医者が患者さんを怒るのは筋違い

困ったことに世の中には患者さんを怒る医者がいます。病気を治しなくて病院を受診するのに、病気を治さず怒るのは筋違いです。病気でお金を払って怒られる筋合いはありません。

患者さんを怒る医者の心理を考えるに書きましたが、医者が勘違いしているのです。

患者さんのことを心配する振りをして怒る医者もいますが、それも筋違いです。貴方のことを心配して怒るというのは思い違いです。何故なら病気で困っているのは患者さんであり、医者ではありません。病気で困っている人を怒るなんて私から見れば意味不明です。病気で長い間困った結果治らないので、状態が悪くなってから受診することを怒る医者もいますが、それを治すのが医者の仕事です。早く来てもらえると早く治ったことを伝えてあげれば良いだけです。早く来てもらえると治療が楽だったのに、自分が大変だから怒っているにすぎません。本来なら怒る必要などありません。

医者が患者さんをわざわざ怒るのは、儲けが減るからかもしれません。特に通院しなかったことを怒るのは、診察代を稼げないからではないかと思います。試して通院しなかったことを怒る医者に、怒っている目的は何ですか?と真顔で質問してみると良いと思います。怒る理由を聞いても言い訳を探すだけなので、目的を聞くのです。返事もせず固まっていればお金が目的と考えてまず間違いないでしょう。怒る目的はお金ですか?と聞いてみると、お金ではないと否定するために更に怒り出すでしょう。

怒る医者は色々な意味で勘違いしているので、避ける方が良いと思います。

損得主義

人の行動を表す考え方に性善説や性悪説という考え方があります。その性善説や性悪説をこえる新しくて古い考え方『損得主義』を提唱したいと思います。そもそも善悪自体が抽象的で相対的な概念であり、多数派が善で少数派を悪と決めているにすぎません。性善説や性悪説に意味がありません。多数派が善だとすれば、人殺しすら善とされてしまいます。その人殺しを善とする結果が戦争なのです。具体的には今では平和な日本でさえも、ほんの数十年前には多くの敵兵を殺すことでほめられていたのです。今でも戦争をしている国では、多くの人を殺すことが善と考えられることでしょう。今の日本人からすれば絶対悪である殺しでさえも、人類全体でみれば善悪がつけられないのです。ましてや人が生まれつき善であるか悪となることがあるのかは一概に言うことは出来ないはずです。自分が多数派の考え方か少数派の考え方かで、他人から善や悪にされるのです。

善悪が一概に言えないのですから性善説や性悪説と分類することに大した意味はありません。人には善の一面もあれば悪の部分も潜んでいるのです。その意味合いでは性悪説の方が人間の本質に近い考え方かもしれません。性悪説は人間の本性が悪であり犯罪を犯すのは当然であるという訳ではありません。

善悪が一概に決められなければ、どのように人の行動を理解するかを考えてみると人は損得により行動すると考えるとわかりやすくなります。

損得主義

誰にでも当てはまる考え方が損得主義です。何故なら人は自分が得する行動は好んで行い、損する行動は避けるからです。この考え方はほとんどの人に当てまります。人だけでなく動物でさえも当てはまります。美味しそうなものがあれば食べますが、叩かれることがわかっていれば食べません。大人はもちろん子供でも叩かれるとわかっていれば食べないでしょう。犬や猫でさえ、叩かれるとわかっていれば食べないでしょう。少なくとも叩かれないように気をつけるはずです。叩かれてでも食べるのか、叩かれないように食べるのを諦めるのか、無意識のうちに損得を考えているのです。知恵が備われば備わる程、先々の損得を考えることが出来るようになります。逆に動物のように先々を考える知恵が無ければ、目先の得に振り回されるのです。

通常人が盗みをしないのは、損得で言えばトータルで損をするからです。捕まれば犯罪者となることはもちろん、これまで積み上げてきた信頼を失うことになるから損なのです。盗みで手に入れる物と、発覚することで失うものともバランスを考えると、盗まない方が大半の人にとってはるかに得なのです。

絶対バレない、発覚しない場合には損得が変わってきます。絶対バレないと思ってももし万が一バレることを考えると、損だと思う人は盗りません。盗られた相手が傷つくことを知っている場合にも、自分が得をするとは思えないので盗りません。

