白いカラスと書いてあれば、一般的なカラスは黒でも、そのカラスは少なくとも白として問題を解くべきです。黒い白鳥と問題に書いてあれば、言葉に矛盾がありますが問題の中では白鳥は黒です。今回はノルウェーとフィンランドとあれば、スウェーデンでは?という疑念を持ってはいけないのです。そして問題は解けるようにヒントを配置して作ってあるのです。

テストの問題において、いわば出題者は神様です。自由に設定を行い、問題を作ることができます。その設定が間違っているかどうかは解答者にとって問題ではありません。その問題の設定を疑うことは神様を疑うことと同じです(私自身は神の存在を信じてはいませんが、正しいものの象徴と考えてください)。つまり問題に書いてある事が全てです。試験のルールとして問題の設定だけで考えるという大前提を知らないと、あれこれ知識を元に考えた受験生の頃の私のように苦労してしまいます。私は国語で苦労しました。自分の頭の中にある知識と、問題に書いてあることから問題を解くと誤解していたのです。受験生の当時この大前提を知っていれば、大学受験でこれ程苦労することはなかったように思います。

入試は先入観を持つと答えが出せなくなってしまうのです。そういう意味で70年も前の話ムーミンにしたのは、先入観を持っている人が少ない可能性が高く、良問だと思います。そしてムーミンに気を取られ、記憶で解こうとした人が落とし穴に落ちてしまったのでしょう。センター試験の地理は知識では無く理解度を問う試験だと知っていれば、慌てる事は無かったはずです。

ムーミンの舞台が実在しないから出題ミスや、元々ムーミンがスウェーデン語で書かれていたから云々は出題の設定には何の関係もありません。出題者が実在しないムーミンの舞台をフィンランドだと勘違いしたという配慮すべき点はあっても問題の答えは1つしかないからです。

設問ではフィンランドとノルウェーの違いを位置関係と言語圏の関係から問う問題でした。何語で書かれたか、本当の場所がどこかを問う雑学クイズではありません。受験生で文句を言っている人がいれば、可愛そうではありますがセンター試験の地理の勉強の仕方を間違えているのです。

悪問・出題ミスとは、答えが出せないあるいは答えが2つある場合です。例えば今回の設問にスウェーデンも選択肢にあれば(そもそもスウェーデンとの比較なので選択肢にはなり得ませんが)、答えが出せない出題ミスとなったでしょう。しかしノルウェーとフィンランドと設定されているので、スウェーデンと地理的に近いか遠いかが言語が似ているかどうかで問われ、港が冬に凍るか凍らないかが緯度の割に暖かいか寒いかを理解しているかどうかが問われています。この2点から類推出来るかどうかが問われています。間違いなく答えが一つ出せるので出題ミスではありません。

センター試験の地理は共通一次から移行した当初から暗記科目ではありません。思考科目です。教科書にある必要最低限の知識の習得はもちろん必要ですが、その知識を試験中に活用できる程の深い理解が問われています。暗記科目だと誤解している人が落とし穴に落ちてしまい嘆いているように思います。もしかしたら地理を教えている高校教師も予備校講師も思考科目だと理解出来ず、そのようには教えてはいないのかもしれません。そのため勉強の仕方・解き方を間違えてしまったようです。雑学クイズの解き方を思考力が問われるセンター試験に当てはめようとした悲劇です。

問題の質は高いと思います。地理の勉強を適切にしている人間であれば容易に正解に辿り着けるからです。設定の仕方には疑問があるかもしれませんが、設定を従って問題を解く上では何の支障もありません。出題された問題の設定を疑わない受験生を学校は欲しいと考えています。問題の設定を疑わない良い受験生になることをお勧めします。

ワイドショーでも議論しているようですが、そもそもセンター試験の出題意図を踏まえずに議論しているので混乱しているに過ぎないように私には思えます。もし予備校の地理の講師が疑問を呈していれば、その講師はセンター試験の地理の勉強の仕方、問題の解き方を理解していない可能性があると私は思います。別の先生に教えてもらう方が点数が取れるようになる可能性が高いでしょう。

ちなみにセンター試験の国語では小説の作者の意図が答えにはなりません。小説を抜き出し、その試験範囲に示された文章だけから導き出せることが正解です。試験とはそういうものです。私がこの事実を知ったのは僅か四年前でした。受験生の時に知っていれば、もう少し楽に大学に入れたのにと思います。

