ミスを怒っても意味がない

人間ですから誰でもミスをしてしまいます。
そのミスを怒っても意味がありません。たまたま今回は自分ではなく相手がミスをしただけのことです。
ただしそれが重大な結果を招くミスだったとしたら問題です。何が問題かというと、怒る立場の人がそのミスを事前に予測して防げなかった準備不足でもあるからです。
重大な結果を招く前の途中段階で順調かどうかを確認するのです。例えば途中で声をかけたのに『大丈夫』と言ったからと責める人もいます。しかしその言葉を信じた自分に問題があるのです。どのように大丈夫なのかを確認するという手間を怠った自分の落ち度です。だから怒っても意味がないのです。ミスがあれば重大な結果を招くのであれば、怒る前に自分で防ぐことのできることを考えもせず相手を怒っても意味がないのです。怒るくらいなら怒らなくてすむように自分で知恵を働かせれば良いのです。それにも関わらず手間をかけずに怒るのは、深層心理で怒ることが目的で、ミスする隙を与える罠を仕掛けているのではないかと怪しんでしまいます。怒ることが目的でないと言い切るのであれば、ミスをする隙をなくすために途中でミスがないか、ミスする隙もないかを逐一チェックすれば良いのです。その手間が惜しいのであれば、自分でやりましょう。

ミスを怒っても意味がないもう一つの理由は、過去には戻れないからです。
怒ったところで過去の事実を書き換えることはできません。怒ること自体が破壊的で次に生かすような建設的ではないのです。
過去には戻れないのですから、ミスを未来にどのように生かすかを考えることです。
ミスの原因を考えることも一理ある場合もありますが、責任追及の目的の原因探索に意味はありません。これも責任を逃れるために嘘で塗り固められるからです。次のミスをなくすために原因を考えるのであれば大きな意味があります。

例えば忘れ物というミスがあった。
このミスを怒ることに意味はありません。
ミスをしないように前もって持ち物チェックをして、足らないものがあれば困る前に準備するようにするのです。
この困る場面よりも前にチェックするのが親であり上司の役割だと思います。
それでもミスがあれば、怒るのではなく一緒にミスをなくす方法を笑いながら探せば良いのです。命に関わりかねないミスの恐れがあれば、飛行機の操縦や運行のように何重にも前もってチェックする以外に方法はないと思います。

いずれにしてもミスは誰にでも起こりえるものです。
だからこそ賢い人(上司や親)が、ミスができないようにする仕組みを考えてあげるべきです。

ミスを怒る人は自分が防ぐ余地があったのに、防ごうとしなかったのです。
つまり自分のせいでもあるミスを怒ることに意味はありません。
自分のせいでもあることを知らないという勘違いがミスを怒ることに繋がります。

誉められないようにしようね?

怒らない子育てや誉めて育てる子育てがもてはやされています。
私はただ怒らないだけではなく、怒る必要のない子育てを子育てを提案しています。
私は基本的には誉めることは良いことだと思います。しかしアドラーの心理学によると誉めることに否定的です。何故なら誉めるというのは深層心理で相手が出来ないことが前提だからです。(出来ないと思っていることが)出来たから凄いねというようになるのです。出来て当たり前だと思っていれば誉めたりはしないのです。

このことから何でも誉めれば良いということが間違いだとわかります。
相手の心理としていつも誉められていると、誉めてもらうために行動するようになります。逆に誉めてもらえないと行動しなくなったり、誉めてもらえないことを攻撃するようになるのです。

誉めて育てると誉めることに依存してしまい、誉められないと何もしない子供になってしまいます。
以上のことを考えますと、相手が出来ないと思っていたことや、これまでは出来なかったことが初めて出来るようになった際には誉めてあげると良いですが、何でも誉めるのは弊害も大きいようです。何しろ出来ないと思っているのが前提ですから、何でも誉めるのは出来るはずがないとしてバカにしているようなものだからです。

誉められないようにしようね

相手が自分のことを出来ないと思っているから誉めてくれるのです。
出来ると思っていることは誉めてはくれません。
つまり誉められないようにしようねとは、相手にとって自分は出来て当たり前だと思ってもらえるようにしようねという意味です。
出来ないはずだなんて思わせないぞという心意気を表すための、誉められないようにしようねです。

大人は誉められても無邪気に喜んではいけない

大人は誉められても無邪気に喜んではいけません。
何故なら、相手は出来ないと思ったことが意外にも出来たから誉めてくれたのです。
自分でも出来ないと思っていたことが予想外に出来たのであれば、誉めてもらって喜ぶのは当たり前ですが、自分は出来ると思っていることを誉められた場合には相手は出来ないと思っていたのだということを心にとめておくべきです。

