医者が説得マンになる時

現代の医者は病気の説明をした上で同意を得るインフォームドコンセントが当たり前になりつつあります。しかし学生時代にインフォームドコンセントという概念そのものを知らないまま医者になり、よくわからないままインフォームドコンセントを求められるようになってしまった医者も大勢いるようです。インフォームドコンセントを裁判で負けないための同意書を得ることだと誤解している医者もいます。

本来のインフォームドコンセントは客観的で正確な情報を伝えた上で、患者さんの望む治療法を選択してもらうことです。この意味ではお客さんの欲しい物を買ってもらうという理想の営業マンと同じです。当然医者のやりたい治療法を勧めたりしてはいけません。客観的ではなくなるからです。

医者が説得マンになる時

インフォームドコンセントを良く理解していない医者は、説得マンになってしまいます。元々説得マンとは説得して物を買ってもらおうとする営業マンのことです。医者が説得マンになるとは、医者が行いたい治療法に同意してもらうために必死に説得することを指します。説得の目的は自分の行いたい治療法受け入れてもらうことです。決して患者さんのためではありません。患者さんのためであれば説得など必要ありません。患者さんの一番利益になる治療法を客観的に伝えるだけで良いはずです。

手術をしたい医者は良性疾患でも積極的に手術を勧めます。どうしても手術をしたい医者は説得マンになるのです。悪性の疾患で命に関わる疾患であれば手術をすることはある意味避けられないと思いますが、良性疾患の手術を説得してまで勧めるのは説得マンに他なりません。悪性の疾患の治療法であっても、患者側のメリットが曖昧なまま特定の治療法を勧めるのは説得マンなのかもしれません。

医者の説得マンの目的は、医者自身の経験値を上げることであったり、対外的な実績のためであったり、治療費であったりします(ちなみに医者も売り上げを上げるように病院の経営陣から求められることがあります)。その目的達成のために説得されているのかもしれません。ちょうど営業マンが説得マンになるのはとにかく売り上げを上げる目的なのと良く似ています。

医者も説得マンになる時があるという視点で、医者を見てもらうと面白いと思います。勘違いした営業マンと何ら変わりません。医師免許を持っている分困った説得マンですが。

見知らぬ番号からの電話の対処法

見知らぬ番号から電話がありました。
見覚えのない050-5577-…という番号でした。
折り返し電話するのも気がひけるのですが、相手が気になります。
何か情報が無いかと電話番号をネット検索をしようとしたら050-5くらいまで入力すると検索予測で電話番号が出ました。
口コミ情報が掲載されていました。
勧誘の営業電話でした。

便利な世の中になりましたね。
見知らぬ番号からの電話は、折り返し電話せずまずはネット検索して情報を集めてみましょう。

相手がわかれば着信拒否も出来ますしね
ご参考まで

話の面白い人と面白くない人の違い

世の中には話をしていて、話の面白い人と面白くない人がいます。今回はその違いを考えてみます。

話の面白い人

話が面白いと感じるのは興味の湧く話題をわかりやすく話してくれるからです。興味の湧く話題で知らないことを理解出来るように話してくれるのです。

話し方として相手の知らないことを一言で伝え、その理由や詳細を追加で伝えると話が面白く感じます。話に引き込まれる印象を与えることが出来ます。

特に話が上手で面白く話すことの出来る人は、相手の知らないだろうことをまず一言で伝えて反応を見ます。驚き具合や興味の有無など相手の反応によって一瞬で話す内容を変えることが出来るのです。相手の反応が良ければ話を広げ、相手の反応が乏しければ話の方向を切り替えることの出来る人もいます。

話の面白い人は何度も面白い話を提供してくれます。これは偶然ではなく、相手がどのような情報を求めているか絶えず考えているからです。この新しい情報だとこの人が喜ぶ。あの情報ならあの人が楽しめるのでは無いか?と絶えず情報の扱い方を考えているのです。そしてこの人と話す場合には、この内容だと興味を持ってもらえると思える内容を事前に準備してくれているのです。話の面白い人は偶然面白い話を思い付く訳では無く、話す内容を相手に合わせて絶えず探している場合が多いのです。

言い換えると話の面白い人は気配りの出来る人でもあります。気配りが出来なければ相手に合わせて面白い話を探せないからです。そんな視点で話の面白い人を観察してみてください。

