営業マンの仕事は自社製品を売ることではない?

について書きました。
ふと私が気づいた営業マンの方の多くの方が勘違いしていることがあります。
営業マンの仕事が自社商品を売ることだと勘違いしているのです。
勘違いしているからこそ、嘘・偽りや大袈裟に売り込むことも平気な人が出てきます。こういう人たちが営業マン全体の信用度合いを下げてしまっています。売ること・営業成績だけが『目的』だからこそ、売れれば良いのです。後で取り消しや問題にならなければ、多少の嘘・偽りや勘違いさせても、『目的』は売り上げですから問題ないと考える輩がいるのは残念なことです。
例え嘘がなかったとしても、相手を話術でその気にさせて売り込むことが良いことだと評価されるのも『目的』が自社製品を売ること・売り上げだからです。話術でその気になったとしても、それは衝動買いの要素が大きく、買った側が本当に満足しているかどうかは疑問が残ります。
本来の営業マンの存在意義とは異なり、自社商品を売ることが仕事という勘違いが、営業マンをある種胡散臭いものにしてしまうのです。商品を売りたいために良いことばかり並べがちです。お客さんが欲しくなるように営業マンが話すので、衝動買いしてしまいそうになるため警戒してしまう人が多いと思います。営業マンとしては指摘されない欠点はできれば言いたくはないので、お客さんとしては何か見落とした欠点がないか気をつけながら話を聞く必要があります。お客さんの側からすれば、騙されないというのは言い過ぎとしても後悔しないように気をつけながら買うようなものです。お客さんが気をつけなければいけないと言う無駄があるのは、営業マンの『目的』が商品を売ることだからです。営業マンの『目的』はお客さんに買ってもらえさえすれば達成されるので、お客さんの欲しいものでは無くても構わないのです。営業マンの『目的』とお客さんの満足の微妙なズレがあるのですが、多くの営業マンがこのズレに気付いていないのです。

私の考える営業マンの本来の仕事は、『お客さんの本当に欲しい商品を売ること』だと思います。一言で言えば『満足してもらうこと』です。その商品が他社製品であれば残念なことではありますが、仕方がありません。嘘偽りや営業マンの顔を立てて無理して自社製品を買ってもらったところで、無理は継続できません。1次的な売り上げが上がるだけで、関係は終わりです。営業マンが顔を出さなくなれば終わりです。
『お客さんの本当に欲しい商品を売ること』を心がけて繰り返していれば、自社製品にぴったりあうお客さんを紹介してもらえるようになると私は思います。
この考え方でいくと、相手が求めているものが自社製品と異なればそれ以上営業することはお互い無駄だとわかります。本来営業とは説得して買ってもらうものではありません。
相手の求めているものが明らかに異なればそれ以上はお互いの時間の無駄です。
自社商品を買ってもらうのが仕事だと思っていると、そこから説得が始まります。
相手が欲しい商品を買ってもらうのが仕事だとわかっていれば、相手の求めているものが自社製品と異なることがわかった時点で自社製品の特徴を伝えすぐに退散するはずです。
営業マンの考え方がよくわかることがあります。
相手の求めるものを聞かずに話始めるか、相手の求めるものをまず聞いてから話を始めるか。
相手の求めるものを確認するかどうかを見ていると、営業マンの心構えがわかります。
いきなり話し始める人はとにかく説得してでも自社製品を売りたい営業マンです。
こちらの都合を考えるつもりがあまりないので、早めに話を打ち切る方がよいかもしれません。