法律の限界

人は損得を考えて行動しています。目先のことしか考えられない人と先々のことを考えることが出来る人がいるだけなのです。損得主義の視点から見ると、法律に限界があることもわかります。法律とは決まりである法を守らなければ、律である罰則を与えることで犯罪を抑止します。罰則を与えられてでも、法を犯して手に入れた方が得だと考える輩が犯罪を犯すのです。

例えば脱税は税金を故意に誤魔化すことですが、見つからなければ丸儲けです。もし見つかったとしても罰金と追徴課税で済むので、損得主義に基づきお得だと考え脱税する者が後を絶たないのです。見つかっても損するのは追徴課税分と犯罪による刑罰です。これらを差し引いてもお得だと考える者は犯罪を犯す方がお得だと考えるのです。刑罰を受けるのが絶対嫌だと考える人達が法律を設計しているのですが、犯罪者が損得を考えるまでは思いもしないのです。もし損得主義に基づき法律を組み直すとすれば、脱税すると損する仕組みにすることです。脱税をして見つかれば損をするのであれば、馬鹿らしくなって誰も脱税等しなくなります。具体的には脱税額は全て没収する仕組みにするのです。更に罰金や追徴課税を課すのです。脱税は故意に誤魔化すのですですから、過失によるものとは明確に区別するべきです。もしかしたら法律を作っている人達が自分も脱税で捕まるかも知れないことを想定して、罰則を手加減しているのかもしれません。

別の視点で損得主義を考えると、土地の立ち退きも理解しやすくなります。立ち退き問題で拗れることが多いのですが、立ち退きに抵抗すればする程金銭的に得をするのです。抵抗すればする程金銭的に得をするのですから、様々な言い訳を考えて立ち退きに抵抗するのです。目的は金銭的に得をすることで、思い入れは言い訳に過ぎません。確かに思い入れがあるため立ち退きしたくない人もいるかも知れませんが、金銭が目的の人達と区別することが出来ません。損得主義の視点からは、立ち退きに抵抗すると損をする仕組みを作るのです。例えば期限までに立ち退きしてもらえたら、時間的なメリットが得られるので余分に支払うのです。逆に期限をこえて立ち退きをしなければ、時間的な損害を生じるので減額していくのです。この損得主義に基づく考え方をすれば、本当に思い入れがある人は金銭的な損失を被ってででも立ち退きに抵抗するでしょう。逆に金銭的な目的で抵抗する人はいなくなるでしょう。何故なら抵抗しても金銭的に損をする仕組みだからです。

利他主義は?

一見すると自分が損するような行動(利他主義)に見えても、自尊心が満たされるとか自己満足出来るなど他人には推し量ることの出来ない得することが潜んでいるのです。他人には理解しにくい得を見つけていると解釈するとわかりやすいかもしれません。

他人にも理解しやすいのは、金銭的な得がある場合です。逆に金銭的にメリットが得られない場合には、他人にメリットがわかりにくいだけで、何らかの得する部分があるのです。

損得主義で読み解く

脱税の話をしましたが、他の犯罪も損得主義で読み解くことが出来ます。普通の人は罰則を受けたくないため犯罪を犯すことはありません。犯罪を犯す人は犯罪を犯す方が得すると考えているのです。

嘘をつくのも損得主義で読み解くことが出来ます。普通の人は嘘をつくと信用を無くすため、嘘をつきません。しかし極一部の人は嘘をつくと得をすることを知ってしまい、平気で嘘をつくことが出来るのです。嘘をつく人がいれば、その人は嘘をつくことで得をしてきたのだと解釈すると良いと思います。

損得主義の活用法

犯罪を抑止するためにはこれまでのように罰則だけでは限界があります。罰則・刑罰を受けてでも犯罪を犯す輩が一定数いるからです。

犯罪を犯した人間がどのように得だと考えたかを聞き出して、犯罪を抑止するのです。見つからないと考えて行動しただけなのかも知れませんし、犯罪で得られる物が大きく罰則が軽いと考えて行動したかも知れないのです。

理解しにくい行動を取る人も、損得主義で読み解くと理解出来る可能性があります。わざとゆっくり仕事する人も実はゆっくり仕事をする方が得なのです。ゆっくり仕事をすることで得をした経験が、再びゆっくり仕事をさせるのです。ゆっくり仕事をしていると周囲の人が痺れを切らして代わりに仕事を片付けてくれるのです。ゆっくり仕事をしても困らない仕組みのため、ゆっくり仕事をする方が得なのです。急いだところで給料が変わるわけでもなく、仕事が終われば次の仕事を言い付けられるだけなのでわざとゆっくり仕事をしてしまうのです。

