いじめで中3女子自殺に思う

いじめにより中3の女子生徒さんが自殺されたそうです。
心よりご冥福をお祈りいたします。

1年半前の出来事ですが、今週になり自殺と認定されたことで話題になっています。
その経緯に問題があると考え、書いてみることにします。

いじめについて

動物同士でもいじめがある(参照:動物がイジメをする理由)ため、動物の一種でもある人間にいじめがあることは仕方のないことです。いじめがあってはいけないという考え方をしているために、いじめがあると隠すようになってしまうのです(参照:いじめを学校が隠蔽する理由)。
動物でもいじめをするのですから、動物よりも知能の高い人間がいじめをしてしまうことがあるのは仕方のないことです。かといっていじめを容認するわけではありません。視点の問題です。いじめをあってはいけないものではなく、あることが当たり前のものと考えることが大切だといいたいのです。
あってはいけないものだから隠すから、あることが当たり前だから対策を考えると視点を変えるのです。いじめがあることが当たり前なので、いじめを見つけて解決することに主眼をおくのです。あってはいけないものであれば、あれば隠そうとしてしまうのです。いじめがあることが当たり前であれば、見つけて解決したことを褒めるのです。そのように視点を変えることでイジメを減らすことができると私は考えます。

今回の問題点

死後1年半経過してから教育委員会は自殺と認めたそうです。
問題点としては新たな事実が出たことではなく、対応に不備があるため家族が文部科学省に問題定義したことで教育委員会が指導を受けた結果速やかに判断が変わったのです。同じ情報により指導され判断が変わったということは、つまり隠蔽していた証拠ということです。
第三者委員会の調査でもいじめはなかったという結果にも関わらず、文部科学省の指導だけで判断が変わってしまうことにも問題があります。
つまり第三者委員会が第三者ではなかった証拠のようです。

いじめはないことにするけど調査していますというのが第三者委員会だったようです。いじめを隠すという結論を決めてから行動していたように見受けられます。

私なら教育委員会に判断が変わった目的を聞きます。これまで1年半にわたりいじめがなかったことになっていたにも関わらず、突然いじめが出現した理由です。その後いじめがなかったことにしていた目的、いじめと認めた目的を聞きます。

いじめの対策

いじめがあることを前提に対策を考えることが必要だと思います。医療分野では人的ミスがあることを前提にミスを失くす仕組みを構築しています。ミスがあってはいけないではミスを隠してしまいます。隠していてはミスは失くせません。ミスがあることを前提に、ミスを繰り返さないために工夫するのです。ヒヤリハットという仕組みです。ヒヤリとした瞬間やハットした瞬間などミスに至らなくてもミスに至る可能性があることに気付けば情報を共有し、再発防止策を事前に対策するのです。ヒヤリハットの仕組みの秀逸なところは、ミスをした人が責められる・責任を取らされることを目的とせず、取り返しのつかないより大きなミスを防ぐことを目的としていることです。

いじめがあることを前提に、いじめを見つけだし対策したことを褒める仕組みを作るのです。多くの場合いじめをした本人にはいじめをした自覚などありません。いじめをしない、いじめを出来ない仕組みを作ることを目的にいじめの疑いがあることを情報として共有するのです。
いじめをした人を責める仕組みではなく、いじめをしないあるいは出来ない仕組みを作り上げるです。
学校の先生が自分の学校ではいじめはありませんと胸を張っていますが、いじめはあってはいけないので無いことになっています。つまりいじめは見つけませんということと区別がつかないのです。
学校の先生が自分の学校では10件のいじめ予備軍、2件のいじめ認定がありましたが生徒たちが転校することなく無事解決しました。2件のいじめは残念ですが、大事に至らず良かったです。今後はいじめ予備軍の間に発見できるように仕組みを更に工夫します。という報告が望ましいと私は思います。