営業マンの存在する『意味』・『目的』

営業マンは激減すると書きましたが、営業マンの存在する『意味』・『目的』を考えてみました。
営業マンのお仕事はものやサービスを売ること。何かを売ることが『目的』です。
営業成績の良い営業マンは、言葉巧みに売り込みます。相手をその気にさせるのが仕事だと勘違いしている営業マンもいることでしょう。相手と雑談し打ち解けて信頼してもらうことが仕事だと勘違いしている人もいます。確かにその一面はありますが、その気にさせる・信頼してもらうのが『目的』ではありません。顧客に満足してもらえる商品・サービスを買ってもらうことです。
販売だけを考えてみれば、インターネットのおかげで、欲しい物を自分で選んで簡単に購入することができるようになりました。
ものの販売はインターネットで事足りるようにも思います。顧客が賢くなればなるほど営業マンの存在価値は下がると思います。ではなぜ未だに営業マンが存在するのでしょうか?
インターネットの注文を待っていてもなかなか注文がないため、会社の利益を求め少し強引にでも売り込んで売り込む必要があるからでしょうか?
営業マンにとって自分の存在意義を知らず(教えてももらえず)に、営業に走り回っているのが現状ではないかと思います。存在意義はとにかく商品を売って自分の成績を上げることでしょうか?
多くの人が誤解していると思いますが、私は違うと思います。
営業マンの存在する『意味』は、お客さん自身が気づいていない要望を引き出して、お客さんの本当に欲しい商品を買ってもらうことです。もしかしたらその商品は他社製品かもしれません。
ここで嘘や誇張などで誤魔化して自社製品を多少強引に購入してもらう営業マンもいて、営業成績は良いかもしれません。しかしそれでは『四方良し』にはなりません。そのときの売り上げはたちますが、本当の『意味』でのお客さんの満足は得られないからです。本当は他社製品が良かったけど・・・。という後悔があれば、残念ながら次に繋がる可能性はかなり低くなります。最悪なのは、後で他社製品の利点を知ってしまった場合です。最悪売り上げはたっても、結果が恨みに変わってしまいます。

一方お客さん自身も自覚していなかった要望を引き出して、本当に欲しい製品を他社製品とはいえ見つけて購入することができれば、今回は売り上げはたたなくても信用を得ることができます。今回は他社製品を買われたとしても次回は自社製品、しかも自分を指名して買ってもらう種を蒔いておくようなものです。他社製品と自社製品の違いをはっきりとお客さんに伝えておくことにより、お客さんがお友達を紹介してくださる種を蒔くこともできます。
大切なことはお客さん自身もまだ気づいていない要望を適切に引き出すことです。これはインターネットにはまだできないことだと思います。ここに営業マンの存在する『意味』や『目的』があると思います。(私は個人的には、残念ながらそう遠くない将来インターネットでも適切な要望を引き出すことができるようになってしまうと思っています。一人の天才が仕組みを作るだけで、みんながその仕組みを利用するようになるからです。)
こんな甘いことを言っていては商売は成り立たないと思われる方も多いと思いますが、この考え方なら関係がどんどん繋がっていきます。多少強引でも売り込むやり方だと買った人にわずかでも後悔が残るので、関係は閉じていきます。
どちらが長期的に発展できるか私は明らかだと思いますがいかがでしょうか?

営業マンが激減する話

周りでもリストラが進んでいたりして既に気づいている人も多いですが、今後営業マンが激減すると思います。
何故なら商品を選ぶための情報をお客さんが自分で容易に探すことができるようになったからです。自分で欲しいものを探すことが以前よりはるかに簡単になったので、営業マンは必要なくなりつつあるのです。
元々営業マンの仕事は自社商品の情報提供でした。カタログに載っていない情報や魅力・使い方を伝えることが一番の仕事でした。そこに人間関係を構築して浪花節的な昭和の営業で、営業マンの顔を立てるとして商品を購入していました。そして営業マン自身の信頼を獲得することが売り上げにつながっていました。
情報が今ほど行き渡っていないこともあり、営業マンの役割は大きなものがありました。
しかしインターネットが発達した今の世の中では、欲しいものがあればまずキーワードを入力しインターネットで検索します。自分の欲しい商品は何なのかをまず確認するのです。逆に言えば自分で検索する程度ほど欲しいものでなければ大して必要がないということです。その大して必要とはいえないものを売りに来るのが買う側からした営業マンという認識です。
確かに自分でも気付かなかった欲しいものに営業マンが気付かせてくれることはあるでしょう。しかしそのようなケースは極めて稀で、本来なら買わないもの・なければなくてもすむものを営業マンにのせられて買うことになると買う側が認識しつつあります。
このことに多くの人が気付きつつあるので、最初から営業マンと話をしたがりません。欲しいものをゆっくり選ぶことのできるインターネットで知りたい情報を探すようになるのですから、ますます営業マンの仕事は減ってしまうと思います。インターネットで買うことができなければ、ようやく営業マンと話をすることになります。インターネットで買うことができれば、そのままインターネットで買ってしまうと思います。
インターネットから買うことができない車や薬などはまだ営業マンの仕事は残っていますが、営業マンに求められていることはかなり変わりつつあると思います。家電に関しては営業マンの仕事はインターネットにかなり奪われているようです。
そのことに既に気付いている人と気づいていない人。その差はこれからますます大きくなっていくと思います。