センター試験はあと二回行われるようですが、問題の設定が全てというルールを改めて受験生が再確認出来た良問だと思います。受験生のみなさん頑張ってください。

成人の日の着物バブルに思う

成人式という晴の日に着物を着ることを約束して多額のお金を支払わせた後で、成人式当日に音信不通になるという事態が発生しました。実際に事件として立件されるかどうかは不明ですが、現時点で伝え聞こえる情報からするとかなり怪しいとは思います。事件なのかただの倒産なのかはこれから明らかにされると思いますので、そのことには触れず別の視点から書いてみたいと思います。

成人式に着物の準備と着付けをするという体験の提供に価値を見出す人達に高値で売るということです。
成人の日という1年のうちの1日に着るだけでテクニックの必要な着物を着る需要が殺到するため、レンタルと着付けの価格が急騰していることが問題です。1日に集中するため、着物を持っている会社の言いならざるを得ないのが現状です。

いわば成人のお祭りに衣装として着物を選ぶことを選ぶ人が多いことに起因しています。需要が1日に集中していることが原因です。確かに晴れの日として着物を着ることに意味があると考える人が多いのも事実です。しかし1日でもずれていれば需要は一気に減ります。しかも供給は成人の日に合わせて準備しているので、潤沢にあります。成人式が終わってから着物を着る人が少ないからです。結婚式で着るくらいでしょう。

今回の成人式の当日夜逃げした事例は、成人の日の着物バブルへの警鐘ではないかと私は思います。何故なら着物のレンタル・着付けが1日に集中することで費用が急騰しているからです。誰かが成人式当日は友達の結婚式に着ていける身軽なスーツにしましょう。そして成人の記念に前撮りとして着物を着付けして写真に残しましょうという価値観が広まれば、成人の日の着物バブルは終焉すると思います。成人の日1日に集中するため費用が高騰しますが、日にちが分散することが出来れば、少なくとも費用は半額、場合によっては3分の1や4分の1に抑えることが出来るのではないかと思います。

成人の日1日に着付けが集中するため、成人の日の朝4時や5時から着付けを行うというのは異常なように私は思うのです。

成人式の当日はスーツ、写真は前撮りあるいは後撮りが需要が分散するため費用が抑えられて合理的だと思います。
もちろんみんなが着物を着ることを否定する訳ではありません。成人式に着物を着ることに何十万円もの価値があると考え、朝早くから着付けを行いたい方は着ればよいのです。ただみんなが着ているから自分も着るとして流されている方は、一歩立ち止まって本当に自分にとって何十万もの価値があるのか考えてみるとよいのではないかと思うのです。

これは私の空想ですが、結婚式を挙げないカップルが増えているので結婚式場が苦労していると聞きます。であれば内輪で結婚式場で成人式を成人の日以外の日に行うのはありではないかと思います。結婚式は新婚カップルが主役ですが、結婚式場で行う成人を主役とした成人式をを親戚や友達同士で着物を着て祝うのもありではないかと私は思います。これも着物を成人の日以外に着るように分散する手法の一つだと思います。

成人式の一つの提案

場合によっては、結婚式場が主催して知らない人同士の成人式を行い、希望者だけが集まるのもありだと思いますし、成人になる同級生が集まって同窓会として結婚式場で成人式を行うのもありだと私は思います。いわば民間の成人式です。
どれだけ賛同される方がおられるかはわかりませんが、少なくとも費用が格安であれば記念にやってみたいという需要は少なくとも赤字にならない程度には見込めると私は思います。何故なら結婚式の需要の少ない日に設定して、空いている結婚式場を使えばよいからです。着付けをするスタッフも会場も空いている隙間を利用することが出来るので、仕組みの調整は必要ですが面白い仕組みだと思います。
更に結婚式場としても、結婚式の宣伝にもなるため格安にしてもメリットが十分あると私は思います。

慰安婦問題を蒸し返す某国に思う

国と国とで話し合って決めた合意を反故にしようとしている国があります。一方的に反故にしようとしているのは慰安婦問題についての合意です。

過去に拘るのは目的があります。対等な立場に満足出来ず、過去を持ち出すことで優位に立ちたい現れでしょう。更に某国の政府が慰安婦問題を蒸し返す目的は国内での人気取りです。つまり大統領でいるために、国と国との合意を反故にしようとしてしるようです。未来を見据えていれば、過去に拘ることはやめるはずです。何故なら過去には戻ることが出来ないからです。出来るとすれば過去から学び取ることだけです。つまり戦争などしてはいけない。だから過去に拘ることをやめ国同士が仲良くする方法を模索するべきです。

