親が子を何度も怒ることになる理由

私は子供は怒る必要が無いと思います。何故なら怒っても通常怒っている内容が伝わらないからです。だから子供が何度も同じことをして、怒ることになるのです。何度も同じようなことをする子供には、実は悪気が無いことが大半です(たまにワザと怒られることをして、親に構ってもらいたい子供もいます)。

子供は怒られる理由が理解出来ないから、怒られるような行動を取るのです。そして怒ったところで、犬が吠えているのと変わりません。怒っている内容は伝わらず、怒っていることが伝わるだけです。怒る側からすると当たり前すぎて怒っている理由を客観的に上手く説明出来ず、『言わなくてもわかるだろ!』とまくしたてるのも良くあることです。怒られている側からすると、わからないから怒られているわけで、更に怒られる覚悟で『わかりません』という勇気はありません。『はい。わかりました。』しか言えないのです。

怒られる理由は良くわからないけど、何故怒られたか聞ける雰囲気ではない。どうやらやってはいけないことをしたようだ。今度からは気をつけよう。とは思うものの、明確に何故・何の目的で怒られているのか教えてもらえないため、子供の理解と親の怒っていることがズレてしまうのです。だから子供は前回怒られたことは避けて、子供なりに怒られない工夫をしているのです。子供には怒られている内容が良くわからないのですから、手探りで工夫しているので子供にとっては違う行動だけど、親にとっては同じ行動にしか見えず余計怒るというのも良くあることです。

対策は怒るではなく、叱るでもなく、諭すです。

怒る必要なんてありませんし、怒られてしまうと子供は怯えて上手く伝わらないので時間がもったいないです。

子供を怒る親の心理

私は子供は怒る必要は無いと思います。怒って伝わるのは犬が吠えているのと同じ、怒っているぞ!というメッセージだけです。私達は人間なのですからどのように不快な思いをしているのか、相手のわかる言葉で伝えることです。相手にわからないことで一方的に怒るのは犬が吠えるのと大した違いはありまん。無意味だからやめましょう。

子供のためと思い込みながら、自分のために怒るのも良くあることです。人は客観的に物事を判断しているつもりでも、どうしても主観的に物事を捉えがちです。特に誰からも指摘されることのない家庭内では偏っている主観的なものか、偏っていない客観的なものかを判断をする基準がありません。つまり怒った親が正しいかどうかの判断がされないのです。誰からも咎められないので親は自分が正しいと思い込んでいるのです。子供を養っているのだから従って当然と誤解している親もいます。

親は子を怒る際、誰の問題か深く考えず、自分の問題だと勘違いして怒り出すのです。

子供を怒っている親を見かけますが、子供はただ知らないことで怒られているだけで可哀相です。怒っている親も怒らない方法を知らないだけですので、怒っている姿が可哀相にも思えます。

親が子供を怒る場面で多いのが、親の手を煩わせるから親が子を怒る場面です。怒る必要はありません。対策は小さいお子さんと片付けの出来るお子さんで異なります。

小さいお子さんの場合何かをこぼすなどの手を煩わせる可能性があれば、そのことを予測してこぼさないように先回りして対策を取るのです。そうすればこぼしたことを怒る必要が無くなります。小さいお子さんがこぼす隙を無くしてしまうのです。そして自分のためでもあります。こほされると後片付けが大変なので、こぼさないように対策する方が余程楽ですから。

自分で片付けが出来るお子さんの場合、親はこぼすと子供自身に片付けるように伝えるのです。子供がこぼしても子供が片付けるので、親は腹は立ちません。子供の問題にしてしまうのです。そうすることで、次からこぼすと面倒なことを学習するのでこぼさないように気をつけるようになります。こぼしても『お母さん!』と叫ぶだけで執事のごとく後片付けしてしまうと、怒られるのを聞き流せば良いだけですから子供は気をつけるようにはなりません。いわばこぼしても困るのはお母さんで、お母さんの問題だと勘違いしてしまうのです。

子供が人前で大声を発する理由

子供が人前で大声を発することがあります。今日はその理由を考えてみます。

大声は子供の武器?

