糖質の食べ方について

最近では糖質よりもカフェインの方が身体に害があることがわかってきたので、糖質の話題が少なくなっています。

糖質は糖質そのものが問題ではなく、血糖値が上がる食べ方が問題のようです(血糖値の元のブドウ糖が問題を引き起こすのか、血糖値の上がった結果インスリンなどによって問題が引き起こされるのかはまだわかりません。今のところインスリンが何かしているのではないかと疑っています。その根拠は糖質が多いと悪化する傾向があるアトピー性皮膚炎の方・花粉症の方それぞれに血糖値持続測定器リブレを装着してもらって血糖値を測定しましたが、お2人とも血糖値が150をこえない正常型だったからです。つまり血糖値が上がらなくてもアトピーや花粉症)。糖質での健康被害は食べ方の問題のようです。具体的には血糖値の上がる食べ方が問題のようです。つまり糖質は敵ではなく、上手に付き合う(食べ方に気をつける)必要のある味方だということです。一部では糖質を敵だとして忌避する人達もいますが、条件付きの味方だと私は思います。間違った食べ方をすると敵になるだけのようです。

糖質に関しては、血糖値を上げにくい3つの食べ方(血糖値の上がりにくい理想の食べ方2017年版2018年版2019年版)を見つけたので、私の中では糖質に関しては解決した問題となっています。3つ試しても駄目なら糖質を減らすしかないのではないかと思います。血糖値あるいは糖質の食べ方でお悩みの場合は、上記のリンクをご参照ください。

現在糖尿病の方で薬無しで上記の糖質の食べ方を実践してもらっています(以前は薬を飲まれていたそうですが、自己判断で中止され、薬を飲みたくないという希望に沿ったものです)。糖質を完全にやめてもらった方(参考:2型糖尿病が薬無しで治りました)ほど急速に血糖値が下りはしませんが、主食を食べながらも比較的良好な結果が出つつあります。患者さんの許可を頂けたらグラフで公表したいと思っています。残念なことに前回受診時許可を頂くのを忘れてしまいました。(お名前を出す訳ではないので許可はいらないかもしれませんが、念のためです)

以前書いた食事指導による食後血糖値とHbA1cの変化では、患者さんは薬を飲んでおられたため薬の効果もあったのだと思いますが、今回は薬を飲んでおられないため、食事の仕方だけで血糖値がどれだけ下がるか楽しみにしています。患者さんの許可が頂けたら掲載出来ると思います。

カフェインは法律で禁止すべきでは?

私は個人的にはカフェインは法律で禁止すべきではないかと思っています。というのも依存性があってなかなかやめられなくなり、明らかに健康を害するからです。大袈裟にいえば麻薬と変わりないからです。少なくとも私にとっては毒のようです。私にとっての毒とは、眠れなくなりますし、ニキビなどを生じさせるからです。

実際にはカフェイン中毒の方も多く、民主主義の日本でカフェインを法律で禁止するのは困難だとは思います。

かつてアメリカで禁酒法が施行され失敗しました。治安を良くする目的で一切のお酒を禁止する禁酒法が施行されて、人々は裏でお酒を求めたためマフィアが暗躍することになりました。治安を守ることが目的であったにもかかわらず、マフィアが暗躍して治安が悪化する皮肉な結果となりました。

カフェインを法律で禁止しようとすると反発も激しく、万が一法律で禁止出来たとしても闇取引が生まれるだけだと思います。カフェインを法律で禁止するというタイトルにはしましたが、現実には難しそうです。

法律で禁止しない代わりに

依存性があり病気にもなるカフェインを法律で禁止するのは無理だと思いますので、その代案を考えてみます。

お酒やタバコのように年齢制限をすることも選択肢の1つではありますが、子供が良く食べるチョコレートやココアにも含まれているため、年齢制限は現実的ではないと思います。

合理的に考えれば課税することです。依存性があって病気を引き起こすのは、お酒やタバコと何ら変わりません。依存性には気付いていても、病気になるという発想がないため、カフェインのせいで病気になっていると気付いていないだけです。ちなみに花粉症もカフェインをやめただけで治った人が何人かおられます。

集めた税金をカフェインのせいで引き起こされる病気の治療費にあてるのが合理的だと思います。そもそもカフェインを摂らなければ、カフェインによる病気の治療費は必要ないからです。

少なくともカフェインを含む食料品は飲料は、大きくカフェイン含有と表示するように法律で制定すべきだと思います。そしてタバコのように健康を害することがありますと表示すべきだと思います。

まだ証明された訳ではありませんが、私がみている患者さんで花粉症などもカフェインをやめることで治っていますから、原因である可能性が考えられます。

もしかしたら人類は糖質だけでなくカフェインという大きな落とし穴にも落ちているのかもしれません(参考:大きな落とし穴(糖質依存に人類が陥った理由)

