テレビとインターネットの違い

テレビとインターネットの違いを考えてみました。
プッシュ型情報配信とプル型情報配信と言い換えることができると思います。テレビはプッシュ型情報配信装置で情報が一方的に押し付けられます。見る側が選択できる余地があるのはチャンネルを選ぶ程度です。情報の配信内容を決めるのは放送局です。放送局が選んだ内容を一方的に放送する事で情報配信を行います。一方インターネットはプル型情報配信装置でこちらが求めた内容を求めることができます。欲しい情報をこちらが求めることで、インターネットを介して情報が提供されます。何がほしいかわかっていなければ必要な情報を得ることができます。情報を選ぶのは自分たちです。

プッシュ型情報配信であるテレビは情報を垂れ流していると表現できると思います。流れる情報はテレビ局がある程度選別してくれているので受けとるだけですみます。テレビ局の都合で情報が捻じ曲げられていることを知っておかなければなりません。
プル型情報配信であるインターネットは情報を求めなければ何も吐き出してはくれません。インターネットで取り出すことの出来る情報は玉石混交です。情報の求め方に知恵が必要で、出てきた情報も正しいかどうか判断する知恵が求められます。何を求めているのか自分自身で理解していなければなりません。必要な情報を取り出す能力があれば、有益な情報を得ることができます。

情報を発信する側に知恵が求められた時代から、情報を受け取る側に知恵が求められる時代にいつの間にか移り変わっているのです。このことに気付かないまま情報に触れていると、不確かな情報に振り回されることになると私は思います。情報の質が変わりつつあることを知るようにしましょう。

信用と信頼の違い 人が騙される理由

信用と信頼の違いを考えてみたいと思います。
貴方は友達を信用しているのでしょうか?信頼しているのでしょうか?
あなたは子供を信用しているのでしょうか?信頼しているのでしょうか?
信用と信頼の違いを改めて考えてみましょう。

信用

信用は裏付けがあって相手を信じることです。
裏付けがあるとは、信じるに足りる根拠があるということです。
例えば日頃の行動という裏付けがあって、相手を信じることができるのです。
あるいは何らかの担保と引き換えに相手を信じるのです。
いわば対等な信じ方が信用です。
科学の信じ方が信用ではないかと思います。

信頼

信頼は裏付けなく盲目的に相手を信じることです。
裏付けがないとは、信じるに足りる根拠はないということです。
何も引き換えるものもなく闇雲に信じることと言い換えても良いでしょう。
いわば一方的な信じ方が信頼です。
宗教の信じ方が信頼だと思います。(宗教を否定したいわけではありません。宗教を信じ切っている人は、裏付けがある信用だと信じ切っている人はいると思いますが、私は裏付けがあるわけではないと思います。何故なら死後の世界は誰も見たことはないからです。ただ信じるしかありません。)

信用と信頼の区別

わかりやすいのは信用金庫はあっても信頼金庫はないということです。
何故なら信用金庫とは裏付け、多くは担保と引き換えにお金を貸すということです。信頼金庫では裏付けとしての担保はなく闇雲にお金を貸すことになるからです。

人が騙される理由

人を信用ではなく、信頼してしまうからです。
ただ単にこれまでの行動から信頼してしまうのです。何か引き換える裏付け、担保となるものなしに信頼してしまうので騙されるのです。意図的に人を騙そうとする人は信頼を信用だと錯覚させることに長けています。
特にお金が絡む判断をする際には、相手の行動の裏付け・担保があるかどうかを判断材料にしてみることをお勧めします。
例えば相手の言うことを鵜呑みにするのが信頼、相手の言うことの裏付けをとった結果信じるのが信用です。電話がかかってきて誰々がこうなったというのを信じてしまうのが信頼です。その誰々に何か本当に起こっているのかどうか確かめた結果信じるのが信用です。