一言で言えば親を攻撃しているのです。一番最初は思い通りにならないことで感極まって感情が爆発し、偶然奇声や大声を発したのだと思います。奇声や大声を発することで親が嫌がることを目の当たりにし、自分の持つ武器だと理解するのです。このことを成功体験として記憶するのです。

武器を使えば使う程威力を知る

同じ状況になれば再び成功体験を持ち出して親を攻撃するのです。回数を重ねれば重ねる程子供は自信を持って親を攻撃するようになります。

怒るのは逆効果

ここで子供を怒ると、子供は親がダメージを受けていると感じます。親の怒りは目的を達成すらためのハードル・障害でしかありません。親の怒りというハードル・障害を我慢したご褒美として目的を手に入れると考えているのかも知れません。奇声や大声をあげて怒られると子供は目的に近づいたと内心喜んでいるかも知れません。無意識のうちにもう一押しと考えて、更に大きな声を出したり泣いたりします。

つまり怒ると逆効果です。

対策は?

子供が奇声や大声をあげても気にせず、他のことに気を逸らすのが一番の対策です。子供は二つのことを同時には考えられませんから、全く別のことを話しかけられると混乱して泣き止みます。拒絶して泣き続けようとすることもありますが、更に他のことに気を逸らすようにして、気が逸れるまで興味を惹くことを探すのです。

子供の好き嫌いは誰のせい?

子供の好き嫌いは誰のせい?といっても今回は食べ物ではなく、歌や踊りや絵などの話です。

実は子供は歌や踊り、絵を描くことは大好きです。何故なら楽しいから。というよりも楽しくなるように自分なりに工夫していくからです。歌や踊りはテレビなどで人の真似をして楽しみます。楽しいので真似をするのですから、楽しくない訳がありません。絵を描くこともそうです。描くと楽しそうなものを選んで絵を描くのですから楽しくない訳がありません。

でもお子さんによっては歌や踊り、絵を描くのを嫌がると思われるかも知れません。それは誰か他人が他人の価値観で評価したからです。それで子供は否定されるので嫌になっただけのことです。

自分で自由にしていれば好きも嫌いもありません。楽しいからやるだけのことです。

誰かの価値観で評価され、否定されてしまうと楽しく無くなって嫌いになるのです。

子供の伸びる芽を大人の価値観で摘み取っていませんか?

対策としては基本的に危険が無ければ子供のやることを否定しないことです。人に迷惑をかけてしまうことは、教えてあげるべきですが、それら以外は何でも子供の好きにさせることです。音程が外れても、踊りが不器用でも、色使いが独特でも子供が楽しければそれが一番です。他人の価値観で子供の感じ方を歪めないことが大切だと思います。

子供の習い事の意味と目的

子供が学校以外で行う習い事の意味を考えてみました。前回の習い事の話はこちらです。
学校では経験できないことを学ぶことが目的です。
書き方や音楽教室、水泳教室や体操教室、英会話教室など様々な習い事があります。

習い事の目的

将来のため

習い事の目的の一つは成長して役立つことを身につけることです。
例えば書き方教室では綺麗な字をかけるようになることが目的ですし、音楽教室は教養としてピアノが弾けることなどを目的とします。水泳教室は溺れないように泳げるようになることが目的ですし、体操教室は学校の体育についていけるように体の動かし方を学ぶことが目的です。英会話教室では英語が話せるようになることが目的です。

