質問すると怒り出す医師の心理

怒り出す医師の心理は以前書いてみましたが、今回は質問すると怒り出す医師の心理に特化して考えてみました。

プライドが高くわからないと言いたくないことを隠す目的で怒り出すか、自分の用意した説明を遮られるとどのように説明したら良いのかわからなくなることを避ける目的で怒り出すのだと思います。もしかしたら医師免許はお持ちでも頭の回転が早い訳ではないため、相手の質問に対応出来ないことを隠す目的で怒り出すのかもしれません。
いずれにしても患者さんに怒り出す医師の目的は自分の何かを守ることです。自分のプライドなのか、頭の回転が早くないことを知られないためなのかは人によって異なりますが、医師自身のために怒り出すのです。医師が不快に思うから怒り出すのでしょうが、患者さんのことを考えれば、不快だからといって怒るという選択は出来ないはずです。患者さん想いの医師であればいくら不快な質問をされたからといって患者さんを怒ることはしないはずです。つまり怒り出す時点で患者さん想いではないことが証明されたことになります。

恐らく質問されて怒り出す医師の多くは質問に答えていないと思います。つまり怒り出す一番の目的は質問に答えないことです。怒られた上に質問には答えてもらえないのですから、踏んだり蹴ったりです。怒られても萎縮せず、感情的にもならずに質問を繰り返し、怒り出すということはわからないということですか?と淡々と質問してみると良いと思います。怒り返しても意味がありません。
怒るという行為は優位に立っていることを示すだけのことです。怒り返したとしても患者さんが優位に立つことを認められません。もし言い返されなければ自分が正しいと更に勘違いしてしまいます。これまで勘違いを積み重ねた結果、患者さんを怒ることが出来るのです。怒ることで自分の弱点を隠すのです。決して自分の弱点と向き合うことは出来ないと思います。自分の弱点を隠すために怒り出すのですから。心理としては言い訳人間と同じような心理なのだと思います。失礼な質問をしたから自分は怒って当然だと自分に言い訳しているのではないでしょうか?失礼な質問だから答える必要はないと自分に言い聞かせているのかもしれません。

今回は質問されて怒り出す医師の心理を書いてみました。怒り出す医師に聞いてみたことはありませんが、大きく間違ってはないのではないかと思います。

対策は他の病院を探しましょう。質問しても向き合ってもらえない訳ですから、通う意味はありません。ましてや病気で悩んで受診しているのに、怒られるいわれはありません。怒られることに快感を覚えてしまうM気質な方以外は、他の病院を探しましょう。

ちなみ患者さんのことを心配する余り怒ってしまうというのは詭弁です。怒らない方法があるはずです。ましてや病気で困っているのは患者さんです。その困っている人を困らないはずの医師が怒るのは問題論の勘違いです。誰の問題かを把握できていないために怒り出すのです。
質問で怒り出す話とは少しずれますが、医師が困る問題だと仮定すればお金しか考えられません。再診してくれなければお金にならないから怒り出すのではないでしょうか?

もし医師に怒られてしまったら、怒り出した医師の心理に当てはまりそうな部分がないか考えてみてください。

様々な事情でどうしても通わざるを得なければ、このサイトを印刷して病院にそっと忘れて帰られてはいかがでしょうか?

嫉妬してしまう心理

友人や知人が贅沢な暮らしをしていると羨ましいと思ってしまう嫉妬という感覚は誰にでもある感情です。

何故嫉妬という感情はあるのでしょうか?

今となってはネガティヴな感情とされる嫉妬ですが、実は人類の進化に役立っていたそうです。そして嫉妬には2つの意味があるのです。

今となっては様々な病気を引き起こす糖質依存が、かつての人類の発展に役立っていたことと同じです。進化の過程では糖質のおかげで飢えることなく人類が発展することが出来ました。

嫉妬は人のことを羨ましいと思う感情のことで、この嫉妬心が努力する動機付けに役立っていたそうです。人のことが羨ましいから努力して人と同じことが出来るように努力することです。羨ましいと思わなければ、人は努力しようとしないようです。より良い生活を得ようとして努力するのは人のことを羨ましいと思う嫉妬心が原動力なのです。

ではその嫉妬の元となる心理は何でしょうか?

