肥満税や砂糖税について思う

今ある国では肥満税が検討されているようです。これまでも砂糖に対して課税しようとした国がありましたが実現にはいたっていません。肥満税自体に意味はあると思いますが、今回検討されているのはジャンクフードや糖分を多く含む飲料などに対して課税が検討されているようです。

私は肥満・生活習慣病の本質を捉えきれていない惜しい対策だと思います。何故なら肥満や生活習慣病と言われているのは、糖質依存症に過ぎないからです。ちなみに糖質依存には強い空腹感という禁断症状まであります。本質は糖質依存症なのですから糖質に対する課税が正解です。ジャンクフードは糖質を食べる方向に加速させるに過ぎませんし、砂糖だけ課税しても穀物を含む糖質が問題の本質なので解決には至りません。問題の本質と対策がズレているのです。

肥満は食事の摂りすぎだと誤解されていますが間違いです。肥満は食事の摂りすぎではなく、糖質の摂り過ぎです。糖質の摂り過ぎの元になるのが糖質依存です。糖質依存により糖質の自己抑制が出来なくなった結果、糖質を食べ過ぎて太ってしまうのです。

生活習慣病と言われていますが、ただ単に糖質依存症でしかありません。生活習慣が悪くて病気になったと解釈されていますが誤解です。問題の本質は糖質の食べ過ぎです。糖質依存のため、自己抑制は出来ません。有効な対策は糖質に対する課税です。糖質の値段をあげることで抑止効果を期待するのです。集めた税金を糖質依存症の治療費として使うのです。糖質を食べた人に自己責任を取ってもらうという考え方です。

病気を引き起こす身近な依存物質は課税されています。例えばアルコールやタバコです。同様あるいはそれ以上に依存性のある糖質に課税がされてない方がおかしいのです。

糖質を食べ過ぎて病気になった治療費を、糖質を食べない人も負担することもおかしな話です。同じ問題もタバコでも言えます。

私の周りの人達には糖質依存の考え方を伝えていますが、世の中の人達がいつ受け入れるのか楽しみです。

次々不安を口にする人の心理

事あるごとことに次々不安を口にする人がいます。

今日は次々不安を口にする人の心理を考えてみます。人の行動には必ず目的があります(アドラーの心理学目的論)。不安を口にする人にも目的があるのです。その目的とは不安を理由に人を自分の思い通り動かすことです。あるいは自分の思い通りに人を振り回すことです。本人は不安を訴える目的を意識・自覚していないことが多いことが問題を複雑にします。

多くの人は不安を口にされると、不安だから仕方がないと受け止めてくれます。その相手を思いやる心につけ込むのです。次々不安を口にする人の目的は、相手に不安だから仕方ないと思わせることなのです。更に深い目的があります。その目的を考えてみます。

不安だから私の話を聞いてとか、不安だから私の言うことを聞いてとか、不安だから私は安心させるように行動してと暗に求めているのです。不安を言い訳に直接こうしてと行動を求めることもありますが、多く場合は不安を口にすることで相手を自分の目的に沿った行動を取るように、自然に仕向ける目的があるのです。直接行動を求めない場合、自分は不安を訴えただけで相手が勝手に行動したと都合良く考えています。つまり自分が不安を口にすることで相手を動かしていることを意識してはいないのです。いわば無意識の内に不安を言い訳にして人を振り回しているのです。不安を口にすることで周囲の人達が世話を焼いて不安の元を解決してくれることがあるので、駄目元で不安を口にする癖がついているのです。

不安を言い訳にして直接行動求める人は、ある程度人を振り回している自覚があります。何故なら自分が行動を求めているからです。しかし直接行動求めようとしない人は、これまで不安を口にするだけで周りがその心情を斟酌することで不安を口にした人の思い通りに動いていたのです。不安を口にすることで人を操ることを成功体験として何度も経験したことにより、不安を口にするだけで魔法使いのように周囲の人達を動かす事に慣れてしまっているのです。

普通の人は不安を感じた場合には他人に口にする前に、出来るだけ不安を解消できるように自分で出来る範囲で準備や対策をします。わざわざ他人に不安を口にするのは他人に対策をとってほしい目的があるのです。

不安は誰にでもあります。具体的にはいつ地震が襲ってくるか分かりませんし、いつ交通事故にあうかもわかりません。不安の種をあげればキリがないでしょう。かといって交通事故に遭うことが不安だから外に出ないといったところで誰も共感はしてくれないでしょう。アドラーの心理学によると不安により行動できないのではなく、行動したくないことが先にあり、不安を行動しない言い訳に利用しているに過ぎないそうです。

不安により行動が左右されるのではなく、不安は行動の言い訳として利用しているに過ぎないのです。

逆に何らかの目的があれば人は不満をいくらでも作り出すのです。不安を作り出す目的とは、人に相手にしてもらうことです。不安を口にすると相手にしてもらえる、親身になって話を聞いてもらえることを成功体験として経験していると、仕切りと不安を口にするのです。不安を口にしても相手にしてもらえないと不安を口にしなくなります。人によっては不安を口にしても親身になってもらえないだけで相手に敵意を抱く場合すらあります。これだけ不安で悩んでいるのにわかってくれないなんてひどいと言う具合に相手に敵意を抱いてしまうのです。