恒常性の話 バランスを崩す理由

本来は身体に恒常性を保つ仕組みが備わっているはずである。

身体の水分量が少なくなれば、喉が渇くことで身体が水分摂取を促します。体温が上昇し始めれば、暑いと感じ汗をかきます。

体重と塩分量も恒常性が保たれるはずである。体重が増えれば減らす方向つまり空腹感を余り感じさせないように、体重が減れば増やす方向つまり空腹感を強めることで体重の恒常性が保たれるはずです。塩分量が増えれば減らす方向つまり塩辛いものを避けて薄味を好むようになり、塩分量が減れば増やす方向つまり塩辛いものを好むように恒常性が働くはずです。

自然界で動くのに苦労する程太った動物というのは見たことがありません。何故なら太り過ぎると動きが悪くなることで、他の動物に食べられてしまうため子孫を残すことが出来ないからです。遺跡で発掘された調査によると、人間も太古の昔に木の上で暮らしていた頃には肉食動物の獲物でした。太り過ぎると死を意味していたはずです。太り過ぎるた人間は肉食動物に食べられてしまうため、子孫を残すことが出来ず太り過ぎない遺伝子を持ったものだけが子孫を残すことができたことが考えられます。
そう考えると理論上は肥満で困ることはあり得ないはずです。

猪は秋にドングリなどを大量に食べることで冬を乗り切るための脂肪をつけますが、動きが悪くなる程食べることは考えられません。太ったとしても食料の少ない冬を乗り切るためという合理的な目的がありますし、動きが悪くなることを避けるため無制限に食べるわけではありません。

水族館でサメと餌とな魚が同じ水槽にいてもサメが満腹なら次々目の前の魚を襲ったりはしない。サメにエサを十分に与えることでサメに食べられることなく、同じ水槽で展示できるのです。

では人間やペット化された動物が肥満で悩まされるのは何故でしょうか?

これまでは自制心の問題で食べ過ぎることが原因と考えられてきました。肥満で悩む人と悩まない人との違いは自制心の違いとされてきたのです。

糖質と塩分には食べた際に快楽が与えられる。スイカに塩やパンにバターが美味しく感じるように、糖質と塩の組み合わせをこの上ない美味と感じるように進化しているようです。その美味という快楽に知らず知ららずのうちにのめり込んで依存状態に陥ってしまっているのです。

スナック菓子のやめられない止まらないは糖質というよりむしろ塩気に対する依存ともいえる執着の結果を表していると思います。

自制心の問題ではなく、食べるものの選択の問題だったのです。
バランスをとる恒常性を崩してしまうのが、依存という状態でのめり込む方にバランスを崩してしまうのです。脳が自分自身を騙しているような状態です。メカニズムを理解することで騙されない方法を探すことができます。
知恵をつけて恒常性を取り戻しましょう。
恒常性を取り戻す糖質回避教のすすめはこちらです。
お布施や怪しいグッズ販売はありません。

糖質制限で痩せる理由 糖質の代謝

糖質は優先的に消費されると思います。
何故なら

  • 血糖値の上昇は体を傷つける
  • ブドウ糖は炭水化物・脂質に比較してエネルギー効率が悪いから
    上記理由で出来るだけ先にブドウ糖から消費する方が長年の自然淘汰を生き抜く際、生存に有利だったはずです。使い切れないブドウ糖はやむを得ず皮下脂肪として蓄えられます。

