少しの注意で騙されなくて済む時代に

ネット検索という手段が出現するまでは、自分で本などを調べるか人に聞くしか騙されない方法はありませんでした。知識不足が騙される隙を作ってしまったのです。

ネット検索という手段を活用することで騙される隙を埋めることが出来るかもしれません。何故なら知らないまま行動するよりも、検索してから行動するだけで知識が格段に増えるからです。

例えば知らないものの購入を持ちかけられた場合、調べてみるのです。騙そうとする相手は焦せらせてすぐに購入させようとしますが、検索する時間待ってくれというだけでも違います。その時間も待てないと焦せらせる場合、検索されては困ることがわかります。やましいところがある証拠です。騙す気が無ければ検索してもらって納得の上で購入してもらうはずです。もしかしたら検索して欲しくないのは、インターネットでは安く売っているのかも知れません。

今時ホームページもない商品の購入を持ちかけるのであれば、その時点でかなり怪しい話です。少し時間をかけて情報収集しても良いのかもしれません。

騙そうとする相手は「衝動買いの心理」をうまく利用して巧みに欲しい心理に追い込みます。そして焦せらせることで冷静な判断力を奪うのです。このことを知っているだけでも騙されにくくなります。

更にインターネットで検索してみることで、何らかの情報が既にあげられているかもしれないのです。お得という情報か騙されないように注意を促す情報が見つかるかもしれないのです。お得という情報には更に注意が必要です。何故なら自作自演の可能性があるからです。先回りして自分達でお得を演じているかもしれないのです。少なくとも騙されないように注意を促す情報が見つかる場合には、お金を払わない方が無難です。

もう一つの対策は焦らず誰かに相談することです。

チャリティーと商売の違い

今年もそういう季節になりました。

チャリティーと商売の違いを考えてみたいと思います。ウィキペディアによると

チャリティーとは慈愛・博愛・同胞愛または慈善の精神に基づいて行われる公益的な活動・行為もしくはそれを行う組織のこと。

私はお金という対価を要求しない行為のことだと思います。チャリティーと称してお金を集め、自らは商売をしている人達がいます。

障害者を見世物にしているということを言う人もいますが、障害者の人達もテレビに出ない権利もあるので御本人が了承されていれば他人がとやかく言う問題ではないも思います。見世物のように見えて嫌なら、テレビを見なければ良いだけだからです。

チャリティーと称するなら、収入を得てはいけないでしょう。海外ではチャリティーで報酬が発生することはあり得ないそうです。日本ではチャリティーと称しながら、キチンと報酬をもらう人達がいるそうです。

私は募金活動で募金箱を持って募金を呼び掛ける人達にも懐疑的です。何故ならその募金が本当に活用されているか保証がないことと、募金活動をする時間があればその分働いて寄付すれば良いからです。目的が募金活動を行う人だと他人から認めてもらうことのように思うからです。お金を集めることが目的であれば、確実にお金になるアルバイトをして自分が寄付する方が確実です。

チャリティーの『意味』を考えてみても良いのかもしれません。自称チャリティーと本当のチャリティーを。

 

商売は物や労働やサービスに対して対価を支払うものです。資本主義は対価を支払う商売の仕組みにより急速に発展しています。対価を受け取ることで何かを提供するのです。

チャリティーと称しながら対価を受け取るのは、チャリティーと商売の区別のつかない人達がいるのでしょう。

チャリティー活動を否定する気はありません。しかし報酬をもらいながらチャリティーだと称する人達がいるのは悲しいと私は思うだけです。

募金活動をしている人達が時給いくらかで報酬をもらいながら街頭に立っているようなものだと例えるとわかりやすいと思います。

元々チャリティーは宗教的な考え方に基づいて活動することが多いため、宗教が根付いていない日本では馴染まない考え方なのかもしれません。

騙される人と騙されない人の違い

騙される人と騙されない人の違いを考えてみます。

騙される人と騙されない人の違い

騙される人は物事を知らないのです。少なくとも正確な知識が足らないのです。そして欲のある人です。騙されない人は物事を知っています。そして欲が無ければ騙されません。

騙そうとする人は知識の曖昧なところをついてきます。そして欲と絡めて騙すのです。

騙される人

基本的に騙される人は知識が足らず、欲がある人ですが、自分は騙されないと思い込んでいる人も騙されることがあります。自分はしっかりしていると思い込んでいるのです。

騙されるのは正確な知識が足らないことをつかれるのですが、自分と知識が足らないことを知っている人は騙されないのです。自分は知識があると錯覚している人が騙されるのです。特に最近はネットで簡単に調べるこもが出来るので、知識が足らないことを認識出来ない人も多いようです。