家族でさえ人を信頼して行動することは危険です。ましてや他人を信頼して行動することは控えましょう。信用できる裏付け・担保を確認することをお勧めします。

病気を治すつもりのない医者

医者の中には病気を治すつもりのない医者がいます。
厄介なのは病気を治すつもりのない医者同士が集まって、病気を治さなくてすむ方法を模索していることです。更に問題なのは製薬会社と結託して病気を治さないように仕向けることです。医者と患者さんの間には情報の格差があるため、患者さんにはこれらのことがわかりにくいのが現実です。

病気を治すつもりのない医者は、出来高制の診療報酬を稼ぐ目的に治さないのです。治してしまうと診療報酬はもらえなくなるのです。治さず延々通い続けてもらえば収入が増えるのです。患者さんに逃げられない程度に加減して治療を引きずるのです。そのさじ加減を医者同士で情報共有するのです。

特にそのような医者達が気にしているのは、病気が治るかどうかよりも保険で切られるかどうかです。悲しいことですが、むしろ治さないように気をつけるのです。それらの情報交換が行われるのが一部の学会や製薬会社主催の勉強会です。

患者さんは薬がなくても済む健康な状態を望みます。一部の医者は薬で症状を抑え続けることを望みます。何故なら薬が必要ない状態に治してしまうと診療報酬がもらえなくなるからです。

患者さんのおくすり手帳を見てみると、必要の無い薬を延々と処方し続ける医者が確かにいることがわかります。明らかに必要なさそうな薬を処方しているのであれば医者を変わることをお勧めしています。

確かに全ての病気が治る訳ではありませんが、しばらくしても症状が変わらなければ他の医者を受診してみても良いのかもしれません。何故ならその医者が病気を治す気のある医者なのか、病気を治す気のない医者なのか判断がつきにくいからです。改善しなければ試しに変わってみるのが一番です。

患者さんの立場からすると信じがたいでしょうが、病気を治す気のない医者が確かにいるのです。しかも病気を治す気のない医者の方が稼いでいるのです。病気を治さない方が医者が儲かる出来高制である国民皆保険の限界なのかもしれません。

気の回る人と気の回らない人の違い

世の中には気の回る人と気の回らない人がいます。一言で言えば考えているか考えていないかです。想像力を働かせることが出来るか出来ないかでもあります。

気の回る人

気の回る人とは、全ての説明を受ける前に相手の意図を読み取って行動を出来る人です。気の利く人と言われることもあります。一を聞いて十を知るという人のことです。

気の回る人はあらかじめ様々な事態を考えているのです。あらかじめ考えているので、すぐに行動することが出来るのです。

絶えずもしかしてと考える癖がついているのです。もしかしてと考えているので、相手の意図を素早く読み取ることが出来るのです。

気の回る人のもう一つの特徴は、相手のために何かをしてあげようと考えている人です。相手の意図に気がつき、そしてそのことに対して行動出来る人です。人に対して何かをしてあげようと考えていなければ、気の回る人とは言えないでしょう。

一般的に気の回る人は気を回そうと意識はしていません。何故なら意識するのもなく自然な振る舞いが周囲から気が回ると評価されるのです。気の回る人は絶えず様々なことを考えているので、気を回そうとわざわざ意識することがないのです。

気の回らない人

気の回らない人とは、相手の意図を読み解くことが出来ません。言外の意味に気付くことが出来ないのです。一から十まで説明しなければわかってもらえません。酷い場合には一、二、三ではわかってもらえず、1.1、1.2、1.3、1.4、1.5、1.6、1.7、1.8、1.9、2と詳しく説明しなければ理解出来ない人もいます。

気の回らない人は様々な事態を想定することがありません。想定外なので咄嗟に理解出来ないのです。

気の回らない人は物事の流れを理解することも苦手なので、次にするべきことを予測することも苦手です。普通の人がわかる物事の流れを理解しないので、気の回らない人だと認識されてしまいます。

人のために何か行動するという視点が欠落していることもあります。いつも誰かにお膳立てしてもらって行動することに慣れてしまったいると、自分で準備することが出来ません。ましてや他人の準備を手伝うことなど出来ないのです。

気の回らない人も悪気がある訳ではありません。わざとではないのです。気が回る、気が回らないという概念そのものが理解出来ないだけなのです。だから気の回らない人に気が回らないねと嫌味を言っても通じないのです。何故なら概念が無いからです。

気の回る人になるには?

