土俵の女人禁制は女性差別では?

土俵は伝統的に女人禁制だそうです。

つい先日ある市の市長さんが土俵上で倒れ、女性が応急処置をした際、土俵からおりるように場内アナウンスがあり問題になっています。命よりも伝統的な決まりが大切だそうです。
(医師の情報交換サイトでは応急処置の手順に疑問の声が上がってはいますが、私はその動画を見ていませんし結果的に市長さんの命は助かったようなので今回は触れないこととします。)

そこで土俵を女人禁制にする『意味』を考えてみました。

一言で言えば土俵を取り囲む人達がそう信じているだけのことです。女性が土俵に上がったからといって土俵が爆発する訳ではありません。土俵に上がった女性が災難に見舞われる訳でもありません。実際に何人かの女性が土俵に上がりましたが、土俵を取り囲む人達が騒いだ以外何も起こってはいません。実際に女性が土俵に上がることで因果関係として何らかの不都合があるのであれば、女人禁制は合理的だと思います。しかし女性が土俵に上がっても何も起きてはいません(もちろん女性が土俵に上がったからといって何か起こるとも思っていません)。つまり女人禁制に合理的な理由はないということです。取り囲む人達がそう信じているだけという証拠です。俗に迷信と言われることと大差はありません。宗教における聖地の考え方に近いのではないかと思います。聖地といってもその宗教を信じていない人には何の意味もないことに似ています。

土俵に女性が上がってはいけないというのは、かつて女性は選挙にいってはいけないという発想と何ら変わりはありません。別の例えでは、黒人は白人用のトイレを使用してはいけないという発想とも変わりありません。

伝統を理由に女人禁制を正当化するのを認めれば、前例に習い体制を変えないということです。これを認めるのであれば今でも選挙は男性だけだったのではないでしょうか?
以前から女人禁制だからこれからも女人禁制という理屈は成り立たない話です。
人類は歴史的に考えてみても間違いをいくつもおかしています。
女性差別はありましたし、人種差別もありました。
それを以前から行っているからというだけで改めて考えることなく継続するのは、思考停止している状態ではないでしょうか?間違いを指摘されても以前からやっていたからと理由で片付けてしまえば、永久に間違いが正されることはないということになります。

土俵の女人禁制は女性差別では?

土俵の女人禁制は女性差別ではないでしょうか?
何故なら女性が土俵に上がってはいけない合理的な理由がないからです。
確かに男性と女性の身体の仕組みの違いから、男性トイレと女性トイレを分けることは区別だと思います。お風呂も男性用、女性用と分けることは差別ではなく区別だとすることに異論はないでしょう。

確かに女性が上半身裸でまわしを付けて土俵の上で相撲を取ろうとするのは、トイレやお風呂の場合と同様問題がありそうです。人前で胸を出してしまう点で公序良俗に反するという意味で法律に違反するため、法律違反を犯してまで女性が相撲を取ろうとすることは現実には問題となることはないでしょう。
服を着た状態で土俵に立つことは法律には触れません。

別の話をすれば、可愛がりと言い換えて虐待をしていたことも伝統としてつい最近まで続けていたのでしょう。弟子が言うことを聞かなければ可愛がりと言う名の虐待をしているのも、伝統だから仕方ないという話で片付けようとしていました。死者も出たことですし、さすがに法律違反ですから現在ではあからさまな虐待はないとは思いますが、法律に触れて問題になってようやく考え方を改めることしか出来ないようです。

今回の話も女性差別だとしてチケットの不買運動やテレビの不視聴運動が本格化し、運営に支障が出て初めて事の重大さに気づくのでしょう。

その前に誰も気にしなくなって廃れていく運命なのかもしれません。

女人禁制として女性を差別している人達のことを、わざわざ女性が気にする必要はないと私は思います。いわば土俵の女人禁制教の信者の集まりとして生暖かい目で見守るようにしましょう。その後ちびっこ相撲で女児は出場を辞退するように申し入れがあったことも判明しました。

実際に土俵の女人禁制教という宗教団体であれば、信じている人達だけの問題です。しかし観客のある興行という意味では、土俵の女人禁制が理解出来ない人達にも土俵上の興行を見てもらう必要があるはずです。そろそろ考え方を改める時期だと私は思います。

私は正直土俵が女人禁制であろうとなかろうとどちらでも構いません。何故なら私の生活に何の影響もないからです。土俵上のことに大して興味もないからです。ただテレビやネットで話題になっているため、女性差別だと断言し、これからも差別を続けるのですか?と質問するだけで議論が終わるのにと思い書き込んでみました。

医者を辞めてYouTuberになります!