脂質やタンパク質に比べてエネルギー効率が悪い上に、大量にあると毒性を示す糖質は動物にとって望ましい栄養ではありません。そのため糖質を食べると毒性を示す前に先に消費されるほうが自然淘汰を生き抜く生存競争に有利だったはずです。
エネルギー効率の石炭と効率の良い石油があれば、蓄えるなら石油で効率の悪い石炭は蓄えずにさっさと使おうとするはずです。その上蓄えると石炭には毒性があるとなれば、わざわざ石炭を蓄えておく理由が見つかりません。とにかく効率の悪い石炭を早く使ってしまおうとするのが合理的です。
糖質と脂質・タンパク質の間でも同様の選択圧が進化の過程で起こったことが想像できます。

当初は脳細胞はブドウ糖からしかエネルギーが得られないと考えられていたことも、糖質が人間の食事には不可欠との誤解を深める一助となってしまいました。
(脳細胞はケトン体からもエネルギーを得ることができる)
糖質がなければたんぱく質や脂質からエネルギーを得ることになります。ただしたんぱく質は筋肉などの身体を維持することにも使われるので、食べたたんぱく質が全てエネルギーに変わるわけではありません。
糖質制限は、優先的に消費されるはずの糖質を食べないので、食べたタンパク質や脂質とともに皮下脂肪も消費されやすいのだと思います。
糖質依存による食べ過ぎ効果が無くなることと相まって容易に痩せることが出来るのだと私は考えています。

糖質制限の本家の江部先生の理論と、夏井先生の理論もそれぞれご参照ください。
参考文献は以下の2冊です。
 

現代の脚気?食べ物による病

今では珍しい脚気も当時は原因不明の病気でした。
大都市の江戸に多くみられたため『江戸患い』と言われたこともあったそうです。
原因はビタミンB1の不足による疾患で、心不全と末梢神経障害が認められます。
大正時代から戦前には脚気による死者が1万人以上だったとも言われています。
今考えればビタミンB1を取れば良いので、精米された白米ではなく精米されていない玄米を食べることでかなり予防出来たはずです。当時は知識が無かった訳ですから仕方がありませんが、美食のために玄米を白米にするという、栄養をわざわざ削ぎ落として病気を引き押した訳ですから正しい知識が大切なことがよくわかります。現在ではビタミンB1が不可欠だという『知識』が一般化され、ビタミンB1そのものが製剤化されておりますので先進国で脚気を発症する可能性は極めてまれです。

人間の体に不可欠な栄養素であるビタミンB1を『知識』不足からわざわざ取り除いて食べるようになってしまったため、脚気という病気を引き起こしてしまいました。このことを『知恵』として人類で共有することで、今でも偏食により脚気を生じることがあるものの、以前に比べると激減させることができました。
ビタミンB1が人間の体にとって不可欠のものという『知恵』によって、脚気という病気を激減させることができたのです。(そもそも美食の追求せず、バランスよく食事をしていれば脚気を生じなかったという意見もあります)

現代の脚気とは何を意味するのでしょうか?
確かに脚気は現代でもなくなっているわけではありませんが、『知識』のなかった時代に比べると命に関わる可能性は限りなくゼロに近いと思います。
ここで表現したい現代の脚気とは病気に対する『知識』がないために、食べ物によって引き起こされる病という『意味』です。
現代の脚気が実は『知識』がないために蔓延しているとしたらいかがでしょうか?しかも特別な病気ではなく、貴方の周りにも普通に患者さんがいて、もしかしたら貴方自身も悩んでいるとしたらいかがでしょうか?ただ単に正しい食べ物の『知恵』がないだけで悩んでいるとしたらいかがでしょうか?

30年後には人々の食生活は劇的に変化し、現代の食生活は30年後には信じられないものを『知識』がないだけに平気で食べていたと驚く時代が必ず来ると私は思います。
ただし脚気と現代の脚気には大きな違いがあります。脚気はビタミンB1という栄養不足、現代の脚気は特定の食べ物の取り過ぎという栄養過多という違いがあります。

