平和記念資料館に行ってきました。
本館は改装中のためリニューアルを終えた東館のみ入る事が出来ました。プロジェクションマッピングを駆使して惨状を伝えていました。その他にもタッチパネルで様々な情報に触れることの出来る端末が用意されており、短時間で多くの情報に触れることが出来る工夫が施されていました。原爆の悲惨さだけでなく戦争に至る経緯も解説されていました。
驚くことに呉も当初は原爆の攻撃対象だったそうです。その後絞り込みの際に除外されたそうです。
改めて戦争の悲惨さ、無情さ、やるせなさを感じました。
核兵器という未だ未熟な人間が手にするべきでは無かった兵器を、使ってしまった、使わせてしまった戦争という狂気について考えると悲しみが溢れてきました。
核兵器の廃絶はもちろん理想ですが、残念ながら現実的には廃絶出来ないでしょう。何故なら全ての核兵器を同時に廃絶しなければ、核兵器を廃絶しなかった国の言いなりにならざるを得ないからです。
私は武器が無い理想を追い求める国に住むよりは、警察官が拳銃により秩序を維持する国に住みたいと考えています。
核兵器廃絶が絵に描いた餅であれば、現実的にはいかに核兵器を使い得る場面を作らないかが大切です。お互いが言葉を話す人間なのですから、目的を話し合って解決策を模索するべきです。どうしたいのかという個別の要望を擦り合わせても利害が相反する場合も多いため解決策は見つからない可能性がありますが、目的論で話し合えば解決策が見つかるはずです。というよりお互いが譲歩し解決策を模索するしかありません。
人を傷付けても何も生まれません。争い自体無駄なことです。その無駄なことに命をかける意味などありません。話し合いで解決し、話し合いで解決しなければ戦争などせずに関わりを断つべきです。そうすればお互い傷付くことはありません。話し合いが出来なければ、お互いを異教徒として尊重しつつ関係を持たないようにするべきです。
二度と人間に対して核兵器が使われることが無いことを祈っています。核兵器だけでなく銃を含めた全ての武器が必要無くなることを心より望んでいます。