法律で禁止あるいは課税されなくても、カフェインの害に気付いた人からやめてしまえば良いだけのような気がします。カフェインに害があることを理解した人だけが健康になっていきましょう。

原因不明の病気で困っていれば

花粉症やニキビ、アトピー性皮膚炎など原因が特定されていない病気でお悩みでしたからカフェインをやめてみることをお勧めします。もしかしたら症状が良くなるかもしれません。カフェインをやめることで症状が良くなれば、原因である可能性が考えられます。

少なくとも不眠症でお悩みでしたら、薬を飲む前に一切のカフェインをやめてみるべきだと思います。私は子供の頃不眠症で悩んでいましたが、今思えばほうじ茶を飲んでいたことが原因でした。

もしかしたらガンなど命に関わる病気もカフェインが関連しているのかもしれません。

カフェインをやめても害はないと思いますので、何らかの病気でお悩みならカフェインをやめてみてください。カフェインをやめることで多くの病気が治ることが皆んなにわかれば、カフェインで病気になることが常識になり、本当にカフェインに課税される日がくるかもしれません。

議論紛糾 老後2000万円問題に思う

今カフェインの害について書いているところですが、色々書きたいことが整理出来ないため、なかなか筆が進まず(携帯で打ち込んでいるので、実際に書いてはいませんが…)日々すぎています。ふと思い立って時事ネタを書いてみることにしました。カフェインの話はもう少しお待ちください。一言で説明すればカフェインはやめましょうです。

テレビをつけると老後2000万円必要という試算が金融庁から出されたことで賑わっているようです。

私は3つ思うことがあります。1つ目は野党があげ足を取るようなことをしても意味がないこと。2つ目はそもそも収入以上の支出を前提にしていること。最後の1つは何の目的で2000万円必要というデータを出したかです。

あげ足について(追及の目的)

2000万円必要という試算に対して私があげ足だと思うのは、あくまでも試算であり2000万円不足する人もいるというモデルケースを提案したに過ぎないからです。

収入は◯円で、支出が◯円プラス5万円の生活をしたければ、2000万円不足しますよというだけのことです。

それを鬼の首を取ったような反応をするのは時間の無駄です。

何故なら騒いでいる人達の目的は、2000万円不足するということ自体が問題ではなく、相手を攻撃して貶めることで自分達が優位に立ちたいというマウンティングをしているに過ぎないからです。

かつて野党の追及の仕方に意味があった試しがないように思います。どちらが優位に立つかの攻防をして、結局優劣を決める決め手には欠けるからです。一言で言えば騒いで終わり、時間ばかり浪費して得るものがないと思います。(追及している自分に酔っている節はありますが…)

収入以上の支出

収入を超える生活をする前提あるいは現役時代と同じような生活水準を維持することが前提なことに違和感を感じます。

例えば月20万円の収入しかなければ、20万円の生活をすることを前提にすべきではないでしょうか?それを25万円の生活をすればお金が足りませんとは、滅茶苦茶な理屈です。現役時代の水準を維持するならという仮定そのものに無理があるように思います。

生活水準を維持したい人は2000万円の準備が必要ですと提案するべきだと思います。

また歳を取ると旅行などに行けなくてお金を使う機会も減ると思います。(その分介護費用がかかる場合もありますが…)退職後の元気な老後を90歳こえても続けることにも無理があるように思います。

一言で言えば引退後の生活は各個人が考えるべき問題であって、他人からお金が足らないと詰め寄られる筋合いのものではないように思います。それこそ老後を楽しみたい人は2000万円では到底足らないでしょうし、慎ましく生活する方はお金が減らない、年金が貯まって仕方がないという人もいるでしょう。

金融庁の目的

人は必ず目的を持って行動しています。個人個人だけでなく、組織としても目的を持って行動するはずです。しかしその目的(多くが自分の利益を求めているだけ)を隠して、受け入れてもらえそうな言い訳にすり替えています。

今回であれば老後2000万円足らないけど大丈夫?という親切心を装って不安を煽っていることです。

金融庁の目的(金融庁が得するであろうこと)は金融資産を増やしてもらうことでしょう。2000万円足らないから貯金しましょう。投資をしましょう。ということのようです。

目的で議論すべきでは?

人の行動には必ず目的があるというアドラーの心理学に基づいて、様々な議論は目的を元に議論すべきだと私は思います。一般的な議論では理由を聞かれることが多いと思いますが、理由は言い訳に過ぎず二次的あるいは三次的なこじつけでしかありません。目的はすり替えることは難しいため、議論に意味があると思います。

例えば、「金融庁が老後2000万円足らないと発表した目的は何ですか?」

野党に対しては、「老後2000万円足らない人もいると思いますが個人それぞれのお金の遣い方次第だと思います。あえて追及する目的は何ですか?」

といった具合です。自分達の利益が目的なのに、その目的をすり替えた建前で議論しても無意味です。

テレビでも有意義な議論を見ることが出来るようになるのはいつの日になるのでしょうか…