お互いが納得し合意した物事を、自分の理屈で蒸し返すのは子供のやることです。

「今日はお菓子は買わないと言ったよね?」「でもお菓子欲しいんだもん」

このような子供の会話と何ら変わりません。

約束を一方的に破る人がいれば、周りの人達はどのように扱うでしょう?相手にしなくなるのではないでしょうか?何故なら都合が悪くなると約束を一方的に破る可能性があるからです。

嘘ばかりつく子供の友達がどんどんいなくなってしまうのと同じです。

国にしろ人にしろ、どうしても付き合いをしなければ仕方ないような、貴重な資源を持っていれば話は別ですが、貴重な資源がある訳でなければ相手にされなくなるでしょう。

特に先進国はお互いの合意した約束は守るという信頼関係の上で成り立っています。その信頼関係を一方的に反故にする国を国際社会は先進国とは認めなくなるでしょう。いわば約束を守るという常識です。その常識を学ぶ前に経済が発展してしまったため先進国に仲間入りをしてしまったのです。まだ常識を身につけていないお金持ちの世間知らずの子供のように扱うべきでしょう。国際ルールを知らない子供なのですから怒っても仕方がありません。大人として、一方的に自分の都合で駄々をこねても相手にされないことを教えてあげるべきでしょう。

相手に大人のマナーを教えてあげる格好の舞台は、日本の総理大臣が来年招かれているイベントに行けないと伝えることです。本当に来て欲しいと考えていれば、慰安婦問題を蒸し返したことに対して謝罪するべきです。

私の空想に過ぎませんが、慰安婦問題を蒸し返しても日本の総理大臣はイベントに来ると期待していたのではないかと思います。慰安婦問題を蒸し返してもやって来たから、日本は蒸し返すことを受け入れたと国内にアピールすることで、人気を得ようとしたのではないかと思います。イベントに来ないと日本が言い出すことを想定していなかったのだはないかと思います。何故ならわざわざ開催が一部で不安視されているイベント前に、慰安婦問題を蒸し返す必要がないからです。イベントが終わった後で蒸し返す方が波風が起こらないからです。この点でも自分達の視点からしか物事を判断出来ない子供のようだと私は思ってしまいます。その証拠に某国国内の新聞でさえも国際社会の信用を失う不安が書かれ、慎重に対応するように求めています。

国としての対応を誤れば、国際的なイベントさえも開くことが出来なくなる可能性があることを知らないのかもしれませんね。

早く国際社会のマナーを身につけてくれることを祈っています。

新幹線のインシデントに思う

新幹線のインシデントのワイドショーでの報道を見ていると責め立てる口調のため、ふと思ったことを書いてみます。起こってしまったことを責め立てても意味がありません。もちろん現場の方々はわかっておられると思いますが、意味があるとすれば失敗を次にいかすことです。そのことを書いてみたいと思います。

『原因論』より『目的論』

こういう事案の際にも人間関係の場合同様『原因論』より『目的論』が有効です。何故このようなインシデントが起こったかを追求する『原因論』では解決が見出せません。何故なら人は出来れば責められなくはないため、責められるような内容は隠そうとしてしまいます。故意にしたミスであれば責め立てられて当然ですが、故意で無ければ何らかのミスの起こる仕組みがあったと考えるべきです。『原因論』では責任の所在を特定し、責任を取らせるという考え方です。誰しも責任を取らされたくはないため、情報を隠そうととしたり場合によっては嘘をつくことをあるでしょう。『原因論』では情報の隠蔽や虚偽を見抜くという無駄な作業を強いられます。その無駄な作業の分解決しにくくなります。

『目的論』では再発防止を主眼に、そのためにはどうすべきかを考えます。誰の責任かは二の次にするのです。

例えば今回のインシデントでは、異臭がしたが運行した。誰が運行を許可したのかを責め立てるのが『原因論』です。どうすればこのインシデントを避けることが出来たかを考えるのが『目的論』です。恐らく異臭がすれば停車駅で運行を停止し、少なくとも目視での異常を確認をするということです。

