体型は糖質への依存度を表す

一般的には体型は食べ物に対する貪欲さを表すとして受け止められています。太っている人は食べ物を我慢出来ずに食べてしまうと認識されているのです。この考え方は間違っています。何故なら体型は糖質に対する依存度を表すだけだからです。そもそも太るのは糖質に騙されて食べ過ぎてしまう糖質依存の結果に過ぎません。依存度によって食べ過ぎる度合いが異なるので、体型が人によって異なるのです。

糖質依存の見分け方

糖質依存かどうか見分けるのは、食事を我慢出来るかどうかで簡単に見分けることが出来ます。簡単に一食抜くことが出来れば糖質依存ではありません。逆にお腹が空いて食事を一食抜くのが難しければ糖質依存に間違いありません。何故なら我慢出来ない程お腹が空くのは糖質依存の禁断症状だからです。禁断症状があれば必然的に糖質依存だとわかります。空腹感が禁断症状では無いのであればずっとお腹が空いているはずです。我慢しているとピークをこえる感覚があるのが、禁断症状である証拠です。もし禁断症状ではないとすれば、尿意や便意のように排尿・排便するまで続くので、食べるまでお腹が空いていないといけません。空腹感がピークをこえる時点で禁断症状であることが証明されるのです。

糖質依存度という考え方

糖質依存度とは糖質への執着の度合いを表します。糖質をやめることが想像出来ないとすれば、かなり依存度は高いと思います。体重を気にして食べないようにしようとしても、つい食べてしまうのは糖質に対して「衝動買いの心理」が働いてしまうからです。糖質が本来の魅力以上に魅力的に感じてしまうのです。私が患者さんに説明する際には、糖質に騙されると表現しています。

糖質依存度が高い人は体重が多く、糖質依存度が低い人は体重が少ない傾向にあります。体格が良い人は食事の量が多い訳ではありません。糖質の量が多いのです。食事の量が多いのは、糖質の量が多いことに伴い食事の量が二次的に多くなっているに過ぎません。糖質さえ食べないように気をつけてしまえば、痩せるのは当たり前の話です。例えば肉・魚・野菜・豆腐だけの食生活に切り替えれば、お腹いっぱい食べても痩せるはずです。糖質を食べないことに負担に感じるのは、糖質依存の間だけです。糖質依存から抜け出せば、負担に感じることすら無くなります。

糖質依存からの抜け方

糖質依存の特徴を知ることで抜け方も理解出来ます。糖質がやめにくいのは、少しでも食べると余計お腹が空くという不思議な感覚があるからです。この少しだけなら大丈夫というのが罠なのです。ギャンブル依存症やアルコール依存症の人達が苦労するのも同じ理屈です。少しだけなら大丈夫だと誤解して少しだけはじめてしまうと、「衝動買いの心理」により自己抑制が効かなくなるのです。

糖質依存の抜け方は、御飯の量を減らすよりむしろ食べないようにする方が楽です。まずは一食抜いてみるのです。抜くのは夕食がお勧めです。何故なら夕食後に余り動かないので、糖質を消費出来ないからです。夕食の糖質を抜くのが難しければ、朝でも昼でも良いので一食抜くのがお勧めです。

同じ3分の1を減らす食べ方でも、1食の御飯の量を3分の1ずつ減らして3食食べる食べ方と、3食のうち1食を食べない食べ方があります。いきなり1食食べないことには抵抗がある人が多いので、多くの人が1食の食べる量を減らすことが多いようです。しかし糖質依存の仕組みから糖質を食べたい欲求が高まります。そのため少しだけ食べるより、食べない方が楽なのです。まずは1食食べないようにして、慣れたら2食食べないようにしていくと良いと思います。可能であれば最終的に3食食べないようにすると良いと思います。

最初のうちは糖質を食べたい欲求が高まりますが、タンパク質・脂質を食べることでやり過ごします。慣れてくるとお腹が空かなくなりますし、糖質へのこだわりが無くなります。糖質へのこだわりが無くなることが糖質依存から抜け出した証拠です。私の場合2週間は糖質を食べたい欲求がありました。糖質を食べたい欲求の持続も糖質依存度によるので、1ヶ月経っても糖質を食べたい人もいるようです。

参考:糖質依存の上手な抜け出し方

体格が知恵で変わる時代

体格は糖質依存の結果です。糖質依存から抜け出す知恵を身につけ実践することで、体格は自在にコントロール出来るようになります。糖質依存の仕組みを知らず、糖質に振り回され続けている人が体格のコントロールが出来ないだけです。