私は通報システムを作るべきだと思います。いじめ予備軍でもいじめ、いずれでも本人が不快に感じた時点で学校とは別の組織に通報できる仕組みにするのです。別組織にする目的は隠蔽できないようにすることです。そしていじめの認定があればいじめられた人間が転校するのではなく、最悪の場合いじめをした生徒を転校する仕組みにするのです。そうすればいじめる側の生徒は転校したくない心理が働くため、自然といじめをやめる方向に仕向けることができると思います。

いじめはあってはいけないものから、いじめはあるから大事になる前に対処するものという認識を改めることこそが大切だと考えます。

最後にもしいじめられている立場の方がこのサイトを見られた場合を想定して、究極の解決策を書いておきます。いじめのある集団から逃げ出すことです。死ぬ思いをしてまで集団に所属し続ける必要はありません。逃げ出しましょう。そして逃げ出す手助けをしてくれる人をさがしましょう。
逃げ出しても追いかけてこられるかもしれないと不安になるかもしれませんが、追いかけてこられたらその時点で新たな逃げ方を考えましょう。

 

核実験とミサイル発射の本当の怖さ

某国が核実験を行い、その後もミサイルの発射実験を繰り返しています。

ミサイルの飛行距離が延び、直接核攻撃が可能になることを多くの人が恐れています。しかしそれよりももっと怖い現実が隠れています。そのことを書いてみます。

一言でいえばミサイルを宇宙空間で爆発させることが一番怖いのです。
地上を直接攻撃せず、宇宙空間で核爆発をさせることが一番ダメージが大きくなります。宇宙空間ですから空気がないため爆風はおこりません。地上まで距離が離れているため熱も直接伝わりません。
では何が問題かといえば、全ての電気製品が使用不能になるのです。
しかも非常に広範囲にわたって生じます。爆発する場所によって、日本全土はもちろん、1個の核爆発でアメリカ全土の電気製品が全て使用不能に陥る可能性があります。発電所が機能しなくなるためコンセントに差し込む電気はすべて使えなくなることはもちろん、電池で動く電気製品もすべて動かなくなります。かろうじて電球などICやLSIなどの基盤を使わない単純な電気製品だけが使える程度のようです。
つまり非常に広い範囲がいきなり江戸時代の生活に一瞬で引き戻されてしまうのです。

核爆弾が地上付近で爆発すると爆発した周辺は壊滅的な被害を被りはしますが、せいぜい半径数十キロの範囲です。すぐに反撃することができるでしょう。お互いが反撃を恐れて核爆弾を使用しないのはこのような論理です。放射能の問題があるとは思いますが、他の地域は被害がないため支援の手を差し伸べることができます。
しかし宇宙空間で爆発すれば、非常に広範囲の電気製品が全て使用不能になるため反撃そのものができなくなるのです。宇宙空間での核爆発が成功すれば、その国からの反撃を恐れず攻撃することができるのです。
そして宇宙空間での爆発は離れているため放射能の問題はないと言われていますが、電気製品が全て使用できないので復旧には短くても数年、場合によっては数十年を要することになります。

何発もの核爆弾を各地の上空に同時に爆発させると、どこからも反撃されないことになるようでです。日本語訳はありませんが、そのような内容の小説があるそうです。

通常の地上攻撃による核戦争であれば、反撃を考えると核爆弾の総数が強さを表します。宇宙空間での核爆発の使用は、後先を考えなければやったもの勝ちです。成功すればその国から反撃できないからです。このことが一番恐ろしいのです。
某国が崩壊することを恐れ、世界の混乱を招くためにどこかの上空で核爆弾を爆発させてしまう可能性があるのです。
核戦争ではなく、宇宙空間での核爆発を恐れているのです。
某国がその選択肢を持っていること自体を各国が恐れているため、このままミサイル発射を続けていれば何らかの武力衝突が起こる可能性があります。

想像してみてください。
すべての電気製品が突然使えなくなる生活を。
その瞬間、車はハンドル・ブレーキが効かず制御不能になり壁に衝突して止まるでしょう。飛んでいる飛行機はすべて操縦不能に陥り墜落します。
車が動かないので食料を移動させる手段がありません。
そんなカギを某国が持っているとしたら・・・。