話の面白くない人

話の面白い人とは

反対に興味の湧かない話題であったり、興味はあっても理解出来ない話し方だったり、既に知っている内容だと面白く感じることは出来ません。

また話の目的が話している人の自慢であることがわかっている場合も白けてしまって、面白く感じるのは難しいのかもしれません。

話の目的や意図が明確では無い場合、話の途中で内容がブレてしまうのでダラダラと時間だけが過ぎてしまいます。相手の知らないことを把握せずに話していると、相手の知っている話と知らない話がバラバラに出てくるのでわかりにくく、面白くない話になってしまいがちです。

話の面白く無い人は、事前に準備することなく話をしてしまうため話の途中で支離滅裂になることも多々あります。話の面白く無い人は、気配りする余裕の無い人なのかもしれません。そんな視点で話を聞いてみると人の振り見て我が振り直せで良い反面教師になってくれるのかもしれません。

医者を選ぶのも寿命のうち

医者を選ぶのも寿命のうち  とは、医者を選ぶ時点で寿命が決まるかもしれないという話です。

残念ながら医者も人間ですからミスも知識不足もあります。私は患者さんを不幸にしたくはないので、出来る限り医療ミスや見落としが無いように最悪の可能性を考えながら診療しています。

しかし残念ながら医者によってはそのようには考えられないようです。この違いは医者としての初期教育によるのかもしれません。私は若い頃訴えられる診療と訴えられない診療の違いを叩き込まれました。実際に殴られたので本当に文字通り叩き込まれたのですが、今となっては懐かしい思い出です。そしてこの経験のおかげで色々なことがわかるようになりました。そのようなトレーニングを積んでいない医者には、訴えられると裁判で負けるという発想は皆無です。裁判に負けないために診療をする訳ではありませんが、最低限訴えられない診療を行うのは医者として最低限の心得のようなものだと私は思います。

例えば長年診療しながら病理を確認することを怠り、癌を見落としていた事例が2件あります。肉眼で癌には見えないから病理を確認しなかったらしいのですが、本来なら治るはずのものが治らなければ、万が一の可能性を考えて病理を確認するべきす。2人とも癌の可能性を完全に否定していました。万が一の可能性を考えて、念のため反対を押し切り確認したところ癌細胞が見つかってしまいました。それぞれ別の医者です。2人とも専門医を持っていることが自慢でしたが、長年診ていながら1人の患者さんでも癌を見落としてしまえば専門医には何の価値も無いと私は思います。幸か不幸か裁判にはならなかったようですが。

医者によっては知識不足と自信過剰と思い込みなどの様々な可能性により診断を誤ってしまうことがあるということです。そして私を含め生身の医者であれば誰でも似たようなことが起こりうるという話です。そのような不幸なことを起こさないために、最悪の可能性を考えて医者は診療に当たるべきなのです。そして患者さんも医者を選ぶべきなのです。命に関わらない病気であれば、そこまで神経質になる必要はないかもしれませんが、命に関わるかもしれない病気であれば慎重に医者を選ぶ必要がありそうです。

最悪の可能性を考えて診療を行う医者は信用出来ると思います。考え得る最悪の可能性の中から情報を集めることで、やはり最悪の状態なのかそうではないのかふり分けることが大切です。

今回このようなタイトルの記事を書くのは、知り合いの家族の話を聞いたからです。首に腫瘍が出来て開業医から総合病院を紹介され、癌の一種だと言われたそうです。手術にするか化学療法にするか家族で話し合って決めてきて欲しいと言われ、悩んでいるとの相談でした。結局家族では決めることが出来ないまま受診すると、院内の話し合いで首のものが原発ではない可能性があるという話になりました。つまり胃癌など他部位からの転移ではないかという話になったそうです。話が二転三転するため不信感を抱き、他院への紹介を願い出たそうです。通常病理を確認してあると原発のおよその検討はつくはずなのでおかしいなと思いながら話を聞いていました。詳しく聞いてみると、家族からの伝聞ですから確かなことはわかりませんが、悪性と断定し手術か化学療法の話が出ているにも関わらず病理での確認はされていなかったそうです。つまり確定診断がなされないまま、癌の治療が始まっていたかもしれないのです。一連の話から他院へ紹介してもらって正解だと思いました。

結局他院で行われた検査では、首に出来た腫瘍は悪性のものではなく、結核の可能性が高いそうです。これは上記の悪性を見落とした話とは反対で、思い込みにより確定診断せずに治療しようとした例です。結果として悪性ではなさそうなので幸いでしたが、医者を選ぶのも寿命のうちと改めて思いました。

実は後で聞くと何故主治医がそのような治療法を選んだのか理解に苦しむことがあります。病院の利益のためか、治療経験を積みたかったのか、実績としたかったのかその目的はわかりませんが、患者さんのために治療法が選ばれたとは思えないこともあります。もしかしたら医者によって医者をしている目的が異なるのかもしれません。