人の行動を変えることは非常に困難ですが、もし変えることが出来るとすれば目的を伝えることだと私は思います。気が回ることの目的とは相手の行動を手助けすることです。

気の回る人は相手の行動を手助け出来る人のことで、相手の行動を予測して先回りして手伝うことです。そうすることで相手の負担を減らすことが出来ますし、時間も短縮することが出来るのです。

気が回る人になるためには、相手の求めているものをあらかじめ理解していなければいけません。相手の行動の予測が出来なければ、気が回る人にはなれないのです。

具体的には食事の際に人がキョロキョロしていれば、箸か調味料を探しているのでしょう。あるいは飲み物が無いか見回しているのかも知れません。食事の食べ始めであれば箸を探しているのでしょうし、食事を食べ始めた後であれば、調味料を探しているのでしょう。相手が何を求めているかを予測することが気が回るかどうかの分かれ目です。相手のために何が出来るかを絶えず考えるようにすると、気の回る人に近づくことが出来るかのではないかと思います。

議論の仕方 理由ではなく目的を議論する

今回は議論の仕方を考えてみます。多くの議論はその理由を話し合います。理由は言い訳や建て前が紛れ込むため、一つの理由を論破しても次の理由が出てくるだけです。議論が論理的に行われるのであれば理由を話し合うことに意味があります。しかし多くの議論が、論理的に行われるのではありません。先に賛成や反対の結論を決め、その結論に至る言い訳を探すのです。判断の根拠としての理由であれば議論の意味がありますが、賛成や反対を引き寄せるための言い訳を聞いても時間の無駄です。何故なら本音を隠すための言い訳に過ぎないからです。理由は判断の根拠なのか、言い訳なのかを吟味する必要があります。巧妙に言い訳されると判断の根拠と錯覚させられてしまうこともあります。吟味そのものが時間の無駄です。

理由は後ろ向きなので、幾らでも出すことができます。言い訳の中から賛同の得られそうなものから理由としているに過ぎません。言い訳を議論する程無駄なことはありません。何故なら判断の根拠ではないからです。

理由が言い訳なのか判断の根拠なのか見分けるのは実は簡単です。その理由がクリアされれば判断が変わるかどうかです。クリアされることで判断が変わるのであれば判断の根拠です。クリアされても次の理由を出してくるならただの言い訳に過ぎません。

理由を話し合うことの無意味な点は、状況が変われば理由そのものが無くなる可能性があることです。理由を話し合うと、状況が変わる度に話し合う必要があります。

目的を議論する

人の言動には必ず目的があります(目的論)。その目的を話し合うのです。

目的を議論するようにすると、理由のように言い訳が出来なくなります。何故なら目的はこれからのことを指し示すからです。到達点である目的を先に決めてしまうのです。目的を議論し目的を定め、その目的に基づいて結論を出すのです。

目的を定めてしまえば、私利私欲の影響する余地が無くなります。後は目的に沿っているかどうか合理的な判断をするだけですみます。

まず目的を議論しましょう。更に目的に沿っているかどうかを議論していきましょう。理由をいくら話し合っても時間だけが過ぎ、議論は前には進みません。

ガラケー遣いとスマホ遣いの違い

ガラケー遣い

日本独特の進化を遂げた携帯電話のことを、ダーウィンの進化論の舞台になったガラパゴス諸島になぞらえてガラパゴス携帯、通称ガラケーと言われます。電話とメール機能、iモードなど限られたインターネット機能に特化した携帯電話です。ガラケーを使っている人のことをガラケー遣いと表現してみます。