私は医者として日々診療をしていますが、医者を辞めてYouTuberになることにしました。そのことをここに宣言します。

YouTuberとはYouTubeに動画を投稿し、動画に貼り付けたGoogleの広告から収入を得る人のことです。実はこのサイトにもGoogleの広告は貼り付けてありますが、それを動画で行うということです。

YouTubeで投稿する内容は差し当たりこのサイトに書いてある内容をスライド形式に作り変えて動画にしようと考えています。それに加えて、病気が改善した写真を添えて病気の治し方の一例として具体的な糖質の食べ方、塩分や水分、マルチビタミンなどのことを動画にしてみたいと思います。

 

私は糖質回避教という冗談のような論理的宗教を提案しています。食べ方など私の提案することを信じる者だけが救われるという意味で宗教を信じることに近いと考えたのです。ただ私の提案したいことは裏付けはあります。目に見えて症状が変わるからです。それらのことを今後はこのサイトにあるように文章ではなく動画として広めたいと思います。

糖質回避教を提唱し始めた当初は糖質の他に病気を引き起こす身近なものなどあるとは思えませんでした。しかし見つけてみると非常に単純な物が摂り過ぎたり足らなかったりで病気になることがわかってきました。例えば塩分が多ければ病気になりますし、水分が少ないと病気になります。塩分は高血圧くらいしか病気の原因とは考えられていませんし、水分は脱水症くらいしか考えられていません。脳梗塞などは脱水が引き起こすとは言われているかもしれませんが、日常自分が脳梗塞に陥る可能性は極めて低いと思います。そのような稀な疾患ではなく様々な病気が脱水で引き起こされるパターンを見つけました。

これら私の見つけたパターンの因果関係を証明し論文の形でまとめることは非常に困難です。論文として主張が認められるために必要な証拠を集めることが難しいからです。しかしどうやら私の見つけたパターンに間違いは無さそうなので、まだ証明は出来てはいませんが、証明前でも信じて下さる方だけが実践して頂ければと考えています。今のところ全員が治るパターンを見つけた訳ではありませんが、一部の人だけでも治るパターンを見つけたことに意味があると考えています。

と大層なことを書きましたが、あくまでも医者をやめるというのはエイプリルフールの冗談です。いつか私の生きているうちに病気が全て無くなって医者という職業が無くなるというのは私の夢です。

動画の投稿は本気で考えているところです。今私が持っている情報(糖質やビタミン、塩分や水分で病気が治ること)を動画にすれば多少は興味を持ってもらえるかと考えています。

もし患者さんを全て治してしまえば、医者として出来ることはなくなります。そんな夢のようなことが出来るとすれば、病気の予防活動家としてYouTuberになることも実現出来るのかもしれません。

どこまでが空想でどこからが現実か楽しみにしていてください。今日はエイプリルフール、四月の陽気で昼間から夢のようなことを考えている話でした。

多くの医者の落ちている大きな落とし穴

多くの医者は大きな落とし穴に落ちているようです。医者の落ちている大きな落とし穴とは病気は薬や手術で治すものという常識という名の思い込みです。ちなみに人類が陥っている大きな落とし穴は糖質依存という大きな大きな落とし穴です。常識にとらわれると、余程のことがない限りその常識の中から抜け出せなくなってしまいます。常識が間違いないという思い込みが激しければ激しい程、その間違いから抜け出せなくなっているのです。たまに常識にとらわれない発想が出来る人がいますが、俗に天才と言われる人達です。

本来なら医者は科学者であり、天才でなくてもその思い込みを排除して事実だけをもとに論理的に思考すべきです。しかし多くの医者は長年積み重ねた医学の常識という思い込みから抜け出せず、教科書や権威のある人達が言ったことを鵜呑みにしてしまいます。

医者が陥っている一番大きな落とし穴は病気は医者が治すものです。治すためには薬や手術をするしかないと思い込んでいるのです。薬や手術で治すしかないと思い込んでいると、他の手段を探すという発想が出来ません。何故なら心理的に盲点になってしまうからです。あるはずのない物と思い込んでいるため、探すという発想に至らないのです。