本来は目的が達成されれば途中でやめることも選択肢の一つです。これらの習い事では、本来の目的を忘れてしまい、通うことが目的になることもよくあります。

将来のためという意味では塾も同じですが、塾の場合は日頃の勉強と受験というわかりやすい目的があります。

日々の勉強のため

学習塾に通う目的は小学生の間は学校の授業についていくように勉強を教えてもらうのが目的です。
中学生となると高校受験に備えて、学校の勉強の補強をしてもらうのが目的です。中学生の場合には高校受験という将来の目的がありますが、基本的には日々の勉強の補強のためです。

子供さんが納得して学習塾に通っていればいいのですが、納得していなければ塾の先生の思いと子供さんの思いがズレてしまいます。

塾の先生はお金を頂いている以上当然全力を尽くします。子供さんも親御さんがお金を払っている以上、覚悟をもって塾に通ってきているはずと塾の先生は期待しています。何故なら義務教育ではないので塾は行くのも行かないのも自由です。わざわざ来るのだから意欲があるはずと期待してしまいます。

もしかしたら子供は良くわからないまま塾に通っているだけかも知れません。先生と生徒の塾に対する認識の齟齬を生じているのかも知れません。良くわからないまま親に行きたいと言ってしまい、引くに引けなくなったのかも知れません。

塾に向いているお子さん

かなり強引ですが、動物を生徒に、勉強を餌に例えてみます。

野生動物のように貪欲に勉強を食べにいくお子さんは当然塾に向いています。

家畜やペットのように与えられた勉強を食べることができるお子さんは塾に馴染むことが出来ます。

しかし生まれたての動物の赤ちゃんのように与えられた勉強を食べさせるように口に運び噛んで飲み込むまで補助しなければならないお子さんは、塾には向いていないように思います。

家庭教師が向いているお子さん

勉強を口に運んで食べさせてくれる家庭教師がオススメだと思います。

ただし勉強を口に運んで食べさせてくれる優秀な家庭教師に教えてもらえれば学生時代は良いかもしれません。しかし社会に出ると自分で餌を食べるだけではなく、餌を探さなければならないので後々苦労することになるかも知れません。

勉強を習う意味

お子さんに必要なのは勉強というエサを食べさせてくれることではなく、勉強というエサの探し方や取り方そして食べ方を学ばせてくれることではないでしょうか?

もしかしたら後は飲み込むだけの流動食のような食事・勉強を提供してくれる、塾もあるかも知れません。しかしそれでは塾に依存し塾から離れると何も出来ないお子さんに仕上がります。(もしかしたらやめさせないための、考え抜かれた塾の戦略かもしれませんね。)

勉強の本来の目的は知識の吸収の仕方を学ぶことです。
そして吸収した知識をテストの答えとして出力するようにすることです。
知識をわかりやすく加工して教えることをしていますが、わかりやすく自分で加工できるようになるべきです。

自分で必要な情報を見つけて、自分でわかるように加工して知識として吸収すること

これが勉強の目的です。
目的を達成を助けてくれる塾を見つけることができるといいですね。

怒る人の心理

怒る人の心理を考えてみました。

怒るというのは感情だから仕方ないと考えている人もいるようですが、若い頃に怒ることをやめた心理学者のアドラーによると目的があって怒りを利用しているに過ぎないそうです。(参考文献:アドラーの心理学)

怒りを利用する目的とは、相手の支配なのか、自分の正当性を認めさせることなのか状況により様々です。

怒る心理ですが、相手が自分の考えていることをわかってくれていないことに腹を立ているに過ぎません。

相手は知っているべきだと責めているだけのことです。わかっていて当然だと非難しているに過ぎません。

自分のことをわかってくれないと言って泣いている子供と本質は大して変わらないのかも知れません。子供の場合は怒っても相手にされないので、わかってもらえないことを責めるために泣くのですから。私を泣かせるなんて酷い人だと、感じてもらう目的で泣くのですから。(本人に自覚は無いと思います。人の行動には必ず目的があります。人前で泣く目的は相手を責めることだと私は思います。)

怒っている人を、何をわかってもらえなかったことを怒っているのか観察してみると面白いかも知れませんね。

怒られている当事者だとそこまでの余裕はないと思いますが、周囲で怒っている人を見かけたらこんな視点から読み解いてみてあげて下さい。

子供は怒られても意味がわからない?

