参議院議員選挙に思う

今日は参議院議員選挙です。
この時間になると当選が判明しつつあります。
選挙に関してふと思うことがあるので書いてみます。

一つは組織票についてです。二つ目は選挙権についてです。組織票が日本を駄目にしていると私ら思います。詳しくは改めて書きたいと思いますが、組織票とは自らが得をする政治家や政党への投票を組織的に促すことです。組織票の目的が自らの利益であり、組織票で当選させてもらった見返りに利益を誘導するのです。この組織票の仕組みが本来の政治をブレさせているように思います。徒党を組んだ一部の人達に利益誘導されているのです。今のところ組織票を打ち破るちえは私にはありません。誰か知恵者が組織票を打ち破るのが待たれます。

二つ目は選挙権です。今回から18歳から選挙権を得ましたが、私は0歳から選挙権を認めるべきだと思います。実際には親に選挙権を委ねることになると思いますが、これから何十年も生きる子供達の分も選挙権を認めるべきだと思います。選挙権がないから子供達への配慮は最低限しか行われません。これから何十年にわたって税金を納める将来の納税者に投資しようという政治家はほとんどいません。何故なら子供達は選挙権が無いからです。子供の選挙権の行使者が父親にするのか母親にするのかなど、本当に実現するにはクリアすべき問題は多いとは思いますが、考えてみる価値はあると思います。18歳までの子供達は日本に住んでいながら、将来納税者として今の政治の後処理の責任を負わされるにも関わらず、選挙においてはいないものとして扱われています。いまの選挙による政治家選びは、政治家にしてくれる人の言うことを聞く仕組みです。つまり票にならないと行動しないのです。だから保育園の待機児童は解消されないのではないでしょうか?日本国民全員に選挙権が与えられたら、世の中大きく変わると思いませんか?

ふと選挙速報を見ながら日頃考えていることを思い出しました。私の考えている世界を実現してくれる政治家が現れることを願っています。

医者の存在価値が下がった理由

以前はお医者様と言われるくらい一般的に地位が高く、医者の言うことに人々は一目置いていました。
最近では医者の地位は以前より相対的に下がり、医者の言うことを疑ってかかる人も増えてきました。

かつて患者さんが医者に従わざるを得なかったのは、医学情報を医者が独占していたからです。医学書や学会誌を読んで必要な医学情報を得るしか方法がありませんでした。患者さんと医者の間には計り知れない程の情報格差があったのです。ある意味では以前記載した情報による支配が、医者と患者さんの間にあったのだと思います。持っている情報が医者と患者さんの間で大きく異なっていたため、患者さんは医者に従わざるを得なかったのです。診断はこれで、治療はあれですと言われれば反論出来るだけの情報が無かったのです。

余りに患者さんが不利だということが問題となり、インフォームドコンセントというキチンとした説明と患者さんの同意が求められるようになりました。目的がよくわからないまま導入した医者も多く、目的が裁判対策だと誤解している医者もいたのだと思います。本来の目的は患者さんに病気と治療法を理解してもらった上で了承してもらうことです。あくまでも患者さんのために行うべきものがインフォームドコンセントです。一部の勘違いした医者の言動で医療不信を引き起こし、マスコミが煽ったことで全ての医者に厳しい目が向けられることになりました。このことが医者の存在価値が下がった理由の一つです。

医者の存在価値が下がった一番の理由は、医学情報が誰でも簡単に手に入るようになったことです。何万円もの医学書を買うことなくネットで医学情報が簡単に手に入るようになったので、病気のことを必ずしも医者に聞く必要が無くなったのです。自分の罹患した一つの病気に関してだけしっかりと調べた患者さんの持つ情報と、医者の知っている情報が逆転することもあり得るのです。