現代の脚気とは糖質を大量に食べることに由来する『肥満』、『糖尿病』です。もしかしたら『高血圧』も関連しているかもしれません。
人類の発展の歴史から間違って糖質を主食にしてしまったために、糖質に騙されてついつい食べ過ぎてしまって誰でも『肥満』になる可能性を秘めています。『糖尿病』はそもそも糖質を主食にしなければ血糖値が上昇することはないので、発症しません(2型糖尿病の場合)が、人によって耐糖能(糖質に対する対応能力)が異なるため、個人の体質によって引き起こされると勘違いされていたのです。
これらの疾患もかつての脚気のように食べる物を適切に選ぶという『知恵』さえあれば、容易に予防することができます。まさに脚気と同じように『知恵』により激減させることができるはずです。適切な『知恵』を手に入れるだけです。このサイトは適切な『知恵』を風として広めることを目的としています。

この理屈が面白いと思われたら、糖質回避教のすすめ ~炭水化物を避ける知恵~もごらんください。
病気や生活に役立つ適切な『知恵』を手に入れるお手伝いができますと幸いです。

アレルギーが治る可能性(仮説)

少なくとも2型糖尿病とダイエットには効果が期待できる糖質回避ですが、もしかしたらアレルギーなど原因が特定されていない様々な病気の原因なのではないかと考えました。その元となったのは尋常性乾癬やアレルギーが治ったと江部先生が報告されていたことです(参考文献:医療の巨大転換(パラダイム・シフト)を加速する―糖質制限食と湿潤療法のインパクト)。尋常性乾癬とは皮膚の角化・成熟するスピードが早まることで炎症が起きていますが、その原因は特定されていません。

原因が不明の病気が糖質制限することで改善するのは、何らかの形で糖質が病気を引き起こしており、その糖質をとらないことで治ったと考えられます。糖質を取ること自体が一因だったと考えるのが自然です。

糖質を取ることが原因となりえるとすればタンパク質の糖化によっておこる糖化産物が何らかの影響を与えると仮説を立てました。
糖化産物が免疫機能を亢進させる何らかのスイッチを押すことで、本来働かないはずのものに対して免疫機能を発揮することでアレルギーを生じている可能性を考えました。この仮説の真偽を証明することは非常に困難です。しかし証明は困難でも患者さん個人で糖質回避で病気が治るかどうかを試してみていただくことは簡単だと思います。

これまで血糖値が高いままだと糖尿病という病気になることはわかっていますが、糖質を食べることによる血糖値の日内変動での病気の報告は特にありません。特にありませんが、血糖値の濃度に応じて糖化産物が生成されているのは間違いない事実です。その糖化産物が何も問題ないのか、もしかしたら大問題を起こすのかは現時点ではわかりません。もし糖化産物が免疫機能に影響を与えアレルギーや様々な疾患を引き起こすと考えると、辻褄があう部分があると思います。
糖質に対するアレルギー反応を起こすことはまれにありますが、糖質を食べることが糖化産物を介してアレルギーを引き起こす引き金・原因の可能性を考えました。

この仮説の真偽の証明はかなり困難ですが、簡単な確認方法は患者さんに糖質回避をしてもらい、治るかどうか試してみてもらうことです。もしこの仮説が正しければ2型糖尿病、ダイエットの方だけでなくアレルギーの方も糖質回避を試してみる価値は十分あると思います。
ご興味があれば糖質回避教のすすめをご覧ください。

糖化産物が免疫機能に対して影響を与えるのであれば、仮説の域を出ませんが免疫機能を亢進させればアレルギーになり、免疫機能を抑制すれば慢性感染症(ニキビ、慢性副鼻腔炎、扁桃炎、尋常性疣贅など)や悪性腫瘍を許してしまうのではないかと思います。

糖質依存という糖質の魔法

糖質依存とは糖質をついつい食べ過ぎてしまうことを依存症の診断基準に照らし合わせて検証したものです。
妙に納得できることが多いので間違いないとは思います。
しかしみんながみんな当てはまるのですから、実際には病的な依存というよりは生理的なもの(病気とは言えない正常な体の仕組み)と考えることもできます。正常な体の仕組みかもしれないとはいえ、依存の考え方で糖質に対する欲求を考えると理解しやすいと思います。
ではどのように考えるとよいのかというと、糖質依存とは糖質に人類が騙される魔法にかかっていると考えるとわかりやすいし、受け入れやすいのではないかと思います。
糖質に騙される魔法により、人はついつい糖質を食べ過ぎてしまいますし、なかなかやめられないのです。この魔法は途中でやめるというのが難しいので、少しだけ食べて我慢するのが一番つらいと思います。1回の食べる量を減らすのではなく、食べるのか食べないのかとはっきりしがほうが魔法から抜け出しやすいようです。いきなり3食やめるのは勇気がいると思いますから、1食ずつやめて様子をみながら2食、3食とやめていくのが理にかなった回避法だと思います。
私はこの知識がなかったので、ダイエットでご飯を半分にするというダイエットを1年しましたが、ものすごく辛く感じました。ご飯をやめるとそれほどつらくはなく、2週間でご飯を食べたいという感覚がなくなりました。魔法がとけたのだと思います。

