怒ることは無駄なことです。
何故なら怒ることで伝わるのは不快感を感じていることだけです。怒ることで、怒りという不快感を感じていることは相手に伝わるものの、怒っている内容の大半は理解出来ません。
そもそも人が誰かに怒るような状態は、何らかの認識の齟齬が原因です。相手が知らないことを怒って責めたところで意味はありません。知らないのですから怒られても、何故怒られているのかわからないのです。怒られれば怒られる程、怒られている意味がわからないとは言えません。怒られている内容から怒られていることを類推するしかないのです。その類推が当たっていれば良いのですが、外れていればまた似たようなことで怒られてしまいます。
例えば親が子に部屋を片付けなさいと怒ったとします。親は片付けるように言ったことで、片付けは出来ると思っています。誰でも簡単に出来ることだと思っているからです。子供にとって片付けという言葉はわかっても、片付け方がわからないのです。わからないから片付けられないのですが、片付けをするように怒られるので、片付けの仕方を知らないことは自分が悪いと思わされてしまうのです。怒られないように子供なりに考えて(類推して)片付けようとはするのですが、親の片付けのイメージと異なればまた怒ることになるのです。
片付けが出来ないことを怒るのではなく、片付けの仕方を教えてあげれば良いのです。もし片付けの仕方を教えるのは子供を甘やかすことになるので教えないと考える方がおられれば、目的は片付け出来るようになることではなく、自分が怒ることなのではないでしょうか?
子供が片付け出来ないから怒るのは、子供が片付け出来るようになることの妨げにしかなりません。怒ることが子供のためにならないのであれば、怒る目的は何か考えてみれば自分を不快にさせたことを怒っているだけではないでしょうか?確かに親が怒ることで不快感を抱いていることはわかるものの、怒られても子供は片付け出来るようにはなりません。お互いが嫌な思いをするだけです。時間がもったいないので怒らずに片付けの仕方を教えてあげましょう。
腹が立ってもすぐに怒るのではなく、相手が何を知らなくて自分が腹の立つような行動をとるのか考えてみましょう。その抜け落ちていることを指摘してみて、予想通り知らなければ怒っても仕方のないことです。片付けに関する上記の話であれば、子供に片付けの仕方はわかる?と聞いてみるのです。わからないと答えがあれば片付けの仕方を教えてあげれば良いだけです。怒ると子供は片付けの仕方を知らないとは言い出せなくなります。
親子だけでなく、大人同士でも同じことです。何かを知らないから不用意に行動しているだけのことです。明らかに過失があれば怒るのではなく、過失を挽回する行動をとってもらえば良いのです。過失を挽回出来なければ金銭的な負担をしてもらうことも含めて、どれだけの過失か相手に理解してもらうのです。怒ってもお互いが不快に思うだけで何も解決はしません。