今はまだ医学情報が患者さん向けに整理されてはいないため、全ての患者さんが正確な情報を得られるとは限らないのが現状です。しかし以前のように医者に聞くしか病気のことがわからない時代は完全に終わりました。医者が医学情報を独占していたから、患者さんは仕方なく医者に従っていたのでした。情報格差が解消されつつあるため、医者の存在価値が下がっているのです。患者さんの中にはインターネットで情報を集め、自己診断してから来られる方もおられますが、大体半分くらいが正しく診断されています。数年前までは一割か二割程度しか正しく診断されていなかったので医学情報が行き渡りつつあるのだと思います。そして自己診断してから来られる患者さんも増えていることも考え合わせると、急速に医学情報が広まりつつあるようです。この点で医者の存在価値が下がりつつあると思います。近い将来誰かがインターネット上の医学情報を整理し、自己診断を補助するサイトが出来れば、病院では薬をもらうだけで済んでしまう時代がやってくるかも知れません。

最終的には人工知能が進化すると、診断、治療をするのが生身の人間である必要がなくなりのです。結果として近い将来医者が余ることになるのです。

言い換えると病気のことは他に選択肢が無かったため、医者に頼るしか無かったのです。今では医者に頼らない選択肢が増えたため、存在価値が下がってしまったのです。これから益々医者に頼る必要は無くなりそうです。年配の医者は引退が早まるだけですが、若い医者はどうするのでしょうか?しかも医者不足として医学部の定員を増やすので、大変です。

更に糖質回避により、そもそも病気が失くなるのですから、医者の存在価値は益々下がることになるでしょう。まだ多くの医者は知らないようです。

かつて情報は人々を支配するために使われた

かつて情報は人々を支配するために使われました。
例えば暦を知る人が暦を知らない人々を支配していたという説があります。種蒔きの時期などの情報を知る知恵者が、何時種蒔きをすれば良いかわからない人々に教えることで支配していたのです。月食や日食の仕組みを知る知恵者は、自分が太陽や月を欠けさせたとして信憑性を高めるように仕向けたようです。
また文字も支配の道具とされました。西洋ではコミュニケーション手段として、話し言葉を文字に置き換え記録することに主眼が置かれました。話す音と同じだけアルファベットの文字数が必要となるデメリットはあるものの、音を単純に記号化したものだったので誰でも比較的簡単に習得することが出来ました。ちなみに英語で不規則な発音や不規則な変化があるのは、外国語をそのまま取り込んでしまったからだそうです。西洋では情報の伝達・共有が文字の目的だったので、誰もが習得しやすいものだったのです。

文字による支配

かつての中国では文字は一部の人が利用するものでした。支配する人達特権階級だけが扱う暗号のようなものだから簡単に読み解かれては困るのです。そのため漢字という多数の文字が生まれました。多数生まれた中で文字に意味があるため、文字に置き換えると情報を圧縮して伝えることが出来ます。

日本は中国から漢字を輸入し、なおかつ仮名を導入したことで表音文字と表意文字のいいとこ取りをすることが出来ました。文字にする際適度に圧縮することが出来ます。

話が少し逸れましたが、かつての中国では科挙という公務員試験制度がありました。法律を全て暗記することが前提の過酷な試験でした。その法律が文字で記されているので、文字が読める人にしか法律が読めないのです。法律は生きていく上でのルールですから、文字が読めないすなわち法律が読めない人は、法律を読める人に従うしかありませんでした。このようにして文字を扱うことの出来る人達が文字を扱うことの出来ない人達を支配していたのです。つまり法律という文字による情報により、情報を持っていない人達を支配していたのです。

幸い今は文字で支配するという目的がなくなったため、漢字も難解なものを減らしているようです。

これからの情報

多くの情報が誰にでも容易に手に入るようになったため、かつてのように情報で人々を支配するということは出来なくなりました。しかし逆に情報が溢れているだけに、必要な情報を探し出すことの出来る人が情報を上手く扱えない人達を支配する時代になるのかも知れません。

