初めて話す、初めて聞き取るの違い

赤ちゃんが初めて言葉を話すと親としては大喜びします。

しかし赤ちゃんは親が聞き取るもっと前に、話をしているようです。だから初めて言葉を話したというのは大人の理屈です。正確には赤ちゃんが話している言葉を初めて理解出来たようです。いずれも嬉しいことに変わりはありませんが、赤ちゃんが大人が考えているよりもはるかに能力が高いようです。ただ大人は赤ちゃんの頃のことを忘れてしまっているので、理解出来ないのです。

赤ちゃんの発する意味をなさないと考えられている喃語は、赤ちゃんなりに大人の言葉を真似しようとしているのかもしれません。ただ声の発し方がわからないため大人が聞き取ることの出来る声が出せないだけのようです。赤ちゃんに話しかけると言葉として聞き取ることは出来ませんが、音程の変化は真似しようとしていることから考えつきました。

赤ちゃんは言葉と話すことの出来るようになるずっと前から、言葉を理解し、真似しようとしているようです。赤ちゃんは言葉を話すようになるまで言葉はわからないと考えられがちですが、大人が考えている以上に能力を秘めているようです。赤ちゃんのそんな無限の可能性を見出してみてあげて下さい。

子供が物を買ってと言うようになったら

怒る必要のない子育てを提唱しています。怒らない子育てでは子供の自主性に任せる子育てと、放置プレイのような放任主義の子育てとの区別がつかないため、怒る必要のない子育てを提唱しています。

子供が成長するにつれて物を買って欲しいと言うようになります。小さい子でもお店でお菓子を買って欲しいと言うようになりますし、もう少し大きくなるとゲームなどを買って欲しいと言うようにならます。

物を買う際の落とし穴

買って欲しくて泣き叫ぶようになることがあります。何かを買って欲しくてせがんでも買ってもらえないと悲しくて泣いてしまうことはあるでしょう。初めて泣いたのは偶然だと思います。しかし泣いたことで結局買ってもらえると、成功体験として学習してしまいます。2回目からは泣くと買ってもらえた成功体験から、少し大袈裟に泣くようになってしまいます。回数を重ねるごとに更に大袈裟に泣くようにならます。

親が意識しないうちに何度も成功体験として、子供は泣き叫ぶと買ってもらえると学習してしまいます。子供は難しく考えている訳ではありません。欲しい物が買ってもらえないとわかると悲しくて泣いて、泣いていると買ってもらえると理解しているのです。だから泣き叫ぶ子供を泣かないように怒っても意味がありません。泣くのは買ってもらうための手段でしかないのですから。

子供は何かを差し出すことで物を買う訳ではありません。強いていえば泣いて怒られることを我慢したご褒美に買ってもらえると理解しているかもしれません。

物を買う場合に考えること

通常大人は物を買う際に、対価であるお金を支払います。物の価値とお金の価値が釣り合うか支払うお金よりも物の価値の方が高い、つまりお買い得な場合に購入します。物を買う際に必要なお金、そのお金を稼ぐための労働と釣り合うかどうかを考えて購入するのです(衝動買いは別の思考回路です)。大人は対価という考え方をするので歯止めがかかります。持っているお金に限りがあるので自然と物を買う際に買う物を選ばざるを得ないのです。

しかし子供には物を手に入れるための対価という概念がありません。言わば無限にお金があると錯覚して物を欲しがるのです。だから直感的に欲しいと思えば、欲しくて仕方がなくなるのです。そこに今手に入れたいという衝動買いの心理が子供にも働くので厄介です。

子供が物を買ってと言いだしたら

子供が物を買って欲しいと言いだせば、怒ったところで意味がありません。怒られるという嫌な思いを我慢したご褒美に買ってもらえると誤解してしまうからです。

そこで大人には当たり前の物に対する対価という概念を教えるのです。小さな子供ならその代わりに何を我慢するのか?例えば物を買う代わりにお菓子を我慢する?と聞くのです。ある程度大きくなればお手伝いや宿題以外の勉強を一定量するなら買ってあげるけどどうする?と聞くのです。例えば100マス計算を5枚するなら買ってあげるなどです。5枚は多いから3枚にしてと子供がいえば、そこであらたに相談するのです。