物事の真偽を見極めるための知識が足らない人が騙されるのです。厄介なのは知識が足らない自覚がない人が多いことです。

欲がある人が騙されやすいのは、欲により真偽を見極める目が曇るからです。得をしたいがために多少のリスクをとってでも行動してしまうのです。欲により何かを手に入れようとして、詳しく知らないことに手を出してしまうのです。この時利用されることが多いのが「衝動買いの心理」です。今手に入れないと損だと思い込まされるのです。欲に振り回されることが無ければ、騙されにくくなります。

騙されない人

騙されない人は物事の仕組みを理解している人です。騙そうとして騙す仕組みを考えてあっても、余程頭の回る人でなければ何処かに矛盾点があるものです。理にかなわない部分があるはずなのです。

例えば儲かるから教えてあげると言われても、人に教えた時点でその人の儲けが減るはずなのでわざわざ善意で教えるはずがありません。教える目的は別のところにあるはずです。

お金の動く理由がわからない場合には、手を出さない方が無難です。例えば無料ゲームの儲けが出る仕組みを知らないと、いつの間にか課金額が膨れ上がることになるのです。

欲のない人も騙されることは少ないでしょう。損をしても別に良いと思っている人は、得や損を引き合いに出されても心が動かないのです。だから騙される可能性は低いでしょう。

騙されないために

とにかく物事の仕組みを知ることです。例え行動しないことで損をするとしても、仕組みのわからないことには手を出さないことです。騙そうとする人は得や損を引き合いに出して、不安を煽ることで冷静な判断する余裕を奪います。仕組みを知ってから行動を変えても遅くはありません。仕組みを知る前に行動してしまうと、取り返しのつかないことになるかも知れません。

騙そうとする人は時間を区切って焦らせます。目的は冷静な判断する余裕を奪うことと、「衝動買いの心理」を刺激することです。

一つの有力な対策は人に相談することです。相手が前もって人に相談をさせないように仕向けていると、騙そうとしている可能性が高いと思います。何故なら騙そうとしていなければ、人に相談されても問題ないはずたからです。相談されると騙しにくくなるので嫌がるのです。

前もって知っておくに越したことはありませんが、知識が少しでも足らないと思えば、第三者に相談することだと思います。このことに気をつけるだけで、格段に騙されにくくなると思います。

今日は8月15日、平和記念日

今日は8月15日平和記念日です。

一般的には日本が戦争を止めることを宣言した日、終戦記念日として認識されています。

1945年8月15日のその日から71年間戦争をしていないことを私は誇りに思います。

8月15日を平和記念日として平和を祝う祝日に制定することを提案しています。このまま平和が続き、私が生きている間に平和記念日として祝日に制定されることを心から望んでいます。

100年でも1000年平和が続くと良いなと思います。理想を考えると、争いが無くなり戦争という概念が消える時代が来ることを望んでいます。更に国境が無くなるといいですね。

人は争わないように進化している

人は争わないように進化しています。戦争が減っているのはその一つの表れです。
人類の進化の歴史において、争うことに備えて人間の身体の一部が進化した部分もありますが、争わないように進化した部分もあります。争うことに備えて進化したのは副鼻腔です。鼻の周囲に空洞があるのです。争いにおいてバンパーのような役割を果たしました。

争わないように進化したのは、目の白目の部分です。ゴリラなどをみてみると白目が黒く何処を見ているのかわかりにくくなっています。争いにおいて何処を見ているのか相手にわかってしまうと、攻撃しようとする場所がわからるため不利です。ゴリラは何処を見ているのか相手にわからないようにするために白目と黒目が曖昧なのです。自然淘汰の視点からみると、白目と黒目が曖昧な方が生き残り・子孫を残すことに有利だったのです。争うために白目と黒目が曖昧なのではなく、争いがあるから白目と黒目が曖昧な方が有利なのです。一方人間は白目と黒目がはっきりわかれています。視線の先という言葉があるほど相手が何を見ているのかはっきりとわかります。相手の興味を持っているものを知ることで、話題を共有することに意味があります。何より争いをしないことにも役立ちます。