人を誉める場合に気をつけること

相手が喜ぶから誉めるのは間違った行為で、相手の行動心理を歪めてしまいます。
相手は誉められることに依存し、誉められないと行動しなくなるからです。
誉められるから行動するようにしないために、誉めすぎないようにしましょう。
そして相手が当たり前に出来ると思っていることを誉めるのは、誉める心理を知っている人から見ると相手を馬鹿にしているのと同じです。
人を誉める前に、相手を喜ばせるために誉めようとしていないか自分自身の深層心理を見つめ直すべきです。

誉める場合には相手が出来ないと思っていたことが出来た時だけ誉めるようにしましょう。

赤ちゃんも言葉を話している?

赤ちゃんも言葉を話しています。
ただし声ではありません。
しかも一方通行で赤ちゃんが話をしているだけです。
それを受け取ることが出来るか出来ないかは周囲の人の力量によります。

赤ちゃんの言葉とはボディランゲージ、つまり仕草です。赤ちゃんはその時その時で様々な仕草をします。本能的な行動なのか、ただ単に身体が自然に動くのかはわかりません。特定の条件を満たすと、同じような行動をとることがあるようです。

例えば排便や排尿をしようとして気張ることです。うーん、うーん。と声をあげながら気張ると、それは排便や排尿のしようとする合図です。明らかな声をあげなくても、気張ることに気づくことが出来ればオマルに座らせてあげることが出来ます。

別の場面では拳を口に入れようとしたり、一本だけ指を口に入れたりします。偶然だと思って見ていると何もわかりませんが、赤ちゃんのボディランゲージだと考えてみると何か意味があるはずです。拳を口に入れようとする時はお腹が空いたのボディランゲージで、指を一本だけ口に入れるのは喉が渇いた合図だったりします。

他にも泣き方が場面場面で異なるので、赤ちゃんなりの主張があるようです。抱っこして欲しい泣き方もあれば、おっぱいが飲みたいという泣き方もあるようです。

大人の使う言葉は日本語なら日本語で共通ですが、赤ちゃんの使う言葉は赤ちゃんによってそれぞれ異なります。その言葉(ボディランゲージ)は注意して見ないと偶然なのか、意識しているのかわかりません。何しろまだ話すことが出来ないので、確認出来ないのです。何度か同じ仕草をした際に、赤ちゃんが何を求めているのか想像し共通することから類推するしかありません。

ただ赤ちゃんも赤ちゃんなりに意思の疎通:コミュニケーションを取ろうとしています。周りの大人が赤ちゃんのメッセージを受け取ることを期待しているので、想像力を働かせて赤ちゃんのメッセージを受け取りましょう。

話せるようになる前に、少しでも赤ちゃんのメッセージを受け取ることが出来るようになるとお互い楽しくなると思います。

良かったら赤ちゃんは何かを訴えかけているという視点で接してみてあげてください。

理にかなった離乳食スプーン

赤ちゃんに離乳食をあげるスプーンはいくつか種類がありますが、このスプーンが非常に理にかなっています。
何故ならスプーンに食べ物が半分しか乗らない構造で、離乳食を赤ちゃんの口の中に置きにいくようなイメージで食べさせてあげることができるからです。

離乳食セットとして飲み口のついたものが以下のセットです。

セットでなくても、スプーンだけでもあると便利です。
ちょっとした違いですが、普通のスプーンと比べるとかなり便利です。

大人が正しいという常識の間違い 子供が正しい

子育ての常識革命を考えています。
一つの常識である大人が正しく子供が間違っていること。
その元となるのは子供だから正しいことはわかるはずがないということです。
大人の方が長い期間生きているので正しいに決まっていると考えているのです。
それが間違っているとしたらどうでしょうか?
何を言っているのかわからないかもしれませんが、子供の主張にも一分の理があるということです。子供はまだ子供ですからそのことを相手にわかるように主張できないのです。そして大人は自分が正しいに決まっていると思い込んでいます。自分が間違っているなんていう発想は全くありませんから、子供の主張に耳を傾けることが出来ないのです。
だからこそ頭ごなしに怒ってしまうのです。