世界が平和でありますように。

ナッツ類摂取でガンの再発率・死亡率低下の理由(仮説)

ナッツ類摂取でガンの再発率・死亡率低下の理由を仮説ですが考えてみます。ナッツ類そのものにガンを妨げる効果があるのかもしれませんが、ナッツ類摂取で再発率・死亡率が下がる理由が仮説すら書いてはありませんでした。そこで糖質関連かもしれないと考え仮説を考えてみました。
先日ヤフーニュースのトピックスにてナッツ摂取でガンの再発率・死亡率低下という記事が報告されていました。

概要は

週に57グラム以上のナッツを食べた結腸ガン経験者の再発率とガンによる死亡率が、食べなかった人よりはるかに低いとの研究結果を発表した。この量は、アーモンドなら48粒、カシューナッツなら36粒の量となる。

ナッツ類が肥満や糖尿病の予防に効果があることが示唆されています。
一つの仮説ですが、ナッツ類摂取で糖質の食べる量が減るのではないかと思います。またナッツ類により糖質の吸収を妨げる可能性が考えられます。つまりナッツ類が病気を避ける理想の食べ方におけるオカズの代わりになるため、血糖値の上昇を妨げることで免疫機能障害を引き起こさず、ガン細胞を免疫が攻撃する可能性が考えられます。(私はガンは、偶然生じたガン細胞担当の免疫機能障害によりガン細胞の増殖を抑えることができなくなったせいで発症すると考えています)

ただナッツ類が週57gでどれだけ血糖値の上昇を妨げる働きがあるのか疑問も残ります。糖質など他の食べ物の食べた量は計測されていないため判断がつきませんが、もしかしたらナッツ類を食べている人は糖質の量が少ない可能性が考えられます。もしナッツ類のおかげで糖質を食べる量が少ないのであれば、ナッツ類そのものが良いのではなくナッツ類が糖質の食べ過ぎを阻害している可能性が考えられます。

もし私の仮説が正しければ、糖質以外のもので糖質を避けるだけで良いので枝豆、チーズなどでも同様に再発率と死亡率が下がるはずです。もし枝豆やチーズでは再発率・死亡率が下がらず、ナッツ類だけが下がるのであれば、ナッツ類に何かガン細胞の成長阻害するものが含まれていることがわかります。
誰か調査してほしいものです。

保育園の事業停止に思う 勘違いぶり

小学校の新設騒動で国会でも話題になった学園が運営する保育園が事業停止になるようです。
聞き取り調査が公開されたので、勘違いぶり見て呆れた人が多いと思います。しかし本人達は真剣です。被害者だと本気で考えているのです。本人達の解釈の勘違いぶりを書いてみたいと思います。

小学校の新設騒動は真相解明はまだまだ先のようです。忖度という言葉が示すように、勝手に思い込んで便宜をはかってしまった側面もあるようです。証明は難しく、忖度した役人たちも責任問題になるため証言したくはないでしょう。

今回は保育園の事業停止に関してです。
聞き取り調査を公開にしたことから勘違いぶりがわかります。自分たちは保育園をきちんと運営しているにも関わらず不当な言いがかりを受けていると勘違いしているのです。不当な言いがかりだということを世間の方に理解してもらう目的で聞き取り調査を公開したのではないでしょうか?
本来聞き取り調査はきちんと運営しているか確認を行うもののはずです。いきなり事業停止とするのは厳しいため、行政側と運営側の認識をすり合わせるようなもののはずです。本来やるべきことを、思い込みや勘違いでやっていないことがないか確認することが調査の目的だと私は考えます。つまり行政側が本来やるべきことを改めて確認することで、運営側が修正するチャンスを与えてくれているはずです。