白目がはっきりすることで争いを避けることが出来ます。このまま進化して争いがない世の中が実現するといいですね。

スポーツの意味とドーピング

スポーツ本来の目的は、身体を動かす能力を最大限引き出すことです。決まりが無ければ比べられないので、比較するためにルールを作ります。本来は身体の能力を最大限に引き出す目的で人と競うようになったのですが、本来の目的が薄れ競うことが見世物になってしまいました。そして勝った者だけが地位や名誉を得るようになりました。その弊害として勝たなければ意味がないと考えてしまうようになったのです。

身体の能力を最大限に引き出すことが目的であれば、ドーピングというズルに意味がないことがわかります。しかし勝つことが目的であれば、ドーピングしてでも勝ちたいという歪んだ心理に陥るようです。

ズルして得られた地位や名誉に意味がないと考えるのが普通の人の考えだと思いますが、ズルしてでも勝ちは勝ちと考える人はいるようです。それを国ぐるみで行う国があるのですから、世界は広いですね。

ドーピングしてでも早く走りたいというのは、走る相手に対して自転車で挑むようなものです。ルールを無視するのですから何の意味もなくなります。

娯楽が増えつつある今日、スポーツ観戦が娯楽として成り立つ世の中が何時まで続くのか興味があります。東京オリンピックはまだ成り立つと思いますが、サッカーや野球などの興行を考えて暑い時期に追いやられるオリンピックに意味があるのか私には疑問があります。

知らないから騙される

物事を知らないから騙されれてしまいます。物事を知っていれば騙されなくて済みます。全て知っていなくても部分部分で知っていれば、騙されなくて済みます。知っていることと照らし合わせて矛盾があれば、そのことを詳しく理解することで騙されなくて済みます。

知らないと騙される簡単な例は、カーナビです。道を全く知らないと、明らかに遠回りをカーナビが案内していてもわかりません。カーナビに騙されても、道を全く知らないと気付かないのです。少しでも道を知っていれば、カーナビの案内が遠回りであったり、間違いであることがわかります。

騙されるのは無知に付け込まれてしまうからです。全く知らないことを言われると、いつの間にか相手の言うことを鵜呑みにしてしまいます。少しでも知っていれば、知っていることと照らし合わせることが出来ますが、知らなければ理解するための土台が無い状態だからです。幸い今では知らなければすぐに調べることが出来るので、その気にさえなれば騙されにくい世の中になりつつあります。しかし知らないことを自分で調べるという知恵が無ければ騙されていまうのです。

学校での勉強は社会に出て直接役には立たないかもしれません。物事を知るということを学び、騙されない元となる知識の土台を作るのです。人は知らないから騙されるのです。物事の仕組み・からくりを知っている人は、その仕組みから外れた論理には何かしら不自然な部分が出てきます。不自然な部分とは騙そうという思惑です。

テレビで流れていることが正しいとは限りませんし、国がいうことが正しいとも限りません。騙されないためには、知るしか無いと私は思います。様々なことを知ることです。世の中の仕組み、お金の仕組み、経済の仕組み、政治の仕組みなど分野は様々です。全ての知識を得ることは不可能ですが、人に騙されない程度の知識を幅広く手に入れることは可能だと思います。

とにかく知りましょう。騙されないために。

変化することが当たり前の理由

世の中は絶えず様々な環境の変化に曝されています。そしてその環境の変化に対応するために自分達が変化することが求められています。
変化を嘆く人がいますが、変化を嘆く時点で世の中の認識を誤っています。何故なら変化が当たり前で以前と同じことが続くこと自体が奇跡に近い偶然だからです。すなわち以前はこうだったからと以前と同じを期待するのは、無駄なことです。同じであることは偶然で幸運だと認識しておく方が無難です。
現在の世の中は偶然の変化の積み重ねの結果成り立っています。その偶然の変化が起こらなければ、全く違う世界が広がっていることでしょう。
つまり変化することが当たり前で、同じであることの方が異常だといえるかもしれないのです。
とはいえ日本がいきなり明日から社会主義の国になったりするような変化が当たり前と言っているわけではありません。そのような人と人とのつながりによって成り立っていることであればあるほど変化しにくいのも事実です。多くの人が形作る仕組みの変化は、多くの人が変化を受け入れなければ変化できないから、変化しにくいだけです。
ここで言う変化とは景気や人の流れなども含めた環境についてです。

