妊娠中の高校生に体育の実技強要に思う

妊娠中の高校生に体育の実技を強要したことが発覚し、問題になっているようです。女性は16歳を過ぎれば結婚可能なわけですから、高校生が妊娠することは十分ありえる話です。

妊娠中にも関わらず体育の実技を強要したのは、配慮不足では無く退学してもらうことが目的ではないかと思います。

高校の教師は生徒が妊娠したことを受け入れることが出来なかったため、やめさせられる目的でわざと実技を強要した可能性が考えられます。実技が嫌なら辞めれば良いと考えたのではないかと思います。

少なくとも生徒のことを思いやる気持ちは無かったのではないかと思います。

同級生との卒業は諦め休学し、幸い無事出産されたそうです。

恐らく教師は後々問題になるとは考えることなく排除しようとしてしまったのではないかと思います。学校では生徒は教師には逆らえませんから、教師が権力者のように振舞ってしまったのでしょう。古い価値観からすると高校生が妊娠・出産というのは受け入れがたいのかもしれません。情報源を私は知りませんが、SNSで誰でも世界にむけて発信出来る時代だということを教師達は読み誤ってしまったのでしょう。

様々な価値観を受け入れ、対応が迫られる時代になりつつあります。

人を振り回す目的で不安を訴える人

知らず知らずのうちに人を振り回す人がいますが、中には人を振り回す目的で不安を次から次に訴える人がいます。

目的が振り回すこと、つまり相手にしてもらうあるいは心配してもらうことなので、一つの不安を解消しても次々に新たな不安を訴えます。一般的には次々不安を訴えられると不安で仕方なくて可哀想にと思ってしまいます。しかし振り回すこと、心配してもらうこと自体が目的なので心配してあげると、成功体験として繰り返すようになります。一度心配してあげると次々不安を訴えられた場合、相手の不安を増長する手助けをしているのです。

不安を解消する、不安を乗り越えるのはその人の問題です。不安を理由に行動しない人がいますが、ただの言い訳に過ぎません。行動しないことを決めてから、行動しない言い訳を探しただけのことです。その証拠に、その不安が解消されても別の行動しない言い訳を探します。本当に不安が行動しない理由であれば、不安が解消されれば行動しないはずがありません。他の理由を言い始める時点で、言い訳決定です。(参考:アドラーの心理学)

振り回すことが目的なのですから、真剣に相手をしてもお互いのためになりません。誰の問題か課題の分離を行い、他人の問題に関わらないことです。

振り回すこと自体が目的で無ければ、暗に助けてもらいたいのです。一度助けると、助けてもらう目的で余計振り回されることになります。手助けはしても手助け程度にしておくべきです。代わりにやってあげてしまうと、成功体験として記憶されてしまいます。振り回すと助けてもらえるというより、代わりにやってもらえると理解するのです。次は無意識のうちにもっと振り回そうとしてしまうことでしょう。

ステロイドが危険だと主張する人の心理

ステロイドが危険だと主張する人がいますが、2種類の心理が潜んでいます。

一つは良くわからないけれどステロイドが危険だと信じている人です。良くわからないけれど信じているという点で宗教を信じているようなものです。ステロイドに対する不安が高じて不安神経症に陥ると、自分では抜け出せなくなってしまいます。良くわからないけれどステロイドが不安で仕方なく、怖くて絶対にステロイドは使えないと考えてしまいます。宗教に妄信していることに似ています。

もう一つはステロイドの危険というのは口実で、他の目的を達成するための手段としてステロイドの危険を主張するのです。つまり大した危険は無いことはわかっていても、ステロイドの危険を主張することで何らかの利益を得ようとしている人達がいるのです。宗教での布教活動のようです。布教活動の妨げになるので、病院への受診をしないように仕向けるのが特徴です。

ステロイドの危険性は冷静な判断力があれば簡単に理解出来ます。使い方とステロイドの副作用の起こる確率、得られる効果のバランスを考えると怖くは無いはずです。冷静な判断力を奪うのも宗教の勧誘に似ていると私は思います。

ただ私は何を信じても自由だと思うので、ステロイドが危険だと信じている人の考え方を否定したりはしません。ただ冷静な判断をした方がお得なことを伝えるだけです。ステロイドの本当の姿を受け入れるか受け入れないかはその人の問題なので、私がとやかく言う問題ではありません。課題の分離という考え方です。