今回のインシデントの二つの学ぶべき点が

今回のインシデントでは、正常バイアスという思い込みと念のための確認の大切さの二つを学ぶべきだと思います。

正常バイアス

人は決定的なことがなければ大丈夫だと思い込む性質があります。時として決定的なことさえも大丈夫だと錯覚してしまうことがあります。例えば部屋に煙が流入しても周りの人が慌てていなければ、大丈夫だと錯覚して確認しようとしないそうです。

今回は異臭という決定的なことがあっても、事故は起こらないはずという思い込みが運行の継続を決めてしまったようです。

例えば航空機で異臭があれば間違いなく最寄りの空港に着陸するはずです。飛行機は何かあれば墜落するので、

念のため確認する

大丈夫だろうと思い込むと確認を怠りがちです。今回のインシデントでも台座に亀裂が入るなどとは想像してはいなかったでしょう。大丈夫だろうと思い込むことで、確認することなくそのまま運行することを選択してしまったのです。

今回わかったことは念のために名古屋駅で確認したことで、最悪の事態を避けることが出来ました。もし名古屋駅でも念のため確認することを怠っていれば、最悪の事態、台座の破断・脱線になっていたことでしょう。

私は横断歩道を渡る際に後ろを見ることを提案していますが、この後ろを見るのも念のため確認する行為です。

もう一つの確認は非破壊検査での確認です。もちろん目視での確認は毎日行っていたはずですが、破壊せずに検査する検査の仕方や間隔を検討することになるでしょう。具体的には目視だけでなく赤外線や紫外線での確認は毎日されるようになるかもしれません。手間のかかる磁力線による非破壊検査(金属に電流を流すと目に見えないような微小な亀裂があれば磁気が乱れることを検出する検査)も頻繁に行うことになるのかもしれません。

大丈夫であっても確認する。

確認は一時のことですが、万が一問題があって放置すれば取り返しのつかない結果を招くことがあるからです。少しの手間を惜しむことで結果として多大な労力を費やしてしまう。

大丈夫だろうと思っても確認する。このことを理解していなければ、これまで経験していない未知のアクシデントには対処出来ないと思います。

今回名古屋駅で確認された方々は何人もの命を救ったのではないかと思います。

新幹線のインシデントの報道から、私は大丈夫だろうと思っても確認する大切さを学びました。

ゴキブリ投稿市議の辞職勧告に思う

ネットにゴキブリ投稿した市議に辞職勧告が出されました。

記者会見を見て思ったことを書いてみます。
記者の方達は「何故」と質問されていました。
私が記者なら「何のために?」と質問します。
理由を聞いても言い訳を並べるだけです。本当の理由を言うのかもしれませんが、他人には言い訳と区別することが困難です。だからこそ言い訳出来ない「何のために?」を質問することをお勧めします(参考:『人付き合いは原因論より目的論で)。

記者の方が『目的論』を中心とした質問の仕方を身に付けると言い訳を聞かされることが減るので、時間の短縮が出来ます。

問い質す

何のためにゴキブリ投稿をしたのですか?

何のために市議を続けるのですか?

お金と地位・名誉以外に目的があれば教えてください。お答え頂けなければ、お金・地位・名誉だと認められたとみなさせて頂きます。

(お金・地位・名誉以外の目的の返答がない場合)お金・地位・名誉の中のどれが一番の目的で辞めないのか教えてください。

犯罪者が市議を続けるような市だと全国に思われることに対し、辞める以外の責任の取り方があれば教えてください。

市議は結婚されていますが女性問題での書き込みとは、不倫をしていたということですか?それとも不倫を成就させるために書き込んでしまったということですか?

突っ込みどころ満載ですが、理由を質問するので言い訳に終始していました。市議に残留するとすれば何をしたいかを聞いたのは、良い質問でしたが明確な返答がありませんでした。具体的には特にやりたいことはないということですね?とまとめると良かったかもしれません。

市議の監査システムが必要かもしれない

市議のトラブルがいくつか公になっていますが、公にならないまでも世間一般の常識とは乖離した行動をしている人達もいるようです。しかし市民にはその行動が見えないため、選挙では当選してしまうようです。