これまでは太っている人は自制心が足らないとみられていましたが、これからは知恵が足らないと考えられるようになるかも知れません。早く糖質依存の仕組みを理解するようにしましょう。一生使える知恵となります。

関係ない話をする人の心理

突然話の流れとは全く関係のない話をする人がいます。本人に悪気はないのですが、話された側は話の意図が読み取れず混乱してしまいます。今回は関係のない話をする人の心理を考えてみます。

話している人の頭の中では繋がっている

話している人は突然関係ない話をしている自覚はありません。何故なら話している人の頭の中では関係が繋がっているからです。その関係が他人にはわかりにくいだけなのです。他人には到底関係ないように思える話でもその人の中では繋がっているのですが、その繋がり方は様々です。

最初から全て話す人

途中の経過をまとめることが出来ず、最初から全て話をする場合があります。この最初から全てが曲者で、他人には到底関係ないと思える程遡って話し始めるので、聞いている人は関係がない話に思えてならないのです。

例えば「大阪へはどうやって行ったの?」という質問に対して「朝起きて顔を洗って…」という具合です。本人は大真面目で朝から一つ一つ順を追って思い出しているので、関係がある話をしているつもりです。大阪へ向かう朝から時系列に並べているのです。しかし聞いているのは交通手段や経路などでしょうから、関係が見出せません。聞いた側は聞いたことだけ取り出して答えて欲しいのに、関係のない話をする人は、答えだけを取り出す作業が出来ないのです。

関係が曖昧な話をする人

本人にも関係が良くわからないまま、何となく関係がありそうなことを話す人もいます。関係が無いとははっきりと言い切れないので関係があるかも知れないと思い込んでいるのです。関係が曖昧な話をしてしまうのです。本人にも関係が良くわからないのですから、他人に関係がわかる訳がありません。

このタイプの話し方をする人は、何となく関係がありそうな関係を相手に見つけてもらう目的で話しているのです。自分には関係は良くわからないけど、相手にはわかるかも知れないので必死で話すのです。

しかも他人からみると何となく関係がありそう程度にも関わらず、本人は関係があると思い込んで話す人もいるので厄介です。

例えば何の根拠も無く、病気の原因はこれだと勝手に思い込んだ話を延々話される人がいます。そのように考えられた理由は?とお伺いすると、理由は無いとおっしゃいます。そうなると宗教と変わりません。

この手の話し方をされるのは思い込みの激しい方に多いのかも知れません。

対策

関係がわからず混乱したまま話を聞くのは、聞き手の負担が大きくなります。そこで「この話と今までの話の関係は?」と早い段階で質問するのです。

関係を言葉に出来ない時点で、そのまま話を聞いても余り意味がないかも知れません。こちらの聞きたい情報を質問して聞き出す形式に切り替えることをお勧めします。

関係ない話をする人は頭の中が整理されていないので、質問に答えてもらう形で整理してもらいましょう。質問しても関係ない話がかえってくるかも知れませんが、質問の答えが返ってくるまで何度も繰り返し質問することで頭の中を整理してもらうのです。

貯蓄には無駄を省くより生活レベルを見直す

以前お金を貯めるには給料アップより意識改革と書きました。わかりにくいかもしれないので、改めて書いてみようと思います。

お金を貯めようと思うとお金の使い方の中から無駄を無くすという発想になりがちです。余程いい加減なお金の使い方をしていない限り、都合良く無駄な支出は見つかりません。何らかの理由があって支出している訳ですから、自分で考える限り無駄は元々ないのです。他人に無駄を探してもらうなら話は別です。事業仕訳で無駄が指摘されたのは同じような理屈です。自分では必要だと思い込んでいても、他人の判断では無駄以外の何物でもないのです。家計相談で他人の判断をしてもらうと上手くいくのは、他人と比較すると無駄だと客観視的にわからせてくれるからです。通常は他人に支出の判断をしてもらうことは出来ませんので自分で考えるしかありません。お金を貯めようとしてもなかなか上手くいかないのは、ありもしない無駄を探すからです。

生活レベルを見直す

無駄という視点で支出を見直しても、見つかりません。何故なら自分にとって全て必要な支出だからです。生活レベルを見直すと話が変わってきます。今の年収を元に生活レベルを決めがちですが、その生活レベルの設定に問題があるのです。お金を貯めようと思えば、今の生活レベルを見直すことです。同じ生活レベルの人達がしているからという理由で、合わせる必要はありません。しかしお金が貯まらない人は、無意識のうちに生活レベルが上がってしまっているのです。