怒らない子育てではなく、怒る必要がない子育てを提案しています。

タイトルの子供は怒られても意味がわからない?とはどういう意味でしょうか?

それは怒っても子供には、何に対して何故怒っているのか伝わらないということです。

怒る場合の多くは、相手と自分の何らかの齟齬(勘違い)が原因です。片や常識で片や全く知らないことからはじまります。

親にとって常識だから子供も知っていて当たり前として怒るのですが、子供は親にとって常識だと知らないので、怒られる意味がわからず戸惑います。親は言わなくてもわかるだろう!と怒ることもありますが、残念ながら言わないとわかりません。親の考えていることがわかるのは親だけなのです。人によっては自分の考えていることは全て当たり前だから、みんなが同じ考えを持っていて当然だと思い込んでいます。その当然のことを知らなかったり、当然のことをしなかったりするので怒る人もいるのです。自分だけの思い込みとも知らず。

怒られても意味がわからないのは、怒っている側の一方的な思い込みだから怒られている側には理解出来ないのです。

怒ることで伝わるのは、怒っている・不快な思いをしているという事実のみです。

怒る必要はないとは思いますが、もし怒るとしても何に対して何故怒っているのかを伝えなければ相手にとっては犬に吠えられているのと同じです。怒っている意味がわからないのですから、子供にとって犬に吠えらるのと変わりません。

怒るより叱るより諭すのが一番です。

少なくとも感情を全面に出さず、何が問題かを客観的に伝えてあげるようにしてみましょう。親からみた主観的なことを言われても子供には理解出来ません。客観的もしくは子供の立場に立って理解出来るように説明してあげましょう。

思いやりという名の価値観の押し売り?

今回思いやりの『意味』を深く考えてみます。

本来思いやりとは相手の事を考え配慮することです。この思いやりですが、無意識のうちに自分の立場から見た相手の事を思いやるという価値観の押し売りをしていないでしょうか?
本当の思いやりは相手の立場になって、相手の事を考えてあげることです。

みんなが本当の意味での思いやりを持って行動すれば、争いが減ると私は思います。

相手の事を考えていると口では言っても、本当に相手の立場に立って、相手の事を考えてのことでしょうか?実は相手の事を考えてという名目で、自分の立場からの価値観を押し付けてはいないでしょうか?

相手の立場に立って考える

最終的に困るのが相手であれば相手の問題です。(問題論)
その相手の問題を自分の立場から口出しするのは越権行為です。相手の立場に立って物事を考えた経験のない人には、相手の立場に立って考えるとは想像つかない考え方のようです。思いやりとは本来相手の立場で相手のことを一番に考えてあげることです。

例えばある親子の話

例えば子供が高校には行かないと言い出しました。親は高校くらい出ていないと将来困ると考えて子供に高校に行くことを強く勧める場面を思い浮かべて下さい。

親としては高校を出ていないと将来困ることを知っているので、高校に行くことを勧めるのは思いやりだと思っています。本当に相手の立場に立って相手を思いやる思いやりと言えるでしょうか?

子供の思い

子供は職人として一生生きていくことを決心し、高校に通う三年間が勿体無いと考えて高校に行かないと言っています。1日でも早く一人前の職人になるために高校に行かないと決心しているのです。それでも高校に行った方が良いと強く勧めるのは本当の思いやりでしょうか?

親の思い

親は子供が高校を卒業していないと将来苦労する可能性が高いことを知っているため、高校への進学を勧めています。親の立場からした思いやりではありますが、親の立場からの価値観です。職人として一人前になれなかった時のことを勝手に考えて、先回りして考えてしまうのです。

そして子供は親の知っていることを知らないのです。

子供の将来のことは明らかに子供の問題です。困るのは子供にも関わらず、本来困らないはずの親が自分の問題のように誤解してしまうことが良くあります。子供の問題に例え親だとしても口出しするのは越権行為です。

思いやる方法

では本当の思いやりであればどうすれば良いのでしょうか?