これから求められるスキルは、情報の扱い方だと思います。数ある情報の中から正しく、有益な情報を見抜くことの出来る人達がある意味支配者になるのではないかと思います。

イギリスがEU離脱で混乱している理由

イギリスが国民投票でEU離脱が決まったものの混乱しています。何故なら現政権は残留を支持していたからです。EUに対していくつかの要求を受け入れてもらったので、国民は残留に投票してくれるとタカをくくって国民投票をしてしまったようです。
現政権の思惑と国民の民意がズレてしまったことが混乱の原因です。
国民投票の前に選挙でEU離脱の是非をもう一度問い、EU離脱を主張する政党が買った場合に離脱を決するべきでした。そうすれば運営能力の問題は別にして、少なくとも現在のような混乱は招かなかったと思います。

現政権は残りたいのに離脱の手続きをしなければならない。でも手続きは出来ればしたくはない。だから混乱してしまったのです。恐らく国民投票で離脱の判断が下されてしまうことを想定出来なかったのだと思います。
どこかの国のように一党独裁ではないため、自分達の都合のよい論理の飛躍は出来ないはずです。
私にはどんな展開になるのか全く予想がつかないので、大変興味深く見ています。

金額を明記しない商売は怪しい

金額を明記しない商売は怪しいと私は思います。
何故なら金額というのは物事の決定を左右する重要な因子だからです。
その金額を明記しない商売は、目的が衝動買いの心理を刺激することだからです。
まず商品を見せた上で欲しい欲求を刺激します。先に金額を見せてしまうと検討してもらえない可能性が高まるからです。つまり衝動買いしてもらう余地がなくなるからです。
通常の商売であれば、金額が1つの目安となります。例えば車を買う際に予算が100万円と考えていたとすれば、300万円の車を見ても時間の無駄、あえて言うなら衝動買いの誘惑にしかなりません。多くの人が金額を先に知りたいと思うのです。予算とほしいものの金額の違いが誤差の範囲内であれば検討の余地はありますが、かけ離れているとお互いの時間の無駄にしかなりません。

時間の無駄になるかもしれないにも関わらず、金額を先に教えないのはまともな商売をする気が少ないのだと思います。衝動買いの心理を刺激しなくても買ってもらえる自信のあるものであれば、最初から金額を明記するはずです。何らかの目的をもって金額を明記しないのです。だから私は怪しいと思うのです。

もしかしたら金額を明記したら驚く人がいるので、驚かせない目的で明記していないという言い訳をする人もいるかもしれません。その言い訳のせいで惑わされる人がいるのは誠実な商売をする気がない証拠でもあります。
様々な意味合いで金額を明記しない、できない商売は私は怪しいと思います。

商売するのであれば、商売する相手のために金額を明記するべきだと私は思います。

金額を明記していないサイトや広告は相手にしない方が無難だと思います。
これらのサイトに個人情報を登録してしまうと、多くの人達に共有されてしまう可能性があります。気を付けるようにしましょう。

ガストが糖質回避メニューでリード! 糖質0麺

通常ファミリーレストランは単品メニューがあるので、ライスを頼まないだけで簡単に糖質回避を行うことが出来ます。中でもガストは糖質0麺を導入したので一歩リードしたようです。スーパーなどて糖質0の麺を売っていることは知っていましたが、ついに外食産業にも糖質0麺が導入されたようです。私が知らなかっただけで、以前から糖質0の麺を食べることの出来るお店はあったのかも知れませんが、全国展開するガストが糖質0麺を導入したことは大きな意味があると思います。

ベジ塩タンメン 糖質0麺 749円+税
ベジ塩タンメン 糖質0麺 749円+税

今後糖質回避者はドンドン増えることが予想出来ます。何故ならダイエットに効果があるのはもちろん、2型糖尿病や各種アレルギー、自己免疫性疾患ニキビイボなど慢性感染症など免疫が関わる病気も治るからです。少なくとも糖質依存という概念が広まることで、糖質依存は異常な状態であることが共通認識となるはずです。ちなみに我慢できないほどお腹が空くのは糖質依存の禁断症状です。禁断症状の証拠に空腹を我慢しているとピークをこえる不思議な感覚を味わいます。ピークをこえることこそ禁断症状の証拠です。禁断症状でないのであれば、食べるまで尿意や便意のように空腹が強くならなければいけません。そうはならないことこそが禁断症状である証拠なのです。糖質依存という異常な状態から抜け出すためには糖質を控えるしかありません。そのため糖質0麺は有効な1つの選択肢となり得るのです。