聞き取り調査の受け答えをすべてみた訳ではありませんが、保育士の6人の人数確保が必要だと指摘されても、3人で見ることができる。優秀な保育士ならそんなに人数はいらない。挙句保育士資格がなくても見ることができるという発言もあったようです。
ここでも大きな勘違いがあります。
運営者は事故がなければきちんと運営できている。
行政側はあらゆる事故を予防し、適切な保育ができる環境を整える。そのことを法律として制定している。
運営者は怪我や死人が出なければ問題がないと考えているのだと思います。事業としてではなく親戚の子供を無償で預かっているのであれば、一つの考え方だとは思います。事業として行っている運営者が、聞き取り調査において人数確保の必要がないと主張してしまう時点で経営者としての資質が疑問視されることでしょう。

行政は事業停止にしたい訳ではありません。何故なら事業停止にすれば問題が大きくなるからです。しかし明らかなルール違反を放置することはできません。そのため弁明のチャンスを与えたのが聞き取り調査だったはずです。運営の軌道修正する機会を与えてくれたのです。運営側が不当な圧力だと考えてしまった時点で事業停止はやむを得ない判断でしょう。

運営者たちは法律に基づいてきちんと運営する、決まりと実際の辻褄を合わせるという発想はなさそうです。恐らく悪気はないと思います。これまで大きな問題にならず、小学校すら開校してしまいそうだったのですから。怪我や死人が出なければ、保育園の運営は問題ないと考えるのと同じで、小学校も開校できれば問題ない。何故なら開校できたからという思考なのだと思います。

聞き取り調査で行政側と運営者の話し合いがうまくかみ合わなかったのは、完全に勘違いしているからです。自分たちは悪くない。悪いのは誰か別の人。行政であり、小学校の開校を邪魔した政治家達という理屈でしょう。被害者だと本気で考えているから、質問には答えず被害者ぶりをアピールし続けたのです。(参考:質問に的外れな回答をする人の心理
解決策は誰かが勘違いしていることを適切に教えてあげることでしょう。
普通の人たちは聞き取り調査の段階でこのままでは事業停止になるからマズイ!と理解しますが、勘違いが激しいあるいは理解力が乏しいとそのようには考えないのかもしれません。直接お話した訳ではありませんが、もしかしたら家族みんなが言い訳人間なのかもしれません。

保育園に通っている子供達とその親御さんは気の毒ですが、このままではやむを得ない対応なのかもしれません。第三者が経営するなど何か起死回生の策で、子供達が困ることのない解決策が見つかるとよいですね。

大臣の失言・辞任に思う

ある大臣が失言により辞任することになりました。失言する人は悪意を持って言っている訳ではありません。知らないうちに人を傷つけているだけなのです。ただ相手の立場で物事を考える想像力が足らないだけなのです。相手の立場を考えずに話をする人が大臣に選ばれてしまっていることが問題なのです。

失言する人の心理はこれまでも2回ほど書いています。
人が失言する理由とその対策
失言から日頃考えていることがわかる
失言が話題になったため検索で閲覧してもらうことが増えています。

例え話に置き換えてみます。失言は知らない間に誰かの大切な花を踏みつけてしまったことに似ています。本人はただ歩いただけで大切な花を踏みつけてしまった自覚は全くありません。その大切さを前もって教えなかった人が悪いとでも思っています。後で踏むつもりはなかった、あるいはわざとではなかったと言い訳することに似ています。下を見ながら注意して歩けば済むだけだったのに、下を見て歩くという注意を怠ったのです。自分には大切な花には見えなくても、誰かにとっては大切な花かもしれないという視点にたって注意して歩く必要があったということです。

失言している人の謝罪

失言する人は失言だという自覚がないので、失言に対して後で確認しても意味がわかりません。失言した自覚がない中でもひどい場合になると、周囲の人達に諭されて謝罪会見は開いたものの、何が問題で失言とされているか理解しないまま謝罪会見をしています。恐らく周囲も失言の意味を理解させないまま、とりあえず誤るように促したのでしょう。本人も悪いことあるいは失敗したという自覚がないため不本意ながら誤るのですから、体裁を取り繕うための謝罪でしかありません。つまり自分たちの言い訳の為の謝罪でしかないのです。決して失言によって不快な思いをされた方に対して謝るという視点ではないのです。
失言する人の謝罪会見が2度目の失言と言ってもよい程見苦しいのは、とりあえず誤るので許してくださいという真意が透けて見えてしまうからです。