不安の解消はその人の問題です。不安の解消の手助けはできたとしても、最終的に不安を解消できるかどうかは、不安を感じる人自身の問題なのです。なぜなら不安はいくらでも生み出せるからです。不安を訴える目的が話を聞いてもらうことであれば、1つの不安を解消したとしても、次の不安を訴えるのです。

次々不安を訴える人は、不安を訴えること自体が目的であって、そもそも不安の解消が目的では無いのだと思います。そして次々不安を訴える人自身が何故不安に感じるのかを理解出来ていないのです。何故なら人はなかなか客観視出来ないからです。

次々不安を訴える人の対策は、課題の分離を提案することです。課題の分離とは誰が困る問題か明確にし、他人の問題には口出ししないことです。そして不安の解消は他人には出来ないことを伝えてあげることです。不安を言い訳に行動を変えないように提案してあげることです。決して不安の解消を請け負わないことをお勧めします。何故なら不安の解消を請け負うと、相手の目的を達成するまで延々と振り回されてしまうからです。

企業が学歴フィルターにより学生を選別する理由

企業が新卒学生を採用する際、学歴フィルターを使用しています。その理由を考えてみます。

一言で言えば、学生を選別する適切なフィルターが他に見つからないためだから気をフィルターがわりに使っているのです。本来であれば仕事に必要な能力を見極め、仕事に必要な能力でフィルタをかけるべきなのです。実は企業側がその仕事に必要な能力の見分け方を把握できていないため仕方なく学歴をフィルターがありにしているに過ぎないのです。仕事に役立つ適切な指標がないため、記憶力と理解力を示す学歴だけでも優秀な学生を選ぶのです。学歴は優秀でも仕事で役立たないことがあるのは、学歴と仕事に求められている能力が異なるからです。

学歴の意味するもの

学歴は単に教科書を覚える記憶力とその内容を使って作られたパズルを解く能力を試された結果に過ぎません。しかも学歴の多くは入学時の能力を表すだけであって、卒業時の能力ではありません。

学歴と仕事のズレ

学歴は教科書を使った記憶力と答えの用意されたパズルを解く能力を競っているに過ぎません。通常仕事とは自分で問題を見つけつの問題を解決する能力が問われるのです。つまり問題を用意されるのか自分で見つけるかの違いがあるのです。しかも試験と異なるのは答えが存在するかどうかわからないことに挑む必要があるのです。正解があるとは限らず、与えられた制約の中での最適解を求めることになるのです。

仕事では問題に気づく能力が試されるのですが、問題に気づく能力自体が欠落していると仕事にはなりません。つまり問題を用意してもらわなければ、仕事を始めることが出来ないのです。

問題に気付くことが出来たとしても学歴が高い人に限って、必ず正解があると思い込んでしまい、答えが見つからないと混乱してしまうのです。

学歴フィルターを使う理由

仕事に求められる能力は問題を解く能力の前に、問題を見つけるあるいは作る能力です。そして与えられた制約の中での最適解を見つける能力です。残念ながら今の所、学歴のように客観的にそれらの能力を表す指標がありません。そのためせめて記憶力と理解力を表す学歴フィルターにより学生を選別しているのです。

少なくとも優秀な学歴を得た学生は、勉強に対して継続して努力したことを表します。そのため仕事の上でもある程度耐性を期待出来ると考えるのでしょう。

更にインターネットが学歴フィルターを助長しました。何故ならインターネットでの出願は簡単だからです。手書きとは異なり、いくつものエントリーが容易だから、学生は莫大な数の出願を行うのです。そのため莫大な数の出願を仕分けするために、止むを得ず学歴フィルターを使っているに過ぎません。企業も学歴フィルターが最適と考えている訳ではなくても、学歴の高い人材は低い人材よりは役立つ可能性が高いと考えているのでしょう。

もう一つの理由は無料で入社試験をしているからです。入試のように受験料を徴収すれば良いのです。実は入社試験の受験料を徴収し寄付すると宣言した企業がありましたが、世間の批判に耐えきれず断念しました。営利目的ではなく、本気の入社希望者を振り分けるためにお金を使うのは適切だと私は思います。つまり無料でしているから学歴フィルターを使わざるをえなくなっているに過ぎないのです。学歴にとらわれず優秀な人材を集めたい企業が、入社試験の受験料を適切に徴収するようになることが合理的だと私は思います。私立大学の入試のように営利目的にしても構わないと私は思います。企業の営利活動を部外者が批判するのは的はずれです。

学歴フィルターの今後

学歴の表すものと、仕事で求められる能力とがズレていることに企業が気付いていないはずがありません。とりあえず学歴でフィルターにかけた後で、仕事に役立つ能力を身につけているかどうかを面接などで見極めているのです。これからの時代記憶力は大した意味は無くなります。何故ならタブレットやスマホなど記憶媒体が進化しているため、頭の中に細かく記憶する必要が無くなったからです。

今の所仕事をする上で必要とされる能力を見極める指標を各企業がノウハウとして蓄積していますが、もし普遍化することが出来れば学歴は全く意味をなさなくなります。私は近い将来仕事が出来る能力を見極めることの出来る指標を考え出す知恵者現れると思います。

日頃から問題を見つける能力と、最適解を見つける能力を養うことをお勧めします。

人類は未だに糖質の食べ方を知らない未開人?