物を買う際に支払うお金の代わりになるものを我慢したり、行動をしたりする仕組みを考えるのです。

最初のうちは口だけで行動しないかもしれません。その場合、次は買わないのです。前回口だけだったからと取り合わないのです。そこで泣き叫ぶようになっても困ってはいけません。子供は親が困るのを見逃しません。もう少し泣けば目的達成と気付くからです。泣いても買わない。と宣言して立ち去るのです。それでも欲しいなら代わりにどうする?と笑顔で話しかけるのです。

買うか買わないかを親が決めると泣いたり頼み込んだりしてきます。子供に選ばせるのです。子供に考えさせるのです。物を買う代わりに何を差し出すのかを。

嫌々通う習い事が二重にもったいない理由


嫌々通う習い事は二重の意味でもったいないと思います。

1つは時間です。嫌々通っても身につくことが無いからです。習い事を楽しいと感じることが出来なければ、時間だけが過ぎていきます。嫌々習い事に通うくらいなら楽しく遊ぶ方が良いと私は思います。少なくとも時間を無駄にしているとは思わないでしょう。

2つ目はお金です。何も身につかないのにお金だけ減るのです。お金をかけて嫌なことをするのは非常にもったいないと思います。

将来役に立つ何か明確な目的があれば、その目的を伝えることで本人が納得することが大切です。目的もわからないまま嫌々習い事に通うのであればお金の無駄です。本人に目的がわかれば早く習い事をやめるために、早く習得するかもしれません。

子供が習い事に行くと言ったから行かせているとしても、それは親の行って欲しいという願望を感じ取って行くと言っているだけなのかもしれません。楽しいかどうか聞いてみてあげると良いのかもしれません。楽しいと答えても、何が楽しいか答えられなければ親の願望を感じ取って行きたいと言っているのかもしれません。親からの無言のプレッシャーを子供なりに感じ取って、親の望む答えを選んでいるのかもしれません。

嫌々通う習い事で得るものはありません。時間とお金を失うだけもったいないと思います。

怒る必要のない子育て 後始末をさせる

子供が何らかの失敗をして親が怒るというのは良くあることです。

怒る必要など全くありません。かといって放っておくわけでもありません。ただ笑顔で「自分で片付けてね」と伝えれば良いのです。それだけのことで親の問題も子供の問題も解決します。

親の問題とは後始末をするのが自分だと錯覚することです。後始末が大変だと知っているので、自分が後始末をすることに怒るのです。後始末は子供がすることだと考えれば何も怒る必要などありません。子供の問題だからです。もし親が後始末をしてしまえば、子供は怒られるだけで済むのでまた同じことを繰り返すでしょう。

子供の問題とは後始末が大変だと知らないことです。後始末が大変だと知っていれば別のやり方をしたり、もっと慎重に行動していたかもしれません。後始末を自分ですることで嫌でも大変さを思い知ることになります。後始末を避けるために知恵を巡らせることでしょう。少なくとも同じ失敗はしなくなるでしょう。

子供を怒らないコツは後始末をさせることです。そうすることで、失敗をすると後始末をしなければいけない自分が損をすることを学習するのです。怒ったところで怒られた子供は、怒られること自体をやり過ごすことを覚えるだけです。誰も幸せにはなりません。

体重の調節の仕方 〜人の取扱い説明書〜

人の取扱い説明書を作ることを考えています。

今回は体重の調節の仕方です。

体重を減らしたい場合

体重を減らしたい場合には、糖質を食べる量を減らすとタンパク質・脂質はお腹いっぱい食べても自然に体重が減ります。

体重を増やしたい場合

逆に体重を増やしたい場合には無理にでも糖質を多く食べるようにすると体重は増えます。

糖質依存

体重の調節のためのキーワードは糖質依存です。糖質依存により食べ過ぎることで体重が増えています。お腹が空いて我慢出来ないのも糖質依存のせいです。そもそもお腹が我慢出来ない程空くのは、糖質依存の禁断症状なのです。少しだけ食べると余計お腹が空くのも糖質依存の症状の一つです。

知らない間に糖質依存に陥るとなかなか抜け出せないため、いつの間にか糖質を過剰に食べ過ぎることから体重が増えてしまいます。糖質を控えるだけで糖質依存から抜け出すことが出来るので、簡単に体重を減らすことが出来るのです。