失言して謝罪する人の真意を浮き彫りにするのは簡単な質問がでわかります。
何が問題だったのですか?
という質問の答えでわかります。
理解していれば、相手の立場にたった視点が欠落していました。あるいは相手の立場にたつという想像力が足りませんでした。という発言の何が問題だったのかという内容の返答になります。
理解していなければ、ですから言ったことが不適切だったということです。と発言の何が問題だったのかをこたえられないでしょう。
取材する記者がこのような質問をするようにすると、何が問題か理解しないまま謝罪会見するという失礼なことがなくなると思います。

何が失言だったか理解していないことを必死で隠そうとする失言者に対して追い打ちをかける質問は、何が足らなくて失言したのですか?という質問です。
相手の視点、相手の立場に立って考えるということを理解できているかどうかの質問です。
きちんと答えてもらえなければ、相手の視点に立って考えるという人として当たり前のことが出来ないということで良いですね?という質問をすると理解してくれるでしょう。怒りだしてしまえば、謝罪会見の謝罪会見という前代未聞の出来事につながるでしょう。

失言しない対策

一度失言してしまえばなかったことにはできません。取り消すことはできたとしても残念ながら記憶には残ってしまいます。失言をする人なのだとして覚えられてしまうのです。議員や大臣のように失言で職を失う人は少ないとは思いますが、誰でも言葉によって相手に嫌な思いをさせてしまったり、嫌な思いをさせられてしまったりする可能性があるはずです。後でそんなつもりで言ったわけではないと取り繕っても、気まずい思いをすることは避けられません。一度口から出てしまった言葉が取り返しがつかない状況を引き起こすことは失言が話題になることからもわかります。
世の中には様々な人が人達が存在することに出来るだけ配慮しながら、様々な視点から言葉を選ぶように心がけることだと思います。

少なくとも失言を繰り返す人は配慮の足らない人だということは言えると思います。誰でも失言する可能性はありますが、お互いのためにも失言につながる発言を避けるように心がけましょう。

防衛大臣が自己防衛で苦戦中、国防は?

防衛大臣が集中攻撃を受けています。様々な攻撃に防戦一方ですが、守りに穴があるようで守りきれそうにありません。真相はわかりませんが今出てきている情報を客観的にみれば、辞任せず乗り切ることは難しそうです。
国防は国を守る大切なことです。
自分を守れない人が、国を守ることが出来るとは思えません。
答弁しても記憶違いで訂正を連発しています。国防において記憶違いで舵取りしては国の存亡に関わります。

自己防衛出来ない人が防衛大臣の状態は怖いと感じるのは私だけでしょうか?

もって今週末かもしれないですね。

虐待死させた親を責めても仕方ない

虐待死させた親を責めても仕方がありません。何故なら亡くなった子供が生き返る訳ではないからです。虐待死させた親を責める風潮をテレビで煽っても、再発防止には役立たないからです。

虐待死させた親を処罰しても再発防止には役立たないのが現状です。何故なら処罰されることはある程度わかっていても、虐待死させた訳だからです。処罰されることを知らなくて虐待死させたのであれば、虐待死で処罰されることを報道すれば再発防止に役立つでしょう。しかし処罰されるとわかっていても虐待死をさせてしまったのであれば、虐待死を避けるためにはもう一歩先に進んだ対策が必要です。

理由を聞いても意味がない

何故虐待をしたのか問い質しても意味がありません。何故なら人は目的に対して行動はしますが、理由によって論理的に行動するとは限らないからです。むしろ多くの人は論理的ではなく何となく行動してしまうのです。

つまり何故虐待したか理由を聞いても、自分のせいではないという言い訳を考えるに過ぎないからです。更に虐待だと自覚しないまま虐待がエスカレートして死に至ることがあるのです。当時してはいけないことだという自覚がなければ、後で責めても意味をなしません。