選挙以外の監査システムも必要なのではないかと私は思います。具体的には市議の行動を世間一般の常識と照らし合わせて客観視したレポートを出す仕組みです。

さらに辞職勧告を二回受けると自動的に失職し、選挙で信を問う仕組みにするとすると良いと思います。

大相撲問題 これで良かったのかもしれない

ワイドショーを騒がせている大相撲問題ですが、昨日は引退することになった横綱が少し可哀想かなと思っていました(参考:大相撲問題 親方の目的がわからない)。

物事を整理して冷静に考えると引退で良かったのではないかと思うようになりました。依然被害者の親方の目的はよくわかりませんが、横綱が親方になることなく引退で良かったと思います(引退時点で日本国籍がないと親方にはなれないそうです)。何故なら他人に暴力をふるって怪我をさせても当たり前だと思っていることです。しかも引退記者会見で被害者が謝まりにきたからこのような問題になるとは思っていなかったとしています。世間一般の常識でいえばどのような経緯があったにせよ、他人に怪我をさせたのであれば自分から謝りに行くことが当たり前です。それを相手から謝りに来たくらいだから自分は悪くはないと言わんばかりです。確かに相撲の世界で横綱は雲上人なのかもしれませんが、相撲を離れればただ身体の大きい人です。何をしても許されると思っていたふしがあります。同じモンゴル出身というだけで身内だと錯覚したのかもしれませんが、身内でもなんでもない別の部屋の他人に怪我をさせたことを悪いことだとは思ってはいないようです。

私がタイトルのようにこれで良かったのかもしれないと思うのは、身内でもなんでもない別の部屋の他人に対して暴力をふるっても当たり前だと思っていることです。ということは将来引退して親方になり弟子をとったとすれば、身内ではない他人にあれだけの怪我を負わせる暴力が当たり前だと思っているのですから、身内である弟子に大怪我をさせてもおかしくはありません。怪我で済めば良いですが、もしかしたら再び亡くなってしまう不幸な事件が起きたかもしれなかったからです。

もし被害者の親方がここまで考えて行動されたのであれば、私は感心します。

大相撲の問題は力士が部屋をうつることが出来ないからだと思います(私の勉強不足で実際には部屋をうつることが出来れば、的外れな意見ですが)。何故ならどれだけ理不尽なことを親方や先輩力士から言われても、力士を続けていく限り受け入れるしか選択肢がないからです。親方や先輩力士はどんな理不尽な要求も通ると、何でも出来ると錯覚してしまいます。すると理不尽な要求がエスカレートするのですが、誰も止めることが出来ません。その暴走に歯止めをかけるのが部屋の移動だと思います。世間一般の常識を元に、客観的にみて理不尽な要求だと認められれば部屋の移動を認めるべきだと思います。今回は別の部屋だったため警察沙汰になり横綱引退という幕引きになりましたが同じ部屋同士だと発覚しにくい構造だと思います。理不尽な要求を飲むか廃業かと考えると、暴力にも耐えるしかない構造だと思います。

正直私は大相撲には大した興味はありませんが、ワイドショーを騒がせているので私の考え方をコメントしてみました。

大相撲問題 親方の目的がわからない

横綱の引退という結末を迎えた大相撲問題ですが、被害者の親方の目的がわかりません。警察に被害届を出したことで事件にしました。被害者が協会の事情聴取にも応じないようにしています。
あの流れであれば横綱の引退は当然の流れだと思いますが、横綱の引退が被害者の親方にメリットをもたらせるとは思えません。

では被害者の親方の目的が何かを考えてみます。1つ考えられるのは理事長になることです。ただ選挙で選ばれる理事長が、協会に協力しない不可解な行動をとる人が選ばれるとは思えません。今回の一件で本気で理事長になるつもりなら表沙汰にせず水面下で交渉するべきでしょう。被害届を出さない代わりに理事長にしてくれという交渉です。もう1つ考えられるのは存在感を示すことです。自分が行動すれば大変なことになるぞという存在感を示すことが目的であれば、その目的は達成されたでしょう。しかしこのままでは存在感を示すだけで終わってしまいます。私には『意味』がわかりません。もしもう1つ目的があるとすれば相撲協会の体質を変えるために被害届を出したというものです。目的が体質を変えることであれば、このやり方で体質が変わるかどうか疑問が残ります。