まず相手の思いの確認

ここでの問題は親と子の思いにズレがないかの確認がなされていないことです。生きている年数が違うので親と子では持っている情報量が全く異なります。

例えば職人さんの世界の厳しさを親は何となく知っていますが、子供は全く知らないだけかも知れません。職人さんの世界に入って逃げ出すかも知れないと親は心配しますが、厳しさを知らない子供は一人前になれると信じきっているかも知れません。

職人さんになれなかった場合、中卒での就職はかなり難しいことを親は当然知っていますが、子供は職人以外は考えたこともないだけかも知れません。

もしかしたら職人さんへの憧れもあって深く考えずに、職人を目指しはじめただけかも知れません。

本当の思いやり

子供の立場に立って考えてあげることです。子供は1日でも早く一人前の職人になることが目的なので高校に行くことを無駄だと考えています。

親は職人として一人前になれなかった時、中卒での就職を考えるとかなり不利になることを心配しています。親が子へ高校への進学を勧める場合、このことは親にとって常識なので子供も知っているはずとして説明せず、高校への進学だけを勧めてしまいます。

子供への伝え方を間違うと大変な誤解を招くことがあります。子供としては今から一生懸命頑張ろうとしているのに、上手くいかない場合の話をするのは子供にとって許し難い考え方に思えるようです。大人の駄目な場合を想定して、準備しておくという発想そのものがないため、あたかも親が失敗を望んでいるかのように誤解してしまうのです。

本当の思いやりであれば、子供が大人と同じ情報を得てから将来のことを判断したか確認してあげることです。例えば以下の3つです。

  • 職人さんの世界は厳しいけど耐えられるのか?
  • 職人さんになれなかった場合、就職は困難だから職人さんを諦めてから高校に行くことになるかも知れないけどそれでも良いのか?
  • 高校は勉強だけではなくて、三年間かけて同い年の友達を作る場でもあるけれどもその機会を失っても良いのか?

親も子供が憎くて言うわけではありませんが、子供の立場から考えてあげないと子供には全く理解できません。親子の持っている情報量の差が大きすぎるため、伝え方を間違うと関係がこじれてしまいます。親は子供と同じ立場を想像し、何故そのように子供が考えたのか、そして親の知恵を使って子供のためになる選択肢を広げてみてあげて下さい。

本当の思いやりとは相手の立場に立って考えることだと思います。自分の立場から相手を思いやるというのは思いやりという名の価値観の押し売りです。相手のためにならず、自分の価値観の押し売りになってはいないでしょうか?

怒る必要のない子育て 勝手なことをしたら?

怒らないではなく、怒る必要のない子育てを提唱しています。

子供が予想外の勝手なことをした場合、子供を怒ってしまうのは良くあることです。少し考えてみて下さい。

誰が悪いのでしょうか?

お隣に持っていく手土産のシュークリームを父親が、トイレに行く少しの間テーブルの上に置いておきました。たまたま家に帰って来た子供がお腹が空いていたのでそのシュークリームを食べてしまいました。トイレから出てきた父親はテーブルの上のシュークリームが食べられていることに気づき子供を怒ります。

『何でお隣に持っていく大切なシュークリームを食べたの!』

少し考えてみてください。誰が悪いのでしょうか?