落とし穴に落ちている理由

多くの医者が落とし穴に落ちてしまっているのは、人間の身体は複雑だから病気も複雑だと思い込んでいることです。

複雑に絡み合った病気を治す為には、病態(病気の起こる仕組み)を解明し、その仕組みを止める新たな仕組みを作るしか無いと思い込んでいるのです。

根本原因を突き止めることが出来ないため、薬や手術という対症療法をしているに過ぎません。いわば薬や手術で誤魔化しているだけのことです。確かに根本的な治療法がなければ、次善の策として止むを得ず行う手段です。落とし穴を言い換えると次善の策に過ぎない対症療法を最善の治療法だと思い込んでいることです。

もう一つの落とし穴は確実に治る方法しか認めないということです。全員が治る方法しか認めようとしないところに問題があります。患者さんにとっては元々治すことが出来ない病気であれば、副作用もない方法であれば少しでも改善する可能性のあることは試してみたいはずです。しかしそのように考えることが出来る医者は少ないようです。

落とし穴から抜け出した実例

思い込み・盲点を突破した実例が、江部先生が提唱されている糖尿病における糖質制限であり、夏井先生が提唱されている傷に対する湿潤療法です。

糖尿病は血糖値を直接押し上げる糖質を食べているから発症し、糖質を控えると治るというシンプルな理屈です(参考:2型糖尿病が薬無しで治りました)。傷口は湿っていないと治ることが出来ず、消毒は細菌は生き残り治癒細胞は死滅するため消毒しない方が早く治るという理屈です。

落とし穴から抜け出す方法

一言でいえば常識を疑うことです。例えばアレルギーは治らないと世間一般では言われていますが、そのことを聞いて治らないと信じてしまえば治し方をわざわざ自分で探すことはないでしょう。しかし治るはずだと常識を疑うことが出来れば、少なくとも落とし穴から抜け出す可能性を探すことが出来ます。(詳しく知りたい方は常識革命の起こし方をご覧下さい)

私はアレルギーは食べ物・食べ方が根本原因だと考えています。その根拠は糖質の食べ方の工夫1つで治る人達がいることです。残念ながら糖質の食べ方だけでは全員が治る訳ではないため、糖質だけが原因ではなく、原因のうちの1つのようです。他の因子は現在検索中です。アレルギーの治る食べ方とは血糖値の上がりにくい食べ方です(参考:血糖値の上がりにくい食べ方 2017年版、)。そしてもう一つはビタミンやミネラル不足です(参考:マルチビタミン&ミネラルの勧め)。

私は食べ物だと疑っているから検索することが出来るのです。原因が食事にあると疑うことか出来ない医者には一生かかっても落とし穴から抜け出すことはできません。

ちょっとした視点の違いです。少しだけ常識から視点をズラすだけで落とし穴から抜け出すことが出来るかもしれないのです。

多くの病気が食べ物や食べ方によって引き起こされているかもしれない。そう疑うことからはじめてみましょう。例えば糖尿病のように糖質の食べ方を間違うと人によって発症するように、他の病気も食べ方を間違うと人それぞれ異なる病気を発症しているに過ぎないのかもしれません。今私はそのような発想で病気を治す食べ方を探しています。いくつか見つけることが出来ました。

少なくとも糖尿病や高血圧、アトピー性皮膚炎、ニキビや円形脱毛症は糖質の食べ方で改善が期待出来ます。そのような視点で病気を考えてみて下さい。

 

日本に住んでいて心から良かったと思うこと

私は今日本に住んでいますが、残念に思うこともありますが、心から日本に住んでいて良かったと思うことがあります。今回はそのことについて書いてみたいと思います。

他にもあるかもしれませんが、今回日本に住んでいて良かったと思うのは銃に関してです。現在の日本には銃はほとんどありません。そのおかげで銃を使った犯罪はほとんどありません。合法的な銃は狩猟向けと競技用を除けば、警察官、海上保安官、自衛官が待つだけです。日本の治安を守る人達だけが銃を持つことで治安が維持されています。

つい先日某国で元高校生が銃の乱射により10人以上の人が亡くなりましたし、少し前には同じ国でコンサートの会場に向けて自動小銃が乱射され50人以上の人が亡くなりました。