ただステロイドが危険だと主張する人の中には、自分の利益のために主張しているだけの人がいることを知っておいて欲しいと思います。医者の中にも自分の利益のためにステロイドが危険だと主張している者もいます。

ちなみにステロイドが必要な疾患の多くは糖質を控えることで大部分が改善しそうです。ステロイドが怖くて仕方ないなら、糖質を控えることをお勧めします。ステロイドを避けるより余程副作用は少ないと思います。ご参考まで。

自分は許されるという勘違い

人と話をしていたり、人の言動により混乱することがあります。何故この人はこんな立ち居振る舞いが出来るのか不思議に思うことがあるのです。

例えばタバコの吸殻のポイ捨てや立ち入り禁止場所に立ち入るなど、普通の人ならしないことを平気で出来る人がいます。普通の人から見ると理解に苦しむ言動です。モラルが低いと言い換えることが出来るのかもしれません。

モラルが低い人には2種類のタイプがいます。簡単に分けるとやってよいこととやってはいけないことの区別の有無、モラルの概念の有無です。モラルの無い人は、家族や友達もモラルという概念の乏しいまま日常生活を送っているため人からモラルについて指摘されても理解することが困難です。何故なら自分の行動を相談する家族や友達が同じような考え方なので、違いがわからないのです。概念そのものが欠落しているので、説明してもなかなか理解してもらえません。出来れば関わらないことが一番です。

今回話題にするのはモラルや決まりは知っているけど、守らない人達です。

自分は許されるという勘違い

モラルや決まりを知っていても守らないのは、自分は許されると勘違いしているのです。もしかしたら自分だけは特別な存在という赤ちゃんや子供のような万能感を抱いたまま大人になってしまったのかもしれません。

少しだから良いとか、誰も困らないから良いとか、何らかの言い訳をしてモラルや決まりを守らないのです。そしてモラルや決まりを守らないことを人から指摘されないと、認められたあるいは許されたと勘違いを深めるのです。指摘してもこれまで同じことをしても何も言われなかったと言い訳する人も見受けられます。または何の根拠も無く自分だけは許されると平気で口にする人もいます。

悪気も無く本当に自分は許されると思い込んでいるので、説明して理解してもらうのも困難です。許されると思う根拠を聞いてみると良いかもしれません。何故許されると思うのかを聞いてみるのです。恐らくこれまで指摘されたことが無いから等、根拠にならない言い訳を並べると思います。

モラルや決まりを知りながら守れない人は、言い訳人間なのかもしれません。自分自身に暗示でもかけるように、自分自身に言い訳をしてモラルや決まりを守らないのです。出来れば関わらないようにしたいところですが、関わるなら許されると思う根拠を聞いてみるくらいしかないでしょう。

生暖かい目で見守ってあげましょう。

暴言を吐く人の心理

私は余り経験がありませんが、世の中には暴言を吐く人がいるようです。暴言を吐く人の心理を考えてみたいと思います。

暴言を吐く人には2種類あります。暴言を吐いている自覚があるか自覚がないかです。自覚していない場合は、暴言そのものの意味がわからないだけで悪気はありません。しかし人を傷付ける言葉を発している自覚がないので、厄介です。言葉が人を傷付けるという概念から教える必要があります。出来るだけ関わらないことが一番です。

暴言を吐いている自覚のある場合、行動には必ず目的があります(目的論)。行動の原因や理由を求めても、その時その時で簡単に変わってしまうので原因や理由を考えても無意味です。そこで目的を考えてみましょう。

暴言の目的

暴言を吐く目的は何でしょうか?人それぞれと言ってしまえばそれまでですが、私は相手を心理的に支配することだと思います。暴言を吐いてみて、相手が受け入れるかどうかを見極めているのです。心理的に支配出来ることが分かれば、次にどの程度まで支配出来るかを見極めるために暴言がエスカレートするようです。自分は暴言を吐いても許されると勘違いしているのです。

第三者からみれば滑稽な程理不尽な暴言を吐く人がいますが、自分は許されると勘違いしているので暴言だという自覚はありません。自覚が無いのですから、指摘しても理解することは困難でしょう。