悪いのは…

正解は誰も悪くないでした。
誰も悪気があって行動しているわけではありません。誰かを陥れようとしているわけでもありません。
子供はお隣にお持ちする大切なシュークリームだとただ知らなかっただけです。知らないことを怒るのは可哀想です。
誰も悪くはありませんが、敢えていうなら今回の問題のきっかけ、隙を作った父親です。

そもそもトイレに行く少しの間に子供が帰ってくること、そしてシュークリームを食べることを想定しなかった父親の落ち度です。

想像してみて下さい。もし間違って子供が食べると死んでしまうかも知れない毒団子(鼠を殺す殺鼠剤というものが本当にありました。鼠がいないのでわからない人もいるかも知れませんね)だとしても、同じようにテーブルに置くでしょうか?

この場合父親の取るべき行動は?

子供がシュークリームを食べてしまう隙を無くすことです。

子供が間違って食べてしまわないように、食べないでとかお隣にお届けとか張り紙をしておけば良いでしょうか?

たまたま張り紙に子供が気づかずに食べてしまう隙がありますし、張り紙に気付いても子供が我慢するという子供任せの隙があります。
食べないように書いてあるのに食べたとして張り紙に従わないことを怒る場面も想像できますが、そもそも子供に食べるか食べないかを任せることに無理があります。
食べるか我慢するか子供に任せた時点でどちらを子供が選択しても、責任は親にあると思います。

隙を無くす

少しの間でも目の届かないところにあれば何が起こるかわかりません。トイレだから目を離すのは一瞬のつもりですが、たまたま電話がかかってきて他に気を取られてしまうとシュークリームのことを忘れてしまうことも十分考えられます。
そう考えると子供に我慢させるのもかわいそうですし、子供任せの隙も問題です。
隙を無くすにはそもそも子供の目に触れさせないことです。
シュークリームを目の届かないところに隠してしまうのです。目に触れてしまうと子供が食べるか食べないかを悩ませるという隙を生みます。そもそも目に触れなければ子供も我慢する、食べてしまって怒られるという嫌な思いをする必要がありません。

いずれにしても親が気を付けることで隙を無くすことができると思います。

罠を仕掛けていた?

穿った見方をすれば、父親がシュークリームを食べる隙を残して、子供が食べたのを見計らって怒る罠を仕掛けたようにも考えられます。罠を仕掛けたのでなければ、何故子供の目に触れる隙を無くさなかったのでしょうか?
そこまでは考えられなかったとと父親は言うのでしょうか?子供は知らなかったといっても一方的に怒っているのではないのでしょうか?

街中で見かける怒っている親を見ると、親の配慮不足だと感じることがよくあります。
食べるものをこぼして服を汚して怒っている親。子供がこぼしそうならこぼしにくい食べ方を前もって提案すれば良いことです。その提案をせずに怒っているのは罠を仕掛けて、罠にかかった子供を怒っているようなものだと思います。そして親はこぼしにくい食べ方を知っているけど、子供はこぼしにくい食べ方を知らないだけなのです。罠を仕掛ける前に教えてあげれば、お互い嫌な思いをしなくて良いと私は思います。それでも前もって教えないのであれば、怒りたいからわざと教えないという正に罠をしかけている心理が根底に潜んでいるのかもしれません。

父親の取るべき行動は

同じことを防止するためには、子供が食べる隙を無くすこと。子供の目に触れないように高いところに置くとか冷蔵庫にしまっておくなどの防止策を考えます。
念のために自分がうっかり忘れてテーブルに置いてしまった場合の保険に子供にも予防策を伝えておくのも一つの方法です。もしかしたらお隣の荷物を預かっているだけかもしれないから食べてよいかどうかを確認してから食べるようにしてねと伝えておくのです。
人に頼らず自分でできることは自分で気を付けて防止はするべきなのですが、更にうっかり忘れてしまった時に備えて、子供にもダメ元で確認するように伝えておくのです。
子供には食べてはいけないと禁止するのではなく、お隣に持っていくものを勝手に食べたらお隣の人が悲しいよね。困るよね。お父さんが困らないように助けると思って食べないでね。と同意を求めるのです。
禁止されると受け入れにくいのですが、同意を求めると自分のこととして受け止めるので自分で考えるように促すことができます。
ただしこのように伝えていても食べてしまった場合も怒ってはいけません。
もともとの隙を作ったのは自分なのですから。保険が効かなかっただけのことです。