合法的に銃の所持が認められている某国では、誰が銃を持っているかわからないため自衛のために自分も持つという悪循環が起こっています。みんなの心の平静が保たれていれば良いのですが、多くの人が銃を持てば持つほど、心の平静を保てない人が銃を手にしてしまう確率が高まります。その点で私は非常に怖く思うのです。

物事を合理的に考えれば、規制に動くのが当然でしょう。現在の仕組みでは心の平静が保てる人だけが銃を手にできる訳ではないため、少なくとも許可制などの仕組みが必要なはずです。

某国が歪んでいると思うのは、銃の普及を推進する団体が政治に対して影響力が大きく、政治家が規制に動けないことです。政治家が政治家でいるために、選挙に勝てる政策を推し進めるという、民主主義の限界を表すものだと思います。そして本気で銃の規制を口にする政治家が出てくれば、欲に目のくらんだ人達に抹殺されてしまうかもしれません。政治家としての抹殺か命の抹殺かはわかりませんが、いずれにしても政治家としての人生に危険が及ぶため、政治家達も口にすら出来ないようです。

ましてや大統領が教師の銃の武装化を推奨するのは、銃の普及を推進する団体へのリップサービスのように思えてしまいます。

合理的に考えれば、通常の銃ではなくテーザー銃(離れた人に発射出来るスタンガン)を推奨するはずです。学校内で犯人を射殺する必要はなく、行動を止めることが出来れば良いからです。わざわざ通常の銃を推奨するのは、喜ぶ人達がいるからでしょう。合理性が歪んだ国に住んでいなくて良かったと思うのです。

日本でも非合法に銃を持っている人もいるとは思いますが、国内にある銃の数は某国にある銃の数に比べると圧倒的に少ないと思います。日本に住む誰もが、交通事故の心配はしていても銃に撃たれて死ぬことは微塵も考えてはいないでしょう。そのことを日本に住んでいて心から良かったと思うのです。

某国は圧倒的な武力により他国に対しては強くても、国内に火種を抱えてしまっているように思います。

あらゆる武器の必要ない世の中が早くやってくるといいですね。

主観的競技に思う

冬季オリンピックが開催され話題となっています。スピードを競う競技は議論の余地はなく、ハイスピードカメラで多方面から確認すれば勝敗がはっきりします。いわば客観的競技です。審査員の得点で競う競技は審査員の主観に頼ることになると思います。審査員の主観に頼る競技を主観的競技とし、その主観的競技について考えてみたいと思います。

主観的競技について

審査員による得点評価はどうしても審査員個人の主観によって変わってしまいます。審査員個人の主観なので得点の理由や根拠を明確にすることが出来ません。場合によっては審査員の好みによって決まってしまいます。

勿論審査員の方は公平にみることが出来る方が選ばれているはずですが、審査員も良くも悪くも生身の人間です。自分の好みや同じ属性の方を良い点にしてしまう可能性があることは避けきれません。

私は特定の人の好みで勝敗が決まる競技に魅力を感じません。何故なら審査員の好みが正しいとは限らないからです。その点客観的競技では歴然とした誰にでも検証出来る差が生まれます。

これまでは他に選択肢がなかったため、審査員の主観に頼るしか仕方がありませんでした。そこで審査員の好みの問題を出来るだけ排除するために、審査員の出身国や人種を分散させ、数人で審査を行うようにしています。出来るだけ公平な視点で審査されるように配慮されたとしても、残念ながら生身の人間が審査を行う限り主観を完全に切り離すことはできません。

主観的競技の将来

将来を予測してみると、今現在は主観的競技とされる競技が30年後にも生身の人間が審査員として審査しているとは思えません。何故ならAIに審査を任せてしまえば、減点、加点を後で検証することが出来るからです。

現在の技術でさえ、既にAIでの審査をすることが出来るのではないかと思います。次のオリンピックは無理だとしても、少なくとも次の次のオリンピックでは人工知能による審査をするべきだと思います。何故なら好き嫌いという人間の好みとは切り離した審査をすることが出来るからです。主観的競技を客観的競技に至らしめる機械での客観的評価が出来るにも関わらず、あえてIOCが機械を導入しないのであれば、ただの怠慢か何らかの利権を守るためでしょう。