例えばお店で暴言を吐くお客さんは、どんな横暴な言い方をしても許されると勘違いしているのです。お客様は神様だと勘違いしているからこそ、出来る行為です。

暴言を吐かれたら

暴言を吐いた相手は受け入れるかどうかを見極めているのです。受け入れられると暴言を吐いた自分が正しかったと、勘違いを深めます。どこまで受け入れるか試すために、更にエスカレートしていきます。

目的が相手を心理的に支配することだからです。

暴言を吐かれた際の対策は離れることです。否定してもそれなりの理屈を持ち出してきて言い返せないかもしれません。そんなリスクをおかすことの無いように離れるのです。拒絶しても暴言の正当性を必死に認めさせようとするので逆効果です。

言っていることが理解出来ないので時間を下さいと申し出るのです。相手が感情剥き出しで迫ってくるようなら、逃げ出しても良いと私は思います。暴言だけでなく感情も駆使して、相手を心理的に支配したいだけだからです。改めて書きますが、相手を心理的に支配することが目的です。もしくは承認欲求を満たすことです。

離れようとすると甘言を弄して必死で止めようとするでしょうが、一時の感情に流されない方がお得です。暴言を吐くことの出来る人は自己中心的な考え方をする傾向があるので、離れない限り自分の都合良く物事を解釈してしまいます。

良かったらご参考まで。

常識が通じない人

常識が通じない人はどこにでもいるものです。幸いどこかの組織の中にいれば、その組織に所属する前にある程度選別されることが多いため、常識がある程度共有出来るのが一般的です。

例えば高校において進学校であれば、大学への進学が半ば常識となります。進学校でなければ必ずしも大学への進学が常識とは言えず、卒業後は就職する方が常識かもしれません。これはある程度高校入学時に選別されるからです。入学者も義務教育ではないため、目的を持って進学をするのでそれぞれの考え方が揃うのです。

中にはその選別をすり抜けて常識が通じない人が組織に入り込んでしまうと、混乱を生じます。その常識の通じない人の心理を考えてみます。

常識が通じないとは常識の概念が欠落している

そもそも常識とは誰でも当たり前だと考えるみんなの共通認識です。2つの意味があります。1つは常識に外れた無駄なことを考えないため、もう1つはみんなが快適に生活するためです。このみんなが快適に生活するために常識が存在することを知らずにいるのです。

例えばマナーを守るのが一般的な社会人としての常識ですか、そのマナーを知らないのです。例えば飲食店では過度に騒がないなどです。他の人が不快に思うことをしないのが常識なのですが、そのことを知らないのです。

相手を思い遣る概念そのものが欠落している場合もあるため、常識の通じない人とは会話が成立しない場合もあり得ます。概念そのものを短時間でしかも言葉だけで理解してもらうことは非常に困難だからです。こちらが常識で当たり前だと思っていることが、まさか相手が概念すら持ち合わせていないとは想像がつかないので会話が成立しないのです。

常識が通じない人の対処法

常識が通じない人の対処法は関わらないことが一番です。人は通常常識的に相手の反応を予想して行動しますが、常識が通じない人は行動が予想出来ないため危険です。不快な思いをする可能性が高いため関わらないことが一番です。

どうしても関わる必要がある場合には、常識を1から10まで相手の欠落している概念まで噛み砕いて説明する覚悟が必要です。その労力に見合うのであれば関わると良いですし、労力に見合わないと思えば早目に逃げ出す方が常識なのかもしれません。

相手も悪気がある訳ではありません。中には自分の都合の良いように常識が通じない人を装っている人もいるかもしれませんが非常に稀です。常識が通じない人は知らないだけなのです。人によってはアスペルガー症候群などの病気が原因で、相手の立場などを配慮出来ないだけかもしれません。

人によっては簡単に常識を理解してもらえるかもしれません。臨機応変に対応してみてください。

頑固で常識が通じない人は上記の対応が一番だと私は思います。

感謝したくない人の考え方とその心理

世の中には感謝したくない人がいるようです。

通常人は他人から何か自分のためになることをしてもらうと、相手に感謝をします。しかし中には感謝出来ない人もいるようです。わざわざ相手のためになると思って余分な時間をかけて何かをしてあげても、お礼の一言すら無いので相手のことが理解出来ず混乱してしまいます。場合によっては腹が立ってしまうこともあるでしょう。感謝したくない人の考え方と心理を考えてみます。

