怒りとの上手な付き合い方

怒りとの上手な付き合い方を考えてみます。怒りは感情なので心の中で感じてしまうことは仕方ないのかもしれません。しかし怒りとして感情を人にぶつけるかどうかは別問題です。つまり怒りを感じるのは仕方なくても、表に出すかどうかは別問題です。

まず怒りは何らかの齟齬が原因で生じるものです。こちらの常識が相手の非常識であったり、相手の常識がこちらの非常識であったりです。こちらが当たり前だと思い込んでいることが、相手にとっては初耳であったり、概念すら無かったりするのです。怒りを感じる場合、相手に何かが抜け落ちている可能性が高いのです。よくあるのは、言ったのに理解していないと怒る場面です。言った側は言ったつもり、言われた側は何となくわかったつもりで認識に齟齬があるのです。伝えようとした内容がキチンと伝わったか確認することを怠ると、お互い齟齬があることを知らないまま過ごします。そして何かあった場合、言ったのにしていないと怒り出すのです。

一つの提案は何が抜け落ちて怒りを感じるのか、客観的に見極めることです。怒りの感情に流されると冷静な判断が出来なくなります。そして怒りのまま、伝えようとしてもなかなか真意が伝わりません。結局伝わるのは不快な感情を感じていることだけです。怒ったところで、犬が吠えるのと大して変わりません。怒っている内容が感情に歪められて、客観的に伝えられないからです。

相手に何が抜け落ちているのかがわかれば、抜け落ちていることを伝えるだけで済むはずです。いかに当たり前なことであっても知らないのであれば仕方ありません。知らないことを教えてあげれば良いのです。知らないのですからどれだけ怒られても、理解出来ません。つまり怒るこもは無意味なのです。

怒りとの上手な付き合い方

怒りを感じるということは、相手が何か知らないか理解出来ていないことがあるのです。怒りとの上手な付き合い方は、怒りを感じた時点で何が抜け落ちているのか探すきっかけにするのです。何が抜け落ちているのかわかれば、怒ることすら馬鹿らしくなるようなことかもしれません。逆に相手の怒りに対しては、自分に何が抜け落ちていたのか探すのです。相手の主張と自分の持っている情報の齟齬を探すのです。何が抜け落ちているのかわかれば、その齟齬を解消するようにすれば良いだけです。相手が怒る時点で不快な感情を抱いていることだけはわかります。しかし怒りに任せて感情をぶつけられても何に対して怒っているのか理解出来ないことが多々あります。何が抜け落ちているのかを見極める視点で、相手が怒っている理由を聞き出し、抜け落ちていることを探すことをお勧めします。

怒りという感情を利用して人を支配しようとするのは幼稚です。発想は赤ちゃんと同じだからです。怒りとの上手な付き合い方を身につけましょう。

借りたお金を増えたと錯覚してしまう心理

借金で苦労する人もいれば、借金は絶対しないという人もいます。借金は金利も含めて返すことの出来るのであれば、自己責任ですから他人がとやかく言うことではありません。しかし借金を重ねる人の中には、借金することが出来た時点でお金が増えたと錯覚してしまう心理があるようです。返済に追われていると冷静に判断することが出来なくなってしまうこともあるようです。その際も返済するお金を新たに借りることが出来ると、返済した気になってしまうのです。何ら返済はしておらず、冷静に考えれば借金が増えて金利も増えているのです。新たに借りる労力が、返している錯覚に陥るようです。

家のローンでも同じです。お金が増えたかの感覚で、ローンの支払いは家賃のような錯覚に陥ります。確かに家のローンの場合は家の価値の分通常の借金と異なりますが、借金という意味では同じです。借金が支払うことが出来なく場合、担保である家を差し出しても借金は相殺される訳ではありません。家の価値が中古で目減りした分、借金だけが残ってしまいます。ここにも落とし穴があるのです。担保があるから家を差し出せば、借金は無くなると錯覚している人がいるのです。他国では借金と引き換えに担保を差し出すことで、帳消しになるようです。日本ではそうななっていないため、住宅ローンで破産してしまうことがあり得るのです。