暴力は絶対に否定されるべきですが、本人同士が納得していることに親がしゃしゃり出て警察沙汰にしてしまった感があります。真相は本人達にしかわかりませんが、怪我をさせた相手の親がモンスターペアレントだったような状態のように見えてしまいます。被害者は大事にするつもりは無かったにも関わらず、親方に知られてしまい親方が騒ぎ立てた。親方に逆らうと相撲を取ることが出来ず、自分が廃業の危険がある。仕方なく被害者も警察沙汰を了承せざる得なかったのではないかと思います。もし被害者が他の相撲部屋にうつる選択肢があれば、このような流れにはならなかった気がします。

正直私の頭では被害者の親方の目的がわかりません。どんな真相が隠されているのかわかりませんが、暴力は否定されるべきです。今後力士の暴力事件が起こらないように祈っています。

追記)もしかしたらモンゴルの方達を排除し、大相撲を日本人だけでやりたいと考えているのかもしれません。ただその割にモンゴルの方を弟子にしているので私の思い過ごしかもしれません。やはり親方の目的は私には理解出来ません。

モリ・カケ問題から学ぶべきこと

一時国会を賑わせたモリ・カケ問題ですが、衆議院議員解散という奇策により有耶無耶になりそうです。そして自民党圧勝という結果によりモリ・カケ問題など最初から無かったという結論で終わってしまいそうです。モリ問題は根拠が不十分として議論されてはいますが、カケ問題は結局認可されてしまいました。

追求する側は証拠を揃えなければいけませんが、追求される側は証拠を極力残さないようにしているので決め手に欠けるのが現状です。

追求する側は相手に非を認めさせ、自分達の要求を正当化するために必死ですが、余程のことがなければ非を認めざるを得ないような証拠は残してはいないでしょう。非を認めさせるという視点だから話が前に進まないのではないでしょうか?

視点を再発防止のために追求するという具合に軸足を移すと解決策が見えてくると思います。このような場合も目的論で考えてみるのです。過去にこだわる原因を追求してもやましいところのある人達は必死で隠そうとします。目的で話し合うことで再発防止を図ることが出来るため、建設的です。責任追求という目的は、自分達を立場上有利にするというより深い真の目的が隠れています。私利私欲で行動してもなかなか賛同は得られません。再発防止という目的であれば、私利私欲からの行動ではなく、少なくとも同じことは起こり得ない仕組みを作ることが出来ます。

モリ・カケ問題解決の一案

責任追求と再発防止を切り分けることです。責任追求を前面に押し出してしまうと誰しも責任を取りたくないため、必死で隠そうとしてしまいます。嘘も付くかも知れません。その嘘を暴くという無駄な時間を要してしまいます。

まず再発防止のためにはどうするべきかを政権に投げ掛けるのです。その答えを再発防止の視点で議論するべきです。

例えば決定の過程を文書で残していなければ、誰の責任か曖昧にしないために、その時点の責任者がその時点まで遡って降格あるいは減俸、場合によっては懲戒免職というルールを作るのです。もっと過激な方法では、決定過程の文書を作成しなければ犯罪という法律を作ってしまうのも一案かもしれません。つまり忖度をするなら誰が誰の為にしたのか、証拠を残すのです。後で責任を追及される可能性がある証拠に残せない忖度は自然と消え去るという仕組みです。

モリ・カケ問題から学ぶべきこと

モリ・カケ問題から学ぶべきことは、有無を言わせない決定的な証拠が無ければ追求は時間の無駄ということです。合理的に考えておかしなことが多々ありますが、相手が惚けてしまえば決定的な証拠が無ければ議論は噛み合いません。

少なくとも決定的な証拠が見つかるまでは、今後に備えて再発防止策を話し合うべきです。再発防止策を話し合うことをせずに決定的な証拠なしで責任追求をしようとするから時間だけが過ぎてしまうのです。

民主主義が優れているのは間違った政策を取ると選挙で淘汰されることです。人民の集合知により間違いを炙り出すことが出来ることです。

しかし今のままでは同じことが起こり得ます。何故ならおかしなことがあっても誰も責任をとらず、再発防止策も作られてはいないからです。政治家の中に『目的論』で物事を考えることのできる傑出した人物が登場することを心から望んでいます。

プレミアムが失敗してブラックフライデー?