感謝したくない人と書きますが、実際には感謝出来ないのです。感謝したくない人は人から何かをしてもらったという自覚が無いのです。だからこそ何々をしてあげたでしょと言ったところでお礼は無いのです。

その人なりに感謝しなくて済むような話し方をします。具体的には人に物を頼んだりはしないのです。ただ聞こえるように困ったと言うのです。話している相手が手を差し伸べるのを待っているのです。相手が言い出したことだからお礼は要らないと勝手な都合で考えているのです。そもそもこういうタイプの人が困ったというのは、手を差し伸べてもらうことが目的です。プライドが許さないのかお礼を言わなければいけないことが嫌なのかはわかりませんが、自分から助けてと頼むのは嫌だけど、でも助けて欲しいのです。

一度でも助けてもらうことを目当てに困ったと口走り手助けしてしまうと、成功体験として何度でも繰り返します。困った状態を聞いても何もしてあげない自分が悪いような錯覚に陥ってしまうようです。そして相手はそのような心理につけ込むことに慣れているのです。

ここでしてあげたと覚えていると、何かをされてしまった場合に恩を仇で返されたと感じてしまいます。そもそも相手は恩だとは思ってはいませんからそのように感じても無駄なことです。何かをしてあげたとしても忘れましょう。そして次からは困ったと聞いても、大変ねぇと相槌だけ打って相手にしないようにしましょう。わざわざ手を貸して嫌な思いをする必要はありません。何故なら困っているのは自分の問題ではないからです。相手は善意につけ込んで都合良く思い通りに動かそうとしているだけです。そしてお礼すら無いの?と指摘されても別に自分から頼んだ訳ではないと言い訳まで準備しているのです。言い訳を準備というよりは本当に自分から頼んだ訳ではないからお礼など言う必要は無いと本気で思い込んでいるのです。指摘すると「お礼が言って欲しいの?なら言ってあげるわ。ありがとう」と言うような逆ギレする輩までいますので注意が必要です。

このような思考回路の人とは世間一般の常識的なやり取りは出来ません。お互い嫌な思いしないために頼まれてもいないことには関わらないことが一番です。

野次馬的好奇心の湧く心理

人には野次馬的好奇心とでも言うべき好奇心があります。噂好きな人は特に野次馬的好奇心が強いのかもしれません。

本来好奇心とは生き残るために必要な知識を得るために存在するはずでした。つまり知ることで生きる上で有利になる情報に対して興味を持たせるのが好奇心だと思います。

本来の野次馬的好奇心の目的

では野次馬的好奇心とはどんな意味があるのでしょうか?。人類の歴史の上で長い時間人々は比較的小さな集団で暮らしていました。小さな集落で暮らしていると、他人と食べ物や配偶者・パートナーを奪い合うことになります。つまりライバルなのです。そのライバルが何らかの失敗をすると食べ物を得やすくなったり配偶者・パートナーを得やすくなるのです。競い合うライバルに勝てる可能性が高くなるため、どの程度可能性が高まるのか興味が湧いてしまうのです。

野次馬的好奇心が湧いてしまう理由

本来の野次馬的好奇心は他人の何らかの失敗により、どの程度自分の生活が変わるのか見極めるためにありました。自分の生活には関係のない人の失敗には興味が湧かないはずです。しかし全くの他人でも、失敗を見ると具体的には何も変わらなくても、興味が湧いてしまうのです。これはかつて小さな集団で暮らしていた名残で、心理的に有利になる錯覚に陥るのです。人間が遠く離れた人の情報を手に入れることが出来るようになってまだ数十年です。その情報の取り扱い方を理解出来ていないのかもしれません。

例えば芸能人の不倫のニュースなどが報道されますが、自分の生活には全く関係ありません。関係はありませんが興味を持ってしまうのは、心理的な錯覚によるものです。他人の失敗が自分の生活に関係があるかのような錯覚に陥るので、興味が湧いてしまうため、ついテレビを見てしまうのです。テレビ局も視聴率が取れるので、野次馬的好奇心の意味を考えることなく報道するのです。

野次馬的好奇心の扱い方

野次馬的好奇心の強い人は、ライバルが消えてくれるのを待っているのかもしれません。自分で努力して高めるよりも、無意識のうちに周囲が脱落してくれることを期待している表れなのかもしれません。