借金は金利の分だけ余分に支払う必要があるのですが、お金を使うことに喜びを感じると借りてでも使いたくなるようです。そしてお金を借りることが出来た時点でお金が増えた錯覚に陥るので、しっかり使ってしまうのです。後で支払うのですから同じことですし、金利の分だけ損なのですが、お金が増えた錯覚で得した気分になるのです。

ちなみに一説によると、クレジットカードの取り扱いは20%売り上げを伸ばすそうです。一回払いなら金利は販売店の負担で消費者の負担がありません。一ヶ月とはいえ無金利の借金をしているのと同じことです。しかもポイントがつくので逆金利のような錯覚に陥ります。そうすると財布の中からお金ぎ減らないため、お金が増えたと錯覚し財布の紐が20%も緩むそうです。だからお店はクレジットカード会社に5%程度の手数料を支払っても売り上げが伸びるので、喜んでクレジットカードを取り扱うのです。実はお客のためではなく、売り上げを伸ばすためにクレジットカードの取り扱いをしているのです。

これらの心理を理解し、借金の罠にはまらないようにしましょう。

人は肩書きで情報の真偽を判断する

人は肩書きで情報の真偽を判断しがちです。弁護士が言っているから確からしい。医者が言っているから確かだと思う。大学教授が言っているのだから間違いないといった具合です。

判断する基準が明確ではないため、肩書きで情報の真偽を判断してしまうのです。弁護士だから正しいとは限りませんし、医者だから正しいとは限りません。大学教授が言っていることが正解とは限りません。確かに何の肩書きもない人の発言よりは信頼出来る可能性はあります。何故なら弁護士や医者、大学教授になる前に選別を受けているからです。注意が必要なのは弁護士や医者、大学教授になるための選別であって、その後の発言すべてを肩書きが保証している訳ではないことです。

いくら肩書きが立派でも、個別の発言はその人個人の見解の域を出ない可能性があることを知っておく方がお得です。その人が正しいとは限らないのです。学会などで多くの人が認めていても、最終的な真偽は実は自分で判断するしかありません。

このサイトで糖質のことや、様々な病気が治ることや糖質依存などの考え方を提唱しています。私は医者であることは公表していますが、所属や名前は公表していません。誰が言ったとしても真実は一つです。私が誰であろうとも、真偽に関係はありません。真偽はご自分で判断してもらえば良いと考えています。

医者などの専門家が必ず正しいと考えるのは間違いです。何故なら専門家といえど人間なので、損得を考える人が多いからです。損になることは言わない可能性が高く、自分自身の利益になることを言っているだけかもしれないのです。全員が全員、損得だけで行動する訳ではありませんが、専門家の中にも損得で行動する人が混じっていることを知っておいても良いと私は思います。特にテレビに出る専門家の人達は目的が正しいことを伝えるよりも視聴率を取ることに傾いている可能性があることも知っておいても良いかもしれません。

いずれにしても、専門家と言われる人達の発言を肩書きによって信じ込んで鵜呑みにはせず、自分自身で判断するようにする方がお得です。良かったらそのように考えてみて下さい。

都知事と都民のすれ違い

私は都民ではありませんが、余りにもテレビやネットを賑わせているのでふと思ったことを書き留めておきます。以前には第三者という言い訳という書き込みをしました。要点はお得意の第三者という言葉を使って、「都政はいつ第三者にみてもらうんですか?」と質問することをお勧めしています。

今回は都知事と都民のすれ違いを考えてみました。都知事はやめないことが前提でやめなくて済む方法を模索しています。時間稼ぎしながらやめなくて済む方法を必死で探しています。当初ボーナスをもらうまでの時間稼ぎだと思っていましたが、どうやら何があっても何を言われてもやめないことを決めているようです。だから何を言っても馬耳東風です。

第三者にみてもらった違法性は、虚偽や架空のものがなかった、詐欺には当たらないことを確認したようです。これを胸を張って主張出来るのですから、最も「政治家」にむいている人なのかもしれません。

都知事はやめないことを決めて、やめなくて済む情報を集めています。

都民は出てきた事実を判断して都知事に相応しくないと考えています。事業主が都知事と同じような不適切なお金の使い方をしていれば脱税として摘発されるのではないかと思います。だから怒る人が多いのです。