スマホ遣い

スマホとはスマートフォンの略称です。スマートフォンは元々は賢い電話という意味で名付けられたものて、高性能な電話でいわば手の中のパソコンです。その賢い電話を使う人のことをスマホ遣いと表現してみます。

ガラケーとスマホの違い

ガラケーは限られた機能に特化した電話です。ソフトという概念がほとんどない携帯電話で、電卓やワープロ専用機のような一つのことだけ行う機械です。機能が特化されているのであれこれ悩む必要がありません。情報の取り扱いも電話での会話とメール程度に限られるので情報が多過ぎて混乱することがありません。利用料金が安いのも特徴です。

スマホはいわばパソコンのようなものです。インターネットに容易に接続出来るため、欲しい情報を手に入れることが出来ます。アプリがなければ何も出来ませんが、アプリさえあれば可能性は無限に広がります。使い方次第で何でもこなすことが出来るのが特徴です。

一言でまとめるとガラケーは悩ます扱うことが出来、スマホは使う人が何をするか考える必要があるようです。

ガラケー遣いとスマホ遣いの違い

ガラケー遣いは電話、メールしかしません。他のスマホの持つ機能を必要としないことが特徴です。このことからガラケー遣いとスマホ遣いの違いを考えてみます。一言で言えば情報の取り扱いの違いです。

ガラケー遣いの人は情報を持て余しているのです。もしくは情報を得ることを余り重要だとは考えていません。携帯電話から得られる情報を必要としないのでガラケーで十分なのです。

一方スマホ遣いの人は情報を使いこなしています。何をするにもまずスマホで情報を得ることが優先されます。何故ならスマホで得られる情報は手に入れておく方がお得だからです。例えば行きたい場所の検索をしてみると、割引券があったら、空いている時間を教えてくれたりします。スマホに打ち込んで検索をかけるというほんの少しの手間だけで、簡単に情報が手に入るのです。たまたま検索せずに後でお得な情報があったことを知ると非常に損した気分になります。その経験が次の検索につながるので、益々検索するようになるのです。

一度スマホの便利さを手に入れると、手放すことは困難になります。ガラケー遣いの人の考え方がスマホ遣いの人にとって理解出来ないのは、情報の価値を知らないことが想像出来ないからです。

ガラケー遣いの人とスマホ遣いの人の違いは、情報の価値の感受性の違いです。

スマホ遣いの人からみると検索出来ないガラケーを持つことは不安に感じますが、ガラケー遣いの人は検索するつもりがないので不便でもなんでもないのです。

とはいえスマホ遣いと言ってもゲームしかしていない人も多いのかもしれません。高いスマホを使ってゲームをしているのであれば、安い料金でガラケーを使う方がお得かもしれません。少なくともガラケーはゲームによってガラケー遣いの時間を奪ったりしないからです。

質問に答えられない人の対処法

人と話をしていて質問に答えられない人に出会うことがあります。
はぐらかしている訳ではなくて、質問に答えられないのです。

質問するとすぐに話し始めたとしても、的はずれのことを話します。質問の意味がわからないのであれば、どのように答えれば良いか確認すると良いのですが、質問の意味がわからないことを理解していない場合があります。つまり質問の意味がわからないことを理解出来ずに質問をやり過ごそうとするので、そのまま質問を続けても時間の無駄です。

意図・目的を明確にする

質問した相手が質問に答えられない人であれば、質問の仕方を変えるようにしましょう。特に有効なのが質問の意図・目的を伝えて、改めて質問することです。何を目的にして質問しているのかを明確にするのです。

物事を考えることが出来る人で答え方に困っていたのであれば、意図や目的を明確にすることで答えてくれれと思います。

意図・目的を明確にしても答えてもらえない場合

意図や目的を明確にしても答えられない場合、物事を考えるのが苦手な人なのかもしれません。物事を区別して考えるのが苦手なことが考えられます。この場合あらかじめ選択肢を用意して選んでもらうと良いと思います。