生活レベルを見直すとは、簡単な方法は貯蓄したい額を引いた年収の生活レベルと比べるのです。具体的には年収400万円で年間100万円貯蓄したいと思えば、400万円から100万円引いた年収300万円の生活を考えるのです。税金などのため厳密には異なりますが、考え方を変えるきっかけになると思います。年収1000万円あっても年間200万円貯めたいと思えば、年収800万円あるいは年収700万円の人の生活レベルに見直すのです。年収1000万円を超える年収があっても貯蓄が少ないとして家計相談に訪れる人がいるのは、生活レベルがその年収をこえる状態に陥っているからです。言い換えると年収が多くなると気が大きくなってしまうのです。気が大きくなった結果生活レベルが引き上げられただけで、実力が伴わないため貯蓄が出来ないのです。

生活レベルを見直す際に邪魔するのが見栄です。人目を気にして生活レベルを落とすことが出来ません。そういう人は他人のことも気にしがちで、生活レベルが変わった人を見ると内心落ちぶれたと蔑んでいます。人のことを蔑む心があるからこそ、人目を気にしてしまうのです。

私は生活レベルを見直し生活レベルを下げることは無駄を省く行為でしか無いと思います。飾り消費が削ぎ落とされ、実消費だけが残るだけだからです。例え落ちぶれたのだとしても、他人に迷惑をかける訳ではありません。落ちぶれたと陰口を叩くのは、人を貶めることで優越感に浸りたい歪んだ心理がさせるだけのことです。気にするだけ時間の無駄です。

飾り消費を無くし、実消費だけで生活すると年収が変わっても生活が変わらなくなります。生活レベルを見直し、飾り消費である見栄消費と贅沢消費が馬鹿らしいと思えるくらい突き詰めて考えてみると違う景色が見えてくるのかも知れません。良かったら一度考えてみて下さい。

暗い所で本を読むと目が悪くなるのは間違い

暗い所で本をよむと目が悪くなると良く言われますが、間違いです。私は眼科の医者ではありませんが、論理立てて考えれば間違いであることは簡単にわかります。

一般的に目が悪いとは視力が悪くなることです。言い換えると近視になることを言います。本来目は水晶体というレンズによりカメラの役割をする網膜に像を調整します。その調整が上手くいかず近くしかピントが合わないのが近視です。

暗い所で本を読んでも目が悪くならない根拠は、明るい物を見る細胞と暗い所で物を見る細胞が異なることです。暗い所で物を見る細胞を使つたそして暗いからといってピントを合わせる位置が変わることはないからです。暗い所でも本が読めるのであれば光は目の網膜にピントが合った状態で届いています。

暗い所で本を読むと目が悪くなると誤解された理由は、暗いと光の量が少ないことに起因します。光の量が少ないとピントを合わせることに時間がかかりますし、光が少ないため情報を読み取ることにも時間がかかります。明るい所に比べて暗い所で本を読むと、文字を識別するのに頭を使うのです。暗い所で本を読むと疲れるので、目が悪くなると誤解されたのだと思います。未だに暗い所で本を読むと目が悪くなると言う人は、まだ知らないだけなのです。

暗い所で本を読むと情報が少なく文字を識別するために、読むこと自体に負担がかかります。暗いと能率が悪いので明るい所で本を読む方がお得というのが正確な情報です。

暗い所で本を読むからと言って近視になることはありませんのでご安心ください。

様々な病気が治らなかった理由

様々な病気が治らなかった理由は主食という伝統的な食べ方です。
国も6割は炭水化物(糖質+食物繊維)を食べるように推奨していますが、これこそが様々な病気が治らなかった理由です。過剰な糖質が糖質依存を招き、その糖質が様々な病気を引き起こすのですが、その元となるのが国が推奨する主食という食べ方です。
国が糖質を食べることを推奨し、国民を糖質依存に陥らせることで、病気を引き起こしているのです。かつての食料不足の時代には穀物は重要な食料でした。比較的容易に増やすことが出来る上に備蓄もきくからです。国が人々を養うためには穀物を推奨するのはやむを得ない対策でした。その結果主食という食べ方が当たり前になったのです。昔から食べていたという理由で穀物が人間の身体に適切かどうかの検証がなされませんでした。