私はコンビニでも近いうちに糖質0麺が売り出されると思います。コンビニで糖質0麺が売り出された時点で、糖質回避の流れは止まらなくなります。糖質を避ける大きなうねりとなって、人々が主食という食べ方をやめる時がくると私は思います。10年で主食がなくなるか、20年かかるのか30年かかるのかはわかりません。しかし主食という糖質依存をはじめ様々な病気を引き起こす食べ方が無くなるのは議論の余地は無さそうです。何時主食という食べ方が無くなるのかという時間の問題だけです。

このページを記載するためにガスとのホームページを見てみると、糖質に関する考え方が先進的です。糖質回避教の考え方に準じた考え方です。可能であれば控えるという考え方です。他の人には強要しないという考え方にも合致します。糖質を食べたい人は糖質を食べるメニューが用意されており、糖質を避けたい人は糖質を避けることのできるメニューが用意されているのです。どうやら世の流れが糖質回避に傾くことを見据えた先見性のある人が経営陣におられるようです。私の探した限り他のファミリーレストランでは糖質に関するメッセージを発しているところは見当たらなかったので、私はガストが2歩リードしているのではないかと思いました。
糖質回避の意味は今のところガストの経営陣しか気づいていないようです。
他のファミリーレストランがいつ糖質回避を真剣に始めるのか楽しみでもあります。

人間に味覚のある理由

お人間には味覚が備わっています。
その理由を考えてみます。
人類の進化の歴史において味覚が備わっていたことで生存に有利に働いたはずです。
生理学的には酸味、苦味、うま味、甘味、塩味の5つが言われています。

人類の進化の歴史の上で美味しいと感じることが生存にどのように有利に働いたのでしょうか?

酸味は酸っぱさを感じる味覚で、腐ったものを見分けるために備わった仕組みです。本能的に酸っぱいものを避けようとするのは腐ったものを本能的に避けるのです。
苦味は毒を見分けるために備わったと言われています。
そのため赤ちゃんがピーマンなどの苦味を毒だと勘違いして吐き出してしまうのです。
うま味は比較的最近(1908年)発見された味覚ですが、グルタミン酸やアスパラギン酸などによる味覚です。これらを含む食材は栄養が豊富なことが多いため、生存に有利に働いたようです。

甘味は自然界では主に果物によってもたらされました。甘味・果物を美味しいと感じることで好んで食べることが生存に有利でした。そのために甘味を感じるように進化してきたのでしょう。その際果物は一時的に収穫できるものの腐ってしまうため大量に保存することはできませんでした。とにかく限界を超えてでも果物を食べた方が、飢餓に陥らなくて済んだようです。この限界をこえてでも果物を食べる心理が、糖質に対する快楽から糖質依存を引き起こし今では肥満をもたらしているのだと思います。
甘味があるものを美味しく感じるように進化したのです。あくまでも自然界では甘味がラッキーアイテムだったため、無理をしてでも食べようとさせるために甘味という味覚が備わったのです。その甘味を人工的に量産し甘味だけを砂糖として抽出できるようになったため、本来は生存に有利なためにあった味覚を、快楽のために砂糖を使用するようになっています。
自分たちで味覚に合わせて快楽が最大になるように調理出来るようになったことを考えると、進化しすぎてしまったのかもしれません。

塩味は人間の生存に不可欠な塩気を感じる味覚です。人間は汗として塩分を排出してしまうので、食料から補給する必要があります。そのため塩気を感じ取ることが生存に有利に働きました。特に汗をかく仕事をしていると自然と塩気を求めるようになったようです。人類の歴史においては甘味程ではないものの塩味も簡単には手に入らなかったため、塩味に美味しさという快楽を感じてしまいます。塩がいつでも手軽に手に入るようになってからは、気を付けないと摂りすぎてしますのです。
塩気の快楽によって塩分依存に陥ってしまいます。糖質と塩分の共依存が生じることも多いようです。そして塩分依存症として高血圧を生じてしまうのかもしれません。

唐辛子などの辛味は味覚としてではなく刺激物として脳に直接作用します。その作用を打ち消すために脳内麻薬が分泌され、その脳内麻薬を求めて唐辛子を求めるようになるようです。

人類は進化しすぎた?