子供の主張に耳を傾けるコツは子供こそが正しいと考えることです。子供が正しくて大人が間違っているという発想になることです。
子供が望ましくないことをすれば、怒るのではなく子供が何かを知らないのだから何を知らないのかを考えるのです。何が子供を望ましくない行動に駆り立てるのかを考えるのです。
子供が正しいと考えるのは客観的に子供の主張を受け取ることです。

子供が人前で泣き叫ぶ場面を想像してみてください。子供が泣き叫ぶことが正解だと考えてみてください。子供が泣き叫ぶのは何らかの目的を達成しようとしているのです。そして自信を持って子供が泣き叫ぶのであれば、これまで泣き叫ぶことで目的を達成した成功体験が必ずあるはずです。つまり泣き叫ぶように育てたのです。そういう意味で子供が正解なのです。
泣いて欲しくなければ、子供が泣き叫ぶ目的を取り除けば良いのです。泣き叫ぶ目的とは何らかの子供の欲求を達成することです。何かを買って欲しいとか何かをしたいとか、注射をしたくないなどの欲求です。大人が躊躇するのを子供は見逃しません。大人が動揺するとあと一息だと子供は確信して余計泣き叫びます。

子供が何度言っても片づけをしない場面を想像してみてください。
片づけをしないことが正解だということは理解できないかもしれません。
しかし子供の立場に立てばわかりやすい話です。子供は何故片付けなければいけないかわからないのです。怒られるから片付けなければならないということはわかっても、片付ける目的自体がわからないため怒られるまで片付けないのです。出来ることなら怒られても片づけたくはないのです。ただそれだけのことです。大人でも意味や目的のわからない作業を言いつけられたら、何でしなければならないの?と疑問を持ったまま行動できない人は多いと思います。大人は仕事と言われれば意味がわからなくても行動できる人もいますが、大人でも逃げ出してしまう人もいるでしょう。意味のわからないまま行動を強いられるのは誰にとってもつらいものです。意味がわからないまま行動のできる子供は言われた通り片づけができるのだと思います。意味がわからないままでは行動できない子供もいることを理解できれば、どうすれば片づけをする子供に育てることができるかわかると思います。片づけの意味がわからない子供は散らかっているものを一つの箱に放り込んでしまうとよいと思います。そうすれば探すことが大変だとわかるため、整理整頓すると次に使う際に探しやすいことがわかります。
片づけの目的がわかっていても片づけできないのであれば、具体的な片づけの仕方がわからない可能性も考えられます。大人にとっては整理整頓することが片付けることだと常識としてわかっていますが、誰かに教えてもらったはずです。その誰かに教えてもらったことは自然にわかることだと誤解していると、子供に説明することなく子供は理解していると勘違いしてしまうのです。片づけの仕方をしらないのに、片付けという号令だけかけられても子供にとってはどうしていいかわからないので困ってしまうのです。片付けという概念がわかっていても、片付け方が子供にはわからないのです。そして当然片付け方がわかっている思っている大人と片付け方がわからない子供の間に認識のずれがあるのです。子供にとってはあまりに当たり前に片付けするように言われるので、片付けができることが当然だと子供自身も考えさせられてしまうため片付け方を聞くことができないのです。そもそも子供にとって片付け方を聞くという概念そのものがないので、子供にはどうしようもないのです。大人から片付け方を教えてあげてみてください。

子供のやることが正解。
大人が間違っている。
この視点を少し考えてみてください。
子供の行動を客観的にみることを目的としています。
もし子供が自分自身の行動を客観的にみることができて、大人に指摘できればよいのですが、大人ですら自分自身のことを客観的にみることができない人が多いのですから子供に行動を客観的に把握することを求めるのは酷なことだと思います。
やはり大人が子供の行動を理解してあげるしかないと思います。

実際に子供が何をしても良いと言っているわけではありません。子供の行動にはこれまで培った理由があることを理解してほしいのです。
子供が嘘をついて困るというのも、子供が嘘をつくと得をしていたから嘘をついてしまうのです。嘘をつくと最終的に損をすることを誰も教えてくれないから嘘をつくだけのことです。

赤ちゃんにはわかるはずがないという思い込み

赤ちゃんにはわかるはずがないという思い込みがあります。
恐らく赤ちゃんには何もわからないとされているのが常識と言っても過言ではないと思います。
もし常識の方が間違っていて、赤ちゃんはあらゆることをわかっているとしたらどうでしょう?
ただ話せないだけでわかる訳がないと考えるのは大きな間違いだと思います。

赤ちゃんが物事をわかるはずがないと考えてしまう理由は、話ができないことが一つ。もう一つは自分たちが子供の頃のことを覚えていないからわかるわけがないと考えてしまうのです。