今では医療費が増大して国の財政を圧迫しているため、医療費削減が叫ばれています。しかし糖質が病気を引き起こす理屈がわかっている人達にとっては、国が困るのは自業自得のように思うのです。自らぎマッチで火をつけ、自らがポンプで火を消すマッチポンプのような話です。ただ自分が知らないうちに火をつけてしまったことを未だに知らないのです。

かつて税収を増やすために国がタバコを推奨していたことに似ています。一説によるとタバコによる税収は1兆円でタバコによる健康被害に対する医療費は2兆円なので採算が合わないことがわかっています。タバコは禁止する方が合理的な判断ですが、かつてアメリカでアルコールが禁止された禁酒法時代に世の中が混乱したことから、禁止ではなく税額をあげるのが現実的です。少なくともタバコが病気を引き起こすことがわかった今となっては税収のために国がタバコを推奨することはなくなりました。

国が炭水化物を食べることを推奨しているのは、かつてタバコの害を知らない時と似ています。まだ国が糖質が引き起こす病気を知らないのです。もしかしたら糖質の害には気付いていても、農家の反発が怖くて言い出せないのかも知れません。もしかしたら糖質を食べなくなると多くの病気が失くなるので、製薬会社が困ることに遠慮しているのかも知れません。言い出せないのも遠慮しているのも本当だとすれば政治家です。政治献金をもらっている手前本当のことが言い出せないのかも知れません。本来なら給料をもらうのは税金ですから税金を支払う国民の健康を第一に考えるべきですが、そのような私利私欲のない政治家はいないのかも知れません。

別の視点で見てみると、健康被害を引き起こすことを知らなかった時には麻薬が薬局で売られていました。麻薬の依存性や健康被害が知られている今では考えられないことですが、誰も害があると知らなかった時には全く規制されていなかったのです。

害があることが広く知られるまでは、対策が取れなくても仕方がないのです。

これだけ糖質が様々な病気を引き起こすことを考えると、主食という食べ方そのものに問題があるようです。主食という食べ方をやめるだけで、医療費は何割も削減出来るでしょう。医療費が高騰しているの問題は解決出来ますし、削減出来た医療費を糖質回避では治らない病気の新薬に使うことが出来るのです。

国はまだ知らないのですから今のところ仕方がありませんが、いつになったら炭水化物を6割も食べることを推奨するのをやめるのか私は個人的に興味があります。米農家の問題など新たな問題は起こりますが、医療費の問題が解決し、何より国民が健康になるのですから出来る限り早く主食という食べ方はやめるべきだと私は思います。

回転寿司の価格が下がったからデフレ再燃?

ある大手回転寿司が一皿100円を一皿90円に値下げしたそうです。このことからデフレ再燃と言われているようですが、私は違うように思います。回転寿司が値下げしたからデフレに気付いただけのことです。デフレは以前から現在に至るまで、現在進行形で続いていると思います。

例えば100円ショップに行けば100円とは思えないような商品が多数あります。逆に何か簡単な物を買おうと思えば、まず100円ショップから探すべきだと思います。つまり似たような物が100円に値下がりしているのです。

技術の進歩により似たような物を安く作る知恵者が、価格を押し下げているのです。

バブル崩壊後リーマンショックでデフレに突入したように言われていますが、経済の仕組みがデフレに向かっているようです。

以前は技術の進歩により高機能の物が新たに売り出され世の中を変えることで経済が回っていました。今は技術の進歩により同じ物や似たような物を安く作ることが出来るようになりつつあります。丁度革新的な新製品は高くても、しばらくすると次第に値段の安い製品が出てくるのと同じようなことが様々な分野で起こっています。この仕組みがデフレを長引かせているのです。

デフレにより賃金が上がらなくても、以前より少ない費用で同じような生活をすることが出来るのです。

先程技術の進歩により物の値段が下がると書きましたが、適切な情報により無駄が省かれつつあることもお金を使わない方向に向かわせています。例えば一昔前までは病気のことを知りたければ医者に聞くしかありませんでした。今ではインターネットを検索すると詳しく説明されているサイトを見つけることが出来ます。どのサイトを信じるかの問題はありますが、以前のように医者に聞くしか病気のことを知ることが出来なかったことを考えると格段の進歩です。病気の正確な診断には今でも受診が必要ですが、病気のことを聞くだけであれば受診する必要がなくなりつつあるのです。