糖質が糖質自らの発展のために、人類を騙して過剰に食べさせるように魔法をかけたということです。人類は自覚のないまま糖質の魔法にかかることで過剰に食べるようになり、栄養状態が改善することで急速に発展することができました。結果として糖質も大量に栽培されることで増えることになったので、糖質も人類に依存しているとも考えることができると思います。

糖質の魔法により人類は満腹以上に食べるように糖質に騙されてしまう上に、強烈な空腹感という禁断症状を起こさせることで定期的に糖質を食べるように呪いがかけられているようです。

糖質が人類にかけた魔法の存在に気付き、魔法に対する対策を考える時期だと思います。
糖質は人類の発展には非常に寄与してくれましたが、その魅力の裏に隠された危険性(依存性があり自己制御できない状態にしてしまうこと。糖質自体による毒)も理解した上で時折食べるご褒美として上手に付き合う方法をこれから考える時期にきていると思います。

人類の歴史を遡って考えると、人類の発展のきっかけとなった農耕も糖質が罠を仕掛け、人類に始めさせたものと考えると少し怖い気もします。人類が糖質の魔法による強い欲求を満たすために行った品種改良も、実は糖質が自らの発展を狙って人類を操っていたと考えると少しぞっとしました。

実際には糖質の美味しさに人類が気づいたことで、美味しさを味わうという快楽を得るために必死で工夫した結果だと思います。
魔法に憑りつかれてしまわなければ糖質を楽しむことは人生を豊かにします。
糖質の魔力を理解して、上手に美味しく付き合いましょう。

もしよかったら糖質回避教のすすめをご覧ください。

2015/6/13 呉からの風

糖質回避で高血圧が治る?塩分依存?

糖質回避をすることで様々な病気が治る可能性があります。
血糖値を上げる唯一の栄養素の糖質を避ける理屈からいって2型糖尿病は間違いなく効果が期待できると思います。

高血圧も治る可能性が十分あると思います。
何故なら高血圧は塩分の蓄積により血管内の水分量が増えることで血圧が上昇してしまう病気です。減塩が叫ばれてはいますがなかなか実践できない方が多いようです。
糖質依存とともに塩分依存にも陥っているのではないかと思います。
塩分依存とまではいえないのかもしれませんが、元々甘味のある糖質の甘味を打消して美味しくいただくために塩分を過剰摂取しているのではないでしょうか?つまり糖質と塩分の共依存の関係なのではないかと思います。(医学的な共依存とは少し違うかもしれません)
もしくは塩分依存の方もおられるのかもしれません。
(依存症の診断基準はこちらでご確認ください)
糖質を食べ過ぎることで膵臓が酷使され疲弊して対応しきれなくなったのが糖尿病とすると、高血圧は塩分の過剰摂取に腎臓が排出しきれなくなって蓄積されてしまったのが高血圧と考えることができます。同じような食生活をしていても血糖値が高くなってしまう人もいれば、血圧が高くなってしまう人がいることが、問題をわかりにくくしてしまいました。みんながみんな高血糖や高血圧になっていれば何か原因を探しやすかったのですが、個人差があるため体質の問題だと考えられて治療法が模索されたのです。塩分の過剰摂取がなくなれば高血圧も改善するのだと思います。
糖質と塩分の関係に気付いたのは健康診断の結果です。高血圧はないので別段減塩は気にもしていませんが、1日塩分摂取量は4.8gでした。恐らく減塩に気を付ければ3gも可能だと思います。ではなぜ塩分摂取量が少ないのか考えてみました。元々人間が生きていくうえで必要なものなので、好んで食べるように美味しく感じる味覚が備わっているはずです。しかし取りすぎてしまうのは糖質の場合と同じように、脳が騙されて取りすぎてしまうのではないでしょうか?
糖質依存の兼ね合いで糖質を取りすぎてしまう際、糖質の甘味を打ち消す目的で塩分が過剰に食べられるのだと思います。つまり糖質依存による糖質の取りすぎの副産物が塩分の取りすぎということです。