赤ちゃんはただ話せないだけで様々な物事をわかっているとしたらいかがでしょうか?赤ちゃんは考えてはいるけれども表現方法がないため、泣くことで周囲を思い通り動かすのです。
不快であったら泣いて、不快が改善されたら泣き止む。
寂しいなどの感情でも泣いて、寂しさが癒されると泣き止むのです。

赤ちゃんとはいえ、因果関係を理解します。
例えば爪が伸びていて手を動かした際に顔や頭を引っかいていても、そのうち自然と引っかかなくなります。
何故なら手を動かして引っかくと痛いということの因果関係を理解するからです。
因果関係を理解するまでの期間は赤ちゃんによってことなるかもしれませんが、引っかくことと痛みを理解した時点で自ら引っかくことはなくなります。ただし湿疹などの痒みがある場合は、痒みが収まるまでは掻き毟ってしまいます。痒みがない場合には引っかくことと痛みの因果関係により引っかかなくなります。

赤ちゃんが回りの人に笑いかけて、周りの人が笑ってくれると繰り返し笑うようになります。
笑いかけても周りの人が笑ってくれないと反応がないので笑わなくなります。

ちなみに赤ちゃんには写真や置物、人間と動物、イラストなどの区別がつかないので、それらの反応のないものにも笑いかけます。動かないことや反応がないことから、動かない物という概念を理解していきます。
生後2か月から4か月にはものに対して必死で笑いかけてアピールしますが、物と人の違いを理解することで物には愛想を振りまくことがなくなります。

赤ちゃんは物事を因果関係を考えながら理解していきます。
笑いかければ笑ってくれる。そのことがわかれば次も笑うようになります。
笑いかけても笑ってくれない。そのことがわかれば次は笑わなくなります。因果関係がないから無駄だと理解するのです。
最初のうちは物にも笑いかけますが次第に笑いかけなくなります。
笑いかけても反応しない人には、物と同じように笑ってくれないと理解して笑いかけなくなってしまいます。もしかしたら笑いかけても笑わない人は赤ちゃんにとっては物として理解しているのかもしれません。

赤ちゃんはまだ話せなくても親が話している言葉は理解している可能性がありますので、しっかり話しかけてあげましょう。生後3か月や4か月でも返事をする(ように見える)赤ちゃんもいるようですよ。

笑顔の子育て 子供が何を学ぶかを考える

笑顔の子育てを提唱しています。

子供が何を学ぶかをあらかじめ考えることで対応を考えるのです。
親のとった行動により、子供が何を学習するかを考えるのです。

子供がスーパーでお菓子を買ってほしくて駄々をこねていることを想像してみてください。
泣き叫んでいる子供に、今日は買ってあげるけど次に泣いても買わないからねと言い聞かせました。子供は満面の笑みで分かったといいます。
次の日もまたお菓子を買ってほしくて泣き叫び始めました。
昨日約束したよね。と伝えても泣き叫ぶばかりです。
周りの人の目もあるし困り果ててしまいます。

このような場面で子供が何を学ぶかを考えてみます。
泣き叫んだ結果約束を破ってもお菓子を買ってもらえた場合、子供は約束を破っても泣き叫べばお菓子は買ってもらえると学習します。
人のいるところで泣き叫べば約束を破っても大丈夫だと学習するのです。
泣き叫んでもお菓子を買ってもらえなかった場合、子供は約束を破ると泣き叫んでもお菓子は買ってもらえないと学習します。
ですからまずどれだけ泣き叫んでもお菓子は買いませんと宣言します。
ただしすぐに泣き止めばお菓子は買わないけれど少しだけ何か良いことがありますと伝えるのです。例えば今回は買わないけれど次のときに買ってあげるなど、今度は親が約束を守れる範囲で提案をするのです。
先に泣き叫んでも買いませんと宣言して絶対に買わなければ、何かを買う目的で泣き叫ぶことは無駄だと学習します。逆に泣き叫ぶことで親が根負けしてしまえば、子供にとって親から怒られるのは乗り越えるべき障害でしかありません。親に怒られてでも泣き叫ぶという行為を頑張ったご褒美と学習しかねません。

結果として子供が何を学び取るかを考えると、自然ととるべき行動がわかってきます。
全く怒る必要なんてありませんし、ほとんどの場合は怒るという行為は逆効果です。ちょうど先日の怒ると褒める、北風と太陽の関係のように。
相手が何を学び取るかを考えた上で行動すれば、自然と笑顔の子育てになると思います。