人の行動にどんなお得が潜んでいるのか考えてみて下さい。人の行動が違った景色で見えるようになるかも知れませんよ。

理由を聞くから嘘をつく

日常生活において理由を求められる場面がよくあります。

新たに行動する場面でもあえて行動しない場面でも、何故と良く聞かれます。多くの人が理由を求めるのです。

理由を聞いても意味がない

理由を聞いても、判断した根拠ではなくて相手が受け入れてくれそうな理由を探すだけなのです。つまり言い訳を探すだけです。適当な言い訳が見つからないとバレない程度の嘘をつくのです。理由を言っても解決されてしまうと、別の理由を持ち出します。正に言い訳に過ぎない証拠です。

理由・原因を聞くことに意味がないもう一つの理由は、人間は機械ではないからです。機械であれば人間が作り出したものですから、上手く機能しない原因を探すことに意味があります。人間は自らが作り出したものではないので、原因や理由を探しても意味がないのです。その場その場の様々な状況やちょっとした感情により理由や原因は簡単に変わるのです。

理由ではなくて目的を聞く

理由を聞いても本当の根拠と、後付けで探した言い訳との区別が困難です。根拠を聞くことに意味はありますが、言い訳を聞いても意味がありません。そこで行動の目的を聞くのです。

人の行動には必ず目的があります(目的論)。その目的を明確にすれば言い訳出来ません。理由のようにすり替えることが出来ないのです。

様々なブームの起こる理由

様々な物事でブームが起こります。お金の使い方のブームがバブル経済を引き起こしましたし、健康ブームが偏った消費を引き起こし品切れを起こしました。

何故ブームは起こるのでしょうか?ブームの起こる理由は「衝動買いの心理」が関係ありそうです。衝動買いの心理とは、商品の価値を本来の魅力以上に錯覚してしまい、今買わないと手に入らないと焦ってしまうことでつい買ってしまうのです。ブームが起こるのはこの「衝動買いの心理」がみんなに起こることで、慌てて行動してしまうのです。「衝動買いの心理」の際に問題となるのは、錯覚と思い込みにより冷静な判断が出来なくなることです。ブームも錯覚と思い込みにより冷静に判断される前に行動してしまうことが原因です。

ブームの元は、今行動しないと損をするという思い込みの連鎖により起こります。ブームに乗って行動して後で後悔するのは、冷静な判断をしていないからです。「衝動買いの心理」から抜け出し冷静に判断すると、何故ブームに乗ったのかわからないため後悔するのです。考えて行動したつもりで、「衝動買いの心理」により錯覚に陥っていたのです。

安易にブームに乗らないために冷静に判断することが大切です。簡単な対策は「衝動買いの心理」の対策と同じで、行動を決める前に10分待ってから改めて考えることです。魔法が解けたように10分経つと冷静に考えることが出来ます。10分間は別のことを考えることをお勧めします。考え続けて10分経っても錯覚から抜け出すことが出来ないからです。

人々がブームに踊らされないために、「衝動買いの心理」の対策を広めると良いと私は思います。衝動買いが全く無くなると景気は一時的に悪くなるかも知れませんが、無駄が無くなるためお金の使い方が上手になってみんなが幸せになると私は思います。

お金を貯めるなら給料アップより意識改革

お金を貯めるなら給料アップより意識改革がお勧めです。何故なら給料が上がってもそれに応じて支出も増えれてしまえば、お金は貯まりません。

給料アップよりも意識改革がお勧めです。具体的には生活水準を下げるのです。

今の年収ならこのくらいの生活が当たり前として生活しているとなかなかお金は貯まりません。手元にあるお金の多寡で生活が変わる人はお金が貯まらないのです。手元にお金があればそのお金に応じた使い方を考えてしまいます。

お金を貯めるためにはお金を使わないことですが、具体的には生活水準を下げるのが一番有効です。無駄な支出を減らすというのは具体性のない対策です。多くの人が無駄だと思いながらお金を使ってはいないからです。例えば年収700万円の人が、年収500万円の人の生活をすればお金が貯まります。年収300万円の生活すれば更に貯まります。年収700万円の人が年収900万円になって200万円分貯まらないのは、無意識のうちに年収900万円の生活水準になってしまうからです。年収が増えたことで気が緩むようなイメージです。年収が増えたことで年収900万円になった時点で、気が大きくなって支出が年収1000万円以上の水準になってしまうとお金が足らなくて困ります。