他にも医者が病気のことを良く知っていれば治るかもしれない病気でも、医者が知らないと治るものも治りません。例えば2型糖尿病は糖質回避により治ります。アトピー性皮膚炎やニキビも簡単に治ります。幸いアトピー性皮膚炎やニキビで命を落とすことは通常ありませんが、2型糖尿病では透析が必要になる可能性や足の切断が必要になる可能性があります。最悪命を落とす可能性もあります。近い将来糖質回避を患者さんに説明しなければ、訴訟の対象になるかもしれません。医者が従来の常識にとらわれていると、患者さんに不利益をもたらすかもしれません。

糖質の害を知っている医者を選ぶか知らない医者を選ぶかで、もしかしたら寿命が変わるかもしれません。病気によっては糖質の害を教えてくれる医者を選ぶようにしましょう。少なくとも納得出来る医者を探すようにしましょう。説明に納得出来なければ思い切って別の医者にかかるのも一つの選択肢です。

医者を選ぶのも寿命のうちです。

医者であれば医師免許は持っているので最低限のレベルは確保されていますが、実際には知識や医療レベルは医者によって様々です。専門医があるからといっても、安心は出来ません。むしろ過信しているかもしれません。ちなみに2型糖尿病に関してある糖尿病専門医に糖質回避を進言しましたが全く受け入れられませんでした。

このようにバラツキのある生身の医者よりも人工知能による最適な治療が実現する方が、患者さんのためなのかもしれません。それまでの間は納得の出来る医者を探すようにしましょう。

突然関係のない話をする人の心理

話をしている最中に、突然関係のない話をする人がいます。

話している内容との関連性を考えながら聞くのですが、何の関係もない場合があります。本人は関係があると思って話しているか、話しているうちに聞いている側が何か気付いてくれるのを期待して話しているのです。本人が関連していると思って話しはじめても、どのように関連するのか明らかにせずに話しはじめるため、関連性を忘れてしまうのです。関連がわからずに聞いている側は混乱してしまいます。結局何を話しているのかよくわからなくなる人もいるようです。

元々全く関係のない話を突然はじめてしまう人もいますが、話している途中で関連を忘れてしまう人もいるようです。

最後まで聞いても結局関係はわからないかもしれないので、話す目的がわからない時点で話の関係性を聞いてみると良いかもしれません。もしくは話す目的を直接聞いてみるのです。関係ないと言われれば話題を引き戻すことが出来ますし、関係性を教えてもらえれば目的が明確になるからです。

突然話題が関係のない話になる場合には、話の関係性や目的を早い段階で聞くことをお勧めします。

受診の目的 薬をもらうこと?

私は受診の目的は病気の治療だと考えています。
しかし患者さんの中には薬をもらうことが目的という方もおられます。具体的な薬をくださいという方までおられます。

医者の本来の仕事は病気の治療ですから、病気が良くなる情報を伝えることが仕事です。残念ながら医者の中には薬を出すことが仕事だと誤解している人もいます。このように誤解している医者が薬屋さんのように薬を出すことで、病院は薬をもらうだけの場所と患者さんも誤解してしまうのです。
医者は薬を出すと処方料が得られますが、説明をしても説明しなくても初診料や再診料は変わらない仕組みです。怒るような医者儲け主義の可能性が高く、薬をくれるだけで情報はくれません。

病気を少しでも改善出来る(薬を少しでも減らすことのできる)情報を教えてくれないのであれば、その医者は勉強不足なのかお金にならないから教えてくれないのかもしれません。穿った見方をすれば、病気が良くなってしまうと薬を出せなくなるのでわざと教えてくれないのかもしれません。別の病院を受診してみるのも一つの選択肢だと思います。

考えてから話す人と考えずに話す人の違い

物事をよく考えてから話す人と大して考えずに話す人がいます。

考えてから話す人

物事をよく考えてから話す人は、話す内容を吟味し、最適な言葉を選んで話すようにします。口から出る言葉は多くの内容から選び出された言葉なのです。そのため誤解されることが少なく、多くの場合真意もキチンと伝わります。あらかじめよく考えてあるので、聞き返されても言葉を言い換えることで相手にわかりやすく伝わります。よく考えてから話すので失言することはほとんどありません。

いわば大人の話し方です。

考えずに話す人

一方大して考えずに話す人は思いついたことを吟味することなく口にします。相手に不快感を与えることもありますし、誤解を招くような言い方をすることがよくあります。何より深く考えていないので話した内容をよく覚えていないこともあるようです。聞き返されても、相手の聞きたいことを上手に説明出来ないことも多いようです。大して考えずに話すので、選ぶ程内容を理解しておらず言い換えることも苦手です。失言する人の多くが大して考えずに話す人のようです。