糖質依存から抜け出すと、糖質を食べる量を調整することが出来るようになります。糖質依存状態では一度食べ始めた糖質を途中でやめるのが難しいのと対照的です。

体重を増やしたいならわざと糖質依存に、減らしたいなら糖質回避し糖質依存から抜け出すことが一番の近道です。

遊びに行くのと遊ばされに行くとの違い

以前遊ぶと遊ばされるの違いについて書きました。遊ぶとは自分で考えて遊ぶのですが、遊ばされるとは人の考えた遊び方で遊んでもらうのです。

遊ばされる仕組みは、あらかじめ楽しみが用意されています。楽しくなるように考えてありますが、そのままでは用意された楽しみに飽きてしまうと面白くなくなります。その対策として新しい楽しみを用意することで、飽きない仕組みにより何度でも遊ばされたくなります。こうして遊ばされる施設のリピーターになってしまうのです。

遊ばされる施設では、用意された楽しみしかないので、施設側の用意した楽しみ以上の刺激はありません。得られるものは楽しかったという満足感だけです。自分で遊び方を考える必要がないので、簡単に楽しむことが出来ます。いわば快楽をお金を使って得るだけです。楽しむことが出来ますが、遊ぶ本来の目的を失っていると思います。たまには遊ばされるのも良いとは思いますが、遊ばされてばかりいると考える能力が養われないので、もったいないと思います。

更に遊ばされる施設の目的はお金です。その場で楽しみたいという「衝動買いの心理」を巧みに利用して、楽しみと引き換えにお金を引き出す仕組みが考えられています。

遊ぶとは自分で楽しむツボを探すことです。遊ぶことの出来る施設は、人それぞれの楽しみ方があります。そして人それぞれの気づきがあるのです。少し視点を変えるだけで全く違う遊びになることもあります。違う視点を見つけるのも自分で楽しいことを探す遊びの醍醐味です。

わざわざお金をかけて遊ばされに行くのと、近場でも自分で考えて遊ぶ施設で遊ぶのでは、遊ぶ施設で遊ぶ方がお金の節約・経験と二重の意味でお得だと思います。

よだれの多い赤ちゃん、お腹が空いているだけ?

赤ちゃんを見ているとよだれの多い赤ちゃんもいるようです。体質なのかと思っていましたが、もしかしたら違うのかもしれません。
お腹が空いてよだれが流れているのです。そのことに気付いてもらえないのでずっとよだれが流れているのではないかと思います。
親の食事に関する常識で1日3食を基本に赤ちゃんの食事も考えがちです。
赤ちゃんはお腹が空いてしまえば何度でも食べさせてあげるのが正解ではないかと思います。赤ちゃんは空腹感を感じることが出来るので、空腹感を感じれば食べさせてあげれば良いのではないかと思います。

この仮説が正しければ、よだれの多い赤ちゃんは食べ物やおっぱいが足らずよだれをたらしているのです。よだれを流れていれば積極的に食事を食べさせてあげることで、よだれが減るようであれば仮説が正しいことが証明されます。
良かったらお試しください。

子供がおねしょを繰り返す理由と対策

子供がおねしょを繰り返す理由とその対策を考えてみます。

おねしょとは寝小便のことで寝ている間におしっこをしてしまうことです。一度目は偶然寝ている間にしてしまうのでしょう。その対応で親の行動を子供が学ぶのです。親が自分にとって望ましい行動をしてくれることがわかるとおねしょを繰り返すのです。親が望ましくない行動をするとその行動を避けたいのでおねしょはしなくなります。

子供が求めている親の行動

おねしょを繰り返すということは、おねしょをすることで心地良い面があったのです。おねしょをすることで得をするのです。その得をするという感覚が親には理解出来ないので、知らず知らずのうちに同じ行動をしてしまうのです。そして子供は無意識のうちにおねしょを繰り返すのです。

子供の求めている親の行動とは、おねしょをすると子供に注目することです。本来なら子供は正の注目、すなわち褒められるような行動を取りたいのですがうまくいかない場合におねしょしてしまうようです。傾向としてお兄ちゃんかお姉ちゃんがいて、正の注目はしてもらえないから負の注目を集めようとするのです。

対策

おねしょをすることで注目してもらうことが目的です。対策は注目しないことです。おねしょをしてもおねしょをしなくても同じ行動を取るのです。おねしょして怒るのはもちろん注目していることになります。おねしょしないように寝る前に水を飲まないように促すことも注目していることになります。おねしょしても淡々と布団を替えて、おねしょしたことに触れないのです。おねしょをしても特別扱いしてもらえないことを理解するとおねしょしなくなります。