塩分を控えるようにいわれてもなかなか実現できないのは、糖質を食べながら塩分を抑えることが困難だからです。糖質は依存状態なので抑えることが困難なのです。
実際には塩分に対する依存もあるのかもしれないと思うのはあるお菓子のキャッチフレーズです
『やめられないとまらない』という塩味の聞いたお菓子は確かに食べ始めると止まらなくなります。途中でやめられないのは糖質に対する依存なのか塩分に対する依存のせいなのか明確な線引きは困難だと思います。いずれにしても糖質と塩分の依存(魔法と言い換えてもよいと思います)によって高血圧になっている可能性があると思います。
糖質依存に連れられて知らず知らずのうちに塩分も過剰摂取してしまっているのでしょうか?

そう考えれば塩分を控えるために糖質依存から脱するというのは非常に理にかなった考え方ではないでしょうか?
元々糖質制限を広く世に広めておられる江部先生夏井先生が、糖質制限をすると高血圧も改善するといわれているのですが、その理由は上記理由によって実現できているのだと私は思います。
確認するためには高血圧が治った患者さんの1日塩分摂取量を検査してみるとわかると思います。糖質制限前後の1日塩分摂取量が比較できると面白いかもしれません。

2015/6/13 呉からの風

糖質依存の概念の特徴

糖質依存の考え方の特徴・画期的なことは、糖質制限・糖質回避をしていることで生じる現象をわかりやすく人に解説できるようになりますし、理解することができることです。
例えばしばらく糖質制限・糖質回避をしていると糖質に対するこだわりや執着心がなくなります。糖質依存の概念で解釈していみると糖質依存を抜け出せば糖質に対するこだわり・執着心がなくなるのは当たり前のことです。依存の特徴そのものだからです。
糖質を避ける際、糖質をやめたくない欲求が頭に浮かび、この糖質を求める欲求をこれから先、抑え込まないといけないと考えると辛くなります。一生この欲求を抑えることを考えると、途方に暮れてしまうのです。更に執着してしまう心理が働くのです。
糖質依存の概念で解釈すると単純明快で、見通しを伝えることができることが特徴です。
糖質をやめがたい欲求を感じるのも、糖質をとらないと不安に感じるのも糖質依存のせいだという考え方です。つまり依存状態を抜け出せば、糖質に対する執着心が無くなるため、あれだけ食べていた糖質にこだわっていた自分が嘘のように感じることができます。糖質を食べたい欲求は依存から抜け出すまでの一時のことです。
依存から抜け出すまでの期間は個人差があるとは思いますが、私の周辺では依存から抜け出すのに、早い人で3日、私は2週間、家内は3週間。別の知人は1カ月経ってもまだ糖質食べたい欲求は続くらしく、個人差が大きいようです。
依存度合い(糖質に対する執着度)に応じてこの期間は前後する可能性があります。執着心が強いと抜け出すのに時間がかかり、執着心が弱いと抜け出すのに時間がかからない可能性があるということです。もしかしたら依存度は標準体重との乖離度と相関があるのかもしれません。
糖質制限・糖質回避がうまく続かない方の場合、糖質依存の概念で解釈すると失敗の原因を見つけることができるかもしれません。
ある方から糖質回避をしているけれど、体重が減らなくなったとお伺いしました。頑張っているけど減らないとのことでしたが、お話しているとポテトを食べておられました。主食は気を付けて避けておられたようですが、根菜類の罠にはまってしまわれたようです。知らないうちに糖質を続けておられたので依存から抜けられず、つらい状態が続いておられたようです。

糖質制限の詳しい方法は私も参考にさせていただいた糖質制限の提唱者の江部康二先生の著書をご参照ください。様々な食品中の糖質量の記載があるので糖質回避には大変参考になります。