もし子供の方が立場が強ければ

もし子供の立場の方が強ければシュークリームの対応は異なると思います。
親が勝手に食べたことを伝え怒ろうとした時点で
『そこに置いた人が悪いのでは?』
『シュークリームが食べてほしそうにおいてあったよ。』
『食べてはいけないのなら、何故見えないようにしてくれなかったの?』
と強く言われたらどのように伝えるのでしょうか?

別の場面を想像してみてください。もし相手が自分の上司でも同じ対応をするでしょうか?
いつも甘いものが目の前にあれば食べてしまう上司がいても、同じようにテーブルの上に無造作にシュークリームを置いておくでしょうか?

子供は親の奴隷ではありません。

子供は親が養っているからといって親の奴隷ではありません。(奴隷という言葉は頭を書き換えるきっかけとして意図的に使いました。)
当然本当に奴隷のように扱っているわけではありませんが、親の心理として子供は親に無条件に従うべき・従って当たり前と考えてはいないでしょうか?

自分の思い通りにならないだけで怒ってはいないでしょうか?
親が自分自身がわかっているから子供もわかっているはずと思い込んではいないでしょうか?
子供の立場にたって冷静に子供の話を聞いてみると、子供の言い分に一理あることもよくあります。親の先入観を取り除いて子供の言い分に耳を傾けるのです。
一方的に親の立場から怒るのは、養っているのだから自分に従って当然と思い込んでいないでしょうか?

怒らない方法を探してみましょう

何も子供に媚びろというわけではありません。
子供に気を遣えというわけでもありません。
ただ怒らない方法を探してみましょう

何も知らない子供の立場にたって考えてみれば、怒る必要はありません。
子供は何も知らないだけなのですから。知らないことを教えてあげればよいだけのことです。
怒るより叱るより諭すでよいのです。

勝手なことをしたら

実はタイトルの勝手なこととは子供がシュークリームを食べてしまったことではなく、父親が子供を怒ったことです。
勝手なこととは怒ることです。怒ることは感情を使って人を支配することが目的ですから、怒らない方法を考えることだと思います。
何故怒ってしまったのかを考え、怒らない方法を探すことです。

子供を怒る必要はありません。
必ず怒らなくても済む方法があるはずです。
子供には何が足らず、何故怒りたくなるのかを根本を遡って防止策を考えてみてください。

今回のシュークリームの話であれば、怒りたくなる根本はシュークリームをもう一度買いに行かないといけないからではないでしょうか?結局父親自身が困るから怒ってしまうのではないでしょうか?それならもう一度買いに行かなくても良いように、食べられないように隠してしまえば誰も困らないのではないでしょうか?

一度おこってしまったことは変えられません。
それならおこってしまったことを教訓に次に同じことを繰り返さない知恵を得ることです。
そうすれば怒る必要はないと思いますがいかがでしょうか?

子供の習い事について 嫌々行ってませんか?

子供の習い事について考えてみます。
結論を一言で言うと、子供が納得していない習い事は時間とお金の無駄だということです。
少なくとも習い事の目的を納得していないと効果は期待できません。

習い事の目的がわからないと効果が半減

自分自身の経験からわかることですが、自分がやりたくてやり始めたことと親に強制されてやり始めたことでは意欲が異なります。
私は2つほど不本意な習い事をやりました。嫌で嫌で仕方がありませんでした。
親の価値観ではやるべきだと考えたようですが、私には『意味』がわかりませんでした。
納得できないまま強制されたので身につくわけがありません。