いくつかの選択肢を用意しても選んでもらえない場合には、yesかnoの二択にして選んでもらうしかないのかもしれません。二択でも選べないのは、政治家の答弁などでよくみられるように実は答えたくないのかもしれません。

二択で詰め寄っても答えてもらえなければ、二択を補強するように言葉を足して選びやすくしてあげるしかありません。二択を答えてもらえなければ、深くものを考えていない可能性もあるので、答えを期待しない方がよいのかもしれません。答えてもらえなくても何とかなる方法をこちらが考える方が現実的かもしれません。

言い換える能力

これからの時代に求められる能力は、言い換える能力だと私は思います。言い換えるとは言葉を変えて説明することです。知っている言葉を並べるだけでは上手く伝わりません。

言い換えるためには、相手が理解出来る言葉を選ぶことが必要となります。相手が理解出来ない言葉に言い換えても、相手を混乱させるだけで『意味』がありません。相手の理解を促す言葉に言い換えなければいけないのです。

上手く言い換えることが出来ない人の中には、怒り出す人もいます。上手く説明出来ないことを隠す目的で、怒り出すのです。

相手に理解してもらえる言葉に言い換えることの出来る人は、説明が上手です。相手に合わせて言い換えることが出来るので、人に説明する職業で重宝されると思います。相手の質問に対して的確に答える仕事は当分の間機械に置き換わることはないと私は思います。

簡単な受け答えは今にでも機械に置き換わりそうです。言い換える能力を磨くことをお勧めします。言い換える能力のトレーニングには、子供の考え方のトレーニングのやり方が役立つかもしれません。その場合、子供ではなく自分の頭の中を整理するのです。様々なことを思い出し、キーワードを見つけてインデックス化していくのです。そうすることで頭の中の言葉が整理され、言い換えることが出来るようになると思います。もし良かったらお試しください。

人が言葉を話す『意味』

人は当たり前に言葉を話しますが、言葉を使う『意味』を考えてみます。

人が言葉を話す目的は情報交換です。必要な情報をやり取りするために人間は言葉を話すようになりました。

人類と共通の祖先であるお猿さんを見てみると言葉の歴史を垣間見ることが出来ます。お猿さんは敵が来たら逃げるように合図を送ります。警戒信号とでも言うべき声を上げながら逃げるのです。敵に気付いた自分だけではなく、仲間も助けるために合図を送るのです。この合図が複雑化し言葉になりました。ちなみに進化したお猿さんは嘘をつくことが出来ます。しかしその嘘を見破ることはできません。

人類の歴史において複雑な言葉を話すようになった過程において、獲物を捕らえる狩りが重要だとされています。大きな動物を捕らえるためには大勢が一斉に襲いかかる必要がありました。最初は襲いかかる開始だけ合図すれば事足りましたが、相手が大物だとなかなか上手くはいきません。そこで狩りの手順を話し合うために言葉が発達したと言われています。

農耕が始まると狩りのために言葉を使う必要がなくなりました。次に農耕のために言葉が使われるようになりました。言葉が画期的なのは抽象的な概念を扱うことが出来るようになったことです。この抽象的な概念こそが人間が様々なことをやり遂げるのに役立っています。

人が言葉を話す『意味』

人が言葉を話す『意味』・目的は情報交換です。必要な情報は興味が湧きますし知りたいと思うのです。

情報交換ですから出来るだけ手短に終える必要方がお得です。一言で伝えることの出来る情報を伝達するために1時間もの時間を要するのは時間の無駄です。逆に膨大な情報を伝達するためにはそれなりの時間が必要です。

説明が上手な人は相手に伝わるように情報を整理し、圧縮した状態で伝えることが出来ます。話をまとめるという作業です。とにかく短時間で情報を伝える必要に迫られた人は、自然と会話の無駄な部分を削ぎ落として情報を伝えることが出来るようになります。後で振り返ってみると整理し圧縮しているとわかるのです。