機械での採点は味気ないという人達もいるでしょうが、私は味気ないと感じても誰もが同じ基準で採点される意味は大きいと思います。味気ないと感じるのは導入してしばらくのことで、機械での採点に慣れてしまうと、生身の人間が採点していたことを思い返せば不条理に感じることでしょう。

少なくとも機械での採点が30年以内にはじまることは間違いないでしょう。30年では機械採点にならないと思っている人達も、例えば100年オリンピックが続いたとして、100年間人間が採点し続けていると考えるでしょうか。

機械採点になるかならないかではなく、いつかは機械採点になるはずです。であれば機械採点がいつかという問題だけです。私はあと3回、つまり12年以内には機械採点になって欲しいと考えています。

もし万が一、人工知能が人間の知恵をこえるシンギュラリティ(特異点)をこえても生身の人間がオリンピックの審査員をしているとすれば、残念ながら欲が捨てきれない人達が多いことがわかります。誰の欲が多いのか考えてみてください。

ワードプレス Quick Adsenseの更新でエラー

今日2018/2/19 9:01頃突然サイトにアクセス出来なくなってしまいました。まだ悩んでいる方がおられるかもしれないと考え、そのことを書いてみたいと思います。

私はこのサイトにワードプレスを使っていますが、プラグインというサービスを利用し様々な恩恵にあずかっています。イメージとしてはワードプレスが携帯のOSのようなもので、プラグインが携帯のアプリのようなものだとイメージしてもらうとわかりやすいと思います。たまにプラグインのアップデートが行われるのですが、アップデートするまで表示が消えないため比較的早めにしていました。プラグインのアップデートにはセキュリティーのためのアップデートも含まれているため、アップデートはやむを得ないと思っていました。

今日アップデートしたプラグインはQ uick Adsenseでした。サイトにGoogleの広告を表示させるプラグインです。

ワードプレスとの互換性100%の表示を確認してから更新ボタンを押しました。無事アップデートが終わりましたが、ダッシュボードと呼ばれる管理用のホーム画面が表示されなくなりました。恐ろしいことにエラー表示1行のみです。管理画面の中のエラー表示なら手の施しようもあるのですが、エラー表示が一行出るだけです。何をしても無駄でした。というよりも何も出来ませんでした。

そこで検索です。同じ症状で復旧した人を探しました。残念ながら全く同じ症状の対処法は見つけられませんでした。

そこでエラー表示がサイトのページの行を表していることを知りました。どうやら書き込んだ内容にエラーがあるようです。ワードプレスの管理画面にアクセス出来ないのでワードプレスのやり繰りで復旧は無理です。

そこでこのサイトをのせているサーバーの管理サイトにアクセスしました。私と同じサーバーの方がアクセス方法と直接サーバーへの書き込みの仕方がのっていました。問題のページを開き1行ずつ数えて、ピンポイントで35行目を1行削除しました。すると今度は別324行目のエラーが表示されました。324行数えようとしましたが途中で断念しました。

どうせエラーなら削除してしてしまえという欲求が持ち上がります。実際削除したら戻ったと書いているサイトもいくつかありました。冷静に考えれば、ワードプレス本体ではなくプラグインの不具合です。一部の不具合で全てが表示されなくなっているため、削除しても本体には影響はないはずです。イメージとしてはアプリのせいでOSが動けなくなって固まっている状態です。

構文エラーとありますが、私には構文を書き換えることは出来ず、どうしようもないためエラーページ全体を削除してみました。真似される方はあくまでも自己責任でお願いします。私は元に戻せないのが怖いため、念のため削除する予定のページのコピーを保存してから行いました。

エラーページを削除するとダッシュボードが表示されるようになりました。まずは一安心です。よく見るとQuick Adsenseにエラーメッセージが表示されています。一つページを消したので当たり前ですね。

Quick Adsenseを削除してインストールし直しました。というのも、もしかしたら更新ボタンを押すのが早すぎて、Quick  Adsenseの更新が完了する前にダッシュボードを表示するボタンを押したかもしれないと考えたからです。結果はエラー表示されました。致命的なエラーが検出されたため有効化出来ませんとの表示でした。

本来ならQuick Adsenseの更新時にダッシュボードにこのように表示されるはずでしたが、致命的なエラーによりダッシュボードそのものが表示出来なくなってしまったようです。