人類は自分達の味覚に合わせて自分たちで調理するという魔法のような方法をみにつけたため、美味という快楽を追求してしまうようです。
何しろ甘味を刺激する砂糖、塩味を刺激する食塩、うま味を刺激するうま味調味料(以前は化学調味料と言われていましたが、現在ではトウモロコシを発酵させて作る発酵食品の一種です)があるのですから、直接味覚を刺激することが容易にできるようになりました。
そのしっぺ返しとして、糖質依存症や塩分依存症などの病気、つまり2型糖尿病肥満、高血圧や各種アレルギー・自己免疫性疾患など様々な病気を引き起こしてしまったようです。

そろそろ快楽の追求としての食を、健康のため・栄養補給としての食に切り替えるべきなのかもしれません。
決して美味しくないものを食べようという言いたいわけではありません。
快楽の追求としての食は控える方がお得ではないかという提案をしたいのです。
一歩立ち止まって考えてみましょう。

今日の食事は快楽としての食なのか、栄養補給としての食なのかを。

様々な会社がカードを作ることを促す理由

様々な会社がカードを作ることを促します。
例えば電気屋さんやスーパー、子供の習い物の支払いさえカードを新たに作って支払うことを勧めてきます。
特に子供の習い物などは引き落としでよさそうなものですが、あえてカードを新たに作ってまでカード払いを求めることもあります。
カード払いにしても、ポイントを発行する分会社が損をしそうなのにわざわざ勧めるのはお客さん思いなのでしょうか?
実はスーパーなどでもカード払いを勧めることには理由があります。
人の行動の理由ですから、明確な目的・狙いがあるのです。

カード払いは現金が手元になくても買い物ができます。
知らず知らずのうちに借金しているのと同じ効果があるのです。
手数料を支払ってでもお店でカード払いを認めるのは、カード払いだと現金払いよりもより多くお金を使う傾向があるためです。一説によるとカード払いだと20%売り上げが上がるそうです。お店は5%程度手数料を支払っても20%の売り上げアップのため採算があうのです。

話を元に戻して様々な会社がカードを作ることを促す理由を考えてみます。カードを作ってもらう目的は、この20%余分に消費することに誘い込もうとしているのです。ポイントや割引などお得な仕組みが罠のように誘いこんでしまうのです。
借金を嫌がる考え方の人はカードを作ることに抵抗がありますが、近所のスーパーでのお買い物だとカードを作ろうと考えたりするのです。

つい衝動買いをしてしまう人はカード支払いにしない方が、トータルではお得です。
20%余分に買い物をしてしまうことを知っておくほうが良いと私は思います。
この仕組みを知ったうえで上手にカード払いにするのであれば、現金や小銭を用意する必要もないし、ポイントまでもらえるので絶対お得です。しかしポイントはエサで20%多く売り上げようとしている罠には引っかからないようにしましょう。

流行る料理人の条件 味の方程式が解ける

お笑い芸人さんの適正を考えてみると、瞬間的に笑いのとれる一言を選ぶことができるかどうかだということは以前書きました。考えに考え抜いたネタで勝負することができるネタは、時間をかけて一言を選べばよいのです。一発屋と言われる芸人達はお笑いの要素を何時間も考えた結果を凝集したネタで笑いを誘うのです。そのネタが人々のツボにはまれば一発屋として売れることができるのです。何時間も突き詰めた結果の一つのネタなのです。
総合司会(MC)を務めることができるお笑い芸人さんに共通しているのは、瞬時の一言の選択のようです。一瞬一瞬で一発屋のネタのようなものを次々生み出していける能力が備わっているのです(参考:人が笑う理由 お笑いの心理学