一言で言えば嫉妬の対象となる人と同じはずなのにという心理です。同じはずなのて違うことがズルいと感じてしまうことが嫉妬の元となります。ですから本来は努力の量が違えば、嫉妬の対象とはならないはずなのです。同じではないからです。多くの場合は、努力している嫉妬される人はこの違いを知っています。努力していない人はこの違いが理解できません。偶然の結果くらいにしか認識出来ないのです。努力の違いだと気づくことの出来る人は、自分が努力する原動力とすることが出来ます。嫉妬を動機付けに頭の中で切り替えることが出来るのです。こういう健康的な心理が人類の進化に役立ちました。

稀に人との違いに気づくことが出来ず、ズルいと感じてしまう人がいます。ズルいから引きずり降ろそうとしてしまう病んだ心理に陥る人がいます。対策は相手にしないことか、違いをわからせてあげることだと思います。ただ病んだ心理状態のため、違いがわかったとしても、その違いの元となること(例えば才能とか努力できる環境とか)がズルいとして、自分を高める方向には思いが回らないので逆恨みされてしまうリスクを負うことになります。出来るだけ距離を置くようにしましょう。

質問に対して的外れな回答をする人の心理

今日はスーパー心理学を考えてみたいと思います。質問に対して的外れな回答する人の心理を考えてみたいと思います。

本人は真剣に答えているつもりですが、論点がずれてしまっているので質問した人は混乱してしまいます。

的外れなことを言っている心理には2通りあります。一つはわざと論点をずらして答える心理です。一つは論点が理解出来ないのです。

わざと論点をずらす心理

わざと論点をずらして答えるのは、都合の悪いことを隠すことが目的です。意図的に論点ずらして答えていますので、質問を繰り返してもこちらの聞きたいことは答えてくれません。何故なら質問の答えを隠したいからです。
対策は隠したい心理を察して諦めるか、どうしても答えさせたいなら2択の質問にして追い詰めるしかないと思います。隠すことが目的で的外れなことを言うので、2択の答え以外を認めない質問をして追い詰めるしかありません。

本人は都合の悪いことを隠したいのですから、的外れな答えで相手が諦めるのを待っているのです。

ただし何か不正なことをしているのでなければ、相手をしないのが得策かも知れません。恐らく心理状態は言い訳人間と同じなので自分の責任を認められないので的外れな答えをしている可能性があるからです。

相手をしなくてすむ方法を探すことに頭を使いましょう。

論点が理解出来ない

そもそも質問の意図や目的が理解出来ないのかも知れません。本人に悪気はないのです。そして的外れな答えでも、本人は真剣に質問に答えているつもりなのです。理解力の問題であれば、相手が理解出来るように説明し、相手が答えられるように質問を調整するしかありません。

隠すつもりは無いので答えてはくれるのですが、答えが的外れとなってしまうので一言で答えられる質問にするのが得策です。質問を工夫することに頭を使いましょう。

周囲の人を振り回す人の心理

周囲の人を振り回す人というのはどこにでもいるものです。

振り回す人が職場の人であったり、恋人や配偶者などのパートナーであったり、子供であったりします。
本人には振り回しているつもりは全くありません。
ただ困っていたり心配しているだけです。
困っていることや心配していることの解決を周囲に求めるのです。
直接助けを求める場合もありますし、困っていることを切々と訴えて暗に解決して欲しいと主張するのです。
自分で解決する人は周囲の人を振り回したりはしません。自分で解決するのでわざわざ困っていることを人に言ったりもしません。
よほど暇であれば世間話として話すことはあっても、わざわざ自分の困っていることを周囲に話す目的がないのです(目的論
周囲の人を振り回す人は困っていることをアピールします。もしかしたら周囲の人のせいにして自分は悪く無いと思い込んでいる言い訳人間なのかも知れません。または周囲の人を振り回す自覚は無くても、無能ぶりをアピールすることで、手を差し伸べてもらうことを期待しているのです。