お金を貯める一番の対策は意識改革です。生活水準を下げ、実際の年収より収入が少ないことを想定して生活してみることです。生活水準を下げる際に削る支出は無駄とは言わないまでも、贅沢な支出だっただけのことです。贅沢をしていればお金は貯まりません。

お金を貯める大切なことはお金に対する意識・認識を変えることです。意識改革の極端な例を考えてみると、年収が半分だと仮定して生活してみると良いかもしれません。年収が半分だと贅沢が浮き彫りになるので、生活が全く変わると思います。お金が足らなくてお困りでしたら、年収が半分だと考えて生活してみてください。

お金に酔う 収入が増えても貯金が増えない理由

お金に酔うことがあります。お金に酔うとは思わぬお金を手に入れたことで舞い上がってしまうのです。

お金を手にする以前に憧れていた物を買おうとしてしまいます。例えばテレビであったり車であったり、人によってはブランド物のバッグかもしれません。

欲しいと思っていたお金を手に入れたことで、お金を使うことに酔ってしまうのです。お酒に酔うことに似ています。お金に酔うことそのものが楽しくて、お金を使うことに依存してしまうのです。だからあるお金を後先考えずに使ってしまうのです。この点でもお酒に似ています。お酒の好きな人はその場の雰囲気が楽しくて、二日酔いになると後で体調不良で大変だとわかっていてもお酒を飲んでしまいます。お金を使うことに酔うと二日酔いと同じように後でお金が足らなくなって困るのです。

お酒が好きな人がお酒を楽しんでいるように、お金を使うことに酔う人は、お金を使うこと自体を楽しみます。お金に酔う人は、何か物や体験を手に入れることが目的ではなくお金を使う手段なのです。だから高い方が嬉しい一面もあり、払うことの出来る範囲で出来るだけ高いお金を支払う傾向があります。お金を使うことそのものが目的なのでそれで構わないのです。

お金に酔う心理は見栄消費も重なると、エスカレートしがちです。人目が気になる人は贅沢なお金の使い方をしてしまいます。お金に酔う心理と見栄消費が重なるとお金を使うことに依存する消費依存とでもいうような不自然な心理状態に陥るのかもしれません。

収入が増えてもお金が足らない人はお金に酔っている可能性があります。もしかしたら上記の消費依存のような病んだ心理状態かもしれません。借金してでも買い物をしてしまうのは消費依存の可能性が高いと思います。一度お金を使うことに酔っていないか、客観的に考えてみることをお勧めします。本当に物や体験を買いたいのか、ただお金を使いたいだけなのかを見分けるのです。買っても使ったことが無い物が一つでもあれば、かなり可能性は高いと思います。

収入が増えてもお金が貯まらない人は、お金を使うことそのものが目的になっていないか確認することをお勧めします。それだけで、お金に対する意識が変わるかもしれません。一度考えてみてください。

心理的ハードル

人には心理的なハードルと呼べるような抵抗があります。行動する際に行動の妨げになるのです。本来なら危険な行動を避けるための仕組みですが、なかなか行動出来ない理由になります。

人は誰でも経験したことのないことをする場合には不安を感じます。例えば行ったことのないお店に行くことに抵抗を感じるのが、心理的なハードルです。お店の雰囲気やメニューや味、もてなしなど、行ったことのないだけで不安を感じることは多々あります。

一度経験するだけで心理的なハードルは下がります。誰かに連れて行ってもらったお店に行きやすくなるのはこのためです。経験が無いだけで必要以上に不安を感じ、行動に移せないのです。何らかのきっかけがあると心理的なハードルが下がり、行動しやすくなります。

心理的なハードルを下げる

心理的なハードルは一度経験するとハードルの高さが下げるようなイメージで、再び同じ行動をしやすくなります。このことを利用するのが無料券などを配り、心理的なハードルを下げようとするのです。一度経験するきっかけを無料券で作るのです。ちょうど心理的なハードルと無料券が下げてくれるようなイメージです。初回お試し価格などのサービスも、心理的なハードルを下げる役割があります。

