都議選に思う

私は都民ではありませんが、テレビでしきりと報道されるのでふと考えたことを書いてみようと思います。

自民対都民ファーストの会という構図でした。結果は都民ファーストの会の圧勝でした。結果は結果です。都民は都民ファーストの会を選んだということです。都政だけではなく国会議員の醜聞が影響を与えたとされています。

限界を迎えつつある民主主義とは正解を選ぶものではなく、最適解を選ぶものです。正解がなければ消去法で一番ましな人を選ぶしかないのが現状です。ましな人がいなければ投票しないというのが現状ですが、今回はこれまでとは違う選択肢が別に用意されたため投票してみたというところでしょう。

本来であれば都議会は都知事の暴走を止めることを目的とする組織です。選挙という関門があるとはいえ、その都議会を都知事の考えに賛同する人達で埋めることには疑問があります。大阪で市長や府知事に賛同する政党を作って議会を動かした実績があるので、当たり前のようにみんなが受け入れていますが本来の知事・市長・議会の役割を逸脱していると私は思います。

築地から豊洲への移転を止めて知事の力を誇示し、結局何も変わらないまま移転を認めるという暴走を止められないまま都議選になったため当然といえば当然の結果です。移転を止めた都知事の目的は都知事の権力の誇示だったようです。幸い選挙に勝ったことを考えると目的は達成されたようです。国政の影響で敗れたと言い訳している落選議員もいましたが、本来の仕事である都知事の暴走を止められなかったことが原因であることは気づいていないようです。

今回の選挙で都知事の行動を都民が承認したと受け止める可能性があるので、更なる暴走が始まりそうです。何故なら暴走を止めるべき都議会の多くをとりこんでしまったからです。暴走の目的は権力の誇示と人心掌握のようなので、そのような視点で都知事の行動を見ていると面白いかもしれません。

暴走の目的が権力の誇示でも人心掌握でも私は構いませんが、政治をみんなのためになる方向に導いてほしいと思います。最終目的が私利私欲ではなく、みんなのためになる理想の政治であることを祈っています。

ググれカスとググってもカス

ググれとは、googleで調べろという意味です。
ググれカスとは、自分でgoogleで調べれば簡単にわかることを他人に聞くことをカスと表現しているようです。カスという蔑むような表現はともかく、自分で出来ることをしようとしない人に投げかける言葉です。

最近では『ググってもカス』という言葉まで出ているそうです。
『ググってもカス』には二つの意味があると私は思います。カスが人を表すか情報を表すかです。
ググっても必要な情報を得ることが出来ない人に対する言葉と、ググって出てきた情報が有益ではないことを表す言葉です。

自分で情報を得ようとしない人は論外ですが、情報の求め方次第では『ググってもカス』となるようです。
いずれも情報を探す側の知識が必要だということの現れだと思います。
一つはググり方の問題。一つはググって得た情報の検証の問題です。
ググり方の問題とは、検索するキーワードを事前に選ぶことです。求める情報を適切に出せる検索キーワードを絞り込むことが必要です。これが出来ないと必要な情報を短時間で取り出すことが出来ないため、『ググってもカス』となります。
もう一つのググって得た情報の検証とは、ググって出てくる膨大な情報の中から求める情報を探しだし、その情報が正しいかどうか自分の知識と照らし合わせる作業のことです。事前に正しいかどうか検証するための知識がなければ、ググって出てくる情報の真偽が判断できません。情報における砂上の楼閣のようなものです。出てきた情報の根拠がない、あるいは信頼性がわからない情報を元に書き込んであるものが無数に散見されます。ネット上に書き込んだ人が根拠なく空想のように思いついた情報が無数に存在するのです。書き込む目的は広告収入です。事実ではなく見てもらえることを目的としてそれらしいことを根拠なく書き込んでいる人達がいるのです。テレビが視聴率のためにいい加減な情報を垂れ流していたことが思い出されます。
患者さんと話をしていると、荒唐無稽な質問をされる方がおられるので質問の意図を聞いてみるとネットで読んだと言われます。ネットを信じておられる方はいわばネット教という宗教の信者のようなものです。時間をかけて説得しても私には説得できる自信はないため、『ネットと私とどちらを信じるかですね』として議論を避けます。
話が脱線しましたが、ググった情報がカスか意味あるものかを判断するだけの予備知識が求められる時代になっているということです。

このサイトは私がこれまで得た様々な知識を元に確かだと私が確認できたことのみ掲載してているつもりです。このサイトが正しい情報を身につけるお手伝いが出来ると幸いです。