子供がわかってくれれば、親も子も自然と笑顔があふれるのですから。

参考文献:アルフレッド・アドラー 人生に革命がおこる100の言葉より

怒ると褒める、北風と太陽の関係

子育てにおいて子供の間違った行動を修正するのに、怒る方法と褒める方法があります。

間違った行動をするとついつい怒ってしまいがちですが、子供は怒られるから行動をやめたとしても本質がわかっているわけではないのですぐに同じ行動をとってしまいます。北風と太陽の童話で旅人の服を脱がせようとする北風のようです。衣服を脱がせようとしても、北風は寒いからしっかり衣服を着込むので逆効果です。子供を怒るのも同じで逆効果です。

間違った行動をしないように怒るのではなく、間違った行動をしなければ褒めるようにするのです。褒められれば子供も嬉しいので間違った行動をしなくなります。怒られるという嫌な思いをする代わりに、笑顔で教えてあげるのです。褒めることで自分から行動するように促すのです。正に旅人が自分から衣服を脱ぐように仕向けたジリジリと太陽が照り付けることに似ています。

そもそも子供が間違った行動をとるのは、子供が何かを知らないだけです。知らないことを教えてあげるのを、怒って教えるか褒めて教えるかの違いです。あなたならどちらが嬉しいですか?選べるとすれば怒られながら教えてもらうのと褒められながら教えてもらうのをどちらを選びますか?

どうせなら子供の知らないことを褒めながら教えてあげてはいかがでしょうか?

ちなみに心理学を極め、若い頃に怒ることをやめた有名な心理学者アドラーは怒ることはもちろん褒めることも否定しています。何故なら褒めてもらえないと行動しない人に育ち、褒めてくれない人を敵だとみなすようになってしまうからだそうです。(参考文献:アルフレッド・アドラー、人生に革命の起こる100の言葉)

私は褒め方・伝え方の程度の問題で、褒められることに依存する程でなければ褒めても良いのではないかと思います。少なくとも怒ることよりも何倍も効果は高いと思います。怒られてイヤイヤ行動するのではなく、褒められることで自分からすすんで行動するようになるのですから。

ちなみに怒るという感情で子供を思い通り動かそうとしていると、子供はそれを見て学習するので、泣くという感情で親を思い通り動かそうとします。感情の攻防戦です。お互いの目的を知ると怒ることも泣くことも効率が悪いことが良くわかります。

親は感情ではなく知恵を使って子供が間違った行動を取らないようにしてあげたいですね。

赤ちゃんは泣くのが仕事というのはただの言い訳?

赤ちゃんは泣くのが仕事だという考え方があります。
赤ちゃんの立場から考えてみます。赤ちゃんとしては泣く前に察してほしいのに改善されないので仕方なく泣くのです。赤ちゃんは泣きたくて泣いている訳ではありません。仕方なく泣いているのです。

赤ちゃんが泣くのは色々な原因が考えられます。
お腹が空いたのか、おむつを替えて欲しいのか、暑いのか寒いのか、喉が渇いたのか抱っこしてほしいのか、寂しいのかはわかりません。泣いた時点で想像するしかないのです。
いずれにしても赤ちゃんは泣いた時点で何らかの欲求を満たす目的で泣いているのです。

赤ちゃんを観察していると、泣く前に表情が変わります。
表情が変わった時点で抱っこするなり、上記泣く理由を考えて先回りして対応することで泣くことを避けることができます。全く泣かさないことは当然不可能ですが、泣くのが仕事だから泣かせておけば良いというのは、ただの言い訳ではないでしょうか?
いかに泣かさないかを考えることこそが、子育ての本質だと思います。
赤ちゃんでもそうですし、子供になっても同じです。いかに泣かさないかを考えることこそが、子育てです。
ここで注意してほしいのは、泣かないように甘やかすということをお勧めしているわけではありません。赤ちゃんや子供が泣くのは目的があるので、その泣く目的を達成しないようにうまく回避すると泣くことを繰り返さないようになります。逆に泣くことで目的を達成してしまうと、成功パターンとして繰り返してしまうのです。

できるだけ泣かさないことが理想ですが、赤ちゃんや子供が泣いてしまうことは仕方のないことです。泣いてしまった状況をできるだけ繰り返さないように工夫していくことが大切だと思います。