無意識に親の思いを汲み取る子供の心理

無意識に親の思いを汲み取る子供の心理を考えてみます。文字にすると特殊な状況のように感じますが、良くあることです。無意識のうちに子供は親の思いを汲み取ることで、親の期待していることを叶えようとします。そしてこのような心理を知らなければ、子供を追い詰めてしまうことにも繋がります。

親の思いを汲み取るとは、例えば親同士が中学受験をして欲しい内容の会話をしていると、子供はその思いを汲み取ることで中学受験をしたいと言い出すことです。子供に聞こえないようにしておかないと、親の思いを子供が汲み取ってしまうのです。親の方も子供の前でわざわざ中学受験を話題にすることで中学受験して欲しいことを無意識のうちに伝えているのです。親がズルいのは中学受験して欲しいと直接子供に伝えていないことです。無意識のうちに子供が自分で中学受験を選んだように仕向けているのです。本当に子供の意思を尊重するのであれば、子供の前で中学受験の話をしてはいけません。子供の前で中学受験の話を一度もしたことがなければ、本当に子供の意思かもしれませんが、一度でも話を聞いていれば親の思いを汲み取ったのか見極める必要があります。

悲劇

悲劇とは親の思いを汲み取ることで中学受験を決めた子供が、中学受験にむいていない場合です。いくら優秀でも、まだ物事の考え方がわからないうちに詰め込む中学受験にむいていないこともあり得ます。本当の悲劇とは子供が追い詰められてしまうことです。親の思いを汲み取っただけなんですが、形の上では自分で中学受験を決めたことになっていることです。案に親の誘導されたのですが、自分から受験したいと言い出したと思い込んでいる子供は、中学受験をやめたいと自分からは言い出せないのです。嫌々受験してもうまくいくはずもありません。失敗したというトラウマだけが残ってしまいます。中学受験という余分な時間とお金をかけてトラウマを残すのは勿体無いと思います。

悲劇を避けるために

悲劇を避けるためには、助け船を出してあげることです。本当に中学受験したいの?と優しく声をかけてあげると良いと思います。間違っても、私としては中学受験して欲しいけどと前置きをしてから聞かないことです。その前置きを受けて親の期待を裏切りたくない心理に陥るからです。子供は自分一人では生きてはいけません。だから親に見捨てられないために精一杯無理をしようとしてしまうのです。本当は嫌だけどお父さん、お母さんが喜ぶなら頑張ろうとするのです。

これまでの行動が親の期待や親の思いを汲み取って頑張っていたのであれば、そのことを褒めてあげましょう。そして無理しなくて良いことを伝えてあげましょう。

今回は中学受験を例えに出しましたが、習い事や高校受験、大学受験などでも同じです。場合によっては就職活動でも親の思いを汲み取って行動しているのかもしれません。是非助け船を出してあげてみて下さい。お子さんの違う一面を垣間見ることが出来るかもしれません。

寝ている赤ちゃんを置くと泣き出す理由

抱っこして寝ている赤ちゃんを置くと泣き出すことは良くあります。

以前書いたのはお母さんのお腹の中で10ヶ月過ごしたので揺れている状態に慣れているからだという理屈です。揺れているのが普通で抱っこされていると落ち着くのだと思います。揺れている状態に慣れていると揺れていないと、地面が揺れている錯覚に陥るのだと思います。小さいボートに乗ったことのある方は経験されたことがあると思いますが、ボートで揺れている状態が普通になると陸に上がると地面が揺れていると錯覚するのです。地面が揺れていると感じるのでおかしな感覚で泣き出すのだと思います。

今回は別の角度から考えてみます。人類はお猿さんから進化したようですが、お猿さんは親猿から離れてしまうと小猿は死んできまうので必死でしがみつきます。人間はお猿さんより未熟な状態で生まれてきます。人間の子供は自分でお母さんにしがみつくことが出来ないので、お母さんに置いていかれることを恐れて泣くのではないでしょうか?

そのため熟睡していれば泣くことはありませんが、眠りが浅いと置いていかれることを恐れて泣いてしまうのかもしれません。赤ちゃんに聞いても答えてくれないので、本当のことは永遠にわからないのですが、赤ちゃんに関する一つの仮説として考えてみてください。