都民は一つ一つ物事を判断してやめざるを得ないのではないかと考えます。

都知事はやめないことが前提で、都民は出てきた情報から判断している。そもそも都知事は何があっても辞める気がないので、感覚のすれ違いを生じているのです。誰かこのすれ違いを埋めて下さい。そうすればテレビやネットが静かになりますから。

第三者という言い訳

第三者という言葉がテレビを賑わせています。都知事の釈明会見が第三者という言い訳をした弁護士により行われました。第三者とは言葉だけで、報酬は都知事が支払うのですから都知事の弁護士でしかありません。だから言い訳なのです。

弁護士なのですから弁護するのが仕事です。客観的な視点ではなく、都知事を弁護する視点で依頼人の不都合なことは黙秘権と同様に開示出来ないはずです。

違法ではないが不適切だと表現するのは、完全に合法とは言えないため反省すべきところがあることを認めることで司法の判断を回避することを目的としているようです。

自分のお金の使い方を他人である第三者に見てもらわないと判断がつかない人が、税金の使い方を決めることが出来るとは思えません。私なら第三者という言い訳を逆手にとって「都政はいつ第三者にみてもらうんですか?」と質問を投げかけます。自分のお金の使い方がわからないくらいだから、都民のお金の使い方がわかる訳がないというポイントをつく指摘です。お得意の「第三者」という言葉を都政に使うと、それは辞任を意味するので言えないはずです。誰か取材する記者か都議会議員に「都政はいつ第三者にみてもらうんですか?」という質問を伝えてあげてください。多分都知事は固まると思います。

私は都民ではないのでとやかく言う立場にはありませんが、これだけテレビ・ネットで第三者という言い訳が蔓延るとコメントしてみたくなりました。

ちなみに都議会議員がこれ以上追求しなければ、自分達にも不適切な支出があるため追求出来ないことを表します。都議会議員の動向も楽しみに見守りましょう。

世の中の仕組みを知る

生きていく上で大切なことは世の中の仕組みを知るということです。仕組みには様々なものがあります。人間の作り出した法律も国の仕組みですし、重力など自然界の法則も自然の仕組みです。その仕組みを知らなくても生きていくことは出来ますが、仕組みを知らなければ、上手に利用することは出来ません。仕組みを知ることで、どのように変えることで結果が変化するかがわかります。仕組みを知らなければ、変えることによって何が起こるかわからないのです。

例えば法律の仕組みを知らなければ、いつの間にか犯罪者とはいかないまでも、思いもしないような交通違反などで捕まってしまうかもしれません。踏切などの一時停止は車やバイクの車輪の回転が完全に停止しなければ、違反となります。このことを知らないと、左右の確認が出来たからゆっくりと進むと違反とされます。一時停止の目的が左右の確認ではなく、車輪を一端止めることだという法律の仕組みを知らなければ陥る罠のようなものです。法治国家に住んでいる限り法律はみんなが守るべきものです。法律の仕組みをキチンと知らなければ、違反とされるのです。私はバイクでの一時停止は車輪が完全に停止し、片足をついた状態になるということを知りませんでした。警察官は車輪が完全に停止しているかどうかを見ているのです。

自然界の法則では黒い衣服は太陽の光を吸収するので夏には不向きですが、冬には暖かく有効です。このことも色により太陽の光の吸収具合の仕組みを知ることで、暖かい日には白い衣服、寒い日には黒い衣服の方が過ごしやすいことがわかります。

私達の周囲には様々な仕組みが隠れています。特に自然界の仕組みは人間が生まれた時点で存在するため、意識しなければ存在することにすら気付くことが出来ないのです。物が下に落ちるのが当たり前で、仕組みを考えることをしなければ重力は理解出来なかった。仕組みがわかったからこそ様々な応用が出来るようになっています。

人々が様々な仕組みを知ることが勉強です。実際には勉強という表現は適切ではありません。勉めて強いられるものではないからです。より快適に生きる目的でお得な知識を得るのです。その一つとして様々な物事の仕組みを知ることが大切です。仕組みを知らなければ損をします。損をしないために様々な仕組みを出来る限り知りましょう。