自分がカスにならないように、またカスをつかまないように正しい情報を得る知恵を身につけたいですね。

 

目的論が国を動かす

人間の行動には必ず目的があります。
人々の多くは理由により行動を左右していると考えているため、理由を追求しますが私は無意味だと思います。何故なら理由は後付けの言い訳と区別がつかなくなるからです。理由を訊ねられた場合自分に都合の良い理由を口にするからです。つまり言い訳と理由を区別する必要があるため時間の無駄です。
余り知られていませんが、自覚しているか自覚していないかの違いはあるものの通常人は目的によって行動が左右されています。

例えば車で移動するのか歩くのかを決める際、人に理由を聞かれれば早く移動するために車で移動すると答えるかもしれません。実際にはただ単に身体が楽をするという目的で車で移動するに過ぎません。逆にわざわざ歩くことを選択するのであれば、人に聞かれると健康のためと答えるかもしれません。しかし実際には早く行きたくないからゆっくり行きたいという目的を達成するためにゆっくり移動するために歩いているに過ぎません。つまり目的はゆっくり到着することなのです。人に尋ねられても行きたくないからとは言えないからそれらしい言い訳、健康のためと答えるのです。

話が少し逸れましたが、目的論が国を動かしたことが私が知る限り2回あります。
一つは薩長同盟、一つは日中国交正常化です。
今では日本国内の薩摩と長州ですが、かつてはそれぞれ国として仲たがいしていました。その二つの国が手を取り合って同盟を結んだことで国が動きました。このとき坂本龍馬氏が間を取り持ったとされています。喧嘩している相手を結びつけるには同じ目的達成するために手を取り合ったのです。
日中国交正常化は田中角栄氏が間を取り持ちました。日本と中国が国交を正常化するという目的の元で話し合い合意を得たのです。恐らく田中角栄氏は目的を前面に出し、交渉にあたったはずです。中国からすれば過去攻め入った国との交渉ですから簡単には許すことの出来ない相手です。しかし過去は変えられません。その解釈を議論しても無意味だと田中角栄氏は悟っておられたのでしょう。

私は坂本龍馬氏、田中角栄氏は誰から教えてもらうことなく人間の考え方の真理、目的論にたどり着いていたのではないかと考えています。
しかもアドラーの心理学でいう共同体感覚に似た感覚にもたどり着いていたのだと思います。坂本龍馬氏は日本全体で考える。田中角栄氏は日本と中国全体で考えるという物事の大きな考え方ができたのだと思います。
常識の枠の外でも答えを探す天才でしたが、残念なことに二人とも天才過ぎて周囲の人達は理解しきれなかったようです。

目的論が世の中を変えることが出来ると私は考えています。
目的を話し合う世の中になってくれることを心から望みます。

自衛隊ならぬ自民隊?

以前から失言について書いていますが、今回は防衛大臣の発言が問題になっています。
都議選の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」という趣旨の発言をされたそうです。

恐らく防衛大臣ご自身は何を言っても良いのか悪いのかわからず発言されているようです。その証拠に時間をおいて取材されても、何が問題だったか記者の方に教えてもらって初めて理解されたことです。これまでも発言が軽く問題になっていましたが、今回は自分が自衛官のトップだから自民党に投票してくださいという発言にはってしまっています。自民党の防衛隊という印象を与えてしまいました。取材陣も『自衛隊ならぬ自民党の防衛隊、自民隊ですか?』と質問すればよいのではないかと思います。

更に政権は憲法改正を視野にいれています。
状況によっては自民軍にしようとしているのかと疑われてしまいます。

日本ではさすがに起こりえないと信じたいのですが、ある一党独裁国家では現実に軍隊の銃が国民に向けられ現実に死者も出たようです。某国では現実に国軍ではなく党軍なのです。

私自身は支持政党はないため自民党に対しても中立ですが、憲法改正を目指している割に防衛大臣の思慮が浅く、発言に配慮が足らないことを残念に思います。

取材陣も『防衛大臣の発言は自民隊のように聞こえますが、憲法改正で自民軍を目指されるのですか?違うのであれば、わかるようにご説明ください』と質問すると真意を引き出せるのではないかと思います。

私としては自民隊という認識をしている訳ではなく、ただ思慮が足らなかっただけの失言であってほしいと思っています。

問題発言の議員さんも元自民党でしたし、組織票による民主主義の限界が近づいているのかもしれません。