情報により無駄が省かれている例としては、電気製品の購入でも行われています。買いたい電気製品が決まっている場合には、わざわざ電気店に行く必要がなくなっています。しかもインターネットで買う方が安く買うことが出来るのです。買いたい電気製品が決まっているのに、店員の説明を聞くという無駄が省かれるから店員の人件費分安く買うことが出来るのです。しかもインターネットで検索することで、より安く買うことが出来るサイトを簡単に比較サイトにより探すことが出来るのです。

電気製品はインターネットで安く買うことが出来るという情報を持っている人は、営業トークを聞く無駄を省くことが出来るのです。

企業努力により安く提供されている物に様々な食べ放題があります。以前は店が利益を出すために、出来るだけ安価な食材をそれなりの価格で提供していました。しかし最近では食べ放題のお店の比較が容易で、費用対効果に乏しいお店はネット上で酷評され淘汰されてしまいます。生き残るためには利益だけを追い求める姿勢を改め、お客さんが得だと思える物を適切な価格で提供する知恵が求められます。今食べ放題で生き残っている企業は知恵を出すことが出来た企業です。

かつては利益を確保するために企業が高く売るのは仕方ないと考えられていました。その結果物価が上昇していたのです。資本主義の原理で知恵と情報で無駄を省き安く提供する企業が現れると、旧態然とした利益至上主義の企業が淘汰されつつあるのです。このことがデフレを誘発しています。景気が良くならないと嘆いている人もいますが、実は以前に比べて豊かになっているのです。同じお金で得られる物が豊かになっているのです。利益だけを追い求める企業が淘汰されつつあることも豊かになっている理由の一つです。

回転寿司が90円になったからデフレが再燃する訳ではありません。回転寿司が100円という節目の価格を下回ったことでデフレを再度実感しただけのことです。別の視点で考えると、節目の価格である100円を切るということは、それだけ他の飲食店と熾烈な競争を強いられているということです。消費者の立場からすると喜ばしいことではありますが、これからの経済全体を考えると大変な流れだと思います。新しいアイデアが出せる人しか生き残ることは出来ない時代がやってくるでしょう。

ダフ屋対策なら興行主がオークションすれば?

ダフ屋対策で転売を認めないように様々な対策が取られているようです。例えば本人確認を徹底することで転売しにくくなっているようです。

私はそもそも人気イベントは興行主が一部の座席をオークションをして利益を確保することが一番の対策だと思います。どれだけお金を出してでも見たい熱狂的なファンから、熱狂度に応じて青天井でお金を払ってもらうのです。飛行機でいうファーストクラスやホテルでいうスイートルームのように経営に利用するのです。ダフ屋の経営が成り立つのは、興行主の売り出す価格と実勢価格の乖離によるものです。それなら興行主がこの乖離を埋める仕組みを作ることです。興行主のオークションに余分に払うお金がイベントの相手に渡るので、ファンとしても合理的な仕組みだと思います。

高いお金を出してでも見たい人もいるのに、興行主の決めた額しかお金をもらわないのは経済原理から考えて勿体無いと私は思います。

現時点でそのような仕組みがないのは何らかの法規制があるのかもしれませんが、法規制があるなら政治家に働きかけて興行主に都合の良い法規制に変更してもらえば良いのです。

人気コンサートの正式なオークションなんていくらになるのか個人的には興味があります。特に年末に解散するアイドルがコンサートを正式なオークションで募集したらいくらのお金が動くのか、これも個人的に興味があります。

オークションが公平だと思うのは、コネなどの影響を排除して、お金という尺度で見たいという願望を叶えてくれるからです。需要と供給のバランスをオークションという形で調整するだけのことです。みんなが得する仕組みなのに何故導入しないのか不思議です。

何故興行主がオークションする仕組みが無いのか不思議なのですが、これから出てくるかもしれません。

ただ褒めて育てるのは間違い

褒めて育てるというのは良く言われる考え方です。
しかし褒めるという行為の本質を踏まえた上で褒めるべきです。
子供を褒めて育てるという考え方が持て囃されていますが、おだてて育てるという意味であれば間違いです。

褒めるとは出来ないと思っていたことが出来たので称賛するのであって、出来ると思っていたことに対して行うのはおだてでしかありません。だから人を褒める際には注意が必要です。何故なら人を褒めるとは出来ないと思っていることが前提だからです。出来ると思っていることを褒めるのはおだてているに過ぎないからです。そのことを知っている人を褒めると、馬鹿にされたと受け取る人もいるくらいです。基本的に褒めるのは上から下に対してだからです。