日本の労働生産性が下がった理由

日本の労働生産性が他国と比較して下がりつつあります。かつては世界を牽引する勢いだった日本経済は日に日に衰退しているようにも思います。

その理由を考えてみます。
私はその一端はサービス残業を認めているからだと思います。何故なら賃金が変わらず、労働時間が伸びるので生産性が下がります。
お金を支払う必要が無いと仕事を減らそうとは思いません。逆に賃金が変わらなければ、更に仕事を増やそうとします。必要性の有無を考えるのが面倒なのでとりあえず同じ仕事をさせようとします。どんな意味があるのかわからないからやらせるのです。どうせ賃金が変わらないのでやらせれば良いと考えるのです。賃金を支払うのであれば、無駄なことはしません。コストに跳ね返るからです。無駄は省きます。働いても賃金が変わらないのは、多くの国で失敗している社会主義と何ら変わりません。だから労働生産性が落ちるのです。当たり前といえば当たり前のことです。日本は資本主義の枠組みの中に、こっそりと社会主義を導入してしまっているのかもしれません。その結果伸び悩んでいるのではないでしょうか?そう考えると、サービス残業は誰が得をするのでしょうか?誰も得することなく、経済が衰退しているのです。一見すると企業は残業代を支給しなくて済んでいるので、得をするように見えますが、結果として損です。何故なら賃金を支払うなら絶対しないような無駄な作業が増えたにもかかわらず、削減しないからです。賃金に見合わない仕事を続けるだけで労働者の貴重な時間を奪うのです。無駄な作業に時間を奪われ疲弊し、必要な仕事に時間を割くことが出来ないのです。企業も損をして、労働者も損をする。最終的には顧客も損をする。そんな三方皆損な仕組み、早くやめさせれば良いのに、国は逆に舵を切ろうとしています。物事の仕組みを理解せず、目先の利益(実は利益にならないのですが理解できません)を優先してしまいます。ホワイトカラーエグゼンプションなどという企業の目先の利益のための法案が審議されています。更に労働生産性を下げたいようです。

日本の労働生産性を上げるためには、サービス残業は一切禁止し、全ての残業代を支払うべきです。残業代を支払うことで企業は費用対効果を考え方、無駄な仕事は削減します。そして残業の多い人の仕事は、残業の少ない人に仕事を割り振るのです。わざと残業代を稼ごうとする人の逃げ道を塞いでおくのです。残業時間ぎ多い人は労働生産性が低いのかもしれません。労働生産性の高い人に仕事を割り振る方が企業全体での生産性が向上します。

残業代を支払わないから、良く考えもせずこれまで通りの無駄な仕事を押し付けていませんか?

人が手抜きや楽をする理由

人は手抜きが出来れば手抜きを、楽が出来れば楽をします。
その理由、目的を考えてみます。
手抜きや楽は近道をするようなものなのです。

近道があるのに意味もなくわざわざ回り道をする人はいません。手抜きや楽をするのが人間本来の姿なのです。手抜きや楽をしてはいけないのであれば、近道をしてはいけない何らかの意味があるのと同じなのです。例えばマラソンのコースで近道をしてはいけないように、わざわざ回り道をすることに意味がある場合があるのです。手抜きや楽をしてはいけない場合、作法やルールを守ることに意味があるのです。もっと曖昧な話をするとモラルを守る話です。面倒だと思うことでも、モラルとして多くの人がわざわざ回り道をするようなものなのです。モラルを守らないと近道をするのと同じで早く目的を達成出来ます。では何故みんなが近道として手抜きや楽をせず、作法やルールやモラルなどを守るのでしょうか?

思いやりの心が手抜きや楽を避けさせる

人間は本来手抜きや楽をするものなのです。意味もなく回り道である面倒なことなど、わざわざしたりしません。わざわざ面倒なことをするのは、倫理観や思いやりの心です。誰かに迷惑や嫌な思いをさせないために手抜きや楽をしたりしないのです。

例えば行列に割り込むことを考えてみます。行列に割り込めば待ち時間が短縮出来るので楽です。自分は楽が出来ますが、順番を抜かされた後ろの人達は待ち時間が長くなり、嫌な思いをしてしまいます。人に嫌な思いをさせないために、ほとんどの人は行列に並ぶのです。そして自分が割り込むと他の人に割り込まれても文句が言えなくなるため、結果として秩序が崩壊してしまうきっかけを生み出してしまいます。回り回って自分も嫌な思いをするのです。