人類、特に先進国の人間はあたかも世の中の多くのことを既に知っていると誤解しています。しかし当たり前に知っていると思い込んでいることでさえも、手探りで探し当てただけで正解とは限らないのです。

議論の余地のないわかっていることを学校で教えている(歴史などは新たな古文書の発見などで書き換えられますので、現時点でわかっていることです)だけで、わからないことには触れないのです。わからないこととは例えば宇宙の果てには何かあるのか何もないのかとか、原子よりも小さい素粒子の世界がどうなっているのかはわかりません。反物質という物質とは正反対の性質のものがあるようですが、この世の中が何故物質だけで反物質は消滅してしまうのかは全くわかっていません。わからないことは山ほどありますが、わからないことを手探りで解明しているのです。人類の歴史からすればほんの少し前に目に見えない空気という存在があることを発見し、肉眼では見えない微小な世界があることを発見したのです。生まれつき感じる重力も理解出来るようになったのも人類の歴史から考えれば、つい最近のことです。人類が気づかなかっただけで大昔から存在したのです。

人類は今現在食べているもので元気に生きているため問題があることには気づいていません。ある種理想的な食べ物を食べていると誤解しているのです。明らかな不都合がないため、正解だと誤解しているのです。言い方を変えると落とし穴に落ちているのです。人類の歴史からすれば、人類がここまで発展できたのは糖質のおかげであると言う事は間違いない事実です。食料を自分たちで栽培し増殖することができるというのは、他の生物からすれば反則のようなものです。その反則技を身に付けたことにより人類は食料に困ることがかなり減りました。品種改良という知恵により、効率良く食料を確保することが出来るようになりました。食料を豊富に確保できたおかげで、人口が爆発的に増えることができたのです。しかし糖質は諸刃の剣でした。糖質には依存性があるからです。みんなが糖質依存という落とし穴に落ちてしまったのです。依存性はもしかしたら覚せい剤などの薬物に近いものがあるのかもしれません。

人類は依存性のある食べ物を自分達で栽培することで増やし、依存するほど食べた結果、様々な病気に陥っているのです。食べ物の知識がなかったために、食べ方をまちがえて脚気になって命を落としたのも手探りだったからです。脚気はビタミンの知識によりほぼ克服することが出来ました。しかし糖質による害があることは多くの人がまだ知りません。糖質の食べ方に問題があることに気付いた人達が未開人から抜け出し始めたに過ぎません。

栄養学が生まれた際に、先入観にとらわれずゼロから考えることが出来れば良かったのですが、残念ながら栄養学を考えた人達自身が糖質依存に陥っていたため糖質依存に基づいた歪んだ栄養学になってしまいました。

例えば子供の頃からアルコールを水代わりに飲む国を想像してみて下さい。いわば酔った状態が当たり前の普通の状態で、アルコールが抜けると気持ち悪くなる(俗に言う二日酔い)からアルコールを飲まなければいけないと考えるようなものです。アルコールが切れると調子が悪くなると誤解するのです。アルコールは日常の当たり前の飲み物だと思い込むと、アルコールの害には気がつかないようなものです。

別の国では皆んなが当たり前に幼い頃からタバコを吸っています。タバコを吸う状態が当たり前で、タバコを吸わないとイライラすると誤解するようなものです。そもそもタバコを吸っていなければニコチン切れのイライラは起こりません。

アルコールとタバコ・ニコチンの依存性とその害に気付いた先進国の人達は、法律により年齢制限を設け、課税することでむやみやたらとした過剰摂取を抑えているのです。

アルコールやタバコに置き換えると不思議な価値観ですが、現に糖質でも同じようなことが起こっています。糖質を食べるのが人類の歴史上当たり前で、糖質依存も当たり前なのです。ただ人類の多くの人達がまだその依存性と危険性に気付いていません。大半の人達が糖質依存なのですから、多数決の考え方で言えば糖質依存が正常な状態です。糖質を控える方が異常だと錯覚してしまうのです。しかし医学や科学の世界では多数決では決まりません。そもそも強烈にお腹が空くこと自体が糖質依存の禁断症状なのです。禁断症状により突き動かされてせっせと糖質を食べ過ぎているに過ぎません。

まだ多くの人達が糖質の食べ方を知らない未開人のようですが、知恵のある者達から糖質の本当の姿に気付き始めました。貴方はいつ糖質の本当の姿に気付きましたか?