好奇心は本来、自分の生活に関わることに興味を持たせるものです。野次馬的好奇心か生きるために必要な好奇心かを区別するために、そのことで生活が変わるかどうかを考えてみると良いかもしれません。

ただ単に自分の生活に関わらない人の失敗を知りたいだけであれば、野次馬的好奇心なのだと思います。他人が失敗したところで自分が成功する訳ではありませんから、時間の節約のために興味を持たないようにしましょう。

不謹慎狩りをする心理

不謹慎狩りなるものがあるそうです。震災関連でのブログやSNSの書き込みに対して、不謹慎だという意見を書き込む人達がいるようです。震災では困った人達が大勢いるのに、楽しそうにしているのは不謹慎だという内容です。

不謹慎狩りをされたとしても、争うことは無駄なので、争う必要はありません。

不謹慎狩りをする人の心理を考えてみます。目的は不謹慎狩りに対して賛否いずれでも良いので、構ってもらうことでしょう。不謹慎狩りに対して賛成にしろ、反対にしろ反応してもらうことを目的として書き込んでいます。

例えば何らかのことに対して「嬉しい」と書き込んだとしても、熊本では大変な思いをしている人もいるので不謹慎だというような内容です。当事者でもないのに、言いがかりをつけるようなものです。もう一つの心理として、自分は大変な思いをしている人達のことを思いやる心の持ち主であることを周囲にアピールしたいのです。自己顕示欲の強いことを表しているように思います。

不謹慎な書き込みだと感じても、あくまでも不謹慎だと感じた人の主観でしかないのです。不謹慎だとの指摘を読んだ人が賛同してくれるか呆れるかは、読んだ人それぞれです。物事を客観的にとらえることが難しい人は、具体的なことを批判するコメントは控える方が良いと思います。今後不謹慎狩り自体が逆に攻撃されるようになるかもしれないからです。

不謹慎狩りをしている人は、構って欲しいか自己顕示欲が強い可能性が高いので生暖かい目で見守ってあげると良いと思います。もしかしたら究極の「構ってチャン」なのかもしれません。

他にも不謹慎狩りをする人の心理を思いつきました。幸せそうにしている人にたいして、幸せではない自分が惨めだと考える心理です。素直に受け入れることが出来ないので、被災者に対して不謹慎だと指摘することで幸せな人を攻撃したいのです。幸せそうなことが腹が立つので、攻撃する口実・言い訳を探してきただけのことではないでしょうか?もしかしたら本当の目的は幸せではない自分を理解して欲しいのかもしれません。うまく表現出来ないので不謹慎狩りという形で表しているのかもしれません。

仮に不謹慎だと思うことがあっても不謹慎だと指摘出来るのは当事者だけです。当事者ではない人間が勝手に他人の心情を推し量って、不謹慎だと考えるのは越権行為です。自分の課題には対処すべきですが他人の課題に口出しするべきではないという課題の分離が出来ていない証拠です。他人の課題に踏み込んでいるから、不謹慎狩りが問題になるのではないかと思います。

不謹慎狩りの心理

結局のところ構ってチャンか他人の幸福を妬んでいるかのどちらかでは無いかと思います。対策としてはいずれにしても相手にせず、生暖かい目で見守ることだと思います。

他人は他人、自分は自分。目の前にいない全ての人達に配慮しながら生きていくのは無理です。不謹慎狩りをする人達は困っている人を自分の目的のために利用しめいるだけのことだと思います。ただその目的が普通の人には理解出来ないので、不愉快な思いをすることになるのです。

意識高い系は自意識高いだけ

意識高い系と言われる人がいるようです。何かに対して意識していることをしきりと周囲にアピールすることを、少し揶揄した意味合いを含む表現のようです。

何かとアピールするので周囲の人達から敬遠されることもあるようです。

意識高い系とは、自意識高いだけなのではないかと思います。自意識とは人から自分がどのように見られるかを意識することです。自意識が高いとは人からの評価が、人より気になることです。

意識高い系の人は人からの評価が気になるので、自分が意識していることをアピールします。人から評価してもらうことが目的で行動しているので、自意識高いだけと考えると理解しやすい人だと思います。

意識高い系で自意識高いだけの人が周りにいれば、評価して欲しいのです。その心理を理解した上で、生暖かい目で見守ってあげると良いと思います。