考え方を強要すると争いになる

考え方を強要するから争いになります。

例えば親子で親の経験から子供に対してこうしなさい、ああしなさいと一方的に強要することは良くあることです。子供が納得出来る説明した上での強要なら、大きな問題になりませんが納得出来ないまま強要しようとすると争いに発展します。

一方的な考え方の強要や押し付けは時として争いに発展するのは仕方ありません。強要された方が理解出来ないからです。何故やらなければならないか納得出来ないまま強要されるので、納得出来ないことに加えて、考え方を変えるように強要されることで争いになります。二重の意味で不快に感じてしまうからです。

強要してもねじ伏せる圧倒的な力があれば争いにはならないかもしれませんが、対等に近い関係であれば争いに発展します。健全かどうかは別問題として、かつての欧米諸国の植民地支配が争いにならない程の圧倒的な武力の違いによるものです。

子供が小さい頃には子供自身が判断できませんので、強要するのも仕方がありません。しかし子供が生意気なことを言ったり反発したりする自我が目覚めてくれば、強要するから争いになるのです。子供の成長に伴い、圧倒的な差が無くなった証拠なのかもしれません。まだ子供だから自分の思い通りにしたいという欲求は抑えて、子供の考え方を尊重するようにすれば争いは避けることが出来ます。その代わり子供が責任を取るのです。

一方的な論理で考え方を強要した結果争いが起こるのは何も親子だけではありません。かつての宗教戦争も一言で言ってしまえば考え方である宗教の強要をしようとして戦争にまで発展しました。信じるものは救われる、信じない人は関係無いという本来の宗教の考え方で言え考え方の強要などあり得ないことです。そのあり得ないことをしたため戦争にまで発展したのです。

逆に考えれば考え方の強要などしなければ、争いの多くは避けることが出来るのかもしれません。例えば先ほどの親子の場合、親の知っている情報を子供に伝える。親からすればこうする方が得だと思うという提案をするのです。その結果子供が自分で判断するように促すのです。強要しなければ争いにはなりません。強要するから反発するのです。子供自身の判断であれば反発のしようが無くなると思います。当然その責任は自分で取らせると子供自身も自らが選んだ行動には責任が伴うことを実感すると思います。

最終的に子供が困ることなら、子供の問題だと子供に気付かせてあげると良いと思います(問題論)。子供が困る問題に親が口出しをすること自体が越権行為ですが、さらに強要すると争いになるのは当たり前と言えば当たり前のことなのです。

考え方の強要はしない

いくら自分の考え方に自信があっても、人に考え方の強要をしないことです。

考え方を強要すると思わぬ争いを生じるかもしれません。

大人に対して考え方を強要しないのは当然ですが、子供が反発するようになってきたら、子供に対しても強要するのは終わる時期なのかもしれません。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。