いわば子供の話し方です。相手の受け取り方をあらかじめ想像するという視点がないまま大人になってしまっただけなのかもしれません。

周りの人が、考えて話す人か考えずに話す人か観察してみるのも面白いかもしれません。

遊びに行くのと遊ばされに行くとの違い

以前遊ぶと遊ばされるの違いについて書きました。遊ぶとは自分で考えて遊ぶのですが、遊ばされるとは人の考えた遊び方で遊んでもらうのです。

遊ばされる仕組みは、あらかじめ楽しみが用意されています。楽しくなるように考えてありますが、そのままでは用意された楽しみに飽きてしまうと面白くなくなります。その対策として新しい楽しみを用意することで、飽きない仕組みにより何度でも遊ばされたくなります。こうして遊ばされる施設のリピーターになってしまうのです。

遊ばされる施設では、用意された楽しみしかないので、施設側の用意した楽しみ以上の刺激はありません。得られるものは楽しかったという満足感だけです。自分で遊び方を考える必要がないので、簡単に楽しむことが出来ます。いわば快楽をお金を使って得るだけです。楽しむことが出来ますが、遊ぶ本来の目的を失っていると思います。たまには遊ばされるのも良いとは思いますが、遊ばされてばかりいると考える能力が養われないので、もったいないと思います。

更に遊ばされる施設の目的はお金です。その場で楽しみたいという「衝動買いの心理」を巧みに利用して、楽しみと引き換えにお金を引き出す仕組みが考えられています。

遊ぶとは自分で楽しむツボを探すことです。遊ぶことの出来る施設は、人それぞれの楽しみ方があります。そして人それぞれの気づきがあるのです。少し視点を変えるだけで全く違う遊びになることもあります。違う視点を見つけるのも自分で楽しいことを探す遊びの醍醐味です。

わざわざお金をかけて遊ばされに行くのと、近場でも自分で考えて遊ぶ施設で遊ぶのでは、遊ぶ施設で遊ぶ方がお金の節約・経験と二重の意味でお得だと思います。

説明が長い医者

説明が長い医者という検索ワードで当サイトにたどり着かれた方がおられました。

説明が長いのはただ単に説明が下手なのです。患者さんの求めている情報を的確に伝えることが出来ないため、長くなるだけなのです。患者さんの求めている情報が医者自身がわからないので、短くまとめることが出来ません。あれもこれも伝えないといけないと思い込んでいるのです。伝えるべきことを絞り込めないため説明が長くなるのです。

もしかしたら情報の加工・取り扱いが苦手なのかもしれません。医学部の入試や国家試験では説明能力が問われることが無いため、陥ってしまう落とし穴です。自分が優秀だと錯覚し、説明しても理解出来ないのは患者さん側の問題だと誤解している医者もいます。説明しても相手にわかってもらえないのは、説明側の問題です。

相手の理解度に応じて説明を省略したり、説明を付け加えるようにすることで相手の理解度は高まります。相手の求める的確な情報を伝えることで、短い時間で手短に伝えることが出来ます。説明が長い医者はこれらが苦手なのかもしれません。

実際に出来るかどうかわかりませんが、対策としては必要な情報で無ければ話の途中でも聞きたいことを質問することです。わからないことをわからないまま聞いても時間ばかり過ぎてしまいます。必要ない情報やわからないことを聞いても余り意味がないと私は思います。

説明が上手な人 〜情報を加工出来る人〜

説明が上手な人の特徴に情報を適切な状態に加工出来るということがあります。

情報を加工するとは、必要な部分だけを取り出し、相手がわかるように整理するということです。情報を相手の扱える形に圧縮すると言い換えても良いかもしれません。

例えば年齢と身長と体重の数値が1000人分あっても、1000人分のデータが存在するだけです。情報の加工とは、最も簡単なことは平均を出してみることなどわかることを取り出すことです。平均はいくつですと伝えるとある程度大雑把なイメージがつきます。更に求められるのは相手が欲しい情報に加工・圧縮して取り出すということです。まず相手が何を求めているのかを知り、情報を加工して伝えることが出来ると説明が上手だと考えられます。相手の知りたい情報をわかるように整理して伝えるということです。

相手の求めてもいない情報を伝えても意味がありませんし、情報の加工の仕方が不適切であればこれもまた意味がありません。相手が理解出来ない形で情報を伝えても意味が無いのです。