今回の子育ての常識革命は赤ちゃんが泣くのが当たり前という常識から、赤ちゃんは泣かないのが当たり前で、泣かせてしまったら負けという考え方の提案です。

赤ちゃんは泣くのが仕事だと思っていると、意識として泣くのが当たり前だと思ってしまいます。
赤ちゃんが泣くのは仕方がないという言い訳をしているようなものだと私は思います。

泣かさない方法を探すことから逃げ出すための言い訳

多くの大人は泣かさない方法を探すことから逃げ出すための言い訳をしているのではないでしょうか?赤ちゃんが泣くのは仕方がない。泣かさない方法が存在するわけがないから、最初から探すことをせず言い訳を見つけたのです。
『赤ちゃんは泣くのが仕事』という言い訳を。
言い訳は問題と向き合わず逃げ出すためにすることです。
そのため言い訳人間は行動を改めることができません。
行動を改めることができないから赤ちゃんは泣き続けるしかないのです。
結果として赤ちゃんは『泣くのが仕事にさせられてしまう』のです。

赤ちゃんは笑うのが仕事だと私は思います。
子供も笑うのが仕事だと私は思います。

赤ちゃんは言葉が話せないので、感情で大人を動かすことしかできません。
泣くという感情で大人を動かすことを覚えると、大人を思い通りに動かしたければ泣けばよいと学習して育ちます。言葉が話せるようになっても自分の思い通りにならないと泣き叫ぶのはそのせいです。泣くことで欲求を満たしていた赤ちゃんの頃の名残なのです。
赤ちゃんが泣きだす前に表情から読み取って泣かないようにしてあげると、欲求を満たすためには泣かない子供に育つと思います。

改めて書きますが、言葉が話せるようになっても泣き叫ぶことで自分の欲を満たそうとするお子さんも対策を考えれば泣かないようになります。
コツは子供の泣く目的を探し、泣いてもその目的を達成できないことを伝えてしまうことです。(目的論
泣いても目的は達成されないから無駄だよと伝えるのです。

赤ちゃんや子供が泣くのが常識を書き替えてみましょう。
実際に泣かさないように子育てするのは大変ですが、もし実現できれば全く違う世界が見えてくるかもしれませんね。

笑顔の子育て 北風と太陽

笑顔の子育て
北風と太陽の童話になぞらえて考えてみます。
童話では旅人の衣服を脱がせようとして北風と太陽が競います。まず北風が強い風で衣服を剥ぎ取ろうとしますが、衣服が脱げると余計寒くなるので必死で抵抗しますから服は脱げません。一方太陽はジリジリと照りつけるだけで旅人は暑くなって服を自分から脱いでしまいました。
旅人の立場からどうすれば衣服を脱ぎたくなるかを考えればよかったのです。

子育てにおいてもどうすれば子供がどうすれば目的は社会に出ても恥ずかしくない常識を身につけることが出来るかを考えてみるのです。
北風と太陽のように、怒ることと笑顔で伝えることの2つの選択肢があります。北風のように怒ることで常識を身につけることが出来るでしょうか?恐らくできないと思います。何故なら子供は怒られたら、怒られたことを受け入れるよりも拒絶してしまうからです。
笑顔で伝えることで伝えられたことを素直に受け入れるのではないでしょうか?

子供の立場から、どうすれば人のいうことを聞く気になるかを考えればよいのです。
片方は怒っています。片方は笑っています。
どちらのいうことを聞きたい気分になるでしょうか?

腹が立っているのに笑顔で接するなんて無理!と考える方もおられるかもしれません。
しかし、子供の行動を認識して怒るという感情を選んだのは自分です。
視点を変えて面白いところ、ほほえましいところ、褒めることができるところを探すのです。
例えば以前から言い聞かせている約束を破ったとしても、正直に言ってくれたことを褒めるのです。例えば気を付けるように言っていても怪我をしたとしても、大怪我ではなかったからよかったねと褒めるのです。
この考え方の詳しくはアドラーの心理学をご参照ください。

何より子供がとる行動はそれまでの期間育てた結果です(詳しくは子供のの行動はこれまでの育て方の集大成)。
誰がそのように育てたのかを考えれば親は子供を怒るなんてことがあってはならないはずです。子供の行動の責任は親にあるのですから、子供を怒るなんて自分の育て方が間違っていることを子供に怒るようなものです。怒るならそのように育てた親を責めるべきでしょう。

どうしたら子供の笑顔を引き出すことができるか考えてあげてみてください。

子供の笑顔に必要なのは、北風でしょうか?太陽でしょうか?