誰でも手抜きや楽をすることが頭には浮かぶのです。しかし例え話のように自分が手抜きや楽をすることが人に嫌な思いをさせることがわかる人は、わざわざ手抜きや楽をしないのです。人に嫌な思いをさせることが理解出来ない人が、手抜きや楽を平気でしてしまうようです。もしくは手抜きや楽をしてはいけない意味があるのに、そのことに気付いていないのかもしれません。

糖質を食べ過ぎるのはもったいない話

糖質を食べ過ぎるのはもったいないという考え方の提案です。

人類の歴史から見ると糖質を食べるのは当然の流れでした。糖質の代表である穀物は一年で増やすことが出来ますし、保存が出来るからです。食料の確保が問題だった人類にとって画期的な作物となりました。食料難の時代には糖質である穀物は有難い食べ物でした。しかし食料の行き渡った先進国においては、必ずしも糖質を食べることが得策とは言えなくなってきています。何故なら糖質には害があるからです。糖質の食べ過ぎという、食べ物が不足していた時代からは想像しなかったことが起こっているのです。

糖質の害

糖質の害とは糖質の食べ過ぎによります。例えば肥満は糖質依存による糖質の過量摂取による症状です。他にも2型糖尿病は糖質の過量摂取により、インスリン分泌が追いつかなくなった結果血糖値が下がらなくなることで発症します。各種アレルギーも糖質を食べ過ぎている人に発症しますし、自己免疫性疾患も糖質を食べ過ぎている人に発症するようです。高血圧は塩分の取り過ぎが原因のようですが、そもそも塩分は糖質の甘みを抑えるために身体が欲するようです。糖質を食べなければ塩気は余り必要がないため、高血圧も治る可能性があります。

糖質を食べ過ぎるのはもったいない話

糖質は他の食材と比較すると安いとはいえタダではありません。もったいないとは、わざわざお金を払って糖質を食べて病気になるからもったいないという話です。更にもったいないのは、お金をかけて糖質を食べ過ぎて病気になり、その治療に対してもお金をかけることです。お金をかけて糖質を食べ過ぎて肥満になり、ダイエットにお金をかけることです。糖質にお金をかけることをやめれば病気も良くなり、治療のお金も節約出来るからです。

糖質を食べて、食べ過ぎの治療もする。アクセル踏みながらブレーキを踏むようなもったいない話だと思います。

少なくとも糖質依存からは抜け出す方がお得だと思います。糖質回避という考え方を一度考えてみてください。

タクシーの「助けて」表示を見かけたら

タクシーの「助けて」の表示を見かけました。咄嗟にどうしたら良いかわからず戸惑う人もいるかと思い、対策を書いてみようと思いました。

タクシーの「助けて」の表示とは、「空車」「迎車」などを車外へむけて表示する案内板に、非常時だと表示する仕組みのことです。例えば運転手さんが強盗に襲われていたり、急病だったりする場合を想定して用意された機能です。たまたま見かけると慌てる人も多いと思います。今回見かけた「助けて」表示は間違いでしたので、運転手さんに伝えて終わりです。

今回間違いだと気付いたポイントは2点、お客さんが乗っていなかったことと、運転手さんが慌てていなかったことです。どうやら迎車でお客さんを探されていたので、押し間違えたようです。

「助けて」の表示を見かけたら

今回のように明らかに間違いのようであれば、運転手さんに直接伝えるのが一番です。しかし対向車線走行中などで通り過ぎてしまうことも考えられます。その場合には間違っていたとしても警察に110番通報しても良いとは思います。

私はもう一つの対策を考えてみました。犯罪や急病と確信が持てず、間違いかもしれない場合には、タクシー会社を確認しタクシー会社に電話するのです。タクシー会社には無線という確認手段がありますし、同じ会社のタクシーに確認に向かってもらうという対策があるからです。怪しいようならタクシー会社から警察へ連絡してもらうのです。

ナイフや拳銃が見えるなど明らかに脅されているのであれば迷わず110番通報をしましょう。明らかに具合が悪そうなら119番通報が良いかもしれません。

タクシー会社もわからず、どうしたら良いか自分では判断がつかない場合には、110番通報し判断を仰ぐのが一番かもしれません。

偶然遭遇した「助けて」表示からふと考えてみました。いざという時に備えて考えてみておいてください。