人を振り回す理由

そして周囲の人を振り回す人の特徴は、これまで困っていれば誰かが助けてくれた成功体験があるのです。それに味をしめて困っていれば、誰かが助けてくれるはずという心理が働いています。しかも困ってはいるけど助けてくれとは言わない、ズルい心理の持ち主でもあります。

偶然周囲の人を振り回してしまうことはあるかも知れませんが、その人が他人を振り回すことを再び見かければ、余り関わら無い方が良いと思います。

困っていることをアピールしてきても、大変ねぇと感想を述べるにとどめるのです。間違っても頼まれてもいないのに救いの手を差し伸べてはいけません。何故なら手を差し伸べられることに味をしめ、何度でも周囲の人を振り回すようになるからです。

頼まれてから手を差し伸べるかどうか考えると良いと思います。そして手を差し伸べるとしても、お金ではなくても何かしらの対価を求めるようにすると、振り回せない人(思い通り動かせない人)として認識されるので、次から困っていることを伝えてこなくなります。

子供に対しても同じなんです。子供の場合は子供が泣き叫ぶことで親を思い通り振り回そうとすることがあります(恋人や配偶者などのパートナーも泣き叫ぶことで相手を振り回すことがあります)。結果として子供の思い通りに親が行動すると、子供の成功体験として学習してしまいます。泣き叫ぶことで親を振り回すことが出来ると認識してしまうのです。嫌な思いをする→泣き叫ぶ→親が言うことをきくという図式を成功体験として学ぶのです。泣き叫んでも子供の思い通りの行動をしないことが大切です。そうすれば次から親を振り回す目的で子供が泣くことを避けることが出来ます。

質問すると怒り出す医者の心理

様々な口コミサイトをみていると、世間一般の感覚とはずれた人種がいることに驚きました。何と質問すると怒り出す医者がいるそうです。

以前はスーパー心理学として患者さんを怒る医師の心理を考えてみましたが、今回は質問されて怒り出す医者の心理を考えてみます。あくまでもスーパー心理学として考えてみるだけで、質問されて怒り出す医者全てに当てはまるとは限りません。怒られて不愉快な思いをされた患者さんの気持ちを少しでも和らげることが出来れば良いとの思いから考えてみます。

質問されて怒る目的

本人が意識出来ているか意識出来ていない無意識かは別として、人の行動には必ず目的があります「目的論」。怒るという行為にも必ず目的があるはずです。その怒る目的とは不快に思っていることを伝えることと、優位性を見せつけることだと思います。それ以外に怒る意味はありません。もしくは虚勢を張って自分の弱さを隠すことです。

質問されて不快?

質問されて怒るほど不快に感じていることとは何でしょう?恐らく知らないことを聞かれたのが不愉快なのだと思います。プライドの高い医者に多いようですが、知らない・わからないと素直に患者さんに伝えることに抵抗がある医者がいるようです。知らないと言えないから、自分の論理を攻撃的にまくし立てるのです。怒る目的はそれ以上答えられない質問をされないことで、質問出来る雰囲気をかき消すために攻撃するのです。

優位性の顕示

優位性を見せつけるとは怒る人が精神的に優位に立ち、怒られる人が精神的に劣位に立たされる立場を明確にすることです。怒る医者は自分が優位に立ちたいので怒るのです。自分に都合の悪いことを言われないために怒るのです。そして自分は患者さんを怒ることが出来る程偉く、患者さんは優秀な自分に従って当然のだと勘違いしているのかも知れません。