虐待死を防ぐために

虐待死を防ぐためには予防策が必要です。虐待死させた親を処罰するだけでは虐待そのものを減らすことはできません。

虐待死を防ぐためには虐待の啓蒙活動が必要です。自覚のないまま虐待してしまっていることが良くあります。家庭という密室で行われる子育ては、しつけと虐待の線引きが自分では出来ないのです。

私が考える一番の対策は虐待死させた親に聞くことです。亡くなった子供が生き返る訳ではありませんが、せめて次の虐待死を避けるために防止策を聞くのです。処罰も必要なのかもしれませんが、次の虐待死を避けるために協力することが罪を償うことになるのではないかと私は考えます。

虐待死を避ける手立ては幾つかあると思います。虐待死に至るどこかの時点で誰かが関わることで避けることが出来たのかも知れません。命を救う手立てを探るのです。

例えば突発的に子供に暴力をふるってしまうことがわかれば、自ら相談出来る窓口があれば良かったことがわかる。他の例えであれば、育児を投げ出したい衝動に駆られるがどうすれば良いかわからなかったということがわかれば、投げ出したいと思う場合に相談出来る窓口を設置するなどです。実際には保健師さんなどが窓口なのかも知れませんが、虐待死が今でもあるのですから、改善の余地があるのではないかと思います。保健師さんに関しては、虐待死させた親から保健師さんとの関わり方を聞き出し、どのように関われば虐待死を避けることが出来たか知恵を得るのが一番近道だと私は考えます。

虐待死を避ける一つの答えが通称「赤ちゃんポスト」といわれる「こうのとりのゆりかご」だと思います。赤ちゃんだけではなく、子供を預けることが出来る施設を設置することが虐待死を避ける一つの答えなのかも知れません。

これらの知恵をこえる虐待死を避ける知恵が出てくることを祈っています。

危険性を予見する知恵

危険性は知恵が無ければ予見することは出来ません。あらかじめあらゆる物事を想定することで危険性を予見することが出来ます。

あらゆる物事を想定出来るかどうかは日頃考えているかどうかによります。人は考えていることの延長線上しか理解出来ないのです。

先日大学生の展示物が燃え、幼稚園児が亡くなる痛ましい事故がありました。心よりご冥福をお祈りいたります。展示物は木で出来ており木を削ったオガクズが飾られていました。照明に白色電球が使われてしまったようです。白熱電球が高温になるという知識のある人からすれば、怖いなと思う状況です。更に予想外の行動をする子供達だと、白熱電球にオガクズを振りかけて遊ぶ可能性も想定しなければなりまけん。

1人でも危険だと考えて、白熱電球の使用を中止していれば結果は全く異なっていたことでしょう。結果として1人の尊い命と引き換えに、危険性を世に知らしめることになりました。

当事者は白熱電球の危険性を知らないので燃えやすい木の展示物の中に持ち込んでしまったのでしょう。そして周囲の人達は、白熱電球は高温になり危険だからオガクズのある燃えやすい木の展示物の中で使うはずがないと思い込んでいたのではないでしょうか?。その常識のズレによりお互い確認をすることなく、片や危険性を知らず、片や危険性は当たり前だからするはずがないと思い込んだ結果今回の事態に至ったようです。

自分にとっての常識はみんなの共通認識とは限りません。危険性を予見することが出来ない人もいることを知った上で、行動するようにしましょう。少なくとも自分だけでも危険性を出来る限り予見するように心がけましょう。そして危険性が予見出来ない人は、危険性の予見出来る人に助けを求めましょう。

いじめを学校が隠蔽する理由

いじめを学校が隠蔽しようとすることが散見されます。その理由を考えてみます。いじめはあってはならないものなので、いじめが発覚すると学校が責められることが原因のようです。人の行動には必ず目的があります(目的論)。いじめを隠蔽する目的は責められることを避けるためです。決していじめを無くす目的で隠蔽する訳ではありません。ましてやいじめられた子供を守るために隠蔽する訳でもありません。学校側の自己保身を目的に隠蔽するのです。