栄枯盛衰という言葉が全てを物語っています。どれだけ栄えていても永遠に栄え続けることはありません。
人は調子が良いとずっと同じ状態が続くと錯覚してしまいます。そこに落とし穴があるのです。変化に対応することは大変なため、希望的観測で変化しなくて済む方法を探してしまうのです。出切れば変化をしたく

人類が地球に存在すること自体が奇跡的な変化の積み重ねの結果です。だからこそ変化することが当たり前なのです。
地球に起こった偶然の変化が積み重なって人類が誕生しました。地球の歴史を読み解く『知恵』により、地球には様々な変化が起こったことがわかっています。地球全体が凍りついたことも何度かあるようですし、酸素濃度が上がって巨大な昆虫の星になったこともあるのです。1億年をこえる恐竜の時代が巨大な隕石の衝突により終わりを迎えました。このように変化するのが当たり前で、その変化に対応できたものだけが生き残ることが出来たのです。いわば人間は変化に対応した生き物の集大成のような存在なのです。
環境の変化は自分達ではどうしようもないことです。その変化に応じて自分自身が変化するしかありません。もし人類が自分達の意思で変化をしようとしていなければ、今でも石器を使っているかもしれません。もしかしたら石器も使えないかもしれません。
変化の積み重ねのおかげで、今の人類の生活を手に入れているのです。そして更により良い生活を手に入れるためには変化し続けるしかないのです。だからこそ変化することが当たり前なのです。

変化は避けられないわけですから、変化を受け入れその変化に対応する自らの変化を素早く行いましょう。
変化を嫌がり拒んだところで恐竜のように淘汰されるだけです。
生き残るためには絶えず変化していくしか方法はありません。
まずそのことを受け入れるようにしてみましょう。

ポケモンGOが旅行の意味を変える?

ポケモンGOが日本でも配信開始されたようです。
ポケモンGOは位置情報を活用してポケモンを探すゲームです。時間と場所により出現するポケモンが異なるため、幅広く遊べるようです。

地域限定のポケモンをゲットするために旅行をする人も出てくるかもしれません。このことを逆手にとって地域振興目的に県や市がPRのために予算を組んでポケモンGOに宣伝費としてお金を支払うことも考えられます。どこの自治体が初めにポケモンGOと提携するのか私は見ものだと思います。

ゲームで人の流れを作り出せる時代になったということです。凄い時代だと私は思います。

相手が知らないことを責めても意味がない

相手が知らないことを責めても意味がありません。
相手が知らない時点で怒っても仕方がないのです。何故なら知らないのですから怒ったところで、話が噛み合わないからです。
相手が知らない時点で喧嘩にもなりません。持っている情報に偏りがあるのですから、情報を持っている方が圧倒的に有利です。

情報を持たない人間は情報を持っている人間に従わざるを得ません。情報を相手が知らなければ、怒らず教えてあげれば良いのです。ただし情報の伝え方を上手にコントロールすることで、相手を従わせることが出来るのです。

相手が知っているべきことでも知らなければ怒っても仕方ありません。怒らずに教えてあげれば良いのです。ただし本来なら相手が知らなければいけないことであれば、如何に知らないことが常識に外れているのかを相手に分からせるだかで良いのです。伝えることで相手が理解すれば教えた意味がありますが、理解しなければ教えたことすら意味がありません。ましてや怒ったところで相手が理解出来る可能性はほとんどないでしょう。

相手が知らなければ、教えてあげれば良いのです。ただし知らないことが何らかの損害を招くのであれば、何らかの対価や労働で償ってもらうような仕組みを作ると良いと思います。知らなかったことで損をする仕組みをうまく作り出せば、相手も気をつけるようになると思います。