弱さの隠蔽

怒る目的の一つは弱さの隠蔽だと思います。弱さの隠蔽とは、わからないあるいは答えられないことを認められない弱さを隠そうとすることです。この質問に答えられないという弱さを隠すために、怒るのです。攻撃が最大の防御とばかりに攻撃的になるのです。

質問されて怒る心理は常人にはついていけないと思いますので、他の医師を探すことをお勧めします。

モンスターペアレンツの心理

モンスターペアレンツと言われる心理を考えてみます。

一言で言えば知らないだけです。悪気はありません。ただ思いついたことを口にしているのです。言い返されないだろうと予想して、思い付く限りの理屈を主張するのです。

モンスターペアレンツの内容を聞くと眉をしかめるような呆れた内容が散見されますが、モンスターペアレンツ本人達には意味がわかりません。正当な主張だと本気で思っている(少なくともそう思い込んでいる)ので、強く主張します。

思い込んでいる考え方を変えるのは非常に困難です。言われた側も予想外の主張で対策が思う浮かばず混乱してしまいます。一般的にモンスターペアレンツと言われている人は、自己主張が強いので正当な主張ではないことをなかなか受け入れてくれないことが解決を遠ざけます。何しろ人は客観的にはなかなかなれません。主観的にしか物事を捉えられないのです。そして人は誰でも自分は正しいと思っています。それを修正するのが規範であり倫理であり、他の人の意見です。それらのことを一切気にしなければ、臆面もなく何だって言えるのです。

通常人は他人の目が気になるため、突拍子も無いことは言わないものですが、他人の目を気にするという感覚が欠落しているだけです。

対策は多くの人がどのように考えるのか教えてあげるだけで良いはずです。何しろ知らないだけですから。当事者である先生が客観的にわかりやすく説明するのは難しいので、第三者が客観的に説明して通常の考え方を理解してもらうと良いと思います。

このように解釈するとモンスターペアレンツなどいないことになります。ただ単に何も知らず、人目を気にしない人がいるだけのことです。だから悪気もないのです。

世間では理解に苦しみ、何とか理解するためにモンスターペアレンツという新しいカテゴリーを作り出したようです。

東京オリンピックのロゴを取り下げた理由

東京オリンピックのロゴ問題は以前スーパー心理学で考えてみました。最初の記者会見での不自然さとその後のバッグのデザイン取り下げの顛末について書きました。

今回は最初問題になった東京オリンピックのロゴが取り下げられたことをスーパー心理学で考えてみます。

公表された文面からは東京オリンピックのロゴには問題はないけれども、疑われているので取り下げます。という内容でした。

ここで論理に矛盾があります。やましいところがなければ取り下げる必要はありません。取り下げる必要ないものをわざわざ取り下げるのであれば、何かしらの目的があるはずです。もしくは取り下げざるをえない事情があるかのいずれかです。

取り下げる目的と取り下げざるをえない事情はほぼ同一だと思います。つまり逃げ場が無い状況に追い詰められて、オリンピック委員会から取り下げられると損害賠償請求をされてしまいます。この損害賠償請求を避ける目的で取り下げたのだと思います。もう一つの目的はこれ以上の追及を避ける目的です。

ここで取り下げなければ追及をかわしきれないと覚悟したのだと思います。今なら盗作を認めず取り下げるだけで、辛うじて有耶無耶で終わらせることができる可能性に賭けたのだと思います。

恐らく前回の東京オリンピックの頃の情報伝達速度であれば、ここまで問題は広まらなかったと思います。そしてこれまで他のデザインを参考にしても指摘されたことが無かったので、全く問題無いと誤解してしまったのでしょう。感覚が麻痺してしまっていたので、大舞台でも同じように問題になるとは想像付かなかったのだと思います。その想像をこえたことが起こってしまったので慌てて記者会見を開いたものの取り繕いきれなかったようです。