今のままでは隠蔽しようとするのは仕方ありません。何故ならいじめがあったことを責められるからです。人間の心理として責められたくないので隠すのです。隠そうとする嘘つきの嘘を暴く必要に迫られるため、その分無駄な労力を費やします。

いじめの隠蔽を無くすために

野生動物でもいじめをするのですから、動物の一種でもある人間が放っておくといじめをしてしまうのは、ある意味では仕方がないことです。人間がいじめをする野生動物と違うのは、人を思いやる心を持っていることです。人を思いやることをまだ知らない人間がいじめをしてしまうのです。人のことを尊重することをまだ知らない人間がいじめをしてしまうのです。人を思いやること・人を尊重することをまだ知らない人がいることを認め、いじめを無くす知恵を絞るべきだと私は思います。

いじめを無くすためには、いじめが起こり得ることを受け入れ、その上で対策を取るべきです。いじめはあってはならないものという考え方から、いじめがあるのは当たり前だから大事に至る前に対策するという考え方を変えるのです。

このような考え方に変われば、いじめを見つけ対応したことを誇りに思うようになるでしょう。いじめを無くすのが理想ですが、無くす前の段階として早く見つけ対応するのです。いじめがあったことを責めるのではなく、大事に至らなかったことを評価するのです。そうすることでいじめを成果として積極的に公表するようになるでしょう。

いじめを隠しても問題を先送りするだけです。隠さず再発しないための知恵をみんなで絞るのです。人間には他の動物が持たない言葉という魔法を使うことが出来るのですから、最終的にいじめをなくすことくらい出来るはずです。

血液製剤不正製造会社が事業譲渡を嫌がる理由

あくまでも私見です。私の頭で考えるとこのような見解に行き着いただけのことです。あくまでも一意見として読んでいただけると幸いです。

血液製剤不正製造会社とは40年も前から国の承認とは異なる方法で血液製剤を製造していた会社のことです。厚生労働相が組織の抜本的見直しを求めたため事業譲渡の方向で交渉していたそうです。しかしこの事業譲渡交渉が打ち切りになったそうです。血液製剤不正製造会社が事業譲渡に難色を示しているからだそうです。その理由を考えてみました。

不正を40年も続けた実績から組織内の自浄作用は全く期待出来ません。事業譲渡は当然の流れのように思います。燃費で不正を繰り返した企業は結局身売りしました。

血液製剤の製剤は国民にとってなくてはならない事業ですから、商売として考えた際に手放したくない魅力があるのでしょう。だから事業譲渡に難色を示すのは当然と言えば当然です。

しかし40年も前から不正を行っていた流れから考えると、組織の存続は常識的ではありません。にも関わらず難色を示すのは、事業譲渡により更なる不正が噴出することを避けたいのではないかと私は考えます。そのように考えると、此の期に及んで悪足掻きするのも頷けます。全てを明かす訳にはいかないので、隠せるだけ隠そうとしているのではないでしょうか?

厚生労働省も出来るだけ穏便にことを済ませようと考えて、現在のような対応をしているようです。常識が通じると期待しているのです。しかし40年も不正をしていた会社です。常識が通用しないと認識を改める必要があると私は思います。認可取消を宣言し、事業譲渡するなら存続を許すように設定しなおすのです。経営陣は今のまま存続出来ると考えているのです。事業譲渡が出来ない方が都合が良いので、難色を示しているのではないかと思います。騙して利益を得ていたことで詐欺罪の適応を検討すると、経営陣も考え方が一新されると思います。

利益を追い求める企業が問題を起こすのです。「利益は企業のためならず」のような考え方が広まることを心から祈っています。このように考えると不正を行う必要がありません。利益は追い求めるものではなく、企業が存続するための必要経費だからです。全ての企業がこのように考えると、理想の世の中が実現出来るのかもしれません。