今日はブラックフライデーだそうです。ブラックフライデーを知らなかったので、お店でブラックフライデーのセールの文字を見て驚きました。プレミアムフライデーの企画が失敗してブラックフライデーと揶揄してセールを始めたのかと思いましたがどうやら違うようです。

アメリカでは11月第4木曜日が感謝祭とされその翌日第4金曜日が正式な祝日ではないものの休みになることが多いようです。日本のお盆のようなもののようです。そして感謝祭プレゼントの売れ残り一掃セールで大安売りし、クリスマス商戦の開始を意味するするためお店が黒字になることでブラックフライデーと言われるそうです。

このイベントをお店が日本にも導入しようと考えたようです。そもそも感謝祭にプレゼントをするという習慣がない日本に導入することに無理がありますが、バレンタインもホワイトデーもクリスマス、ハロウィンまで定着した国ですからブラックフライデーも定着するのかもしれませんね。

何かにこじつけて物を売ろうとするお店のアイデアには頭が下がります。消費者としても同じ物が安く手に入るのであればお得ですよね。次のアイデアは何が出てくるのでしょう。

 

政界の放火魔

政治の世界を見ていてふと思ったことがあります。
発想が過激なため敢えて名前を出しませんが、放火魔がいます。誰のことか考えてみてください。

火どころか煙さえないところに、わざわざ火を炊きつけて大騒ぎします。
自分に火が付きそうになると、自分でつけた火を消すことなく逃げだすのです。

移転が決まった施設に難癖をつけて移転させない。なんでも地下水が汚染されているということらしいですが、汚染の基準が飲料水としての使用を目安としています。飲まない水を飲む水の基準で汚染ということが私には難癖に思えます。
結局何も変わらないまま、なし崩し的に移転するようです。
その意味は移転を止めることが出来るという権力を誇示できたことだけです。
本来なら移転を止める基準を示し、その基準をクリアできたから移転、クリアできていないから移転中止とするべきでした。そうしないところが問題のないところにわざわざ問題を生み出す、放火魔に見えてしまいます。

次は新党結成でした。
本来なら知事と議会の関係は、知事が政治を行い、議会は知事の暴走を止めるはずです。その知事が議会を牛耳ることはチェック機能が働かないため不適切だと私は思います(参考:知事が党首の違和感)。百歩譲って自分のやりたいことをするために本来チェックする側の議会を牛耳っても仕方がなかったとしても、自分に力があると錯覚してしまいました。地域政党の党首を降りて、知事でありながら国政政党を立ち上げたのです。これも火のないところにわざわざ火をつけたようなものです。世間一般では『風』などと言っていますが、私には放火された『火』のように見えました。何故なら『風』なら物が動くだけで後に意味が残りますが、放火魔の付けた『火』の後に何も残らないからです。

勝手に私が想像したことですが、総理大臣を狙っていたと私は思います。私がそう類推した根拠は選挙が終わるまで首班指名を誰にするか公表しなかったことです。政権奪取を目標に掲げながら誰を総理大臣にするか公表しないということは通常あり得ません。政権が取れないことが分かっている人達は首班指名を誰にするか事前に決める必要はありません。ということは政権奪取というのは口だけで政権を奪えるとは考えていなかったか、放火魔が最後まで首班指名されるつもりでいたとしか私には思えません。情勢を見据えて勝てそうだとなると衆議院議員選挙に打って出るつもりだったのではないかと私は思います。放火した火が『逆風』にさらされ、自分に燃え移りそうになったの、最後の最後にようやく諦めて衆議院議員選挙には打って出ないと宣言をしたのではないかと私は思います。

結局騒ぎだけ起こして国政正当の党首もやめてしまいました。それはそうでしょう。総理大臣になるために思いついて点けた火が消えてしまっただけでなく、自分に燃え移りそうになったのですから慌てて逃げるのは当たり前です。これ以上関わっていると知事の座も危ないと考えて逃げ出したのでしょう。
この逃げ出すところも放火魔です。放火魔が焼け死ぬことはほとんどありません。

放火魔は火をつけて騒ぐことしかできません。
新しいものを生み出す創造主ではなく、破壊者でしかありません。
賢い英雄だと思っていた人が放火魔だとばれてしまったのですから、自分のつけた火で燃えてしまいそうです。

政界の放火魔が次に火をつけても、騒がずすぐに水をかけて消してしまいましょう。
オオカミ少年ではありませんが、またかと思うだけで良さそうです。
政界の放火魔と揶揄されるような行動に出るくらですから、正直任期満了まで働ける程賢いようには私には見えませんが、どうなることでしょう。

政治の世界に新しいことを生み出す創造主が生まれることを祈っています。