私の不本意だった習い事の一つは算盤(ソロバン)でした。
友達は公文式を習っています。私は算盤をやめて公文式を習うことを希望しましたが、親には受け入れられませんでした。何故なら親が子供の頃には公文式はなかったから理解できなかったようです。算盤の3級をとれば履歴書に書けるため就職に有利だという考えも根底にはあったようです。私は計算機があるのに算盤の時代が続くとは思えないと思っていましたが、当時はうまく伝えることが出来ませんでした。
良くも悪くも親の価値観で判断され、時代が移り変わっていることは考慮されませんでした。
とはいえ今ほど情報もなかったため、親が自分の経験から習い事を決めたのもやむをえなかったとは思います。

習い事をする目的やお得なことを納得できれば意欲がわく

計算するのに、算盤というツールが必要な習い事と、ツールを必要としない考え方を身につける公文式では公文式の方が理に適っているように当時から思っていました。(当時は深くは考えてはいませんでしたが、計算機が出現した頃なので、算盤はなくなると直感し無駄だと考えていたようです)
もし算盤を極めたら、暗算が出来るようになるため算盤というツールなしで計算が速く出来るようになるからお得だということを理解させてもらっていれば、もしかしたらもう少し真剣に算盤に取り組んでいたかもしれません。親は算盤を頭に描いて暗算が出来たので、算盤を習っていると暗算は当たり前であり自然と身につくものだと考えていたため私には当たり前すぎてそのメリットを伝えていなかったのかもしれません。私にとっては算盤というツールを持ち歩くわけでもなく、学校の試験にはそのツールは持ち込めないわけですから、算盤を習う『意味』・目的がわかりませんでした。もし暗算が出来るようになるとお得だからその練習のために、日頃は算盤を練習するのだということを教えてくれていれば、もう少し意欲が湧いたかもしれません。(もしかしたら親は教えてくれていたのかもしれませんが、少なくとも私は理解していませんでした)

理想は算盤を極めると暗算ができるようになるからお得だけど、習うか習わないかどうする?と私に判断させてくれればよかったとは思います。

子供にとって習い事にお金を払う意味

親にとっては子供のためになることにお金を払っているつもりです。
子供にとって嫌な習い事にお金を払うのは、自分のために払ってくれていると理解するよりは子供に嫌なことをさせているのだから対価を払うのも仕方がないと考えているのかもしれません。
そのため親が負担している金額を子供に伝えても、心に響かないのだと思います。
むしろそんなに高いお金を払ってまで子供が嫌がることをさせたいのだと、あきれてしまうのかもしれません。

習い事の選び方

大人が習わせたいことと子供が習いたいことを比べて、最終的に子供に判断させることです。やりたいかやりたくないか。子供が楽しめるかどうかで選べばよいと思います。
実際には親が習わせたいことをいくつか子供に提案し、子供がその中から楽しめそうなことを選ぶのが一番だと思います。
どれだけ将来子供の役に立つはずと親が思ったところで、嫌々習い事をして成果が上がるのはごくごく一部の優秀な人だけです。

楽しく習い事ができなければ時間とお金の無駄です。
習い事を見直す際、子供が楽しいかどうかで選んでみてはいかがでしょうか?

大切な確認

本人が習い事を楽しんでいれば何よりですが、確認しなければならない大切なことがあります。
確認すべき大切なこととは習い事の目的です。
本人が目的を理解しているかどうかです。
大人はお金を払って習い事をするのだから目的は知っていて当たり前と思いがちです。
または今はわからなくても習っているうちに目的はわかると思いがちです。

習い事の目的を知っているかどうかを確認することです。
そして習い事を続けたいかやめたいかです。
子供は親の顔色を読んで親の望む答えを言うことがあるので、楽しいか楽しくないかを聞いてみるとよいかもしれません。
楽しい場合は問題ありませんが、楽しくないと子供が考えているのであれば改善策・対応策があるかどうか相談してみることです。楽しくない習い事は諦めて別の楽しめそうなことを探すことをお勧めします。