回りくどい話し方をする人は、急いで情報交換した経験が少ないのかもしれません。話すこと自体を楽しんでいる側面すらあるのかもしれません。時間に追われて情報交換をした経験が乏しいのかもしれません。あたかも永遠の命を手に入れた人の振る舞いのようです。永遠の命を手に入れた人は急ぐことはありません。死なないので時間は無限にあるのです。早く行動してしまうと、次にすることをわざわざ考える必要があるのでゆっくり行動するはずです。時間を短縮する発想に乏しいのかもしれません。

人の持つ時間には限りがあります。だから時間を短縮することに意味があるのです。同じ情報交換をするのであれば、出来るだけ短い時間で行う方がお得なのです。そのためには話し手が情報を整理し、相手が受け取れるように的確に情報を伝えることが重要です。

回りくどい話し方をすると、話す方も聞く方もお互い時間が勿体無いのです。

出来るだけ手短に必要な情報を交換するために、どんな情報のやり取りするのか事前に考えて、整理し相手に伝わるように話すことが重要です。

ちなみに私は人が言葉を話すのは、魔法のようなものだと思います。他の動物から見たら言葉は魔法以外の何物でもありません。もしかしたら人間は魔法を使う神に近付いているのかもしれません。言葉が争いを終わらせることが出来、戦争をなくすことが出来る世の中になれば面白いですね。

話が回りくどいと言われた時の対処法

人から話が回りくどいと言われても、どのように対処すれば良いのかわからず途方に暮れることがありま。その対処法を考えてみます。

はっきりと物を言わない人の心理に書きましたが、大きくわけて2つ理由があります。1つのは理解出来ていないのではっきり出来ないのです。もう1つははっきり説明すると都合が悪いので、はっきりさせないのです。はっきりさせない人の対処法は上記リンクに書きましたので、今回ははっきり出来ない人について書いてみます。

話が回りくどい理由

話す内容を理解し、客観視出来ないことが原因です。物事の核心をつかんでいないため、物事の周辺を回りくどく説明し、相手に本質を読み取ってもらおうとするのです。

物事の本質を理解出来る程深く物事を考えたくない怠慢か、その能力の欠落かは人によって異なります。

話が回りくどい理由の一つに、話を物語りにしてしまう人がいます。そして話している最中に何を話しているのか忘れてしまうのです。何を話すか余り考えないまま話し始め、何を話しているのかわからなくなるのです。恐らくこれまで人と意味のある情報の交換を言葉で行ってこなかったのでしょう。会話は時間を埋めるもので、情報をやり取りするものではなかったのかもしれません。

話が回りくどい理由の一つに頭の中で理解出来ておらず、整理されていないため伝えるべき必要な情報と伝える必要のない情報が区別出来ていないのです。

対処法

頭の中を整理することが一番です。頭の整理の仕方の一つの方法として、話す内容を一言にまとめることです。少なくとも一行にまとめるのです。イメージとしてはメールのタイトルをつける要領です。話す内容を一言で伝えるのです。相手もこれから話す内容がイメージ出来るので、情報伝達がスムーズになります。一言にまとめるためには、物事の本質を理解するしかありません。

話す内容のタイトルを意識するだけで回りくどい話し方は、少しずつ改善していくと思います。

例えば『○○に関する質問です』、『○○に関する報告です』、『○○に関する相談です』などとタイトルを先に伝えるのです。

質問に対する答えであれば、『その答は○○です。何故なら〜〜〜です』のように答えます。まず一言で答えるのです。

恐らく考えをまとめる前に話し始める癖があるのだと思います。深く考える前に話し始める目的は、話を誤魔化したいのか、深く考えたくないのかどちらかだと思います。深く考えるようにしない限り、回りくどい話し方は改善出来ないと思います。

良かったら試してみてください。