アップデートファイルのエラーのようです。こんなことがあるのですね。

このままではGoogleの広告が出せなくなりますので、WP QUADSをインストールして表示させるように設定しました。

私は仕事の合間に復旧作業をしたこともありますが、4時間半ほどサイトの表示が停止してしまいました。正味1時間程度復旧に時間がかかりました。ワードプレスはその程度の知識しかない者が手を出す代物ではないのかもしれません。

今後は同じようなトラブルがあってもパソコンが手元にあれば数分で復旧出来そうですが、プラグインの更新が怖くなってしまいました。

午前中不具合により表示出来ませんでした

午前中サイトの不具合により表示が出来ませんでした。アクセス頂いた方々にはご迷惑をおかけいたしました。大変申し訳ありませんでした。

ワードプレスを使用しているのですが、プラグインのアップデートに致命的なエラーがあり表示出来なくなっていました。

何とか復旧出来ました。復旧するまではこれまで書き込んだ1317件もの記事が無くなるのではないかと怯えていました(実際には簡単にアクセス出来ないだけで、サーバーにはデータが残ってはいるのはわかっていましたが、手間を考えるとゾッとしていました)

ワードプレスは自分の好きなようにカスタマイズすることが出来るため非常に便利なのですが、不具合があった場合には自力で復旧しなければいけないのが怖いですね。私のような素人が手を出す代物ではなかったのかもしれませんが、今更後には引けないので何とか頑張っていこうと思います。

有り難いことに検索してみると不具合が起きた場合の対処法がのっていたので助かりました。今回の不具合そのものではありませんが参考になりました。

復旧に関しては改めて記事を書きたいと思います。どうやらプラグインのアップデートのミスのようです。

オリンピック、パラリンピックに思う

冬季オリンピックが開催されています。
私自身は競うこと自体がベストを尽くすための手段に過ぎないと考えていますので、ショービジネス化しているオリンピックは否定的にみています。気になるのはメダルの数くらいです。

私からみるとショービジネスとしての側面の大きいオリンピックですが、次に東京で開かれるため思ったことを書いてみたいと思います。

私はオリンピックとパラリンピックがオリンピックから開催されることに疑問があります。これまでのオリンピック、パラリンピックではテレビでの扱いは、オリンピックが終わりパラリンピックはおまけのような扱いでした。

既に日程が決まっているので今更変更は困難だとは思いますが、東京オリンピックではパラリンピックから開催すれば良いと考えていました。何故なら先に開かれるパラリンピックを報道することでオリンピックを盛り上げ、パラリンピックがメインイベントの第一弾となることです。

パラリンピックがおまけではなければ、オリンピックよりも先にパラリンピックを開いても良いのではないかと思います。

歴史を振り返ると日本の差別を失くす行動のおかげで、反感は買いましたが世界から表立った人種差別がなくなりました。確かに日本は間違いも犯しましたが、実は凄いことも行なっています。その日本で開催されるオリンピック、パラリンピックですから、パラリンピックから開催してはどうかと思うのです。

そして今後のオリンピック、パラリンピックは先に開催されるものを交互に開催するようにするのです。今回はパラリンピックから開催したから次はオリンピックからという具合です。

理想的にはオリンピックもパラリンピックも同じ期間中に同時に開催することです。

オリンピック関係者からパラリンピックを先に開催するという発想が生まれることを祈っています。

血糖値が気になる方へのバレンタインプレゼント

今日はバレンタインデーです。私自身は宗教に興味が有りませんが、世間ではチョコレート屋さんのアイデアでチョコレートをプレゼントする習慣が根付いています。しかしチョコレートは約半分が糖質である砂糖なので、血糖値が気になる人にとっては食べるかどうか悩ましい問題です。

糖尿病など血糖値を気にされている相手にプレゼントする場合、砂糖の入っていないチョコレートゼロがお勧めです。特にロッテ チョコレートゼロ は血糖値が上がりにくいことは私が食べてみて確かめました(参考:砂糖の有無によるチョコレートの食後血糖値の違い)。

 