褒めてはいけないと言いたい訳ではありません。ただ闇雲に褒めるのは良くないと言いたいのです。出来ないと思っていたことが初めて出来たのであれば褒めて当然です。満面の笑みで褒めてあげましょう。しかし出来ると思っていることであれば、褒めるのではなくて動機付けしてあげると次も頑張れると思います。動機付けとは頑張っている姿を見ることが嬉しいと伝えてあげることです。決して結果だけを見ているのではないことを伝えてあげるのです。

ただ褒めるだけでは褒めてもらうことが目的になってしまいます。褒めてもらえないと行動できなくなるのです。そして褒めてくれない相手を憎むようになってしまいます。ただ褒めて育てると、褒められるために行動する幼稚なお子様に育ってしまうのです。

刑罰の『意味』がなくなりつつある

世間一般では法律を守るのは当たり前です。世間一般というよりは法治国家で生活する以上法律を守るのは常識でしょう。人によっては刑罰を受けないために仕方なく法律を守る人もいるかもしれませんが、法律を守らせる目的で刑罰が設定されています。

法律を守らないことに対する刑罰は一定程度の『意味』はあるでしょう。刑罰をなくしましょうと言いたい訳ではありません。刑罰があっても、法律を守らない人は守らないので『意味』がなくなりつつあるのです。正確に表現すると刑罰が一部の人達にとって『意味』がなくなりつつあるのです。

刑罰の『意味』がなくなりつつあることは、以前記載した損得主義の考え方で読み解くと簡単に理解出来ます。必ず捕まる訳ではないし、万が一刑罰を受けてでも法律を守らない方が得だと考えているのです。更に損得主義で読み解くと、ワザと捕まる輩までいるのです。刑務所に入れば衣食住の心配が無くなるので、捕まる方が得だと考える人がいるのです。他にも刑罰の『意味』がなくなりつつある人達は、万引き常習犯です。刑罰が万引き常習犯にとっては軽いため、繰り返すのです。人によっては万引きで捕まることで人に相手をしてもらえるので、あえて捕まる人までいるでしょう。

以前にも損得主義で書いた脱税などは最たるものでしょう。万が一捕まったとしても、得だから脱税が後をたたないのです。犯罪を刑罰で避けるのではなく、犯罪を犯すと損をする仕組みにするのが一番だと私は思います。

法律を守らない人は、法律を守らない方が得だと考えているのです。特に繰り返す人達は繰り返す方が得だと考えるのです。そろそろ仕組みを作り直さなければならない時期だと私は思います。

チャリティーと商売の違い

今年もそういう季節になりました。

チャリティーと商売の違いを考えてみたいと思います。ウィキペディアによると

チャリティーとは慈愛・博愛・同胞愛または慈善の精神に基づいて行われる公益的な活動・行為もしくはそれを行う組織のこと。

私はお金という対価を要求しない行為のことだと思います。チャリティーと称してお金を集め、自らは商売をしている人達がいます。

障害者を見世物にしているということを言う人もいますが、障害者の人達もテレビに出ない権利もあるので御本人が了承されていれば他人がとやかく言う問題ではないも思います。見世物のように見えて嫌なら、テレビを見なければ良いだけだからです。

チャリティーと称するなら、収入を得てはいけないでしょう。海外ではチャリティーで報酬が発生することはあり得ないそうです。日本ではチャリティーと称しながら、キチンと報酬をもらう人達がいるそうです。

私は募金活動で募金箱を持って募金を呼び掛ける人達にも懐疑的です。何故ならその募金が本当に活用されているか保証がないことと、募金活動をする時間があればその分働いて寄付すれば良いからです。目的が募金活動を行う人だと他人から認めてもらうことのように思うからです。お金を集めることが目的であれば、確実にお金になるアルバイトをして自分が寄付する方が確実です。

チャリティーの『意味』を考えてみても良いのかもしれません。自称チャリティーと本当のチャリティーを。

 

商売は物や労働やサービスに対して対価を支払うものです。資本主義は対価を支払う商売の仕組みにより急速に発展しています。対価を受け取ることで何かを提供するのです。

チャリティーと称しながら対価を受け取るのは、チャリティーと商売の区別のつかない人達がいるのでしょう。

チャリティー活動を否定する気はありません。しかし報酬をもらいながらチャリティーだと称する人達がいるのは悲しいと私は思うだけです。

募金活動をしている人達が時給いくらかで報酬をもらいながら街頭に立っているようなものだと例えるとわかりやすいと思います。

元々チャリティーは宗教的な考え方に基づいて活動することが多いため、宗教が根付いていない日本では馴染まない考え方なのかもしれません。