これらは心理学を使った企業の戦略です。知らない間に心理的なハードルを下げるように操られているのかもしれません。

心理的なハードルの下げ方

経験したことを新たに始める際の心理的なハードルは人によって異なります。気軽に始める心理的なハードルの低い人もいれば、二の足を踏んでなかなか始めることの出来ない心理的なハードルの高い人もいます。しかし人は誰でも一度経験したことは、心理的なハードルが下がるようです。

このことを逆手にとって、なかなか始められないことを始めてみるのも良いでしょう。いきなり完璧を目指すのではなく、とりあえず出来るところまでで良いのでやってみるのです。最初は上手くいかなくても、経験したことのない状態より、上手くいかなくても一度経験しただけで心理的なハードルは下がります。2度目には心理的なハードルが下がるので、気軽に始めることが出来ます。

何かで行動を躊躇っていても、とりあえず出来るところまでで良いので行動してみることです。ほんの一部でも良いので行動してみましょう。行動する前に見ていた景色とは違った景色が広がるはずです。

それこそ失敗しても良いので行動してみましょう。

上手くやろうとしないこと

心理的なハードルは上がったり、下がったりします。上手くやろうとすればする程心理的なハードルが上がり、行動しにくくなります。ちなみに緊張してしまうのは上手く出来て当然、出来なければどうしようと焦ることが原因です。

失敗しても当然くらい気軽に考えると心理的なハードルは下がります。

行動するかしないかを心理的なハードルが左右していることを知っておく方が、様々な行動を決める際に迷わなくて済む分お得だと思います。

偉そうに振る舞う人の心理

世の中には偉そうに振る舞う人がいます。本当に偉い人は偉そうに振る舞うことはありません。わざわざ偉そうに振る舞う必要がないのです。では偉そうに振る舞う人は何故偉そうに振る舞うのでしょうか?その心理を考えてみます。

偉そうに振る舞う目的

意識しているか意識していないかは別にして、人の行動には必ず目的があります(目的論)。偉そうに振る舞う人にも目的があるはずです。その目的は偉そうに振る舞うことで、周囲に自分が偉い人だとアピールすることです。そして偉い人のように扱ってもらうために偉そうに振る舞うのです。あるいは自信が無いからこそ、自信が無いことを見抜かれないために偉そうに振る舞うのです。いわば虚勢を張っているのです。

あるいは自分が偉い人だと勘違いしている場合です。偉そうに振る舞っても自分は許されることを確認する目的で偉そうに振る舞うのです。いわば自分が思っている通り偉いかどうか確認しているのです。

偉そうに振る舞う意味

偉そうに振る舞う意味は、分不相応な地位にいると解釈すると良いと思います。本来の能力に応じた地位であれば、偉そうに振る舞う必要などありません。本来の能力よりも間違って高い地位についてしまったと解釈するとわかりやすいと思います。

例えば医者が患者さんに対して偉そうに振る舞うのは、本来なら医者になる人間ではないにも関わらず医者になってしまったので虚勢を張っているのです。

他の例えであれば、議員が周囲の人達に偉そうに振る舞う場合、本来なら議員になる人間ではないにも関わらず議員になってしまったのです。議員であれば黙っていても相応の対応をしてもらえるにもかかわらず、偉そうに振る舞うのは、余程偉そうにしていないと自信が保てないのでしょう。

偉そうに振る舞う人の対策

上記のように偉そうに振る舞うのは分不相応な地位にいると解釈するとわかりやすいです。分不相応なことを見抜かれないために必死なのです。不快に思う必要はありません。分不相応な地位についてしまって可哀想だと理解してあげましょう。

これらのことを踏まえて、生暖かい目で見守ってあげると良いと思います。

嫉妬しない人の心理

検索キーワードを見てみると「嫉妬しない人」とありました。嫉妬する人と嫉妬しない人の違いを書いていたのでそちらがヒットしたのだと思います。「嫉妬しない人」が気になる方がおられるようなので、改めて「嫉妬しない人」の心理を考えてみます。

嫉妬とは?