ロッテのチョコレートゼロを溶かしてハートなど形の作れば、オリジナルの砂糖ゼロチョコレートを作ることが出来ます。

大切な方が血糖値が気にされていれば、砂糖ゼロのチョコレートでのプレゼントはいかがですか

いじめで自殺に思う

残念なことに昨年夏に死んでしまったお子さんが自殺であると認められたようです。

いじめで中3女子自殺に思うに書きましたが人が何人か集まれば、いじめは起こってしまいます。勿論いじめを肯定する訳ではありませんし、いじめは起こらないに越したことはありません。しかし動物でもいじめは起こるのですから幼稚な人間がいじめをしても仕方がありません。問題はいじめを放置してエスカレートすることです。いじめをしている本人達はいじめという自覚が無いことが多いため、第三者がいじめだからやめようと制止するべきなのです。残念ながら自分達でいじめだと気付くことはほとんど出来ないと私は思います。

元々動物によるいじめは、自分よりも弱い仲間をいじめることで自分の生存確率をあげるために行われます(参考:動物がイジメをする理由)。現代社会における人間は他人をいじめても自分の生存確率をあげることは出来ないことを教えてあげましょう。他人をいじめることで、他人より優れていると錯覚するだけです。他人を思いやる心を育むことなくある程度成長してしまったため、他人をいじめてしまうのです。

動物でのいじめは死んでしまうまで行われるそうです。救済策はその群れから引き離すことしかないそうです。動物のいじめは他人を思いやる心が無いのですから仕方がありません。仲間というエサを奪い合う「敵」なのでいじめることで追い落とすのです。人間の仲間はエサを奪い合う「敵」ではないので、仲良くしようと伝えることです。

学校でのいじめの対策

私がいじめ対策を作るなら、いじめが起こるのは仕方がないので、小さないじめのうちに解決するようにします。いじめがあってはならないと理想論を主張することに意味はありません。

具体的には段階を追って対策を取っていきます。

①個人名を出さずにいじめになる具体例をあげてみんなに説明して注意を促すのです。いわばまず名指しではない警告をするのです。本人が自覚すればやめる可能性があります。この時点でやめることが出来れば誰も傷つかずに事をおさめることが出来ます。

②いじめをしている本人が鈍感で自分のことだと気付かない可能性もあります。その場合にはいじめをしている本人に名指しで警告をするのです。「貴方のしていることはいじめですよ」と伝えることです。

③名指しの警告でもいじめをやめない場合、いじめた本人にペナルティーを課すのです。

現在のところいじめが解決しない場合、止むを得ずいじめられた子が転校しています。しかしそれでは転校した先でもいじめられる可能性が高くなります。対策としてペナルティーも含めて、いじめた人間を転校させるのです。二回名指しの警告で改善しなければ、転校することにしてしまうのです。

いじめている人間が突然誰も友達のいない学校に転校することになれば、かなりの抑止力となるはずです。複数人でいじめを行なっている場合、分散して転校させることにするのです。

このような仕組みを作り上げて、いじめる人間に警告をはじめればかなりの抑止力が働くと私は思います。ただ証拠を残さないようにいじめが陰湿化する可能性があるため、注意が必要だと思います。

大切なこと

もう一つ大切なことはいじめがあることやあったことで先生を責めてはいけないということです。いじめの放置を責めるべきであり、いじめがあることを責めるべきではありません。ちょっとしたいじめはどこにでも起こりうるからです。いじめがあると責められるのは嫌だからいじめをなかったことにする心理が働き、見て見ぬ振りをしてしまうのです。いじめが起こるのは仕方がありません。大事に至る前に対処するべきなのです。

今後はいじめを見つけた先生を褒めるべきだと思いますし、解決した先生は表彰しても良いのではないかとすら思います。

生徒がいじめを受けていることを訴えても放置した場合、担任を外す、転勤させるなど教師に対する警告やペナルティーの仕組みを作るべきなのかもしれません。いじめを知った上で放置するのはいじめに加担しているのと同じです。そもそも放置してしまう教師は、教師という職に向いていないのだと思います。

今いじめられている人へ

そして今いじめられている人は誰でもいいので、誰かに助けを求めましょう。助けを求められた人は自分でいじめをやめさせることが出来なければ、更に誰かに助けを求めましょう。助けを求める声が大きくなれば、誰かが助けてくれるはずです。もし万が一助けを求めても、誰も助けてくれなければ、学校から逃げ出せばいいんですよ。そんな学校なんて行かないのが正解、逃げるが勝ちです。大切な自分の命をなくしてしまう程、真面目に相手にすることなんかありません。誰も助けてくれないなら学校なんて行かなくていいんです。

学校に行くことより、あなたの命の方が大切だから

早くいじめがない世の中が来るといいですね。