やってしまいがちな選択の間違い

やってしまいがちな選択の間違いがあります。
選択の間違いとは、選択肢の選び方ではなくそもそも選択肢を提案してしまうことです。
そのことを説明したいと思います。

選択におけるやってしまいがちな間違いは、選択枝の提案です。
確かに選択肢が全く思いつかない場合には、選択肢を提案してもらえると助かることはあります。
しかし人によっては選択肢の中から相手にとって最善だと思うものを選んであげる大人もいます。
選択肢を選んでくれる大人も悪気があってわざわざしているわけではありません。
大人から見たら迷うことなく最善だと思うことを提案しているつもりなのです。
場合によっては他の選択肢はあり得ないから考える価値がないとすら思い込んでいる場合もあります。

例えば親子の間で進路について選択する場合を思い浮かべてみてください。
親は子供の性格から、最善だと思う選択肢を提案するのはよくあることです。
いくつかの選択肢を提案する場合は最終的には子供が選ぶ余地があるのでまだましですが、場合によっては選択肢の提案が一つだけのことがあるようです。その場合は提案とは言わず強要と言い換えることができます。
親からすれば、悪気があって選択肢を提案や強要しているわけではありません。お子さんの将来のことを考えて選択肢を考えてあげて、場合によっては更に考えて選択まで終えた結果を提案することもあります。進路は明らかに子供の問題です(問題論)。その本来子供の問題である進路を自分の問題だと勘違いして、勝手に考えてしまうのです。
そして進路を親が考えることに疑問を抱かない子供は迷うことなく親の言う通りにしてしまいます。
結果として、自分で考える力を身に着けることができないまま社会に出ることになります。
親が選んだ選択肢の中から選ぶことになるのですから自分で考えることが苦手なのは仕方がありません。

選択の間違いとは、選択肢を用意してしまうこと

選択肢を選ぶ時点で無限にある可能性の中から何らかの基準を元に、選択肢を選ぶことになります。その選ぶ時点で知恵が必要なはずです。その知恵を伝えることなく選択した結果のみを伝えることは絶対に相手のためになりません。むしろ大切なのは選択肢の作り方という知恵を授けることです。代わりに選択肢を作ってあげることではありません。選択肢を作ってしまう大人は、無限にある選択肢の候補の中から適切な選択肢を選ぶ作業を経験しないと、適切な選択肢を選ぶことができないことを知らないのです。
この大切なことを理解している人が少ないため、大人は間違いに気付きませんし、子供は社会に出てから混乱してしまうのです。

自分で無限にある選択肢の中から検討する余地のある選択肢を選ぶことに意味があります。最終的に選択した結果だけで判断しがちですが、選択肢を選ぶ経験をすることで、様々な知恵を身に着けることができるのです。結果論と経過論で経過にこそ意味がある考え方に通じるところがあるかもしれません。

選択する際に本当に大切なこと

今回の本論はまず無限にある選択肢の中から、選択肢となりえるものを選び出すことこそが大切ということです。
その意味で余談になりますが選択肢の選び方の間違いで多いのは、まず直感・感覚で選んでから選んだ理由を言い訳のように探すことです。
選ぶ過程にこそ意味があるので、選択基準を先に決めて選択肢を振り分けて選択していくことが大切です。
つまり選択基準を先に決めることこそが本当に大切なことです。
選択基準を先に決めてしまえば、明らかに選択基準から外れるものは検討する必要が全くないのです。

例えば親子の進路の話で例えれば、金銭的な選択基準です。
県内で自宅通学可能であれば私立も選択肢となりえるかもしれませんが、県外だと国公立しか余裕がないなどです。この場合は県外の私立の選択肢を進学先に考えても無駄に終わってしまいます。
こうした選択肢の選び出し方が何事においても大切です。
当たり前だと思われる方も多いかもしれませんが、相手が選択肢の選び出し方を本当に身に着けているのか一度確認してみるとよいと私は思います。
この選択肢の選び出し方を身に着けずに、社会でうまく生きていくことは難しいと私は思います。

投稿者:

呉からの風

呉の医師です。 糖質回避教の推奨者です。 様々な分野で気づいたことを掲載していきます。 怒る必要のない子育てを掲載予定です。