今回ある流行っている料理人の方と話をしていて気づいたことがあったので書いてみます。
料理人になろうと考えている人には役立つ情報だと思います。
当然のことながら流行る料理人の適正どころか、私には料理人の適正すら全くありません。

料理人は新しい料理を考え付く必要があります。
最低限求められる能力は、食べたものを再現できるかどうかです。
レシピを見て再現するのでは素人です。チェーン店で働くことはできると思います。
レシピなしで食べただけで再現できるかどうかで、再現できなければ料理人には残念ながら向いてはいないでしょう。美味しいお店の真似が出来ないからです。
試行錯誤して何度も試して美味しい味を探しあてるタイプの料理人は一発屋芸人のように、理想の味を偶然探し当てることができると一時的に流行ることがあります。

流行る料理人の条件は味の方程式が解けることです。
私にはまったくない能力なのですが、もしかしたらそんな能力のある人がいるだろうなと考えていました。偶然流行っている料理人の人と話す機会があったので聞いてみたところ、予想通りその能力を持っておられました。
頭で味の足し算、引き算ができるそうです。
食材を見て、これとあれとそれを足したらこの味になると考えて頭の味で再現できる能力があるそうです念のために実際に作った際に味見をしてもほとんど味はぶれないそうです。
味の方程式を解ける人には当たり前の能力ですが、能力を持ち合わせていない人には全く理解できない能力です。だから味の方程式を解ける人は話をしていると能力を持ち合わせているかどうかはすぐにわかるそうです。そこでどのくらい味の方程式を解ける人がいるのか聞いてみると実際に味の方程式を解くことのできる料理人は数十人~100人に1人程度かな?と言っておられました。統計を取った訳ではなく、あくまでも主観でお答えいただきました。料理人の中でこの頻度なので、世間一般ではかなり少ない稀有な能力なのかもしれません。

ちょうど味の方程式が解けるのは、音楽家でいう絶対音感のようなものなのかもしれません。
絶対音感という比較的わかりやすい能力とは異なるので、知らない人は知りませんが味の方程式を解ける人が料理人になると流行ることができるのだと思います。
実際には料理人が流行るためには経営手法もあるため、味の方程式が解けるだけで流行るとは限りません。経営手法は後で身につけることができるので、味の方程式が解ける能力を持ち合わせている人は料理人になることを考えても良いと私は思います。

収入が増えても生活が楽にならない理由

 

常識的に考えれば収入が増えれば生活に余裕が出来、楽になるはずです。
しかし収入が増えても生活が楽にはならない人が大勢います。
その理由を考えてみます。
実は答えは簡単で収入が増えても、支出も同じように増えてしまうからです。
収入が増えたことで知らず知らずのうちに生活レベルを上げてしまうため、いつまで経っても余裕がなくて生活が楽にならないのです。
その大元の理由は多くの人が周囲の人と比較しながら生活しているからです。その比較する人が、同レベルの収入の人と比較してしまうため、生活レベルが知らず知らずのうちに上がってしますのです。
元の年収の際に比較していた人と比較すれば、生活が良くなった、楽になったと思えるのですが、無意識のうちに増えた収入と同レベルの人たちと比較してしまうのです。
人と生活を比較していなければ、収入が増えても生活が変わることは余りありません。
むしろ過去の自分と比較することで、収入が増えた分生活がよくなったと実感できるはずなのです。過去の自分と比較することなく、周囲の人たちと比較してしまうのですが、収入が増えたことで、知らず知らずのうちに比較する人たちがスライドして変わってしまうのです。このことが収入が増えても楽にならない理由です。
ちなみに宝くじに当たった人や一時的に大金を手に入れた人たちがお金を使いきってしまうことが多いのも、同じような理屈です。お金を持っている人の生活と比較してしまうことで、生活レベルが上がってしまうことで使い切ってしまうのです。

対策は簡単です。
人とは比較しないことです。過去の自分と比較するようにするのです。
それだけで生活に余裕が出きて、楽になったことを実感できると思います。
以前の自分と比較したら贅沢していることが実感できることでしょう。