偽作曲家、偽科学者がチヤホヤされるのですから、偽デザイナーがいてもおかしくはありません。まさかそんなことをする訳がないという選考委員の常識の枠をこえてしまったので、こんなことになりました。偽作曲家、偽科学者の時と同じです。

まだ問題になっていないだけで、偽りで今の地位についている人は他にも大勢いそうですね。

以前も書きましたが、ウソはお猿さんでもつけるのです。ウソを見抜ける人間になりたいものですね。

特徴的なファッションの意味

特徴的なファッション、奇抜な衣装を楽しむ人達がいます。ドレスコードのある場所を除き法律の範囲内であれば当然個人の自由です。

特徴的なファッションや奇抜な衣装の意味を考えてみました。

個性を主張したいとか人とは違うことをしたいという目的で特徴的なファッションを選択しているのだと思います。

一言で言えば昆虫や動物のカラーリングと同じだと思います。同じ格好を望む仲間あるいは特徴的なファッションや奇抜な衣装を受け入れてくれる同好の士を探しているのだと思います。

みんながみんな仲間を求めているわけではないとは思いますが、一部の人達は受け入れるつもりのない人が近づかないような予防線の代わりなのかも知れません。

少なくとも受け入れてくれる人とだけお付き合いしたい表れのような気がします。どのような格好をするのかは個人の自由なのですから、良いか悪いかではありません。

受け入れられないなら近づかないで欲しいメッセージを発しているのですから、そっとしておきましょう。受け入れることが出来るなら、探しているのはあなたのような人です。積極的に関わってみましょう。

買った後で後悔する理由

買った後で後悔することは良くあることです。その理由を考えてみました。

考えられる理由は二つです。一つは衝動買いの心理状態で買ってしまうことです。欲しいという衝動に追い立てられて買ってしまうのです。一度欲しいという心理に追い込まれると冷静な判断が出来にくくなるのが衝動買いの心理の厄介なところです。冷静に考えていないので、冷静になった際に、後悔することになるのです。

もう一つは買うことが目的になっていることです。本来なら買い物が楽しい訳ではなく、買った物を使うことに意味があります。しかし買い物自体に楽しみを見出してしまうと、買った物には意味が見出せません。だから後悔してしまうのです。

対策は10分別のことを考えてから改めて買うかどうか考えること。そして買った物を使う自分を想像してみることです。そうすることで幾分か客観的になることが出来るようです。それでも欲しいと感じるようなら後悔する可能性は低いと思います。

話の通じない人の心理

話の通じない人はどこにでもいるものです。話の通じない人はもしかしたら、天動説型思考の持ち主なのかも知れません。

話の通じない人は色々なことの意味がわかりません。そしてその話が通じないことや話が理解できなくても余り困らないようです。自分から理解する方向に歩み寄ることは少なく、話の通じない人の多くは常に受身です。

話の通じない人は天動説型思考の持ち主で、話が通じない、話が理解出来ないのは説明する人の説明の仕方が悪いからだと思っています。自分の知識や理解力が不足しているという視点は全くありません。そのため話を理解して欲しければ、わかるように説明するのが当然という態度でいます。もしくは少し説明を聞いて全く理解出来なければ、理解しようと努力することなく拒絶します。

周りの人が自分のために行動するのが当たり前だと考えているか、地動説型思考のように自分が出来ることをするという発想そのものが欠落している可能性があります。

通常人と人が会話して意味が通じなければ、お互いの共通認識を双方から探します。話題の内容と似た内容と比較しながら、意味が通じる内容を探すのです。しかし話の通じない人はその発想がありません。歩み寄りがないのです。

恐らく悪気があるわけではなく、その発想そのものがないので仕方ありません。考え方を変えるように詰め寄っても無駄なことです。

対策は一つ一つ似た内容で知っていることをこちらから探すか、話の通じる必要最低限のことを伝えるかのどちらかだと思います。