嫉妬とは人の行動を羨ましいと思うことです。嫉妬しない人は羨ましいとは思わないということです。羨ましいと思う深層心理には、口には出さないものの「同じはずなのに」という前提があるのです。つまり同じだと思っているから嫉妬してしまうのです。客観的に他人から見れば明らかに違うから仕方ないことにも関わらず、同じだと思うことで嫉妬するのです。自己を客観視出来ない人が嫉妬します。

嫉妬しない人

嫉妬しない人とは、他人との違いがあることを客観的に認識しているだけです。人にはそれぞれ違いがあるのが当たり前で、嫉妬しても仕方ないと理解していると言い換えることが出来ます。

自分の方が優れているのか劣っているのかは別にして、他人とは違うことを知っているのです。そして人の優劣を比べたところで大した意味がないことを理解しているのです。自分の方が優れていれば嫉妬する心配はありませんが、自慢してしまわないように気をつける必要があります。人の方が優れていても、元々の才能が違うし努力の程度が違うのかもしれません。そなことを知ってさえいれば嫉妬することは出来ませんし、嫉妬する必要などないのです。

嫉妬しない人の中には誤った自己認識により、自分が優れていると錯覚しているので嫉妬しないで済んでいる人もいるかもしれません。他人とトラブルを起こさなければ、自分が優れていると錯覚出来るということは幸せなことです。

嫉妬が嫌がられる理由

嫉妬が嫌がられるのは、同じはずなのに扱いが異なると錯覚しているからです。同じ扱いをしてもらって当然という深層心理があるからこそ、嫉妬することが出来るのです。この嫉妬を引き起こす前提条件である同じ扱いをしてもらって当然という考え方が周囲の人には理解不能なため、嫌がられるのです。

周囲の人は努力の程度が成績の違いとして結果が出ていることを知っています。しかしながら本人は努力の違いは差し置いて条件は同じだと錯覚・思い込むことが出来るのです。結果として周囲の人には嫉妬する深層心理が理解出来ないので、嫉妬する意味がわからず嫌がられるのです。

何度言っても行動が変わらない人の心理

何度言っても行動の変わらない人がいます。その心理を考えてみます。

何度も同じことを言っているにも関わらず、同じ行動を取る人がいます。何度も言う側は何故行動が変わらないのか理解出来ません。

言われた側の視点

ただ単に理解していないか、理解していても具体的に行動の仕方がわからないのです。中にはわかっていても面倒なだけで行動しない人もいるのかもしれません。

結局のところ行動を変えなくても言われた側は困らないのです。理解していないか、理解してもやり方がわからないか、面倒だからやらないかです。

少なくとも行動が変わらないことで自分にはデメリットがないのか、デメリットが理解出来ていないのです。デメリットが理解出来ていないので、わざわざ行動を変えることはしないのです。

心の声は何度言われても何故やらないといけないか意味がわからないと叫んでいるのだと思います。

何度も言う側の視点

何度言ってもわからないとして、怒りたいと思っているかもしれません。何故何度言っても行動が変わらないのか意味がわかりません。腹が立って怒ってしまう人もいることでしょう。何度も言っているのですが、伝わっているか確認はしているでしょうか?確認していなければ、その伝達は一方通行です。つまり説明したつもりということです。説明したと思い込んでいるから相手が何を考えているのかわからないのです。何度言っても行動が変わらないのは、ただ単に相手に伝わっていないとしたら簡単に理解出来るのではないでしょうか?もしかしたらそれだけのことです。

何度も言っていることの目的が伝わっていないと、何故行動を変えなければいけないか理解出来ないため行動が変わらないのです。相手が目的をわかっているはずだと思い込んで、目的までは説明していないのです。

もしくは行動が変わらないと起こり得るデメリットが理解出来ていないのかもしれません。何度も言っている側からすると、行動が変わらないデメリットは当たり前で言うまでもないと思い込んでいることがあります。その当たり前のことをしないので混乱してしまうのです。

客観的視点

第三者の客観的視点から見ると、お互いが思い違いをしていることが簡単にわかります。言われた側は何度言われても意味がわからない。言った側は何度も言っているのに行動が変わらないから意味がわからない。そのお互いの勘違いにより状況が混乱しているだけなのです。

対策

1つの簡単な対策は目的を確認することです。言う側も言われる側も目的が明確ではないため、認識のずれを生じお互いが混乱するのです。お互いで目的を確認すれば認識のずれに気付くことができます。

もう一つの簡単な対策は予想されるデメリットをお互いで確認することです。言う側も言われる側も被るデメリットが明確になれば、混乱を減らすことができます。

そもそも困るのが言われる側であれば、わざわざ言ってあげる必要はないのかもしれません。もしかしたら言う側が自分が困ると錯覚して、余計なお世話を焼いているだけなのかもしれません。課題の分離をすることも大切です。